待ちぼうけ
お待ちかね、主人公主体の本編です。待ちぼうけになるのか……なんて思った皆さんにも朗報。ありんこは割と期待に応えてくスタイルらしいです(親戚の女性談)。
それは、空からやってきた。
「来ないねー」
「来ませんねー」
イルマとユングは午前三時からずっと近所で一番高い建物、電波塔の上に足をぶらぶらさせながら座っている。鉄骨を組み合わせた住居として不適格な感じの建造物だが、一応雨風も防げるし、下にトイレ付きの公園があるので拠点として便利なのだ。
また、公園も近所で一番広い。もしやばそうな魔物が魔導師コンビのもとに突っ込んできてもちょちょいと誘導してここに落とせば被害が少なくて済むのだ。
「今日はまさに旅日和なのにね」
まだ五時半だから白っぽいけれど、空はちょっとの雲が地平線近くにさまよっているだけである。まさに快晴だ。降水確率だって0パーセントだ。魔物の大移動さえなければお洗濯日和だが、多くの家庭は部屋干しにしているだろう。
「まさか魔物の大移動自体がなくなってたりして。いっそ心配になって来ちゃったよ」
「それはないです。ラジオによると、帝都の他の町にはもう来てるみたいですから」
ユングの言うラジオは黒くて小さな恐ろしく旧式のやつだ。凄いと言えば凄いけど何が凄いって電波を拾えているのがほとんど奇跡だということである。
「え?それってどことどこ?」
「ハクトウ町以外すべてです。決まってるでしょ」
ひそひそ話以上の音量が出ないうえ、電波の向こう側で戦争でもしてるのかと思うほど物凄いノイズが入るので、イルマには何を言っているのかさっぱりだが、彼にはわかるらしい。
「うーん……今年は全体的に移動する魔物が少ない、とか?」
「個体数も例年通りって感じらしいですよ」
「じゃあ何でうちには来ないのさ」
「知りませんよう。たまたま群れの切れ目だったりするんじゃないですか?」
「むー」
座っている少し後ろにある箱から、携帯食料を一本取り出す。本日のメニューは主にこれだ。箱ごともらってよかった。余分な出費がなくて済むし、敷いてあるレジャーシートもどっしり押さえられる。
ぽりぽりと独特の味のそれを齧る。消しゴムみたいな食感のくせに口の中の水分を持っていく一種のリーサルウェポンだ。箱の隣に置いてある2ℓのウーロン茶を「イルマだよ」と書いた紙コップに注いで口を潤す。
ここで、ふと昨夜の会話を思い出す。期待を込めてユングの顔を覗き込んだ。
「……もしかしてさあ、あのあと咆哮とかやってくれた?」
「してません。してたら今頃阿鼻叫喚です」
きゅう。やっぱり即答された。しかも真顔!聞いたイルマが馬鹿みたいじゃないか。
しかしだとすると来ない原因が気になる。ぽりぽり。あーやっぱり慣れると旨いんじゃー……じゃなくて。双眼鏡で魔界のほうを睨む。ハトが飛んでる他は何も見えないな。
でもユングのラジオによると他の町にはもう来ているはず。二時間半もの間、この街がたまたま群れの切れ目にあり続けているなんて説はちょっと都合がよすぎるんじゃないか?
何だか嫌な予感がする。イルマは少し視線を険しくした。
双眼鏡で見ている間にユングがトイレに行って戻ってきた。
「何にもいないねー」
「ほんとですねー」
例年通りならこの時刻には空が魔物で真っ暗になるのだが、なぜか今年はいまだに一つも影を見ない。たまに黒い影がよぎったと思って見たらハトかカラスである。魔物の魔の字もない。
いや、魔法の魔の字はあるからあるのか?
「魔物の大移動は夏の季語なのにね。これじゃ俳句が好きな近所のおじいちゃんが泣くよ」
70歳の誕生日を先日迎えたあのおじいちゃんは今年は七月一日の大移動で一句!と心に決めていらっしゃったと思うが、七月一日現在、大移動どころか小移動もない。
これがコルヌタ全土ならやれ地球温暖化だ、やれ大災害の前触れだと何のか知らないけど専門家の皆様が液晶画面で一席ぶつのだが、ここは帝都とはいえ片田舎のほんの一部だ。専門家によるなんとなく納得できそうな理由付けは期待できない。
しかし理由付けがあったとしても疑問がわくから納得はきっとできない。一番疑問なのは、「そもそも魔物は気候の変動に影響されるのか?」である。
たしか一億五千万年前に隕石が落ちて恐竜が絶滅してたと思うが、ドラゴンなど主な魔物はそのまま現在まで生きている。しかも恐竜と姿が似ている。
その前にも哺乳類型爬虫類がいたくらいの時期の大絶滅とか、二億年前の全球凍結とか、いろいろあったはずなのに魔物はほとんど姿を変えていない。
化石から新たな発見があるのは普通の生物だけだ。魔物の化石は「昔からこうでしたけど何か?」しか言ってこない。
「ああ、だからサラマンダーとかワイバーンとかドラゴンって夏の季語なんですね」
「知らなかったの?」
「いやあ、魔界では年中そこらにいますから、あまり夏って感じでもないんですよ」
「それもそうか」コルヌタ北部の人に梅雨の話をしてもピンと来ないようなものか。「……でもだったら何で、場所によっては年中奴らがいるコルヌタはあれを夏の季語にしたんだろ」
「たまたま目立ってたのでは?けっこう昔の人ってテキトーですよ」
「季節ごとの行事にはうるさいのに変だよねー。古典常識って私嫌い」
そうすると季語のうち二つがガチバトルを繰り広げていた魔界のどこぞの自治区は夏の中の夏だということになるが、いいのだろうか。
ともかく世間話をしながら大移動しているはずの魔物を待つ。別に走ってきて切り株に衝突して死ぬあほなウサギを待っているわけではないのだが、気づくと待ちぼうけの歌を口ずさんでいた。
七月いっぱい魔物が空を覆って、八月の中盤にはアンドンクラゲ、当然夏は台風が来る……このひとたち、いつ海水浴に行くんだろう。
きっと大混雑していることでしょうな。