ノーマルということ
お久しぶりです。異世界も普通の日本人視点で描けば怖くない!ということらしいので、この話でもやってみました。うんうん、普通普通。
魔物の特徴を呈した人間は半人と呼ばれ、人間の特徴を呈した魔物は半魔と呼ばれる。神聖大陸ではいずれも差別の対象である。
この項目にちょっと剛志は顔をしかめた。ファンタジーな異世界に来てまで人種差別かよ。どこに行っても人間は人間ということなのかもしれないが、一種の苦痛を感じた。
とはいえ、差別に積極的に反対するような善人的、優等生的人格を、剛志はしていない。この場合の苦痛とは同情、というと邪慳になるが、そういった感情移入から来るものではない。
たとえるなら朝終礼などで教師が壇上から、母音の良く混ざるたどたどしい言葉で『ありがたいお話』をするのを聞くときの汚泥にも似た倦怠である。また、幼い子供が『りっぱなかんがえ』を間延びした一人称とやたら語尾を強調するぎこちない丁寧語で発表するのを見ているときの尻の下の痛痒である。
しかも、押しつけがましい道徳を説いた小学生の教科書に載っている夢物語を大声で朗読させられるときのような顔の皮膚を熱する恥辱でもあろう。
これを、彼自身の若さというよりは幼さからか、もしくは老成した故か、わかりもしないけれど、とにかく剛志は苦痛に感じていた。反抗期ということもあろう、か?世界的に滅ぼすべき悪として取り上げられる人種差別問題にしても、彼にとっては正直どうでもよい事だった。
日本はアメリカのように多民族国家ではない。差別の爪を身近に感じることが少ないこともあろう。実際に外国に出て、その風を肌で感じたことがない、そのせいかもしれない。ただ自分の身の上に降りかかるものだということが実感として受け取られないのだ。
つまり人種差別という問題に対して苦痛を感じるというよりは、その問題があることによって、もっと言えばその問題を解決しようとする動きによって自らに伝播してくる『善』に対して苦痛を感じているのである。
日本人の若年層に多い考え方でもあろうか。
この世界に来てまでそういう『善』にさらされること、それに顔をしかめたのだ。
「ボルキイの差別が一番きつかったけど、大統領がラッセルさんになってから大分マシになったよね。呆れちゃうけど画期的とすら思える演説だったよ」
「ええ。……混血人類を、魔族を差別しても構わない!それは内心の自由だから何も言わない!心の中でどう思っても構わない!だがそれを外に表現するな!わざわざ相手がいるところで口に出すな!行動に起こすな!でしたっけ?差別を禁じると出てくる運動団体とかも動くに動けず、被差別人種の側でも実際に待遇が改善されてるからそんなに文句言わないんですよね」
まあ言ってることは正しいし当然ですけど、見落としがちなんですかね?ユングはコーヒーの香りを鼻腔に一杯吸い込んだ後でがばっと飲み干した。味わってるのか、味わってないのかよくわからない所作である。
もしかしたら香りを楽しんでるだけで味自体はあまり好きではないのかも?
「うん。何の解決にもなってないけどね。そう考えてみると大分卑怯だよあの人」
「そんなに言います?一応他国の大統領ですよ」
「あはは、単なる暗殺者じゃん」
コルヌタの食文化は一風変わっており、魔物料理が一般の家庭で食べられている。剛志もそのすさまじさを日々経験しているように。はは……美少女が蜂の子食いながらテレビ見てるんだぜ……。
また、魔物ではない生物に関してもゲテモノ料理が多い。他の国から「足のあるものはテーブルと椅子以外は何でも食べる」と揶揄されるほどである。実際食べてたから何とも言い難い。
こんな食文化だから女の子の嫁入り修行の第一歩はフグの処理と毒キノコの毒抜きである。どこの家庭に行っても、お母さんが平然と毒キノコを調理している。フグの処理にも免許がいらない。
猿の脳みそも、孵化寸前のアヒルの卵をゆでたアレも、平気で食べられていた。さすがにめちゃくちゃ臭い缶詰は作っていないようだが、ある程度のファンがいて、毎年100万もの缶詰が輸入されている。
いろんな意味で食には貪欲な国なのである。
「いや、魔界の隣だから魔物が多すぎて牧畜も農業も発達してないだけだけど」
「漁業は発達したのかよ」
「沿岸漁業が主に……交易ついでに珍しい魚を獲ってたこともあるとかないとか、だっけ」
「珍しい魚ってクラーケンとキラーフィッシュが入ってますよね。魔界でも読みました」
「え、食うの?」
「あーあれ魔物だっけね。おじさんにクラーケンって言うとハゲって言ったことになるから注意ね」
海の方が魔界に近いのではないかというツッコミは入れないほうがよさそうだ。交易が始まってからなら、魔族による護衛も期待できただろうし。