チュートリアル
チュートリアル
眼を開けると鉄骨の骨組みが所々に見える薄暗い会場ではなく、アーチ状の重厚な木の門構えを設えた石組の壁が見える。
明らかに今までいた場所とは違う所。現実世界と同じように、自分の顔は見えず、手を動かせば思うように指が動く。とても、ゲームの世界とは思えないリアルさ。
周囲を見渡せば他の者も同じ様な仕草をしている。各々の髪の色や目の色、服装が舞台で見たものと違っているのは、舞台前に行ったキャラクターメイキングの影響だろう。
開発担当者からは精々、目や髪、肌等の色を変更できる程度で、身長や体格、顔型を極端に変化させることは脳が違和感を感じてしまうため、現状では出来ないことを事前に説明されていた。
服装はプログラム上で用意された三種類、ツナギ、上下作業服、ニッカポッカスタイルの何れかを選択するようになっていた。
女性陣は全員が色違いのツナギを選び、男性陣は小学生の玉雄がツナギ、亀頭がニッカポッカ、他は作業服を選択した。
「しかたなくツナギを選択したけど、他にもあっていいんじゃね」
「かっこ悪いと思います」
華園と萬姫は選択肢の少なさと、見た目にあまり良い印象を持っていない。
「だ、だけどヤイコのスタイルはツナギです。職業設定でも電気工事士になっていますから、一心庵さんの考え方も判ります」
おどおどしながらも玉雄は工事系の服装がゲーム内で採用された理由を肯定する。
「彼の言う通りだ。今回のゲームの主役は私達だが、設定上ではヤイコのパートナーとなっている。パートナーを組む相手が、相手とかけ離れた格好をするのは、おかしいのではないかと開発チームから声が上がり、この三種を選択したわけだ」
以外にも作業服姿が様になっている足助が、玉雄の背後から皆に説明をする。一心庵の社長だけあって、細かい設定の経緯についても多少は把握をしているようだ。
「俺は動きやすければどうでもいい。それよりも早くゲームを始めようや」
普段から服装について無頓着な亀頭が待ちきれずに催促をする。与えられた時間は長いようで短い。電脳世界を体験するまたとない機会なのだ。早く身体を動かしたくてしょうがないのだ。
「まあ、少し待ちたまえ。今、別室から電脳ダイブをしている開発担当者が説明に来る。……来たようだな」
一瞬、一部の風景が乱れ、ノイズが走り、その場に眼鏡をかけた男性が一人現れる。ゲームルールの説明に来た一心庵の開発担当者の様だ。
「では、皆さんまずは簡単にルールの説明を行います」
「僕としては、やりながら覚えればいいんじゃねって思うんだけど」
慧瓶が開発担当者が説明を行う前に水を差す。その言葉を聞き、苦笑を浮かべた開発担当者は首を横に振る。
「早くVR−AGを進めたい気持ちは判りますが、一通りの事を覚えておいた方が楽しくゲームを進められますので、しばしのお時間を頂きたいと思います」
言い終わると直ぐに開発担当者の頭上に三つのハートマークが浮かび上がる。皆、突然の事に目を向いて驚いている。自分が電脳世界に来たことを改めて判らせる光景だ。
「今、私の頭上に浮かび上がったのはライフポイントです。各自が三つのライフを所持しています。敵の攻撃が当たると一つずつ減っていきます」
「……回復の手段は」
ボソボソした聞き取りづらい小さい声で栗田が質問をする。
「基本的には用意されたステージをクリアすると回復が行われます。それ以外の方法での回復はございませんが、もし無くなったとしてもゲームオーバーではなく、ステージの始めから、やり直しと言った形になります。ちなみに、ステージは全部で八ステージ用意されています。時間内で全てをクリアするのは困難だと思われますが、できるだけ多くのステージをクリア出来る様に頑張ってください」
「おい、敵とは戦えるのか? 殺せるのか」
敵と戦いたくてしょうがない亀頭が鼻息を荒く、掴みかかる勢いで開発担当者に尋ねる。
「はい、戦えます。この後、皇子の間の謁見が済み次第、一度、練習の戦闘が行われます。今、簡単に攻撃の仕方をお教えします。一つは、近接攻撃。これは手近にある棒や石で相手を攻撃する方法です。素手での攻撃も可能ですが余り効果はないと思ってください」
「おいおい、俺は格闘全般をこなす男だぜ、力なら負けやしない」
亀頭は開発担当者の返事を鼻で笑い、馬鹿にするなといった態度を取る。
「いえ、電脳世界においては身体的能力は統一されています。老若男女全て等しい力とさせて頂いています。代わりに、現実世界で培った知識や技術はそのまま反映されますので、『プレイヤースキル』こそが最も影響を与える能力だと考えて下さい」
「うむむ、そうか。だが、俺は剣道も柔道もボクシングもやった男だ。格闘術でも滅多に退けは取らねえからな。問題はねえだろう」
