旅情、ゆたか
登場死人物が増えていきます。死んでます。電波ストーリーに磨きがかかっているような気がします。
気のせいです、王道ですから。
あの世の時間は三年ちょっとさかのぼる。場所も移動する。天国だ。
「よう、久しぶりだな。十何年振り」
そんな声で亡者は目を開けた。
ゆっくり立ち上がる。異常に体が軽い。思うよりずっと速く、力強く動くようだ。空も風景も妙にはっきり見える。見えすぎて目が痛い。
草原の草も一つ一つ鮮やかでそこに咲く空色の花などは花弁が一枚ずつ視認できている。顔の向きを変えずに見える範囲に人影はない。振り向くとそこに若い男が立っていた。
こんな知り合いがいただろうか。ゆっくりと記憶をたどる。こちらもかなり昔のことまで何年何月何日とラベル付きで出てくる。こんなに頭が回るのも何年振りだろう。
その記憶の中に、目の前の若者は悠然と立っていた。
知り合いどころの話ではない。一度は親戚にまでなった相手である。手を持ち上げたら勢いがつきすぎて自分の顔を殴りかけた。頭の側が素早くかわす。やはり手には一点の染みも皺もない。
これではまるで。
「あははっ、慣れるまでは大変だよ、フロスト」また別の方向から聞いたことのある声がした。若い女らしい。振り向いたがそちらは本当に見覚えがない。
「あれ?覚えてない?私だよ!私!」
女はその場でくるりと一回転した。その姿が縮んで幼女になる。こちらは見覚えがある。
「ああ、お前か……あれ?」
声が若返っている。
「みんな若い時に戻ってるんだよ。でなきゃ天国が老人ホームみたいになるぜ。此岸で十分だっての」また一人、男が現れた。
「よう、人間勢ではなんだかんだあんたが一番長生きしたな。あの頃一回死ねとか自殺を勧めるとか言われてたのに」
かつての剣士はそう言ったあとで、「でも地獄に落ちたのもあんただけか、長生きも考えものだな」と複雑そうな顔をした。
「……はて、お前は誰だったかな」
「ひどいっ!?」
冗談だ、久しいな。昔のようにからかう。そのあとはどういう人生だったかを話しあった。
「村を焼いて追い出されるって、どこのギャングだよ……」
「台風の日に『ちょっと田圃見てくるわ』とか言ってそのまま帰らぬ人となったお前には言われたくないな」
「すいません、すべて私が悪いんです……ああもう反射で謝っちゃったじゃないか!その死因だけは言わない約束だろ!」
「約束?……ふっ、死人に口はないからどうだかな」
今喋ってるじゃん!女が的確にツッコミを入れる。自分の存在を否定する発言ではあるがそれはそれでありだろう。もう死んでいるわけだし。
「そうだ、俺の妻は元気か?あいつ、ちゃんと野菜も食べてるか?」
「元気ではあったが私が見たところ野菜どころか食事もしていない。光合成と窒素固定で生きていけるそうだ」
魔物だから。
「……そっか。あいつモノの味とかわからないもんな。俺に付き合ってくれてたのか」
まあいい、元気ならいいんだと笑った。急に複雑な気分になって老魔導師だった亡者は眉を寄せる。
「私の孫もクォーターなのに食事しないで光合成ばかりしているんだが」
「……ああっ……それ、心配だな。信用して地上は見ないように夢枕に立たないようにしてたのに。今度立つか」
さっきまで元気に飛んだり跳ねたりしていた女がそれを聞いてしゅんと縮こまる。どうした?と聞くと口をとがらせた。
「私も自分の孫がすごく心配だよ……。息子夫婦が子供を置いて蒸発して……あんな子に育てたつもりはないんだけど」
「それは大変だな。今時はロリショタの保護システムが整っているとはいえ」
整えた人の言葉になぜかふるふる首を振る。そこじゃなくて、と言いたいらしい。
「あの子、見も知らぬ中年魔導師のところに転がりこんでるんだ」
「なるほど貞操の危機だな。保護せねば」
「ううん、それは大丈夫なの。下手に手を出して事態をこじらせないで。誰かさんと違って少女趣味ない人だし、病気で死にかけてるから保護者がまたいなくなっちゃうけど」
けど、そこでもないらしい。
「じゃあ何が心配なんだ」
ぐす、と涙ぐんで「笑わないで聞いてね?」と上目遣いで訴える。幼女ではすでにないがなかなか可愛い。笑わないと答えてやると、あの子ね、あの子ねとしばし言いよどみ、泣きそうな声で言った。
「変態性癖に目覚めちゃったんだよ!」
「は?」
呆然とする。今何と言った。へん、へん、とよく回る頭が空回りしている間に女は補足を入れてきた。
「……最初は親代わりの魔導師さんが好きなだけだったんだけど、気が付いたらジジ専で臭いフェチでしかもBL大好きで、しかもSMにまで目覚めてたんだよ!何この性癖!あの子お嫁にいけるの!?ねえ私はどうしたらいい!?ていうか誰に似たんだッ!?」
