最後の抵抗
本編です、ご安心ください。極限まで広がったスケールががっつり縮みます。
「今更だけど、一応魔界側のユングには何とか治療して飛ばせようって気概は全くないんだね」
同胞への情などはないのだろうか。砂埃の混じった突風が血の臭いを運んで、栗色の髪を舞い踊らせる。切り株に突っ込んだウサギが暴れているのだろう。
「え?何でそんなことをしなけりゃならないんです?格下に削られて落ちたような弱者はこれ以上生き恥をさらす前にとっとと死ぬべきです」
「……魔族理論か。忘れてたよ」
話し込んでいるうちに電波塔の近くまで帰ってきた。鉄骨で三角形をいくつも作ったような堅牢なはずの形の塔は子供が作った紙細工のようにくしゃくしゃになっている。
弾け飛んだらしいネジの頭や剥がれた塗料や軍のマズい携帯食料やレジャーシートや2ℓのウーロン茶のペットボトルや紙コップがそこらに散らばって、まるで花見の後だった。千切れたコードや割れたよくわからない操作盤からはスパークが飛んでいる。
公園も地面が抉れて、砂場の囲いだったコンクリートの小さな壁が凹んだ滑り台の上に乗っかっている。先月設置されたばかりの、健康志向のおじいちゃんおばあちゃんが使用していたストレッチ用の器具も、根元から引っこ抜けてひっくり返っていた。
掃除のことを考えるとビルから身を投げたくなる。きっと再起不能だろうから更地にしないといけない。
ああ、それから。やっぱりちょっと小ぶりなドラゴンがそこに半ば突き刺さるようにしてもがいている。出血はさほどないようだが、動きに元気がない。
片方の前足がねじくれ、もう片方は再生しかけの状態で未分化な細胞の塊を表皮が覆っている。イモリみたいな再生の仕方だ。
めくれた鱗の根元から肉が覗き、砂埃が付着している。首にチョップを入れるように倒れているのは公園のブランコ。何をどうやったらそうなるのかよくわからないが、そのせいで頭を上げることもかなわないらしい。
いびつな形に再生した角。左目がギロリとこっちを睨んだ。もう片方は何だかよくわからない触手みたいなものになっている。きっと眼窩の奥に目を作ることを決定する組織があったのだろう。
この、惨憺たる状況を一瞥してイルマは顔をしかめた。
「血抜きの工程がいるなあ……」
「そこですか」
ドラゴンのもがく動きにちょっと必死さが加わった。ユングですら同情を覚える。
「だって料理した時に生臭いもん。でもま、よかったかも。フィリフェルの料理であったよね、血の詰まったソーセージ」
「ええ、ありますね。もしかして、あれがしてみたいんですか?」
うん。深く頷いた。おいしいのかどうか、ちょっと疑問が残るが強烈に精が付きそうである。今日の疲れぐらいは軽く吹っ飛ぶくらいのが。
「僕は刺身が食べてみたいです。せっかく新鮮なので」
「えへへ。そうだユングー、醤油とわさび持ってきてー」
「嫌ですよう。僕がいない間に先生が食べ尽くしちゃいそうですもん」
そんなことしないよ。何かが切れそうだったが、未知の食材への探求心はそれをつなぎとめた。ユングはまた寿命が延びたわけだ。
「あとさー、やっぱりフィレ肉でドラゴンステーキって絶対やってみたいよね。こう、骨がついてるやつ」
「完全にマンガ肉ですねえ。ちょっと心が踊ります。ていうか、ドラゴンにフィレに相当する部分はあるんでしょうか?ちょっとそこが気になっちゃいます」
「あーそれもそっか。じゃあぼんじり?でもぼんじりなら串に刺して炭火焼だよね」
「焼き鳥ですか。タレと塩、どっち派です?」
「スーパーのお惣菜ならタレで、自分で焼くなら塩だね。あの香ばしさがたまらないよ。確かししょーが買った珪藻土の七輪があったと思うんだ、炭と竹串買ってこなきゃ」
「何でもありますねえ。焼き鳥と言えば、手羽先ってのがありますが、ドラゴンの場合手羽はどうなるんでしょう」
料理法を議論されているが、ドラゴンはまだ生きていた。とりあえず鉄塔から胴体を抜こう!無理だ!鉄塔に刺さっていると同時に鉄塔が刺さっている。
首は……ブランコで半ば潰されている。引きちぎる体力などもはや残っていない。結果は絶望だった。下手にコルヌタ語が理解できてしまうゆえに、会話の内容が頭に入ってくる。
さっきから猟奇的で家庭的な言葉の数々が飛び交っているが……つまり、自分を放置してとりあえず料理法を検討しているのだ。何度考えても同じところに行きつく。
「さあ。でも皮膜があるし、サラマンダーの翼と同じ要領なんじゃないかな、あれ。鱗も多分、剥げてるところから始めれば包丁とかで落とせると思うし」
「皮膜スープですか?果物とか一緒に入ってるやつ」
「そうそう。あれ、本当は南国の料理で、蝙蝠の姿煮っていうのを魔改造したんだってね……程よい甘さが好きなんだ」
「スープというと、魚の白子を煮たやつを思い出しますね。出汁と醤油の優しい味付けで」
「え?ドラゴンもいけるの?」
「サラマンダーやワイバーンの白子は魚同様に調理できるそうじゃないですか。その上位種たるドラゴンの白子がまずかったら問題です。設計ミスです」
「言われてみれば……でも、こいつがオスって確証はないじゃん」
そう言うとユングは眼鏡を押し上げた。ほんの少し侮るような気配である。
「ありますよう」
「どこに?ドラゴンって性器を体内に格納してるから外からはどっちか判断できないじゃん」
「えーどう見ても男顔じゃあないですかあ。腰回りもメスにしては肉付きが悪いし」
言われてちょっと見てみたが、比較対象を知らないイルマにはちっともわからなかった。
まあいいや、メスだったらたまひもみたいに活用すればいいんだからと思い直し、楽しみだねえと舌なめずりする。なお、ここでぐしゃっとなってる彼はオスで間違いない。
「僕も楽しみですよ。味見が」
「馬鹿、君も一緒に作るんだよ」
なんつう会話だ。