ステージ5
ステージ5
この人は本当に愚図だと思う。
父が一抹の不安を抱きつつも、結婚は認めた男。
当時の足助は一部の上層部から好評で、将来有望とされる若手の社員、顔立ちのすっきりとしたイケメン。
女性社員からの人気も高く、一部の男性社員からは良からぬ噂も出ていたが、ブ男達の僻みを気にすることはないと思っていた。
私の男の一人として相応しい。当時はそう思った。
平凡なサラリーマン世帯の一人息子として育ち、進学高校から苦学のすえ、国立大学に入学、無事に卒業をして、一心庵の社員として入社をした、私とそう歳が変わらぬ男。
「国内ゲーム産業復興の担い手となりたい」
面接時にはそう語ったそうだ。一時期はゲーム業界のけん引役として、世界から注目を受けていた日本だが、現在は目新しいアイデアのソフトを開発することが出来ずに、凋落の一途をたどっていた。
『ゲーム産業』をマイナーからメジャーに押し上げる発端となった伝説的な家庭用ゲーム機を開発した一心庵においても、栄光は過去のものとなり、ここ数年は売り上げの低迷を食い止めるのに、もがきあがいている状況だ。
そんな会社の社長の娘として生まれた私は、親からあまり構って貰うことはなかった。
社長である父は、会社を復興させるために昼夜を問わずに仕事をしていた。子供の頃に、父と会話をした記憶も、顔を合わせた記憶も余りない。
母は父がいない間は、他の男と楽しんでいた。いくら売り上げが低迷していても、一部上場の一流企業の社長夫人。旦那は家にいることが余りない多忙ぶり。お金だけ渡され、自由気ままに生活をしている。この二人はなぜ結婚したのか疑問だった。
私は、私の父が本当に私の父であるか、いささか疑問でもあった。
逆に母の子であるということは、成長するに従い自覚した。
私は、私好みの、好い男が好きである。
男達からチヤホヤされたい。抱かれたい。その為の努力は惜しまないようにした。
仕事一筋に生きるようなタイプのイケメンである足助は、良い隠れ蓑になると思い結婚をした。
もちろん、お金の不自由する平凡な相手の世帯に入ることはしない。だから、婿として迎えた。
精々、私の父の会社の為に懸命に働いて、私に金を入れて、出来うる限り、留守でいてほしい。そう願うばかりであった。
目論見は外れた。この男は仕事が出来るふりをしている役立たずであることが直ぐに分かった。そして、結果が出ないことの癒しを家族に求めてきた。妻である私と、とりあえず産んだ百姫に。
父が次世代ゲーム機の開発に専念するために自ら開発チームを率いる形を取り、対外的な役割の多い社長職を足助に譲ると、父の代で盛り返しつつあった一心庵の売上げは再び低迷を始めた。
足助は社長になると一心庵が今までに手がけた事の無いようなゲームを作ると宣言をした。そうして作られたゲームはことごとく外れた。
過去の日本、現状でも日本だけで売れるような、キャラクターデザインが先行した、中身のスカスカなゲーム。
他社が作ったアイデアの二番煎じを売りにして、劣悪したシステムを搭載したゲーム。
下請け業者に安い金額、無茶な納期で丸投げをして、『リアルデバッグ経験ゲー』と称されたバグだらけのゲーム。
自分の失敗は他の社員に擦り付けることが得意な足助は、ゲームの売り上げが低迷しても責任を逃れる。
その様に呆れて嘆いて憤怒した優秀な社員は減り、より一層売れるゲームが作れなくなる。一心庵は負の螺旋の中に巻き込まれ、飲みこまれつつあった。
そんな中で生まれた我が子を育てるのは苦痛で、全てを家政婦に任して、日々、自分磨きに、男漁りに精を出した。
そん中、余り家に姿を見せることがなかった足助が、難航していた次世代ゲーム機の開発に父が成功したと伝えてきた。珍しく、悔しそうな顔をしていた。
何もできない癖に、何がそんなに悔しいのだろうと不思議だった。
「この海岸の暑さは異常だ。蒸し暑くて堪らない」
噴き出てくる顔の汗を袖で拭いつつ、手にしたサボテンの果肉を口に含む。常に水分補給を心掛けていないと直ぐに脱水症状につながる恐れがあるような気温を感じる。
