死霊術師
やっとのバトルパートです。と思ったら次の話にはみ出します。諦めてくれ。
吹雪の舞う白い世界を、二つの人影がただ歩いている。さすが氷点下、一足ごとにどちらの口元からも白い霧が吹きだされる。
「しかし寒いな」
「そういう地獄ですから」
亡者の言葉に鬼は周囲の大気にも負けないくらいの冷たい声で返す。意にも介さず亡者は呑気に話しかける。
「この上裸足で歩けとは、何度足裏の肉が地面に持って行かれたか知れんぞ」
「そういう地獄ですから」
「ところでお前は大丈夫か?」
「そういう地獄ですから……え?」
驚いた鬼は亡者を振り返った。肩まである金髪の、少し整った容貌の中年。とはいってもすでにその髪は凍って額や首筋に貼りついている。
睫毛には白い霜が貼りついてまるで化粧の濃いコギャルだった。その顔面で一番突出している鼻先は紫色になっているし頬も赤い。どことなくしょぼくれた感じがして、見た目だけとはいえこれまでの地獄ツアーで一番のダメージを受けているようだ。
快挙。しかし鬼はあまり嬉しくない。
「大丈夫って、私がですか?」
「他に誰がいる?こんなただ白いだけの風景だぞ。遭難するまでが罰である俺はいいとしてお前は?ちゃんと帰れるか?なんならちょちょいと魔法を使って」
要りません要りません!必死で首を振る。亡者に心配されていたなんて死ぬほど恥ずかしい。
「じ、GPSがあるから遭難したって大丈夫です!」
「だが寒さのほうはどうなんだ?」耳まで赤くなっている「彼女」の様子には気付かず亡者がその顔を覗き込む。
「俺と違ってダウンジャケット、ブーツ、アイゼン、ピッケル、ゴーグル、イヤマフ、角カバーとフル装備だが寒くないわけではないだろう。だいたいお前の上司も大したものだ……もう死んでるとはいえ女の子一人でおっさんをこんなところで連れまわせとは」
鬼は、ぽかんと口を開けた。
「いつ気付いたんですか……!?」
「最初から何となく。動きとか、声とか。言葉のイントネーションも違うな。胸元が蜃気楼で多少男顔、ガサツなくらいでは判別が可能だ」
氷山に赤い霧が舞う。亡者の頭が吹っ飛ぶのも久々だ。首から下が少し遅れて崩れ落ちる。しばらくして元に戻って立ち上がった。
「し、蜃気楼じゃないもん!男顔じゃないもん!わ、私、中性的なんだもん!」
再生したての澄んだ瞳が混乱を映し出す。
「……ガサツは、否定できないのか?それとも、否定のしようがないのか?」
「はい、できないんです……その二択はおかしいですよ!?」
不可能以外の選択肢は与えられていないのだった。
一方の亡者は不意に雪崩にさらわれてどこかへと押し流されていってしまった。どこ行った!と金棒を振りながら雪を掘りながら探すと直立不動の体勢で埋もれている。なぜそんな恰好でと聞いたら体が凍って動かんとか返答された。
畜生、まっすぐ地面に対して垂直に埋まりやがって。ゴボウか。掘る側の労力考えろよ。案の定、途中で体が折れた。また再生する。この鬼は自然薯を掘れない。
「と、とにかく女の子ならいきなり男顔とか言わない方が……!」
「そうか、すまん。無神経だったな、諦めてくれ……で、どうなんだ?」
「いやに素直ですね?もちろん本音としては否定などしたところでもう取り返しがつかないと……はっ!?おのれ卑怯な!違うんですよ!?否定は、あえて『しない』んですよ!っていうかよく考えたら胸元が蜃気楼ってどういう状態ですか!?」
「俺に言わせたいのか……?」
きゅう、と眉を寄せて鬼を見る。もうわかっている癖にとでも言いたげだ。気遣いをこんなところで発揮したものらしい。
「言わせたいも何も、わからないんですよ!」
じっと澄んだ眼をこちらに向け、気まずそうに言う。