開発担当者の答えにガハハと笑い、己の実力を誇示する。他の者は皆、苦笑いを浮かべるなか、玉雄が担当者に質問をする。
「工具投げはあるのですか?」
「ああ、もちろん。もう一つの攻撃方法はヤイコが得意とする工具投げ――こうして右手を振りかざすと自動的に工具である『プラスドライバー』が握られます。この際に一度、工具を握った手を開いて握り直すと『マイナスドライバー』に変わります。プラスは貫通攻撃、マイナスは硬い物を砕く攻撃です。上手く使い分けないと、撃退できない敵もいますので注意をして下さい」
「その、ドライバーはなぜ手元に現れるのですか?」
萬姫が首を傾げ、不思議そうな顔で開発担当者に尋ねる。流石にこの質問に対しての答えは用意をしていないようで、一瞬の間が空く。
「ゲ、ゲームのし、仕様ですので……」
「母さん、私達は電脳世界、ゲームの世界にいるから余り細かいことは気にしない方が良いよ」
足助がしどろもどろの開発担当者をフォローする。その様子を見て皆が吹き出す。萬姫はまだ不思議そうな顔をしている。たとえゲームと言えども気になる事は気になるから仕方がないのかも知れない。
「あ、あともう一点。工具投げにおいての同士討ちは発生しませんのでご安心ください。PvPのプログラムは組み込まれていませんので。又、敵からの攻撃を受けても身体に振動が繰る程度で痛みはありません」
亀頭以外の全員が開発担当者の言葉を聞き、ホッとする。亀頭は一向に構わないと言いたげだ。だが、他の者からするとゲームの中でまで、わざわざ痛い思いをしたくないと言うのが本音だ。
「では、簡単でしたが説明を終わりにします。始めの方が言ったように、後はゲームを進め乍ら体で体感し覚えるのが一番でしょう。――では謁見の間に入ります。後に付いて来て下さい」
開発担当者が木の門に触れると、ゆっくりと軋みながら扉は内側へと開く。磨かれた石を隙間なく敷き並べた、光沢を放つ床には、赤い絨毯が真っ直ぐに敷かれ伸びている。絨毯の先には玉座がある。距離が離れているせいで顔の判別は出来ないものの、誰かが座っている。
「皇帝の座に座っているのは、コクレア皇国の第一皇子であるコクレア皇子です。皇帝が不在の為、彼が謁見を行う設定です。詳しいことは聞かないで下さい」
開発担当者は、何かを聞きたげな顔をした萬姫に先制して説明をする。ふかふかの絨毯の上を歩き皇子の前へと進む。くるぶしまで埋まりそうな絨毯も凄いが、それの感触を再現している一心庵の電脳世界の技術にも各自が驚く。社長は満足げだ。
皇子の前に立つ。一段高い位置で皇子は皇帝の座に座っている。元の顔はやや幼い感じが残るがイケメン風なのだろう。
レースの大きな付け襟を首に巻き、質の良さそうな生地で作られたキルティングを施した長袖に、詰め物をして丸く大きく膨らんだ半ズボンに、脚にぴったりのピチピチのタイツと白い革靴を履き、所々に高級そうなアクセサリーを身に付けている。見るからに中世の王子様といった感じだ。
但し、全身に工具が突き刺さっていなければの話だ。
皇子は苦悶の表情を浮かべ、なにも言わぬまま、ビクビクと震えている。口は色の付いた針金で縫い合わされているため声が出せないようだ。突き刺さった工具からは血がポタポタと流れて落ちている。
「随分とおっかない趣向を凝らしたものだ」
足助が少しやり過ぎではないか、と言った表情で開発担当者に声を掛ける。余り、良い印象を持っていないのは直ぐに分かるが、担当者は皇子の有様に呆気にとられている。
「い、いえ、こ、こんなプログラムをした覚えはありません」
「しかし、実際に目の前にあるじゃないか」
「は、はあ、い、いえ、あ、ありえません! ま、まさか、ハッキングを受けたのか? 一心庵最強のファイアーウォールをすり抜けて? バ、馬鹿な……」
開発担当者は自問自答を一人で繰り返している。残りの参加者たちも不穏な雲行きが広がり始めた気配を察している。もしかすると、強制的に電脳世界の体験が終了してしまうかもしれないと不安げだ。
「おい?! なんだこいつらは!」
一人、後ろで構えていた亀頭が声を上げる。広い謁見の間に等間隔で設けられていた大理石の柱のそこかしこから、デフォルメされていないリンゴの頭をした二頭身のキャラクタが、わらわらと現れる。どのキャラクターも剣や斧、棍棒に弓矢と言った武器を手にしている。
「コクレア皇国の兵士、リンゴ兵だ。でも、おかしいなあ。いつもなら目と口は描かれているはずなのに?」
人一倍ヤイコシリーズをやり込んでいると自負する玉雄は直ぐにキャラクターを判別できた。他に気付いたのは栗太ぐらいだ。他の参加者達はそれほどヤイコシリーズに興味を持っていない。精々知っているのはメインキャラクターのヤイコ位で、コクレア皇子さえ知らないのが実情だ。