本来であれば、そのような環境下の中で行動を行う事自体が愚かしい行為だ。日中は出来うる限り陽の当たらない場所で休み、涼しくなった時間帯を見計らい行動をするべきである。
しかし、元来、肉体労働を経験したことのない面々はその事を知らずに、いつも通りに日中の行動を続けている。玉雄は、保健医の言葉を教えようかとも思ったが、周囲から否定されることを恐れて躊躇をしてしまった。
第4ステージで取得したサボテンの肉は、足助の提案で全員が公平に取得することになった。アイテムボックスに入らない分は、百姫が裂いたラクダマンの股引を更に裂いて、小さな風呂敷包みにして手で持ち歩いている。
白く美しい砂浜が延々と続いている。波の音が直ぐ傍で聞こえる。ただ、目に見えない日差しは強烈で、海風はかなり暖かい。
当初は波打ち際に近寄り、海水で冷やそうと思ったが、海辺に近づくにつれ余計に暖かくなる状況に異常を感じた。波が引いた後の砂を触ると、熱さを感じる。
「あの海水、熱水みたいになっている可能性がある」
栗田はそう呟いた。そうなると海水に浸かった結果、火傷してライフが減るという地形の罠が仕組まれている可能性が高い。栗田はそう判断して、海に入ることをやめ、無言のまま海辺から遠ざかる。その様子を見て、足助達も入るのを止める。
「これだけ暑いのに海水が塩にならないのは、おかしいと思う」
萬姫がずれた所に文句を言う。塩があっても味覚が感じられないのだからどうでも好い事だろうと、足助は苦笑しつつ聞き流す。
「おお、あそこにヤシの木があるな。あそこで小休止をしよう」
スタート地点から当てもなく歩き続ける一行は、暑さでへばる前に小休止をすることにする。スタート地点で拾ったヤシの実からは、やはり味はしないが中身のジュースでのどを潤すことが出来た。
(ヤシのジュース、薄めのスポーツドリンクみたいな味がしたっけ)
各々が手にした槍の穂先や短剣でヤシの一部を切断して中身を飲む。玉雄はスタート地点で飲んだヤシのジュースの味を思い出す。暑い一帯にあるにも関わらず、中身は温度差からか、冷やりとして美味しい。
足助が白い果肉の部分も食べられるのだと自慢げに話している。スタート地点でも語っていたことだ。新婚旅行で行った南洋諸島で教えられたらしい。
「向こうで食べた時も味はそれほどなかった。ここでは、味がしないから関係はないがね」
足助はそう言うと、槍の穂先で少しだけ抉って食べたココヤシの実を離れた場所に投げ捨てる。
その場所が突然盛り上がり、砂浜の中から真っ赤な色をした巨大な蟹が姿を現し、ヤシの実を挟みで掴み握りつぶす。
「ななな、何だこいつは」
「どう見ても、敵キャラだろう……」
突然の事に、慌てて槍を構え、大声を上げる足助に呆れるかのように栗田が呟く。
巨大赤蟹は両方のハサミを高々と掲げ全員を威嚇する。工具が投げつけられると、甲羅の一部が欠け落ちる。
栗田は工具が投げられた方向に目をやると玉雄が次の工具を投げる瞬間だった。
(こいつ、随分と素早い動きをするな)
ゲーマーとして自分より年下のガキに負けるのは癪に障るため、栗田もまた負けじとマイナスドライバーを蟹に投げつける。だが、蟹は横に素早く逃げる。
足助達家族は、栗田の後方に廻り完全に及び腰だ。戦闘に参加する意思は余り感じられない。巨体な癖に、素早い左右の動きで工具投げをかわす蟹に焦れた思いをしつつも工具を投げる。
(亀頭の脳筋ゴリラは役にはたったよなあ)
役に立たない足助達家族に対して心の中で舌打ちをする栗田は前のステージで別れた亀頭の事を考える。現実世界より酷い馬鹿な我儘を言い出したので、ああして見捨てざるを得なかった。
(まあ、一人でどうこうできる、ゲームではないみたいだからな)
ロストして裏ステージ送りだろうなと、栗田は予想をしている。別段、心配することも、悲しむこともないのだ。できれば、この世からいなくなって貰っても良いと思っているくらいだ。
