百科事典は友達ですから。
本編です。トリップ野郎に帰る道はあるのか!?なかったら……うん、オワタ。
剛志がこの世界に来て、はや一週間。今になって知ったことがいくつかある。
まず、言葉について。異世界の言語なのになぜだか理解できるのだ。あれやこれの小説から、それは当たり前のことだと考えていたから気に留めなかったが、よくよく考えたらおかしい。
もしかしたらこれがささやかながらチート能力の一端かもしれないと前向きにとらえていたが、どうやら違うらしいことが分かった。
ただ単にコルヌタ語が日本語とよく似ていただけなのだ。漢字、ひらがな、カタカナ。三つとも日本のそれと酷似していたが、注意してみれば跳ねやはらい、止めなどに微妙な差があった。ただ差があったのはそこだけ。しかも手癖の範囲内で片付く程度だ。
発音もイントネーションも全く同じで言い回しもよく似ている。思い返してみれば最初、イルマの名前を「入間」と聞き違えた時に発音が違うと叱られたものだ。
施設で名前を書いたら漢字を使えとこそ言われなかったものの、フリガナを記入する欄があったような。どう書いたかよく覚えていないが、模試の時のノリで漢字で書いたような気もする。
聞いてみれば隣の魔界の影響だという。もともとコルヌタには話し言葉しかなく、文字を持たなかった。その頃魔界を統一していた魔族の一派が使っていた文字がこの世界の漢字だ。
「で、その頃の王様が魔界と貿易するために漢字を輸入して、それで言葉を書くようになったわけ」
最初はいわゆる漢文で読み書きを行っていたが、そもそも文法が違う。不便に対応すべく音で文字を当てて、万葉仮名みたいなものになった。
やがて漢字を崩したり簡略化して、ひらがなやカタカナを作った。これが現在最も有力な学説である、という。ていうか日本だろ。実はドッキリなんだろ……そんなことする知り合いはいない。
「でもここって人間界なんだろ?しかも他の国とも陸続き。何でわざわざ海向こうの魔界なんかと貿易したんだよ」
現在コルヌタと国境を接しているのは、チュニ、フェルナ、ダナの三国だが、当時は五国だったという。うち一つが遠く神聖大陸の大国、ボルキイの属国だった。現在この土地はフェルナに統合されている。
「五国が五国とも国境に壁を築いて引きこもってしまったのさ。うちは魔界と人間界の間にあるからね、魔族が攻めてくるならここからなんだ」
つまりコルヌタは人類から捨てられた人類の国である。そうなれば商売の相手は魔界しかない。完全に鎖国することは不可能だった。
かつての魔界は人間界よりずっと文明が進んでいたからだ。鉄器や火薬、貨幣に法律。馬車の幅は統一され、道は平たい石で舗装されていた。何のために生きるのか、などとも考えた。
「人間が腰に毛皮を巻き付けた猿みたいな有様でウッホウッホ言ってた頃に。獣道を裸足で走って石投げたり動物追い回したり掘っ立て小屋で寝てた頃にだ。魔族の方ではしっかりした服を着て高尚な哲学を論じて、石畳の道を馬車に揺られて、大砲をぶっ放したり家畜を放牧したり、立派な館で寝起きしてたんだからちょっとした脅威だろう?機嫌を損ねて攻め込まれたらひとたまりもない」
他の人類はそれからずっと時間をかけて、円周率や化学を手にしたが、コルヌタはもっぱらそれらを魔界から吸収し続けていた。その意味を本当に理解するのはもっと後だが、外見上の文明レベルは一時人間界で最高にも達したと思われる。
「それで、国境に築いた壁を取り払ったんで人間界とも貿易できるようになりましたとさ。今でも長城跡はあちこちに断片的に残ってるよ」
「一方で人類と魔族との混血も進み、神聖大陸の純粋人類から差別を受けるようにもなっていったと。うふふ、先生、今度僕の実家に来ませんか?曾祖父に触れますよ。ふれあえますよ!」
「動物園みたいな形容はどうかと思うんだ。仮にもひいおじいちゃんでしょ?話せるとかじゃないの?」
「話せないし下手な人間が触ると食い殺されるんです。今生きてて人語が話せる曾祖父は魔神様くらいのもんですよ」
「えっ」
ただ、人間の遺伝子には魔物の遺伝子の働きを抑制する部分があるため魔物の特徴を呈する人間はまれにしか生まれないともいう。
つまり特徴が表れていないだけで、この世界の人間の六割にはオーク、エルフ、ゴブリン、アラクネやオーガ、人狼といった魔族の血が流れている。
「じゃああんたらも?」
「うん。私はまさにそれ。一番一般的なやつ」
「僕はそこにウンディーネやサラマンダーが入っている変化版。普通サラマンダーなんて知性がないから混ざらないけどな。混ぜようと思った人もいたってことだ」
「じゃ、俺は純粋人類になるわけか……」
レアな方になるわけか。むふふ。にやける後頭部に言葉の飛び蹴りが浴びせられる。
「人類の皆さんに悪いから名乗っちゃだめだよ」
「俺は人間に数えてないんだ?知ってたけど」
心は傷ついて強くなる。いじめの正当化に使われる文句だが、実体験を鑑みるに嘘だとも言い切れない。




