痕跡の三人目
相変わらず探索ゲームしています。トリップ野郎の目からファンタジー世界を見るのもあと何回になるんでしょう。彼は帰れるのか、死ぬのか。
隣にユングの部屋がある。ドアに鍵はかかっていない。というより、鍵がない。こんな鍵のない部屋でよく安心して眠れるものだ。日本での剛志の部屋にだって鍵があった。10円玉で開く鍵が。
中に入ると、整然と家具が並んでいる。タンスの後ろにクローゼット。開かない。クローゼットは現在使用していないか、何かまずいものを隠していると思われる。
見てみたい気もないでもないが、タンスをどかすのは……無理だろうな。重いし、そこまでしたら侵入の形跡が残り放題だ。
奥にスチールフレームの小さなデスクと椅子があった。デスクの上にはメモ用紙とボールペンが転がっている。行書体に似た字形で、「ティッシュおいしい」と走り書きされていた。何を言っているんだこいつは。
ベッドはその向こう側に、シングルサイズだろうか。ベッドの下を見てやろう、と近づいた。
「……ひっ!?」
少し寝乱れた布団とシーツ。枕は一つ、柔らかそうなものが置いてある。そこは別におかしくない。問題は色である。白のシーツに、黒ずみ、赤褐色の大きな染みが広がっている。
「何だこれ……血?」
触らないほうがよさそうだ、とゴーストが囁く。ベッドの下には特に何もなかった。
特に何もと言っても、一応エロ本があったが、これはエロ本というより官能小説で、活字で埋まっていた。活字ですか。二次元萌え、が進化したら活字萌え、なんですか。しかも直接的な描写がない。堂々と読める仕様だ。
いや逆に考えるんだ。あんな奴でもエロ本を所持していると考えるのだ。で、恥ずかしいとか思って隠しちゃうのだ。よし、あいつも人間なんだ。
フローリングは拭いたばかりのようだ。小さめの本棚がある。細長くて回るタイプ。魔導書と物理の本と我が闘争と数学の本とハーレム系ラノベが並んでいる。これは……魔法の勉強をして、物理を嗜んで、箸休めに頭空っぽのラノベを読んで、近代史を学んで、計算して、ラノベで脳みそを休めるのか?
ハーレム系だが隠さなくていいのか?表紙が明らかに萌絵の女の子。さっきの一見真面目な本に見える官能小説ですら隠すようにベッドの下にあったのに?しかも、これ三巻からしかないぞ。解せぬ。ほんと解せぬ。どうしたいんだ。
何だか壮絶だったユングの部屋を後にすると、隣にはイルマの部屋がある。厳重にロックがされているから入れない。下手に触ると高圧電流が流れる。
その次の部屋は特に何もない。空き部屋だ。使っていない家具や、冬物の洋服などがちょっと埃をかぶってしまわれている。椅子やら電球の傘やら灯油の入ったポリタンクやら……ちょっと断捨離が必要かもしれない。
廊下の窓から、ネットを登ってくる朝顔が見えた。8月には緑のカーテンになるのだろう。
四階はあまり出入りしたことがない。書斎があるらしいのだが、いつも百科事典を持ってくるのはイルマに指示されたユングなのだ。ここまでの部屋を見るに、きっと書斎にも鍵がかかっていないだろう。事務所のトイレすら鍵がないのだ。ある方がおかしい。ということで、今日は四階に上がってみようと思う。
四階には部屋が二つしかない。手前の部屋が書斎で、これが他の部屋の2,5倍くらいあった。ただ、入ってみたら思ったより狭く感じた。
壁はすべて本の背表紙に覆われている。取っ手のような部分があるから引いてみたら、本棚がずいっと前に突き出してきた。ひいいいいいい!
よく見れば足元にレールのようなものが彫られている。可動式の書棚。裏側にも本が並んでいる。さらに、本棚を外した後にはまた本棚。本の奥行に部屋が食われていたのか。
本の種類もハードカバー、魔導書、哲学、科学、小説、ここまで数えてまだある。何という読書家か。いっそ図書館より蔵書があるかもしれない。床が抜けないのが凄い。
地震が来たら大惨事だな、と関係ないことを思ってみた。高いところの本を取るためだろう、脚立が置いてある。天井は本に覆われていないしさほど高くもないが、イルマが小さい時には必要だったのかもしれない。
(イルマが小さい時、か)
よくよく考えてみれば、イルマとユングはいつからここに住んでいるのだろう。
兄弟のように育ってきたとしたらユングの敬語はおかしい。だが、ユングの部屋のベッドの血痕は古い。あまり詳しくはないけど、少なくとも昨日今日のものではなさそうだ。
とはいえ数年前から、いや、数か月前から一緒に仕事をしていたとしたら、舌を伸ばして虫を捕らえるくらい何の疑問も持たずに受け入れるだろう。
もしかしたら、ここに先に住んでいたのはイルマではなくユングの方だったのかもしれない。
いや、それだとおかしくはないか?ユングはどうやら魔界の出身だ。だとすると血の謎が解けない。しかし……ぐるぐる、いつ終わるとも知れない自問自答を切り上げて、探索に戻る。
本棚は壁だけではなかった。床の上にもタワー型の本棚が十本も立ち並んでいた。机の上にも何冊か積んである。色とりどりな本の装丁はともかく、家具は落ち着きのある優しい雰囲気のもので統一されていた。
机の前にある椅子に腰かけてみる。深い緑をしたびろうどのような起毛素材の、クッションの上張り。人がよく座る部分が少しヘタっているけれど、ぶくっと膨れたいい座り心地だ。
ダークブラウンの木材と黒く艶消しの塗装をされたスチールで組み立てられた古い机。天板には小さなひっかき傷が見て取れたが、綺麗なものだ。大切に使用されている。
天板の斜め上の棚に、写真立てがあった。白木の枠の中に、ガラスの板で挟まれた写真が納まっている。なお、カラー写真である。
映っているのは小さな女の子。栗色の髪と、淡い緑の大きな瞳が特徴的だ。黄色味を帯びた肌の色。撮った場所は、おそらく今座っている椅子の上だ。後ろに今と変わらない大量の本がある。
「先に住んでたのは、やっぱりイルマか」
よそ行きらしい、赤いジャンパースカートと白いブラウスを着せられている。ちょっとすねたような頬に誰かの手が添えられてカメラに向けさせていた。
母親だろうか。白い、指が細く長い、少し筋の浮いた手の甲だ。あかぎれは見えないけれど、母親も魔法使いだったなら逐一自分で回復していたかもしれないから不思議ではない。
母の名は……アンジュって言ってたっけ。だが、母と一緒にここで暮らしていたのなら、どうして今はイルマとユングしかいないのだろう。事故か何かあったのかなと思う。本に埋め尽くされた部屋を後にする。
次はどこへ行こう?
誰かししょーの存在教えてあげて!でした。