蟹は横歩きが素早いが、前に向かってくるときはそれ程早くは動けないことに気付き、攻撃の方法を変えた。
威嚇した後には前に向かってくる。その時を狙い工具を投げつける。マイナスドライバーで甲羅を欠き続け、ヒビが入ったところに貫通力のあるプラスドライバーを投げつけると蟹に工具が突き刺さり、エフェクトと共に消失していく。
「随分と時間が掛かったじゃないか。しっかりしたまえ」
戦闘が終るや否や、足助は前に出てきた栗田にそう告げる。返事をせずに蟹がいなくなった場所に向かい、ドロップアイテムを見つける。
「蟹の肉かよ、甲羅とかハサミなら何かに使えるかもしれないのに」
栗田はアイテムを見てぼやく。本来なら蟹の肉で喜ぶべきところだが、味が感じられない世界では『食べること』に楽しみは感じられない。
「ほら、キミ、いるんだろう」
「え、ええ。じゃあ、サボテンの果肉と交換で」
ドロップアイテムが肉と分かった段階で、足助は口を挟むことはしない。栗田もサボテンの果肉が欲しいわけでもないが、まあ、貰えるのならばと玉雄から受け取り、先程の戦闘で出た汗の分を補給するかのように果肉に噛り付き、瞬く間に平らげてしまう。
「さあ、先に進もう。直に陽が暮れる。それまでに距離を稼ごう」
足助は急かすように栗田と玉雄に進めと指示を出す。
(お前達は、見ていただけだから楽だよな)
栗田は何も言わないが、足助の言葉に不満を抱きつつ、延々と続く白い砂浜の中を渋々と歩き出すのであった。
「今日はここで休憩をしよう」
空が赤く暗くなり始めたころに辿りついたヤシの木の元で、野営を行うことを足助が指示を出す。スタート地点の一帯と違い、この辺りは砂漠ステージのように急激に冷え込むことはないようだ。海からは生暖かい風が吹いてくる。海水の温度はそれほど下がってはいないのだろう。
落ちていたヤシの実を拾い、ジュースを飲み、ヤシの葉を地面に敷き座布団のように使い、楽な姿勢を取り休み始める。
砂浜を歩き続けている最中に、二度ほど蟹の襲撃があったが、倒すコツが判っていたので、撃退することが出来た。肉は全て玉雄が譲り受けた。他の面々からすれば不要なアイテムなのだ。
玉雄はカニ肉を短剣の切っ先に刺して、ココヤシの実と葉で熾した焚き火で炙り口に入れる。多少海鮮特有の臭みは感じるものの、軽い塩気とカニ肉の旨みが美味いと思わせる。
(この世界で初めて美味しいって感じた)
玉雄は、電脳世界で初めて体験した感覚に感動を覚える。ゲームの世界で、現実世界と同じ感覚を味わえる。五感を感じるゲーム、ゲーマーなら誰もが憧れる世界をようやく体験できた気がする。
他の者達はカニ肉に興味を示すことはない。火で炙っても、何をしても味も何も感じることはないと思っているからだ。
(やっぱり、きちんと告げた方が良かったよね……)
玉雄は今更ながらに、調理スキルについて告げることが出来なかったことに後悔をする。言い出したくても、周りから非難を受けると思うと、如何しても言い出せなくなってしまう自分自身に悶々とするのであった。
「貴方、ちょっといいかしら」
「……どうかしたのかい」
夜、栗田や子供二人が寝静まった頃、萬姫は夜番をしていた足助に声を掛け、場を離れることを促す。二人きりで話をしたいと、言わないでも雰囲気だけで判るようだ。
質問に答えないまま歩き出す萬姫に、何かあったのかと訝し気に思いながらも、足助は黙って後を追う。
寝ている皆には声が届かない程度に離れた、海沿いの岩に隠れた場所で萬姫は静かに足助に言葉を向ける。
「……どうゆうことなのかしら」
「なにがだい」
「絶対に安全だって、私には説明をしたわよね」
今更ながらに、電脳ダイブをしたことについて文句を言い始める。足助は黙って萬姫の文句を聞く。
「ここに来て、四人もこの世界からいなくなっているわ」
「まあ、死んだわけでもないし、ここから強制的に出られたわけでもないけどね」
「そんな言い訳を聞いているのではないの。そもそも、今回の人選はどうゆうことなの。私が来ることが判っていながら、下品な男女に、チンピラまがいの男、残っているキモ豚に、頼りなさげな男の子。もっときちんと人選をさせるべきだったのよ」
