召し上がれ、アイスまん
またしても回想です。本編は書き溜まるまでもうちょっと待ってくださいね。
帰路につこうとしたのは三日目の夜だった。つこうとした、というのはある事件によってつけなかったから言うのだ。おかげでイルマは雪国を四日楽しめた。
まず、二日目の夕方にカップルが遭難したのがことの発端だ。一緒に来ていた別のカップルが時間になっても戻らないのに気付いて、携帯に電話してみたら遭難していたのである。
後で聞いたら、よせばいいのに人目につかずイチャイチャできる眺めのいい場所を探していたという。こんなものでも山中の事故死の原因を統計したら間違いなく上位に来るらしいから人間は不思議である。
ともあれGPSを頼りに、ふもとの町からレスキュー隊がヘリで出かけて行った。もちろん二人は発見された。
死体ではなく生きた状態で。軽い低体温症にはなっていたらしいが命に別状はない。むしろこっぴどく叱られても口をとがらせて、だって最近ご無沙汰なんだもん、とぼやいて見せるほど元気だった。
問題はレスキュー隊の帰り道である。
もう日が落ちていたので、ヘリに乗るとき一人の隊員がうっかり足を滑らせてその場に転んでしまったのだ。だが彼もレスキュー隊員、すぐ体勢を立て直した。気を付けろよ、と歩み寄った別の隊員が気づいた。
転んだ隊員の体で表面の雪が剥ぎ取られたのだろう、そこには緑色のブーツを履いた老人の死体があった。
最初、隊員たちは遭難者だと思った。だが他殺死体であるらしいことはすぐに分かったのである。表面の雪を取り除けて死体を掘り出したら素人にもそれと分かった。
胸にナイフが刺さっている絵にかいたような他殺死体で、目玉を皿のようにして、歯を食いしばって憤怒の形相をしている。ちょうど、彼を刺した何者かがそこにいるかのように宙を睨んでいるのだ。
と、ここまで警官に聞いたイルマは面白くなくて質問した。
「確かに絵にかいたような他殺死体だけどさ、おかしいよ。普通、ナイフは抜くじゃん。おじさん一人倒れたくらいで出てくるような浅いところに埋めないじゃん。それ自殺じゃないの?」
聞かれた警官は当然のことながらまごついた。
時刻は明けて朝。スキー場に来ている客や従業員に話を聞くためにやってきたのだ。朝食前の気だるい時間である。
子供にはあまりショックを与えないようにとの配慮で、大人ばかり順々に呼び出して向こうの別の部屋で話を聞いている。はずだった。
「こら、そういう質問は気になるだろうがよせ。困っているだろう、相手が」
「だっておかしいんだよー。殺人にしちゃ杜撰すぎるよー。殺るまでは突発的でも殺ったあとは冷静になれるじゃーん。普通ナイフ抜いたり埋めたり、せめて目は閉じさせるか抉るよー、抉って雪でも詰めとくよー」
「だから、よせ。勝手に猟奇殺人に進化させるんじゃない。閉じさせるか抉るの選択肢の違和感に気付け」
「ししょーと警察の人はまず死体処理の雑さに違和感を覚えるべきだよね」
「それもそうだが……すまない、こいつが気になるようだから教えてくれんか。教えられるところまででいい」
なぜか、この少女はごねにごねて保護者についてきたのである。
この少女はも何も今このスキー場にいる子供はあと二人しかいないしどっちも男なのだが、あと二人はついてこなかった。
「あの、ナイフは抜かなかったのではなく、抜けなかったみたいです。木の柄と刀身でできていたのでしょうが、木の柄だけすっぽ抜けて」
「古いナイフだったんだね」
そうです。先に言われた。イルマも師も一晩寝たせいでちょっとくたびれた浴衣を着ている。着崩れの方は、ちゃんと着直したから大丈夫だ。
「衝動的な犯行かもな。俺ならちゃんと新しいのを用意するか、手入れの行き届いたものを使う」
「えー、ししょーそれはちょっと勇み足すぎるよ。逆に計画的かもよ?」
「ほう?」
「だってナイフ自体に意味があるかもしれないじゃん」
なんでノリノリなんだ。まだ全員への聴取が済んでいないが、少なくともここまでに話を聞いた相手は青くなるか関心がないかだった。どうして楽しく推理を始めるんだ。警官には理解できなかった。
「なるほど、一理ある。……だが、ナイフ自体に意味があるなら普段からしっかり手入れをしているものではないか?それで人を刺すんだぞ」
「ぐう。だ、だからさ。何か他の刃物で刺して抜いた後に意味のある古いナイフを刺したんだよ」
「だとしたら抜こうとする意味が分からん。……そんな証拠はあったか?」
男の鋭い視線に、ありません、と冷や汗を流しながら答える。肌が白くて女のように優しい顔立ちだが、視線は無数の針のように網膜の底に刺さる。
「でも衝動的につかんだものが古いナイフなんてありうる?」
「コレクターか何かだったんだろう、犯人か被害者が。で、足がつくと困るから抜こうとしたんだ」
とりあえずこいつらが第一の容疑者だ。きっと今話している内容はミスリードだ。そういうことにしよう。怪しいから。推理小説によるとこういう二人連れは怪しい。
「あの、お二人はどういう関係で?」
「どういうって聞かれたら困るよねー。不適切な関係?」
「勝手なことを言うな、放り出すぞ。……俺が魔導師でこいつが弟子だ」
証明できますかと少し偉そうに聞いてみたが、素直に免許を出してきた。なぜか裏面を上にしている。
「……見たいんですけど」
「大声は出すなよ」
とっさに意味が分からないまま頷いたら、男はため息混じりに免許をひっくり返した。
一番上の欄に甲種、と読み取って驚いた。変にすごいのがいたもんだ。顔写真はもう少し若いころのものらしい。髪の色や目元に違いがみられる。
他は特に何も書いていないようだ――何も?
「えっと、名前は?」
「名はない」
「年齢は?」
「不明だ」
ということは……?警官は、思い至って、幽霊にあった人のように叫んだ。
「じ、実存の魔導師いいいいい!?」
部屋の出入り口から武装警官がなだれ込んできた。窓が割れてさらに増える。冷たい雪交じりの風が吹き付けて少女が震える。武装警官はさっきまでお外で警備にあたっていた人たちである。
部屋の惨状を、自分に銃口を向けている大勢を、特大の苦虫を噛み潰したような顔で眺めまわして、だから叫ぶなといったのに、と魔導師が肩を落とした。