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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
持たざることはすなわち罪
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親友

 前回に引き続き回想です。親が酒を飲んでいるのはよく見るけど、同じくらい飲んだ後の缶がテーブルを占領している状態も見ますね。

 何で片づけてるんだ私……。

「平和は、正しくないのか?」

 驚いて聞いた。

「ええ。誰も自分の正義を主張せず、正義を戦わせることもしない、なあなあで済まされる世界が正しいとは、アタシは思わないわ。……お話に戻ってもよくて?」

「もちろん」

 とくとくと音を立てて、猪口に酒が注がれる。それは口元へ。もう何度目になるだろう。いくら肝臓が丈夫だっていっても限度というものがある。そろそろ止めたほうがいいだろうか。

「ヒトと人間の違いについて、考えてみたことがある?アタシは、ただの動物が知的生命体になることの違いだけではないと思うの。人間の本質は個人よりむしろ集団、文化のほうにあるのではないかしら。ここにある肉体よりも、存在の証明できない精神のほうに」

「自分を高めようとして自分を削ってる、って言いたいのか?」

「その解釈で構わないわ。けれど、アタシにもじゃあこの先どうすれば自分を高めるということができるのか、まるでわからないの。……いっそ削り通して、小豆くらいの大きさになったら別の芽が出るのかしらね」

「笑えないから止せよ」

「今のは笑いどころよ」くくっと、今度は本当の笑い声が喉の奥の方でした。

「だから、言葉を消すのはよくないと思うのよ。皆、『ある』ことによる苦しみにばかり目を向けている。『ない』ことはとても良いことみたいに言うわ。もちろん『ない』苦しみにばかり目を向けているのも野人みたいで問題だけどね」

 彼女の言う『ない』苦しみを、彼女は、彼は一番よく知っているだろうから、当然の見解なんだろう――か。また小学生並みだと叱られる。もっと深くの意味をとらえないと、追いつけない。

「でもさ……あるだろ?メクラとかつんぼとか、さっきのオカマしかり、明らかに相手を貶める意味で使われる言葉がさ。ああいうのは消えてもいいんじゃないか?」

「あら、アナタって脳みそプリンでできてるのね」

「おいそういうのをやめろって……あ」

 脳みそも、プリンも、それ単体で相手を貶める意味には使えない。

「やっとわかってきたみたいね。馬鹿とも間抜けとも言わなくっても、人は人を馬鹿にできるのよ。差別用語を言葉の上で規制したところで、似た意味の新語ができるか別の言葉がその意味で使われるようになるだけよ。何も変わらないわ」

「じゃあ言って聞かせるっていうのか?」

「それで改めるような奴ならもうとっくに改まってるわよ。結局は若年層の教育で変えていくしかないのかしらね」

「ああ、おかげでアニメに規制が入るんだよな」

「アナタの論をもってこれば、テレビ画面の乳首を消せば現実の乳首が消えるわけでも血飛沫を黒くすれば血飛沫がなくなるわけでもないからその方向性じゃ駄目よね」

「じゃあ他にうまいやり方でもあるのか?」

「いいえ、それは全く思いつかないわ」

 十二時の鐘の代わりに頭痛が響く。思いつかないのかよ。思いつかないのに言ってるのかよ。あと、確か城にある鐘は近隣住民から騒音の苦情が絶えず100年前から鳴っていなかった。

 鐘騒動といって、内紛にまで発展したことがある。

「どこぞの無能な政治家みたいに、これじゃダメなんだって教育をして、次の世代に託すしかないのかもね……それも随分、数を減らしてしまったけれど」

 今、何と言った。慌てて凝視する藤色の瞳はひどく潤って充血している。頬は赤く染まって、癖の強い金髪がまるで地獄絵の鬼のようだった。

「減らした……って言ったのか?」

 減った、ではなく、少ない、でもなく、減らした、と。

「ええ」長い金の睫毛が、濡れて瞬いた。「そうでしょ?アタシがやったんだもの」

「まさか……酒のせいで記憶が戻って」

「戻る?……あははは、ほんとは最初からわかってたわよ、そんなこと。脳から完全に消したって駄目。だってこの手に残っているもの……あの時の感触。お刺身を指で潰すみたいで、何か硬いものに指が当たるとき……当たる度、今のは骨かしら?それとも別の何かかしら?なんて、どうでもいいでしょ?その、どうでもいいことに思考を費やしているのが本当に気持ちよかったわ」

 薄い唇が笑う。何かが壊れたような、不安になる表情だ。でも、最初から覚えていたのなら。

「な、んで、今」

 どうして今になって。

「決まってるでしょう?今日でアタシが消えるからよ」

 がぶがぶと、もはや猪口に注ぐこともせず、直接瓶に口をつけて流し込む。下品な音を立てて喉仏が上下した。空の瓶をごとりと重くテーブルに転がす。口の端に浮いた雫を乱暴に拭った。

「きっと精神と肉体で性別が違うのと、本来の性格からかけ離れているせいでしょうね。そもそも無理があるの。だから今までのアタシも分かったと思うの。自分が消えてしまうこと」

 けたけたと哄笑が響く。彼のものか、彼女のものか、わからない。

「お前は……それで、いいのか?」

 ぴたっと笑うのをやめて、下した瞼の間から透き通った涙が零れ落ちる。吊り上がっていた口角だけが、まだ少しそのまま残っていた。

「消えたく、ない」

 次の日になると、やっぱり実存は動かなくなっていた。彼女がいた証拠でもある、空になった瓶を捨ててきて、同じ銘柄を棚にそろえて、それから女のように優しい目もとに残った涙のあとを拭って、それで終わりだった。

「今回は続かなかったね」淡々としたラスプーチンの態度に収まりのつかない何かを感じながらも――感じたところで何ができようか。「結局三人目の彼が一番長かったのかな。人を不愉快にさせる男だったけれど」

 ものも言わずに茶化した老人の、少年の顔を殴った。何か言えば殺してしまいそうだ。ラスプーチンは避けることもできただろうに黙って殴られた。殴られてるくせにいやに神妙な顔をしていたのが不思議だった。

 八人目は熱血漢だった。どうしてかはわからないけど、こいつもきっとそう長くはないだろうと思った。

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