その事については足助も考えることがある。玉雄以外の四人はどう見ても知った仲だ。始めは気付かなかったが、途中ではっきりとわかった。
誰かが、意図的に選んだとしか思えない。実は栗田の父親である開発担当部長がゴリ押しをしたからなのだが。
「まあ、過ぎたことはしょうがないだろう。今は、この世界から抜け出すことを第一に考えるべきであって……」
「馬鹿なこと言わないで! あなたがもっと、きちんと、会社のことを把握していればこんなことにはならなかったのよ! 今すぐ、この世界から出すようにしてよ!」
「あまり大きい声をだすな。それが出来ないからこうして……」
「ろくになにもしていないじゃな。そもそも、この機械だって私のパパが開発をしたのであって、貴方は後馬に乗っただけじゃない。それをさも、自分が努力して開発したみたいに言っているのはどういうことなの」
「……どうもこうも関係はないだろう。私は、一心庵の社長だ。キミの父親は一線を退いた立場だ。会社のトップは私だ。部下の手柄は、私の手柄である。当然だろう」
その言葉を聞き、少しの間、足助の顔を見定めた後に横を向いた萬姫は鼻で笑う。
「フフ、何をやっても失敗しているけど、全部それも部下の責任、誰かのせい、だものね。失敗をしないわけよね。そして成功は自分の手柄ってわけね。それなら、馬鹿でも成功を続けるわ」
せっかく足助の為に付き合ってやった、電脳ダイブの結果が散々なものだった不満を、ぶちまけるかのように見下した態度で足助をなじる。
言葉を続けようとした萬姫の頬に平手が打ち込まれる。突然の事に言葉が出ないが、自分がされたことに怒りが一気に膨れ上がり足助に向けて怒声を叩きつけようとする。
しかし、萬姫の言葉は続かなかった。足助は萬姫の胸倉を掴み、執拗に平手を打ち続ける。膝の裏に足を掛け、砂浜に転ばす。ステータス値は同じでも、そのような暴力になれていない萬姫は意図も容易く転んでしまう。
足助は馬乗りのまま、平手打ちを続ける。そして、静かに怒りの声を萬姫に向ける。
「ふざけたこと言うなよ、この阿婆擦れが。お前が会社の経理の男を誑かして、金を着服していることは掴んでいるんだ。その金で、外食、エステ、ジム、ホスト狂いしていることも興信所から報告が挙がっている。まあ、私も他に愛人を囲っているから文句は言わないがな。だが、仕事のことをそうにまで悪しざまに言われる筋合いはない」
「お、お願い、や、やめて……」
「百姫に付いていた家政婦から『少しは家事をされてはどうですか』と嫌味を言われてから、家政婦の気が狂うほどに嫌がらせをした結果を揉み消したのは誰のおかげだと思っているんだ」
子育ても家事も一切しない萬姫のあり方につい本音が出てしまった家政婦に対して、執拗に、それこそ重箱の隅を楊枝でほじくり、裁縫用の針の先でつつくほどに、毎日のように文句を言った。
塵一つ、靴の位置、服の揃え方、時間は秒単位で、風呂のお湯の張り方、食事の内容、皿の置き方、全てに文句を言ってやった。家政婦を雇っている会社には大金を握らせ辞めさせないように根回しをしておいた。
結果として、家政婦は発狂し、萬姫に襲い掛かろうとしたが、間一髪部屋に閉じ込め、警察を呼び事なきを得た。最終的には、外部に漏れることを恐れた足助が全てを揉み消すように動いた。
その後、百姫は保育施設に預けられ、送り迎えも警備会社の人間が行うことになった。食事は外食か、臨時で雇われた料理人が作る。掃除は、家族がいない時間に業者が行うことになる。ほとんど家にいることのない萬姫にとって何一つ問題はなかった。
萬姫の頬は、赤くはれ上がっている。顔の形が変わり始める。プレイヤー同士の攻撃でライフポイントは減らない。だが、痛みは感じる。どうやら、後遺症も現れるようだ。
涙をボロボロと流す醜い顔立ちとなった女の長い髪を掴み、海岸線へと向かう。幸いなことにこの辺りは岩場に隠れて人目に付きにくい。ろくに声も出せない萬姫は嫌々をするように身体を揺すぶるが、足助は気にも留めない。
