久々に本業頑張るよ
本編です。トリップ野郎ももうすぐクライマックスですよ。
事務所に戻ったらいつの間にか免許を取ってきたユングが喜びの腹踊りをしていた。無視する。異世界原人は誰もいないのに鳴るピアノ事件でほとんど和室と事務所を往復するだけの生活を行っている。で、今は事務所で読書中。ふうん。チキンめが。無視する。
ここらで魔法の研究をするのもいいな、と思った。書斎から深緑色の表紙の分厚い本を三冊と、何かいろいろ書きなぐってある紙を持ってきた。事務所のカウンターに積む。喜びの腹踊りは視界に入れない。
召喚術の本だ。古いものは100年前に、1000年前から書かれた当時までをまとめている。中くらいなものは50年前、当時の魔導師が研究した論文を含んでいるが同じようにまとめた本だ。
一番新しいものは恥ずかしながら2年前イルマが出した本。三年前に書いた論文たちをちょっと焼き直して本の形にしただけだが国内では割と売れた。魔族召喚術概論。魔術書としては申し分のない出来だが、注釈と目次がだいぶページをとってしまったように思う。
自分で書いた論文の集積とはいえ、すべてを完全に記憶しているわけではないのでちょくちょく読み直す。手前味噌だが、先人の論文をもとにしたものは明快かつ引き込まれる構成に、オリジナルで始めた研究は斬新かつ有用なものになっているように思う。
紙のほうは最近メモった召喚術の理論である。
「新術の実践ですか?珍しい」
腹にひょうきんな顔を描いたままのユングがひょこっとのぞき込む。見事に割れた腹筋だが、あまり今うれしくない。傘立てに刺さっている杖に手を添えた。
「ううん、新しい魔法を作ろうと思って。ていうか、魔導師の本業はこっちだからね?」
「そうでしたっけ」
「忘れてたのかよ……えい」
掛け声とともに、少女の掌に白い魔法陣が描かれる。魔法陣といっても立体で、ちょうどパリの凱旋門のような形をしていた。召喚魔法の陣であることは素人でもわかる。
だが、召喚されたものはどこにも見当たらない。ユングが怪訝な顔をした。
「えーと、もしかして窒素8と酸素2を召還した感じですか?」
「何で地球の大気を地球に召喚するのさ。魔力の無駄遣いだろ。そっちには伝わってないかなあ……これは空召喚って言うんだよ。何も召喚しない召喚魔法」
私が作ったんだけどね――そう言う前に、ああ、と何かに納得したらしくユングが手を打った。
「数ある召喚魔法の術式の重複部分だけを取り出して繋げた術式の基盤ですね。作れたらそこにいろいろ足してカスタマイズしやすくなるという。誰が人類に流したんだろう」
「あ、うん」
自慢も満足にできない今日この頃である。別に優秀なわけでもないのに困った助手だ。
そうですかそうですか魔界には既にあったんですか。どうせそんなことだろうと思ったよ。思ったけどサラッと言われたら辛いよ。
月に最初の一歩を踏み出したら魔族の皆さんにクラッカーで歓迎された宇宙飛行士のおじさんもこんな気持ちだったんだろうか。
「で、カスタマイズして、何を呼ぶんですか?」
「風の魔王さん」
即答したら剛志の手から本が落ちた。もっと大切に扱えよな。よろめいたユングがカウンターに手をついたから一番上にあったイルマの本が床に落ちた。もっと大切に扱えよな。
「うわー!ちょっとユング何してんの!?」
風の魔王とは、オフィーリアと同様一種一体の魔物である。大昔に滅んだシルフを旧シルフとして、新シルフというのが種名だ。
数百年前から魔界におり、人類が勝てたことがないため畏怖と絶望と呆れを込めてシルフ様と呼ばれることもある。本名はマクベスというが、人間界で呼ばれることはまずない。たぶん顔を出さな過ぎて忘れられている。