「……触れると消える」
「うわああああ!」じつは胸元、少し盛っていた。まだ誰にも気づかれてないと思っていた。「せめてAカップくらい私に下さいよおおお、何で看破しちゃうんですかあああ」
目に涙を浮かべて訴えたら亡者がぽんぽん背中をさすってきた。慰めてくれているらしい。どうでもいいけどさすってくれてる手がめちゃくちゃ冷たい。まるで氷の塊だ。温かい場面のはずなのに。
「大丈夫だ、大丈夫。俺の弟子の胸元には何もない。なかったから」
「その時、その子は何歳だったんですか」
亡者はちょっと考えた。
「えっと……10歳かな?」
吹雪の音が一段と大きくなった。
「いいですか!その一見何もない胸元には!恐ろしいまでの将来性が!潜んでいるんですよッッッ!」
私には!もう後がないんですよ!以上、「彼」の担当を務める鬼ジールの報告書より抜粋――。
現在Eカップ前後のイルマは待ち合わせ場所の公園のベンチに座って、空を見ていた。いくつ雲が通り過ぎただろうか。あといくつ見ればいいんだろうか。
「それにしても丙種さんたち、遅いねえ。いつになったら来るのかなあ。……あっ、見て見て。天使だ」
「本当ですね。珍しい、こんな低空に。……もうとっくに集合時間過ぎてるのに、なんて奴らでしょう。あっ、三人で示し合わせて手柄を横取りしてたりとか」
「うわあ、卑劣」
「丙種のくせに生意気ですよねえ。丙種が許されるのは猫探しくらいでしょ」
「ちょっと、その論理は魔族の中でしか通用しないんだからね。人間にも適用したいけどね」
出会う前からディスられる謎の仲間たち。まだ顔も名前も出ていないのに不遇さに関しては随一である。時間を守らない人と香水と西日が嫌いなイルマだった。
あの破綻師匠だって時間は守っていた。人の命は守ってなかったけど。害する側の立場だったけど。
集合時間を約一時間オーバーして集合してきたのは、確かにその仲間たちだった。しかし服も杖も、装備全般がズタズタになっている。
肩幅のあるぎりぎり青年と言えるくらいの男と、少女に見える小さな体躯の少年。普通、見分けがつかないだろうけどその道のプロには少年であることは匂いを嗅げばわかる。
「おーおー、何がどうしちゃったんですかああ?言い訳は聞いてヤルヨ?お?」
こらユング。
さっと助手を制した。我ながら『先生』っぽくなってきたと思う。この二人、どうにもおかしい。装備がぼろっちくなっているのもそうだし、普通は汚れないような肩や頬にまで泥が付いている。
何より全身から薫るこれは――血液の香り。
「どうしたの?なにかあったみたいだけどさあ」
できるだけ穏やかに、安心させるように聞いてみる。少年のほうが目に涙を浮かべて訴えた。
「助けて……!」
やはりただ事ではない。一人うなずくイルマの隣でちっ、と舌打ちが聞こえる。ユングの本体、じゃなくて眼鏡がぎらりと光った。
「はあ?助けて?助けてほしいのはこっちなんですよう。こちとら忙しいのに朝も早うからこんな田舎にまで出てきて、別の仕事も同時にこなすべく軽く準備もしてさあ。それから待つことワンアワー、こんなことなら先別の仕事行ったらよかったなあなんですけど?」
ふぇぇん。とうとう少年は泣きだした。
「ちょっとユングは黙っててよ!この子泣いちゃってるよ?勘弁してあげてよ」
「先生は甘すぎますっ!」
ユングも負けずに杖を放り出して言う。ズギャッ、公園の地面に杖が12センチもめり込んだ。泣いていた子供が蒼白になって黙りこむ。
「大体、先生と約束しておきながら手柄の横取りを企てて三人という数を頼んで!それだけならばまだ良かろうものの惨めにも敗北し一人は見捨てて!その貧相にもほどがある敗残の姿をさらし!あさましくも一度は謀った先生にその一人の救出を依頼する!これを愚かと言わず卑劣と言わず!何と言えばいいんですか!?」
