幻想にさよならを
本編です。文字数少なめですが、この回には後編があるからです。一緒にすると……ちょっと微妙な字数に……。
剛志は街を歩いていた。今日は晴れていて、きれいな夕焼けが広がっている。今が夕方なら、帰るのはすぐだ。剛志の近所にはなかった澄んだ空が、少し名残惜しい。
イルマとユングが住んでいる朝顔ビルヂングには、その名の通り朝顔が垂れ下がり、絡みつき、這い登っている。葉も、普通の葉から椛のように切れ込んだもの、三つに分かれているもの、斑入りまである。あと蔓に毛が生えてるやつとそうじゃないやつ。一体、何種類植えてあるのだろう。
余裕ができて見回してみれば、ファンタジーな要素は満ち満ちていた。駅前では顔面が犬のお姉さんがティッシュを配っている。コンビニの店員はヤギのような角を生やしていて、肌が青い。
図書館の上には紐もつないでいないのに、シャボン玉のようなものがずっと留まっている。電光掲示板には映画の予告編。日本を基準にしてファンタジーもののようだが、当然のようにCGは一切使用されていない。この世界だと現実ものだからか。学校帰りの小学生でさえ、小さな魔法を使ってふざけあう。
子猫がカラスに襲われているとか、高架下は真っ暗だとか、ホームレスと思しき老人が「傷痍軍人デス」と書かれた段ボールを脇に立ててぼんやり座っているとか、想像とは異なる点もあるにはあった。
しかしこのくらいはファンタジーで起きてもいいことだろう。幻想的な世界ではあっても、ここに住む人々からは何一つ幻想ではないのだから。誰もが必死に生きていこうとする、現実なのだから。
あと老人に関しては、この国は十数年前に戦争をしたらしいから。文化や言語がよく似ているとはいっても、やはり日本とは事情が違うのだ。
カモフラージュとやらが効いているのか、職質も不審者を見る目も受けない。赤煉瓦の家の前を通り過ぎる。
あまり遠くに行かないうちに引き返さないと、道がわからなくなってしまうかもしれない。それに、夕暮れはだんだん残照に移り変わっていく。そろそろ、戻ろうかな。
いや、もうちょっと。あの小さな公園まで。この世界――と十把一絡げにするのもおかしいな。ほかにも国はあるし、地域もある。
この国の公園は、日本と同じであまり大きくないみたいだ。アメリカなんかに行くと、公園は公園でも森一つ入ってますとか、そこだけにある生き物が生息していますとか、大きいものが多い。ここもそうかと思っていた。
剛志の背丈より少し高いくらいの滑り台がある。錆びたり剥げたりだが、青かピンクに塗られていたのだろう。どちらかよくわからない。
その足元には雑草が繁茂していた。雑草自体は公園のあちこちに生えているが、ここは踏み付けがないから、背丈の高い草が多い。
生物の授業はあまり好きではなかったから草には詳しくないが、少なくとも日本では見たことのない草だ。
その向こうには、錆びたブランコが風に揺られている。支柱と柵は黄色いが、ペンキが丸く剥げて赤褐色の錆が見えている。座面は、今は木肌がほとんど見えているが当初は赤かったのだろう。
他はへこんで錆びて穴の開いたスチールのベンチが隅のほうに傾いているだけである。その向こうには、底の抜けたプラスチックのバケツが浮いた狭いドブと薄緑の金網を挟んで、大きなマンションが建っている。
マンションのおかげで公園はちょっと暗かった。すっぽり陰に入っているのだ。
貧相な公園だった。剛志の他には誰の姿もない。錆色の野良猫がゆっくり通り過ぎてゆく。そりゃあそうだ。猫が昼寝するには日当たりが悪いし、昼寝って時間でもない。
子供に戻った気分で錆びたブランコに腰かけてみた。ぎい、と軋んだ音が鎖からする。足元は軽く抉られていた。漕ぐ子供が、少しはいるんだろう。
今は肌寒いくらいだが、真夏だったら涼しくていいかもなあ。太陽がビル群の向こうへほとんど沈んで、ちぎれた雲が真珠のように光る。そろそろ戻らなくちゃ。
ブランコを立った。座面がズボンの尻にくっついてくるような感じがしたが、きっと木がささくれているのだろう。
また赤煉瓦の前を通り過ぎた。この家は覚えている。もう少し歩けば大通りに出るだろう。そうすれば朝顔ビルヂングはすぐそこだ。このくらいなら迷いはしない。
セリフというか「」の一切ない回でした。現代日本人の目から見たファンタジー世界は書きやすいけど書きにくかったですね。
だって地元がばれそうなんだもん……。