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病み魔法使いの弟子  作者: ありんこ
持たざることはすなわち罪
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猫の手でもいいから借りて

「だから、猫の手だ」手の甲をびしっと叩かれた。これは料理を習った時だ。「指がシチューに入るぞ」

 むむう。包丁を持ったまままな板の上のニンジンを睨む。カロテンを豊富に含むオレンジの根菜である。

 猫の手にしないといけないのはわかる。でもこいつの細くて曲線的なフォルムと来たら、猫の手で押さえにくくてしかたない。つい指を伸ばしてつかみたくなる。

「ししょーも猫の手してないんじゃないの?」

「している。馬鹿を言うな」

「うっそだー」

「……もういい、いったん貸せ。日が暮れる」

 とんとんとリズミカルに、一定の幅でニンジンが切られていく。左手は……猫の手だった。いつも思うけど器用なおっさんだ。イルマが来るまでそこまで料理なんかしていなかっただろうに、もはや主婦だ。

 二分とせずにまな板の上にはいちょう切りのニンジンだけが残った。ざらざらと炒めた肉とジャガイモと熱湯の入った鍋に放り込む。まな板の向こうには見覚えのある緑のアレ。

「これも切るの?」

「こっちなら前にできただろう。やれ」

 ブロッコリー嫌いなんだけどなあ。文句を垂れながら蕾の密集するところを切り落としていく。最後に残った太い茎も縦方向にスライス。また鍋へ。

 嫌いなものでもとりあえず食べられるくらいにはなってきた。野菜を切るのも、よくできました、と棒読みで褒められるだけでちょっといい気になってしまう。つまり男も扱いに慣れてきたわけだ。

「残すなよ」

「はいはい」

「はいは一回だ。……あとはやるから、先に風呂に入ってこい。風呂はサムシングワッツの洗濯だ」

 サムシングワッツって何だろう?今でも時々考えるがわからない。もしかしてダジャレが思いつかなかったんだろうか。風呂場へ向かい、服を脱いでいるとにゅっと師の顔が覗き込んできた。

「溺れるなよ」

「やだー、ししょーってば過保護!お風呂で溺れるわけないじゃん!」

 ふ、と仏頂面が緩む。

「人間は水深が30センチあれば溺れることができるのだ」

「30センチかあ……今日の追憶あまり関係なかったなあ」

 ついでにコップに一杯の水を肺の中に入れれば溺死体が簡単に作れるとか。あれ、今日の追憶、お手軽レシピじゃん。そうじゃなくてお仕事が欲しいんだけど……もう一度追憶するか、と身構えた。

 肩に手を置かれる。しびびびーん、と髪の毛が逆立った。追憶キャンセル!

「30センチですか、ずいぶん凶悪なもの持ってますね先生」

「言い方はともかく内容がキモイよ。ていうかついてないよ」

 ユングはスエット派だ。灰色。そういえばこの間アボリ大迷宮でなくしたパンツが発見されて、事務所に着払いで届けられたっけ。あれも灰色だった。

 モノトーンが好きなのか、祖母に買ってもらったものを着ているのか、どっちなんだろう。

「失礼、あれから生えて来たのかと思って。人間って、女の子で生まれてきても生えるんでしょ?」

「一部の少数民族ね、それ」

 くつくつと満足げに笑いながらスツールを近くまで持ってきて腰を下ろす。家計簿は見せられないよ、と閉じた。どうせ見えませんよ、と返ってくる。

 疑問に思って顔を見たら眼鏡をかけていなかった。そういえば0,024とか言ってたっけ。ぼやけて何が書いてあるのかわからないのだろう。

「前にも思ったけど、よくそれで遠近とか測れるよね。ほとんど見えてないんでしょ?」

「んー、実はちょっと、裏がありまして」

 眼鏡がないと少し目が大きくなったように見える。オニビの孫なので眼鏡を外すと目つきが悪いイメージだったが、そんなこともない。空色の大きな瞳。解いた髪から、ふわりとシャンプーの香りがした。

 シャンプーに関してはイルマが使っているのと同じものだが、ごついお兄さんから優しいスイートフローラルが漂うとギャップ萌えとでも言うようなものが出てくる。

「おばあちゃんのことは前から使ってますよね」

 うんうん。オフィーリアは眼球自体を持っていない感じだが、なぜか景色を見ることができる。あと熱を感知することもできるっけ。

「僕も熱視覚使えるんですよ、使える助手ですよね?」

「どうだかね。それに、もし仮にだ。もし仮にだけど、君が使える助手だとしてもね、それを使えるお仕事がないんだよー」

「元からでしょ」

 イルマはものも言わずユングの額にチョップを入れた。言ってはいけない。それ以上いけない。

「現状を打開する策はないものかと思索しているのさ」

「そしてそれがサクサク進まないと。試行錯誤を繰り返していると。情報が錯綜していると。昨秋くらいからですかね?」

「うまい事言えって言ったんじゃないんだよ。しかも面白くもないし。空気椅子ね」

 ユングは従順に空気椅子を決めた。無防備に身体を投げ出して、まるで本当にそこに椅子があるかのようにくつろいでいる。

 このくつろぎ方、重心。スツールではないだろう。背もたれやアームレストのある……大企業の社長が座っていそうなふかふかの椅子。意味なかったかもしれない。

「でも待つしかないんじゃないですか?お仕事。依頼がくるのを信じて待つしかないじゃないですか。いつかは誰か来ますよ。最悪生活保護がありますよ」

 なまぽなまぽ、と覚えたてのスラングを口にする。ちょっとどこで覚えたの。二つ目のチャンネルで。ああそう。誤用な気がするのはなんでかなっと。

「税金泥棒はなんかヤダー!新聞配達とかバイトしようかなあ。あまり睡眠時間削りたくないんだけどー」

「昼寝はどうですか?僕はそうしていますよ」

「……君、夜は何してるの?」

「素振りを」

「素振りなんかしても金にならないんだよ!」

 もだえる少女を熱視覚で見ながら、助手はのんきにふかふかの空気椅子に身を沈めていたが、不意にキャッと声を上げて立ち上がった。女子か。

「どうしたの?空気椅子で足痺れた?」

「いや、それが……空気椅子じゃなくて空気人間椅子にしちゃったみたいで。椅子の中からキモ男が手紙を書く音がしたんです」

「えっ何それこわい!想像力怖い!逞しすぎる……もはや想像力という名のマッチョマンがいる!空気椅子ってレベルじゃないよ!」

「もう二度と空気椅子やりたくないです……次は空気投書がありそうで」

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