No,7
軽い回想編です。
「死んだら、僕は何人目になるんだろう」
「……は?」
唐突に出た意味の分からない言葉に振り向いた。倒壊した家屋と地面の上にぽつり、男がしゃがみ込んでいる。
「何言ってるんだよ、辛気臭いな」
辛気臭い、か。何を言っているんだ俺は。ある意味で彼の言葉は見事に的を射ているのだが、意味が分からないふりをして、辛気臭いと言う。辛気臭いとは何が臭いのだろう。もしこの場の今の空気のことを言うのなら――血なまぐさい、だろうに。
この年、コルヌタには巨大な迷宮型地震が襲い掛かった。迷宮型というのは、震源が地下の迷宮か、迷宮の近所で、迷宮が崩落することによって震度が増す地震のことである。
激しい揺れのあと、さらに迷宮内に生息する魔物が湧いて出てくる。位置的に首都には大きな被害はなかったが、被災地は惨憺たるありさまだ。
迷宮型地震は死傷者が少ないと言われてきたが、これはどうも二次災害として現れる魔物を食料にできるため、餓死者が出にくいという一点にのみよるものだったらしい。
現に、発生から半日と経たず駆け付けたここでは潰れた蛙のような死体をよく見る。
「わかってるんだ」男が振り向いた。「僕はきっと六人目。次は」
何回目だろう。最初から、そして最後から。男の体が人形のようにごとっと倒れる。まただ。また、精神が崩壊した。友情の絆とやらも最初からだ。
「男女で相部屋というのは、少し難しいのではなくて?」
まったくもってその通り。相手の言葉に頷きながらもしかし、カミュは首を振った。自分で引き受けたことだ、最後まで付き合おう。
「首を斜めに振られても反応に困るわよ。男でしょ?はっきりなさい」
「はっきりできてたら俺は今頃独身じゃないんだよ。……ベッドにつけるカーテン頼んでやるよ。それじゃダメか」
「不足とは言わないけれど、そうね。……少し心配だわ」
やっぱりか。一応、年の変わらない異性との同居になるのだ。相手を前から知っているのはカミュだけだ。意識しないほうがおかしい。口をつぐんでいたら相手がにんまりと笑う。
「売れ残りのアラサー女とイケメン公務員を同じ部屋に入れるなんて……この国はイケメンの貞操を何だと思っているのかしら。ウェヒヒッ」
「心配は俺の貞操かよ!しかもお前が襲うのかよ!俺に襲われる発想はどこに行ったんだよ!」
ていうか俺も売れ残りだよ!とは言わなかった。下手なことを言って友人関係から逸脱するのはよくない。
相手はしばらく小さく笑い声を立てていたが、ふっと表情を引き締めた。
「それで……アタシは、何人目かしら」
七人目だ、と言いかけてやめた。できるだけ正直に接しようとは思っているが、だからって他人の人格を揺るがすようなことは言わないほうがいいだろう。それでなくともまだ初日だ。
「そんなこと聞くなよ。実存……今回は女なんだな」
いや、そもそも、親しい友であればこそ、人格を揺るがしてはならないはずだ。
「あら、前は男だったの?」少し意外そうな顔をして、七人目の実存の魔導師は自分の体をあちこちぺたぺた触って見せた。「というか、アタシ男なのね。ちょっとびっくりしたわ」
癖の強い金髪は短く、首の中ほどに飛び出した喉仏。狭いほうではあろうが女性にしては広い肩幅。
男性にしか見えない、というより実存は、彼は男だ。なぜそこにどうやら女性の人格が入っているのか理解に苦しむが、たまたま趣向を変えてみただけなのだろう。
あの白昼夢じみた三十日戦争のあと、彼は戻ってきた。各国の機密などに関わる一部の記憶を消去して、それからしばらくは、カミュのよく知るルームメイトだった。
ある日机の前の椅子に座っているのに話しかけたら、もう答えなかったのだ。治療を試みる、という口実で人格を上書きされ、しばらくするとまた壊れて、今は七人目。伝説とうたわれた実存の魔導師は格好のモルモットに成り果てていた。当然公表などされていない。
「ああ。お前のことは非公式だから、その、口調は、ちょっと頑張って変えたほうがいいかもな」
言った後で歯触りの悪いものが喉元に残った。本人からすれば男であることのほうが不自然なんだから、こんなことを言うべきではないのではなかろうか。
謝っておこうか?カミュが再び口を開きかけるのを、彼――彼女が微笑みで制した。
「頑張ってみるわ。ううん、頑張る。アタシは友達の好意を棒に振るほど馬鹿な女じゃないわよ。まあ、女でもないんだけどね」
「それは覚えてるのか」
ちょっと意外だった。この部屋までの道筋も覚えていなかったのに、どうしてカミュが友人であることを覚えていられるのか。現に、今までの六人は誰もカミュのことを覚えていなかった。
「それほどはっきりと記憶があるわけではないの。漠然と、人間関係が頭にあって、名前を聞くか、顔を見るかするとどういう関係だったか、何を話したとかちょっとだけ思い出すの。たとえば、あなたとはいろいろな仕事をしたわね。どうして蟹漁船に乗せられたのかしら。戦争のときはぶってごめんなさい」
ぺこりと愛らしいしぐさで頭を下げられ、女性に慣れていないカミュはどぎまぎした。ちょっと待て。中身は確かに女だが、こいつは実存だ。友人だから。恋愛対象と違うから。
ここまで考えて、はっと気づく。今回の実存には三十日戦争の記憶がある、ということは?
「……お前、俺を殴った後、どうしたか覚えてるか」
「さあ?何だか頭が痛くなって……だから、気絶しちゃったんじゃないの?」
よかった、覚えてない。七人目は優美な女性だ。あの時実存は、一人目は目的のために周囲の障害物を生きているか否か、戦闘員か否かに関係なく破壊した。子供も老人もまるで意に介さず殺しまくったあの惨禍はとてもじゃないが女性に見せられるものではない。
それも、よりによって彼女が手を下したなんて。
「なあ、好きな食べ物とかあるか?」
「そうねえ。焼酎と酒盗を持ってきてくれたらうれしいわ」
どっちかというと優美な雌の蟒蛇だった。しかも好みは据え置きである。はいはい、と冷蔵庫から酒盗を取り出す。焼酎は棚に。カミュが下戸だから飲めず、無駄に上物だったせいで処分もしづらく、そのせいで一人目の時からずっとあるやつだ。
何で同じ人類でここまで肝臓に差があるのだろう。
「アナタも飲む?せっかくだし注いであげるわよぅ」
「遠慮しとくよ、アルコールは苦手なんでね」
そこは覚えていないらしい。都合がいいのか悪いのか、何とも不思議な記憶である。度の強い酒がくぴくぴ音を立てて美人の体内へ消えていくのは気味の悪い眺めとは言い難かった。
むしろ、久々に挑戦する気を起させた。
「おげぼろろろろろろろ」
「あらあら、吐くほど呑まなくたっていいでしょうに。加減ってものを知らないのねえ。はいダメ人間さんこんにちはー」
無駄にいい声で、無駄にセクシーな口調で、無駄に威力の大きい痛罵を浴びながら便器の上にかがみ込む。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!無駄は連呼してなんぼ、か。どこかで誰かが言っていた言葉を思い出す。
「今アナタが思い出すべきは、自分がどうしてこの状況に追い込まれたかという一点に尽きると思うわよ?」
無駄に正論。また、無駄が増えた。