風呂の後は浴衣
オレ カク オマエ ヨム ミンナ シアーワセー ハッピー バレンタイン サンキュー フォー リーディング
トコロデ コレ カイソウヨ
湯舟の温度は思ったより低かった。38度か39だろう。あまり熱くてもゆっくり浸かるのによくないから、このくらいが適当なのかなと思う。
「あ、腹肉しわ寄ってない」湯舟の中心の裸婦像の出来はいまひとつだった。「よく見れば顔もへのへのもへじレベルだ。乳首もないし」
「乳首に規制が入っているのだろうよ」
「そういうもんかあ」
ただまあ、遠目に見たらいい像に見えることは否定しない。近寄るとがっかりなだけで……またGが増えたわけだ。では規制の入らない師匠でも鑑賞するか、と向き直る。それはまるで砂糖菓子のように。
「ししょーの乳首ピンクって……まじか」
恥ずかしそうに師が胸元を隠す。頬が赤いのは湯舟のせいではなさそうだ。女の人みたいでえっちい。男湯に紛れ込んだ中性的な美女、俺得シチュエーション。
「色素が薄いのだ。あまり言ってくれるな」
「私はなんか茶色いんだよ、まだ若いのに。くう、羨ましい。甘そう」
「文句があるなら遺伝子にでも言え。……俺に言うな寄るな抱きつくな舐めるな」
一つおかしいのが入った気もしたが、魔導師はそこまでツッコめるほど気力がなかった。湯舟の中の段に腰かけてふううと息をつく。イルマもまねて隣に座ってみた。息はぶっふーん、になったけど。
「男の人でも母乳が出る体質ってあるんだよ?」
「俺は違う」
「そっか……」
失意のイルマは肩を尖らせて、その間に頭を挟み込むようにして唸った。小さな弟子の大きな落ち込みように、魔導師も少なからず動揺を見せる。
藤色の目をあちこち泳がせ、小さな声で言った。
「似たようなものを出せないこともないが……」
「え!ほんとほんと!」
「い、いや、やめておこう。多分、お前が思ってるのと違う」
「またまたあ。出せるってことが分かっただけで収穫だよ、ハーベストだよ。いやむしろカーニバルだよ」
「謝肉祭になってるぞ……いいのか……」
のーぷろぶれむ!腕を伸ばして上半身全体で大きなVサインをつくった。いいということにしよう。本人もこう言っているわけだし、いいということにしておこう。男は心に決めた。
「お兄さん、いい体してるねえ」知らないおじいさんが声をかけて来た。「軍人か?」
「元な。今は、違う」
細かいことは言わない。
細かいことは相手の想像に任せる。本当のことは言わなくていい、嘘もつかなくていい。名前を出せない、それを言うだけでも身元がすけすけの彼なりの処世術である。
実際、思惑通り老人は、ああ先の戦争で、というようなことを言って座り直した。否定はしない。その通りでもあるからだ。
傷痍軍人と思ってくれるならそれでいい。身体に傷がなくてもPTSDもあるわけだからいかようにも納得できよう。
「私もそうなんだよ、ま、もっと昔……革命だけどね」
「え、熱狂した市民の手で国王一家が銃殺された、あの?」
イルマが質問で割って入ってきた。よりによって血生臭い側面ばかり、よく覚えているものだ。他にも五人の囚人とか正統の王だとかキラキラしい側面もあろうにわざわざ。
「……そう、その」
やはりおじいちゃんは引いた。彼は当時確かに体験したのだ。そうもなろう。
「ま、肩を撃たれて私が見たのは、全裸で高笑いしながら屋根伝いに逃げていくプラチナブロンドの中年男性だけだがね」
次はイルマと師匠がドン引きする番だった。何それ。何それ。
夕食は豪華だった。サラマンダーの趾を蒸したものである。鱗は剥いであるが、長さが大人の腕くらいあって鋭い爪が生えていて白くぶよぶよしている。味は見た目通り豚足に似ている。
豚足同様、チェジャンをつけて頂く。ごはんにもよく合う。
秋ものらしい。癖はあるものの脂がのっていて美味だった。サラマンダーの旬は食糧の増える秋と若い個体が多い夏だ。後者はもっとさっぱりした味で臭みがない。
「焼酎が欲しいな……」
「頼めば?」
「そういうわけにもいかん」
禁酒中なのかな?イルマは深く考えなかった。今食べているのは人間で言うと中指の先端から第一関節までである。鋭い爪に気を付けてかじる。ほんのり甘みがあってコリコリしている。
「山だから猪鍋が出てくるんじゃないかと思ってたけど、趾とはねえ。スーパーにも売ってるじゃん」
「猪はもうサラマンダーに食われたのだろうよ。妥協を知れ」
師は人差し指を逆方向から食べていた。根元に近いほうが赤身肉が多く柔らかい。豊富な肉汁が顎に垂れる。これも一つの幸せの味。
「しあーわせー」
「妙なイントネーションだな。早めに寝るぞ。明日は朝からやるからな」
「えー、ししょー今日はがに股のままで後ろに滑ってってたよ。でも行くの?懲りないねえ」
「お前だってそうだったろうが」
ところで浴衣がもっとも似合うのは黒髪から茶髪までと一般的には言われている。しかしイルマにはそこまで似合わない。栗色の髪なのにだ。
一方魔導師は金髪だが不思議と似合っている。単に場数の問題かもしれないが、合わせた襟元などしっとりと馴染んで艶っぽい。
「何でかなあ」
「彫が深くて顔が濃いからだろう。このタイプの衣服が主に着られていた地域の住人は、昔は顔が薄いタイプが多かったというからな……例えば俺みたいに」
自分の低い鼻先を指してにんまりと笑う。それはそうかもしれない。納得するがちょっと残念だ。
「顔ばっかりはどうにもならないよう。毛染めはできるけどさ」
「そこまでするか。柄や生地の感じを見るに似合わないこともないし、まだ服が大きすぎるだけだろう。思いつめるな」
「むー……今似合わないとやだ」