「プレイヤー同士ではライフは減らないのだろうが、こうすればどうなのかな」
岩に噛り付くようにしている萬姫を強引に引き剥がし、駄々をこねる子供のように腕の中で暴れるのを無理矢理に制して海の中へ突き落す。
「あ、熱い、あちゅい、た、助けてアナタ、ゆ、許して……」
萬姫はか細い声で足助に許しを請い、海の中でもがき続ける。ライフポイントを示すハートマークが一つ、又、一つと砕け散る。
今わの際で岩の縁に手を掛けるが、足助は手にした槍でそれを払いのけて、再度、海に叩き落とす。
海に溺れたまま、皮膚は火傷で爛れて、醜くなった顔が沈む寸前に最後に残ったハートが砕け散る。
『プレイヤー マンヒメ ロスト!』
気の抜ける音と共にメッセージが現れ、直ぐに消える。足助は辺りを見回し、誰もいないことを確認する。
(ん、なにか、動いたような気がするが……)
慌てててそちらの方に向かうが、岩場を降りるのに手間取り、姿を見失ってしまう。気のせいだったのかも知れないと思い直すことにする。
(さて、どうしたものか)
萬姫を手に掛け、どう説明をすれば良いか思案をする。妥当な所では、二人きりで愛をはぐくんている最中に敵に襲われたことにする方が良いのかも知れない。
足助の頭には、このゲーム内にいる状況が中継で流れている可能性について考えてはいない。どちらにしても、マスメディアは命の危険性がある状況下での我々の情報をむやみやたらと流すことはないだろうと楽観視をしている。
実際の現実世界ではプレイヤー達と開発担当者が電脳世界から戻ってこない状況について連日報道がされている。
犯行声明は『ヤイコ』の名前で出されているが、その後の情報は一切出て来ない。精々が、全員今の所命に別状はないと言うことだけだ。
ネット上でも様々な憶測が飛び交っている状態だが、それ以上の事は何も分からないままだ。電脳ダイブ危険論が盛り返しつつあり、反論者達とSNS上で様々な罵詈雑言が飛び交い、各所で大炎上を起こしている状況だ。
そんなことは露ほどにも知らない足助は、襲われたふりをして皆の元に戻ることにする。残りは豚と子供だけ。いかようにも言いくるめることは可能だ。
行動に移そうとしたとき、海が大きく波立ち黒い大きな入道が姿を現す。闇夜のなかでは黒く艶光する八本の触手を複雑に動かしながら海中から歩み出てくる巨大な蛸。突然の事に、大声を出してしまう。
「ウワー、ウワー! で、出たあ! ボスが出た!」
余りの事に錯乱をしたように皆の所に駆け戻る。その声に、玉雄が飛び起き、栗田と百姫が眠たそうに目をこすりながら、何事かと呆けたままにもそもそと起き上がる。
「く、栗田君! モタモタするな! ボスだ! 大蛸が現れた!」
「はあ、蛸が」
中々目が覚めない栗田に代わり、玉雄が答える。
「蛸、多分『オクトパン』ですね。ヤイコシリーズの海中ステージに現れる定番のキャラです」
「そ、そんなことはどうでも好い、そ、そうだ、萬姫が襲われた! 海の中に引きずり込まれてロストをしてしまった!」
こんなところに来てまで、二人して夜中に乳繰り合ってるからだろうよと、栗田は言葉にしないまでも侮蔑の目線を足助に送る。足助は気付かないふりをして、主力二人に直ぐに向かって倒して来いと急かすように指示を出す。
「アンタの指示を受けるいわれはないが、まあ、多分、ボスかもしれない敵を倒すのは意味があるな。だけど、どういう理由で出現をしたんだ?」
エレファントマンにしても、ラクダ男にしても、今回のオクトパンにしても突如として現れる。ボスがポップする理由が判らない。
エレファントマンとラクダ男に関しては単純に偶然である。ステージ内を徘徊するボスと偶々居合わせただけである。
しかし、オクトパンに関しては違う。このボスの発生条件は厭らしいことに『海中に生贄を捧げる』である。
ヤイコの目論見としては、プレイヤー同士が他者に責任を押し付け合いながら、自滅するところを眺めたい所であったが、違う意味で酷い結果からオクトパンは出現をした。