腐ってやがる。誰かが呟いた。
「ああ、わかった、わかった。まずは落ちつけ。な?」
「魔導師さんにまでししょーの一日歩きつめて汗だくの蒸れに蒸れたニーソ脱ぎたてのくっさい生足をクンカクンカしたいとか言い出してドン引きされてたし!革のブーツだから確かに蒸れるけど!ロングブーツだからそりゃあニーソ履いてるけど!師匠も美形だけど!うわあああああん……!」
とうとう女が泣きだし、亡者は地獄のほうがマシだったかもしれないとか取り留めのないことを思った。
依頼をこなすべく、案件がやたら噴出している町に向け魔導師コンビが出発したのは二日後のことである。遠いから移動手段は師の生前には乗れなかった夢の超特急、新幹線。
事務所は駅近くの一等地、最寄駅なら歩いて三分。しかも新幹線が来る駅ときた。定期的に地上げ屋が来るのもうなずける便利な立地だ。
予約はキャンペーン中のネット予約で通常より二割から三割程度安くあがった。いやはや便利になったものである。
「なんだ、指定席か……」
「グリーン車とかは取れないよ!そんなに収入ないんだからね!」
「えー、祖母は魔界からこの近くの空港までセスナをチャーターしてましたけど」
このおぼっちゃまめ。報復はぐりぐり攻撃だ。相当痛かったらしくあううううと涙目でうめくユング。いつもメイスを振りまわしているくせに打たれ弱すぎる。
そう思うイルマ自身も新幹線に乗るのは初めてだ。
「こんなに遠出したこと、ししょーが死んでからはなかったからね」
てくてくと改札を通りすぎる。さすがラッシュアワー、大量のサラリーマンが進んでいる方向はここから垂直だから巻き込まれないように注意だ。一度うっかり巻き込まれて全然違うホームに行ってしまったことがある。
「死んでから?生きてらした間はどうだったんですか?セスナですか?」
なぜセスナにこだわる。
「ううん、そんなわけないでしょ。鈍行と区間快速乗り継いで行ったの。あの頃はししょーの薬代が家計を圧迫してて。延命には違いないんだけど。特に鎮痛剤として処方された……」
「ああ、睡眠薬とか高いって言いますね」
ううんそれじゃないよと首を振って「にい」と歯を見せる。
「モルヒネ」
「それは麻薬だ!?」ユングは真っ青になった。「ダメ、絶対!」
「なんかどうしたって助かりっこない末期の病人の痛みを和らげる目的で処方されてたみたい。でも、飲むの嫌がってたなあ……全身を虫が這ってるみたいで気持ち悪いって」
首が痒い、痒いって言って血が出るまで掻いてたりしたなあ。懐かしい思い出だ。
「あきらかに禁断症状ですね。プラシーボが入っている気もするけど」
「へえー」
初めての新幹線は、いろんな意味ですごかった。遠くの風景は普通の電車と同様ゆっくり流れて行くのだが、近くはもう色の着いた線がいっぱいあるようにしか見えないのだ。
何キロ出てるんだっけ。何でもいいけど。
ユングに乗り心地はどうかと尋ねたら「下を見ても雲の海が見えないから面白くないです」とななめ上の答えが返ってきた。暗い夜道に気をつけやがれ。
電車の思い出は数えるほどしかないが、一番遠くに行ったときは師が奮発してくれて寝台車に乗れた。しかし遠出したのはそれが最後というより、その仕事から帰ってきた三日後に入院を余儀なくされていたから彼が仕事をしていたのもそれが最後だった。
もしかしたら奮発ではなくシートだと辛かったのかもしれない。奮発した割に二人で一つしかベッド取ってくれなかったし……。もちろんイルマ自身はそれで狂喜乱舞だった。
がたごとと伝わる揺れと目の前の師のうなじの匂いを楽しんでいたらいつの間にかすやすやと眠っていて、気付くと朝というありがちな思い出。
寝起きと寝付く前とでは、ヒトの香りは違うんだぜうぇっへっへ。などという変態知識もやたら増えた。その日の宿では頼んだら『男女七歳にして同衾せず』の師匠には珍しく一緒に風呂に入らせてもらったっけ。
「懐かしいなあ」
「えっ普通女の子ってそういうの嫌がると思うんですけど、頼んだんですか?」
変態関連の思い出を抜いたさび抜きエディションを聞いたユングはそんな反応をした。イルマにだって人並みの羞恥心はあるし、いつだったかそれについて知らない女の人が夢枕に立って泣き叫びながら訴えかけてきたのであまり人には晒さないようにしている。
誰だったんだろう、あの人。尋常じゃない嘆きっぷりだったけど。
「嫌がるの?」
「だってお父さん的存在でしょ?」
それは違う。
「ししょーをお父さんだと思ったことは一度もないよ」地味にひどいことを言って、少し考えて付け足す。「お母さんみたいにはずっと思ってるけど」