現金ともいう。
「他に言いようがないったって言い過ぎだよ!そりゃあ私もちょっとは腹が立ったけど、でもまだ一人見捨てたなんて決まってないじゃない!」
「見捨ててなんかない!」少年が(恐怖で)声を震わせた。「父さんは自分で残ったんだ!見捨ててなんか……」
「嘘おっ……当たった」
隣でユングがドヤ顔をしている。不謹慎にもほどがあるが彼の見込みは当たったというわけだ。
聞くところによると彼の祖父はよく格下と組まされていたそうで、その時によくある事例ナンバーワンだったそうだ。
しばらくして落ち着いた彼らから話を聞く。まず、三人はよく組んでいたということ。無口な男はニルス、少年はアロイス、年齢は実はユングと同じだった。童顔すぎるのと老け顔過ぎる。何だよこのコンボ。
アロイスの父がヨーゼフ、今回救出する相手。年齢は35歳……これはいわゆる魔導師の円熟期で、体力と魔力のバランスが最も取れている時期だ。これを過ぎればまず上の種には上がれないことから俗には「あきらめの30なかば」と言うらしい。
そんな彼が焦りから乙種の二人を出し抜くことを思いつき、円熟期である自分が最も生存する確率が高いだろうと判断して二人を逃がしたと。
もちろん責任感もあっただろうが責任を感じるくらいならやらないでほしいものである。迷惑にもほどがあるから。
「……ユング、こんなときマゾッホおじいちゃん|(仮)はどうしてた?」
「マゾッホ|(仮)なら助けを求めてきた残りの人員もつれて救出に行きます」
なるほど、そうすればただ助けられただけにはならない。一応相手の顔も立てられるからか。ただの変態ではなかったというわけだ。
イルマがにわかにマゾッホ|(仮)をまじリスペクトしたところで、ユングは一つ付け足した。
「そして鮮やかに残った阿呆を救出、喜ばせた直後に魔物を瞬殺して全員に絶望をプレゼント。さらに格の違いというものを骨の髄まで刻ませ、もれなく弱みを握って奴隷人形に仕立て上げます」
「性格が悪すぎるよ!」
リスペクトして損した!
「奴隷人形……しますか?」
ニルスが言った。無口な彼の初台詞はこれだった。
「しないよ!?ニルスさんも真面目に聞かなくていいよ!……っていうかぐずぐずしてる場合じゃないよ皆!ヨーゼフさんを助けなくちゃいけないじゃないかっ。さ、行くよ三人とも」
ユングは杖を片手で肩に担いだ。唖然とする丙種二人に「キビキビ歩け」と号令を出している。さすが魔族、弱者には厳しい。
「あ、あの、対策とかしないんですか?」
「しないよ?」
年上なのに上目遣いで聞いてきたアロイスにニヤリと笑いかける。寸前になって大慌てで対策を練ったところで結果は変わらないというのは師の教えだ。そんなことをするくらいなら数年かけて準備しろ、とも。
「大丈夫なんですか!?」
「うん多分。アロイスさんとニルスさんは戦力外としても二人もいれば十分だと思うし」誰かの心を不可視の刃が切り裂いた。ちょっと気を使う。
「そうだね、するとしたら現場について、相手を見てからだね。二人って言っても本当に二人だけなわけでもないし」
「え、それってどういう――」
ぶんっ、ぶんっと誰かの助手がものも言わずに杖を片手で振った。吹かれた髪が顔を打つ。
「……大丈夫そう、ですね」
なんだかよくわからないけれど、ニルスは納得したらしい。
彼なりの論理があり眼鏡があるのだろう。そしてイルマたちはおそらくそれに適う人物だったのだろう。それだけのこと、それだけのことだ。
今回も王道しましたね。感想を待っています。参考にするかって言うと多分しないけど、くれると励みになります。