栗田と玉雄が、オクトパンが出現した場所へと向かう。やや離れた位置を追うように足助と百姫が付いてくる。
完全に海岸線から姿を現しているオクトパンの巨大な姿が全員の目に移る。相手もプレイヤー達に気付き、ゆっくりとした動きで向かってくる。
「でかい図体に、鈍間な動き。楽勝だな」
「それだけでしょうか?」
栗田はオクトパンは楽に倒せると踏み、今まで一筋縄ではいかなかった相手ばかりであったのに急に楽なボスに当たることに不信を抱く玉雄。
正反対の感想を持ったままに、工具を同時に投げつける。マイナスとプラス。互いに特色のある工具を投げつけいずれが有効かを見定めるためだ。
しかし、二つの工具ともオクトパンに当たるも柔らかいが分厚いゴムのような体表にはじき返されてしまう。
「あ、あれ、どちらか効いたのか!?」
「い、いえ、多分、どっちも効いてませんよ、アレ!」
まだ離れた位置で油断をしていた二人に向けて、突如、オクトパンは口から黒く汚れた粘液を吐き出す。
間一髪躱すことには成功をするが、飛び跳ねた飛沫が吹くに付着する。思わず、栗田は手で払いのける。
「う、臭え! なんて生臭さだ!」
そして、かなりの粘着性があることに気付く。あれが直撃すれば身動きが取れなくなる恐れがある。そうなれば、容易くロストすることになるだろう。
近接攻撃を試みたいが、残念なことに全員が亀頭のような格闘センスは持ち合わせていない。振り回される八本の触手をかわすことに精一杯だ。
そして、後方で見るだけで油断をしていた足助達に黒い粘液が吐き出される。二人共突如として狙われたために、動くこともままならないまま粘液が直撃して、身動きが取れなくなる。
オクトパンの長い触手が素早く伸びて足助達をまとめて薙ぎ払う。二人のライフポイントが、一つ減る。首から上だけが自由なままの足助が、栗田と玉雄に向けて喚いている。
「おおおおお、お前達、何をしている、わわわ、私を守れ!」
栗田は馬鹿の言うこと聞く耳持たずと言う雰囲気のまま、オクトパンに集中をする。工具を投げるも、どれも弾き飛ばされているだけで効いている風にはとても見えない。
機械的に襲ってくる触手を、いつもの手順で躱す。ゲームで培ったセオリー通りの操作をするように身体が動くため、自称上級ゲーマーの栗田にとって、触手を避けることは簡単なことだと思われたが、触手は突如として今までと違った動きをして、栗田の足元を払いのける。
ライフが一つ減り、更に転んだ隙に粘液を掛けられる。上半身だけは捩るようにして動かしたため足元を粘液で固められるにすんだ。
「き、汚いぞ! プログラム通りに動かないなんて!」
電脳世界のキャラは大なり小なり人工知能がプログラミングされている。プログラムされた行動パターン以外は、ある程度は相手の特性を見極め動くようになる。栗田は単に油断をして、意表を突かれただけだ。
「う、うわあ!」
触手を頭上に掲げてからプレイヤーを狙う行動パターンの後の、変化をする触手の動きについて行けずに玉雄もまた触手の直撃を喰らう。
ハートが一つ減るが、偶々、岩場の陰に転がったため、直後に吐き出された粘液を浴びずに済んだのは幸いだった。
「こ、こいつ、じっくりと始末する気かよ」
四人中三人が粘液で動けなくなったのを知り、オクトパンはゆっくりと栗太達の元に近寄る。触手が三人の頭上に掲げられ、振り下ろされる。三人のライフが残り一つに減る。
「この、この、だ、駄目だ、効いていない!」
オクトパンが三人に目をやっている隙に近寄った玉雄が手にした短剣でオクトパンに攻撃するが、分厚いゴムのような肉と、ヌメヌメトした表皮に阻まれ傷一つ付けることが出来ない。
そんな玉雄を煩わしそうに触手一振りで薙ぎ払い遠ざけ、粘液を吐き出す。粘液は脚を捉え、玉雄もまた身動きが取れなくなってしまう。
(このままじゃ、全滅だ、どうする、どうする! クリアーできないゲームはゲームじゃないから、何か糸口があるはず!)