「……性別かなり違いますけど……。そうですか、気にしてませんか」
知ってるけど別に気にしていない。気にすることでもないと思っているのだ。
「お風呂の中のししょーは綺麗だったよー、すごく!」周囲の乗客が一度に振りむいてユングがぽかんと口を開け自分がした変態発言にやっと気付く。必死で取り繕う。
「……肌が!」
そうか肌が、とみながホッとして向き直った。助かった。イルマも安心する。綺麗だったのは肌だけじゃないけど。
「でも死んじゃってから火葬にしたら骨だけになっちゃったよ。骨も所々、変な色になってね。火箸でつかんで持ち上げたらぼろぼろ崩れたよ……あははは、悔しい、なあ」
今度は新幹線の車内がしいんと静まり返った。変態発言に重い過去に、実に忙しい娘である。
「あの、次からはグリーン車にしません?僕のお小遣いから出しますので」
「……その方がいいかもね」
イルマという少女は普通の暮らしをしたことがないから、普通の感覚がわからないのだ。日常生活というのは師が路上で昏倒したり自分がマフィアに人質に取られたり、今さっきまで彼女の喉元にナイフを突き付けていたおじさんの首から上が赤い霧になって消し飛んだりやってきたヒットマンがあっという間にミンチに変わったり、そういうことだと思っている。
そう、思っている。
――普通の暮らしというものは、本当はしたことがある。
生まれたその時から師の手元にあったわけではないのだから当然と言えば当然だ。師匠のところに来た時は七歳。
両親が借金取りに追われてまさかの蒸発をするまではごくごく普通の少女だった。朝早く家を出て夜遅くに帰ってくる父の顔はあまり見たことがない。始終至近距離にいてあれこれと世話を焼いてくれていた母の顔はもう覚えてない。
でも三人家族だったか?いや、もう一人いただろうか?それは誰だろう。
さて先述のように両親の蒸発の理由は借金だったが、しかし彼女自身は親が借金をしているなどと思ったこともなかった。それなりに裕福で恵まれた暮らしをしていたと思う。
アウトドア派でもないから家の外に出たことはあまりなかった。ていうか出なかった。したがってあの頃のイルマにはひらひらのワンピースと香ばしいクッキー、母の笑顔にたくさんの本が世界のすべてと言っても過言ではなかった。借金取りに差し押さえられたあの本たちはどこへ行っただろう。
なんでも、高名な作家の未発表の遺作、しかも生原稿だそうだが何でそんなものが家にあったのだろう。内容を読む限り高名な作家とも思えなかったし。
魔法と、冒険と、幼女と、ボクっ子と、剣士と、妖精……あとHENTAIの物語。
――果てしなくライトノベルの雰囲気!
子供にも読みやすいとは言い難かったが、あの話は面白かった。好きだった。魔導師を目指す幼い少女が主人公で、成長物語で。読んだくらいから魔導師に、でなくても魔術師にはなりたいと思っていたから今の職業はこの本あってこそと言っても過言ではないだろう。
あとなんだか知らないがその差し押さえのおかげで真面目なハードカバーの本になって売り出されたそうだ。「感動の超大作」だの「最後の作品」だの「ファン垂涎の一冊」だのと延々エクスクラメーションマークの踊る帯になっていたが、一度読んだことがあるからイルマは買わなかった。
そういえば師も本好きだった。
あの本を店先で見つけて、買おうかなどと自問自答していたからきっと見かけ倒しだろうとイルマは言った。だって本人は売りに出さなかったんでしょ、自分でも駄作だと思ったんだよ。きっと帯だけなんだと。何だ、つまらんと言って師は本を棚に戻して本屋の奥まった隅にあった安いライトノベルを手に取った。
それから彼はあの本どころかその著者の名前も口に出さなくなった。
それでいい。あんな硬い殻に入って派手派手しい帯を巻かれた店頭すぐの本なんか私は知らない――知りたくもない。だってあの作者は――ああ、作家の名前はなんだったっけ?
とにかく手間も時間もかかっているはずのハードカバーは、自宅の埃っぽい書斎にページ数を万年筆で書きなぐっただけで順番もそろえずに、ばさばさ無造作に積み上げられて右上がりの字で埋められたあの原稿用紙と比べてひどくチープでくだらないように思う。
でもその書斎って誰の書斎だ。思い出す記憶はぼうっと霞んでよく見えない。幼いころの記憶は鮮明には残っていない。ただ、覚えていることが一つだけ。
事実をもとにした話を、それだけをあの人は書いていた。
旅はわくわくするものですね。何回しても飽きません。同じところに何度も行くのはともかく、非日常というか、そういうものが一番の魅力でしょう。
人間関係のためにもお土産は忘れずに。