異世界原人剛志が知っていようはずもないが、日本という国にも魔王という概念はあるらしい。彼は『魔王』のワードに反応したのだろう。脅威を肌で知っていようはずもないが、だからこそ驚きになるのかもしれない。
あのサル、あほ面をさらにあほなことにしやがって。五秒数えるまでに拾わなかったら殺そう。あ、拾いやがった。畜生。殺気が出ていたか。
「す、すいません!人間のくせに魔神様ですら成しえなかった業に手を出そうとしているんだと理解したらもう脳が揺れて!大地震で!津波も来て!都市機能がおじゃんになって!二次災害までもが牙を剥いてるんです!ごめんなさい!」
謝ってない。謝ってるようにも見えない。いや、もうそこには突っ込むまい。だって本も拾ってくれてるし、他に気になることがある。
「魔神様って……コールさんにも、喚べないの?」
「ええ。成功したことがありません。あのおじさんは絶対出てこないんです」
「えっおじさん!?おじさんって言った!?」
イルマのパニックを意にも介さず、ユングはずるると椅子を引きずってきて座った。子供っぽく口を尖らせた表情で、親戚なんです、と言う。
「ただ風の魔王こと、マクベスは僕の祖母であるオフィーリアの兄ですからね、正しくは大叔父さんです」
「め……面識あるの?」
「年に一回は法事とかで会います。親戚なんだから当然でしょ?」
ちょっと気が遠くなった。
「勇者が来た時ですら顔を出さなかったって聞いたけど、法事には顔を出すんだね」
「いや、法事には顔を出せるでしょ。だって勇者ですよ?想像してみてくださいよ、あの恐ろしさを」
だって勇者?やはり勇者には光の力とかなんかそういう魔物にダメージを与える何かがあるのだろうか?だとしたら要らない子扱いの光魔法に活路が見出せるかもしれない。論文が書けたら収入が見込める。仕事の幅も広がる。
と、悪い笑みを浮かべたその時だった。
「神の啓示を受けたとかそういう理由で『ぶっ殺してやる!』って言いながらでっかい剣振りかざして家に押し入ってくるお兄さんですよ!?ありえない!えげつない!頭おかしい!怖いじゃないですか!」
「……え?」
それは強盗か、殺人犯ではなかろうか。勇者でもなくない?と小さな声で聴いてみる。
「勇者ですよ。どこの世界に神の啓示を受けて家に押し掛けてくる強盗がいるんですか。どこの世界に家主を殺しに来て家の中をあさる殺人犯がいるんですか」
言っていることは至極まともだが、だからこそ納得のいかない箇所があってもツッコミも入れられない。諾々と聞くしかない。
「あー、うん、そうだね。エキセントリックすぎる強盗殺人犯だね」
「というか、魔界には強盗という罪も殺人という罪もないんで、犯ではないですね」
イルマは「じゃあ強盗殺人野郎でいいじゃん!もううるさいな!」と叫びだしたいのをぐっと抑えて、閑話休題、閑話休題と言った。よく耐えた私。
「ええ、だいぶ脱線しちゃいましたね。そんな異常者が来たら、僕ならとりあえず顔も出さずに追い返します。おじさんはちょっと怖がりだから消し飛ばします」
「消し飛ばすのって怖がりの範疇なのかな……もうわかんないや……助けてししょー」
「人間界なら通報ですが、魔界には通報を受け付ける警察がありませんからね。自分の身は自分で守らないと、です」
空召喚の魔法陣はいつの間にか消えてしまっていた。魔法は精神に依存するところが大きいのだ。やれやれ、魔力の無駄遣いだった。気怠い視線を助手に送る。
「ユングさあ、そろそろ服着ないとトイレに走ることになるよ?」
まだ半裸だった。下痢は嫌ですー、とその辺に脱ぎ捨ててあったTシャツを着る。腹の顔はいつ消すんだろうか。もうインクが乾いたから風呂で落とすとかそういうことだろうと思いたい。
カウンターの上にあった筆記用具からしてたぶんまだ乾いていないと思うけど。