玉雄はめまぐるしく記憶を探る。ヤイコシリーズはとことんやり込んだ。オクトパンは定番キャラだ。新キャラクターではない。なにか、情報があったはずだ。
『ヤイコジャンケン ラパラパはオクトパンが好物。オクトパンはフーフェアリを苛める。フーフェアリはラパラパを焼いちゃうよ』
初期のゲームの説明書のオマケページの内容を思い出す。酷くチャチな設定だと小学生ながらに思った。そもそも当時ゲームは低年齢向けの遊具であったのだから、それで良かったのだろう。
『ラパラパはオクトパンが好物』
(そうだ、あれ、あれを使うのかも!)
アイテムボックスから、何の役に立つのか判らなかったラパの牙を取りだす。そのまま、投げるだけかと思ったが、もう一度考え直し、更に木の枝を取りだす。枝は真っ直ぐに整えられている。
枝の先に足元についた粘液を付けて牙をくっつける。
(だめだ、グラグラする、これじゃあ多分駄目だ)
さらにアイテムボックスに密かに隠しておいた、毒であることを知っていながら、だからこそ残しておいた、先端が赤いアロエモドキを取り出し、震える指で細く紐状に裂きラパの牙と枝を紐で、グルグルと巻きつけ固定する
弾き飛ばし多少は慣れた三人にゆっくりとオクトパンはにじり寄っている。じっくりと距離を詰め、恐怖を味あわせてから止め刺すつもりなのだろう。
その隙の間に、長く感じた短い時間で玉雄は『ラパの牙の矢』を作り上げ、イチかバチか半身だけを起こした状態で工具を投げつける様に手で矢を持ち、オクトパンに向けて思いっきり投げつける。
矢は玉雄が思った以上の勢いでオクトパンに向けて飛ぶ。
的は大きい。狙いが外れることはない。
矢はオクトパンに突き刺さる
「――、〜〜〜!!」
声にならない声を出すかのようにオクトパン、錯乱したかのようにその場でタコ踊りを始める。触手は全て頭上で乱れ動き、三人を傷つけることはない。
そして、そのまま、もといた海へと戻っていく。玉雄は、その間にも矢を作り上げていたが、無用の長物となったことに気付く。
(そもそも、オクトパンは海中ステージで水弾を吐くだけの背景キャラみたいなものだっけ。倒すことは出来ないんだ)
「き、キミたち、ボスが逃げるぞ! 始末をしなさい! それに、私達に危害を与えさせるんじゃあない! 何をやっているんだ!」
わあわあと足助が喚き立てる。栗田はウンザリとした顔で、相手にしていない。多分栗田も、このステージのボスを撃退をしたことに気付いている。
『海中プレイスキルを取得しました。海中で呼吸の制限なく活動が出来ます』
『熱水耐性を取得しました。熱水に対してダメージを受けなくなります』
頭の中に文字が浮かび消える。新たなスキルを取得したようだ。
「な、なんだ、何を取得したんだ!?」
「おお、初めてゲームらしく、スキル取得をしたぞ! ボス撃退ボーナスかもな」
ゲーム慣れしていないゲーム会社社長の足助は驚きの声を上げ、栗田はゲーマーらしい喜びの声を上げる。何の事だか分からない百姫はきょとんとした顔をしているだけだが、多分、全員がスキルを取得したのだろう。
(なら、あの『熱い海』に入っても問題はないわけかな)
二つのスキルを取得したことで海に入ることが出来る様になったことに気付く。夜の海辺には満月が浮かんでいる。太陽が見えない割には、月は見えたのかと今更ながらに思う。
オクトパンが逃げて行った海の潮が引いて行く。そこには今までなかった海への路が出来上がる。
「ここを進んで海中に行けと言うことか」
「早く進んだ方がいいね。多分、朝には消える路だね」
「何でそんなことを言うんだキミは」
「潮の満ち引きは月に関係があるんだろう。それに、ボスは討伐したわけではないし。グズグズいうなら、一人で残ればいいだろう」
栗田は言い捨てると、一人で海の路に向けて歩き出す。玉雄もその後に続く。栗田の意見に同意をしているからだ。足助も百姫を引き連れて、慌ててその後に続く。
紆余曲折はあったが、遂には八人のプレイヤーは四人、半分までになってしまった。
(自分一人が生き残ればいいだけ)
誰かがそう思う。誰もがそう思ったのかも知れない。暗い夜の海の路を白い月の明かりが照らし出す。取得したスキルが本当に有効なのか一抹の不安を感じる者も口には出さないまま、海の中へと歩を徐々に進めていく。
『ステージ5 クリア! NEXTステージへようこそ!』