哲学の酒盛り
お酒ってどんな味なんでしょうね。未成年なので知りません。前の続きの回想編です。
仕事のほうは六人目までと同じく、実存とカミュのコンビだった。消具と直死のコンボ。要は哀れな被疑者には死ねと言っているのである。三日目にもなると七人目の男口調も板についてきて、妙な視線を浴びることも減ってきた。
その分七人目の酒の量が増えたのは致し方のないことと言えよう。
「アタシだってね、カミュ」
七人目はほとんど素面と変わらないような顔をしてさっき空けた焼酎の瓶を弾いた。澄んだ音がする。
彼女はカミュの知る実存の魔導師の中でも飲むほうだったがめったに酔わなかった。酔ったとしても呂律が回らなくなったりして乱れるのを見たことがない。
「おしゃれだってしたいし気になる化粧品だってあるのよ。それを、ねえ?」
その代わり八つ当たりがカミュに回ってくる。
「国家直属の甲種魔導師がオカマじゃあカッコがつかないから我慢してくれってどういうことよ。そもそもアタシだって好き好んで男の肉体を持ってるんじゃないわ。まあ百歩譲ってオカマ呼ばわりは勘弁してあげましょう?でもね、大体、オカマだって全人類のうちの何割かはいるものなのよ。いつの時代もよ?ほら、ボルキイに最近までいたじゃない、甲種の、えっと」
「ミケランジェロか?」
そうそれ、と空っぽの酒瓶をくるくる回しながら言う。ミケランジェロは最近までいた。物体操作の魔法を大成した大物だった。今はいないのである。
三十日戦争で実存が苦悶の表情をした頭部と杖を握った両手、拍車のついたブーツを残してあとは全部臓物込みの挽肉にしてしまったからだ。皮肉にもミケランジェロ本人と相対した不遜な挑戦者たちの死に様と完全に一致する。
その辺の事実を『彼女』はどう認識しているのだろうか。いたじゃない、という口ぶりから死んでいることは知っているようだが、死因についてはどうなのか。
聞こうか、それともよそうか。考えている間に話題が移る。
「絶対数年後にそういう集団の運動が起こってオカマという呼び名自体がタブーになるわよ。ま、それはそれで嘆かわしいことなのだけれど」
「何でオカマって言葉が消えると嘆くんだよ。オカマがこの世から消えてなくなるわけじゃないだろ?」
ぎろりと音がしそうなほどの鋭い視線がカミュを射抜いた。何かおかしなことを言っただろうか。
何がおかしいってそりゃ、魔導師の公務員二人、オカマの話題で盛り上がっていることが既におかしいと思われるのだが、ここまでの文脈でおかしいことではないはずだ。
「……わかってないわね」
空の瓶を舌打ち交じりに投げ捨てて、もう一本ちょっと違う銘柄の酒をとってきた。依存症が入ってきているようで怖い。
「言語って……何だと思う?」
何って。そりゃあ言葉だろ――質問に理解が追い付いていないことだけはわかったわと面白くもなさそうに瓶を開け、猪口に注ぐ。こんな小さい盃でよくも一升瓶を空けたものだ。
「言語はね、今こうして、書いたり話したり吐き捨てたり、アタシたちが使っている言葉なの。ボルキイにはボルキイの言葉があり、フィリフェルにはフィリフェルの言葉があり、もちろんコルヌタにもあるわ。つまり、国家だとか、政治だとか、そういう小難しいものを超えたところでの『国』というものなのよ。文化……つまり民族そのものと言ってもいいわね」
「えっ……そんなに大事なものなら吐き捨てちゃダメだろ。その理屈だとお前、今コルヌタを吐き捨てたぞ」
「残念だけど、揚げたあんよをとるのがお上手な小学生並みの感想は受け付けてないの。原稿用紙にでも書いて小学校教諭に提出してきなさいな」
ぐうの音も出ない。何を言っているか、確かによくわからないのだ。言語なら魔導師になるのに検定がいるからめちゃくちゃ詰め込んだ上話せるのだが、哲学的な話題になるとてんでダメだ。
「つまりね、いかなる理由があるにせよ、言葉を一つ消すということは、自分の国を、おのれのアイデンティティを消していくことなのよ」
わかる?ちょっと上目遣いで聞かれてどぎまぎもぞっともできず、複雑な気分になる。外側は殺人鬼だが、内側にいるのは優しい女。さて、どう反応すべきなのか。
「にもかかわらず人間はそのことをよく考えもせず、自らの滅びを恐れながらそれを推し進めてしまう。愚か者は単純に思考を停止して、少しばかり明るい者は……ほら、アナタみたいに。今、アタシの表情にどういう気分になればいいのかとかどうでもいいこと考えてたでしょ?そうやって逃避して、考えないようにしてしまうの」
心に無数の棘が刺さった。図星だ。
「……悪かったよ」
「いいえ、アナタが謝ることもないわ。誤っていることでも、ないのだと思うわ。だって今の人類はほとんどがそうだもの……多数派が正しいとは言わないけれど、少数派が正しいわけでもないわ。それにね、アタシだって比べてみたって、そう変わり映えするわけではないもの」
実存の唇がひくひくと動いた。無理に笑おうとして失敗したのだ。お前は何から逃げてるんだ?聞こうとしてやめた。これこそ逃避だ。盃が傾く。
「それどころか民族が消えれば、戦争も殺人も差別も消えるでしょうから、平和を正義の座に座らせたときには一番正しい選択になるのでしょうね」
このころはチンパンジーが共食いをすることなどは知られていなかった。今になって時々思う。彼女の言うような方法で民族が消えても、何の解決にもならないのだ。
どうして、もっと謝っておかなかったのかと。