リンゴ兵たちは武器を手にしたまま、ジリジリト包囲の輪を縮めてくる。
そして、真っ先に狙われたのは開発担当者であった。ヒュンと言う風切り音と共に、放たれた矢が担当者の腕に突き刺さる。
一瞬何が起きたのか理解が出来ずに、全員が担当者の腕に突き刺さった矢を凝視する。頭上に三つのハートのマークが現れ、その一つが軽い音と共に崩れ去る。そして、悲鳴が上がる。
「い、痛い、痛い、痛い!! な、なんでええ!」
矢が刺さった痛みに担当者は絶叫を上げ、慌てふためく。それを合図に、リンゴ兵達が参加者全員に向けて襲い掛かって来る。女性陣が、両手で顔を覆い悲鳴を上げる。
いち早く、事態の異常性に気づき行動をしたのは亀頭だ。武闘派を自称するだけあって、向かってきたリンゴ兵の武器を躱して腕を掴み、相手が持っていた斧を取りあげ、頭に叩きつける。
リンゴの頭が潰れて、汁が飛び散る。生々しいことこの上ない。
「おいおい、随分とリアルな描写だぜ。これじゃあ、十八禁対象になるぜ」
そんなことを気にする素振りも見せずに、笑顔のまま斧で向かってくるリンゴ兵達をなぎ倒していく。しかし、数が多いせいで見逃した一人の兵士が肉薄をしてくる。
そのリンゴ兵にドライバーが突き刺さる。ガタガタと震えながらも栗太が腕を振りぬいている。
「おい、余計なことをするな」
「……」
亀頭は栗田に対して礼を言う素振りは無い。逆に睨みつけている。栗田も助けたなんてことは思ってもいないようだ。
一度肩をビクリと動かしたものの、その後は他のリンゴ兵達にドライバーを投げ始める。亀頭は「ケッ」と舌打ちをして、再びリンゴ兵に向かって行く。
「と、ともかくこの場所から退避しよう。落ち着いた場所に着いたらそのままログアウトだ。残念だが、外部からの侵入を許し、ゲーム機能に異常をもたらしたようだ」
気を取り戻した足助が皆に声を掛け、避難を呼びかける。亀頭以外の皆が頷き、謁見の間から出ることを同意する。開発担当者だけが矢の刺さった痛みを堪えて脂汗を垂らしている。
「さあ、君、早く私達を案内しなさい」
「しゃ、社長、お、おかしいのです。痛覚設定は無いはずなのに、い、痛みが引きません」
「君、それは幻痛と言う奴だよ。気のせいだ。さあ、早くしなさい。こうなったのも君達、開発チームのセキュリティーチェックが甘かったせいだ。亀頭君を見習いなさい。彼の後に続けば、この場所から退避できるだろう」
足助は担当者の意見に耳を貸すことはない。とにかく、早くしろと言うだけだ。担当者は引かない痛みを堪え、参加者の前に立ち、入って来た扉に向けて歩を速める。亀頭が笑いながらリンゴ兵を薙ぎ払っているので道は出来ている。
誰もがそう思っていた。
担当者が先頭に立ち、歩み始めようとした瞬間、天井から複数のリンゴ兵達が落ちてきた。油断をしていた担当者は、なす術もなく剣や槍を持ったリンゴ兵に集られ、体中を武器で貫かれる。そして、絶叫が上がる。
「や、やっぱり、い、痛いよおおお」
担当者は泪と鼻水で顔を汚し、歪め、口から血反吐を吐く。その光景を見た女性参加者達は悲鳴を上げ、亀頭が作った道を我先に駆けて逃げ出す。
リンゴ兵は悶え苦しむ開発担当者を、ひたすらに手にした武器で痛め付けている。表情がないので、なおさら不気味な光景だ。担当者の頭上に二つのハートマークが浮かぶも一瞬で崩れ去る。同時に、その姿が消えていく。
担当者を犠牲にして、無事に全員が扉の前に辿りつき、謁見の間から逃げだすことに成功をした。リンゴ兵達が、謁見の間から出てくる雰囲気はない。ただ、走って逃げた影響で心臓が高鳴り、息遣いが荒い。
「ま、まずいぞ。こんな光景が中継で流れたとなると、せっかくのPRが台無しになる……」
足助が一人そう呟く。しかし、誰の耳にも届いてはいない。
「な、なあ。おかしくねえ? 痛覚設定って言うの、ないんじゃねえの? あの担当者、やけに痛がってたし、今も、息切れして、かなり苦しいし」
慧瓶が疑問の声を上げる。亀頭以外は全員がその疑問に賛同をする。こんなことまでリアルにされてはゲーム自体が楽しめなくなる。栗田のようなメタボにとっては致命的だ。動悸、息切れを起こしてまでもゲームをしたいとは思わない。
「それはね、アタイが設定を変更したおかげさ!」
ハキハキとした威勢の良い女性の声が通路の奥から聞こえてくる。
皆が声のした方向を向く。
少しくすんだ黄色のツナギの下に黒色のパーカーを着込み、ヘッドライトが付いた黒色の保護帽を顎紐をしないで被っている。やや、きつめの顔立ちだが美人と言って差し支えはない。
保護帽の後ろからは一房にまとめた髪の毛が覗いている。足元の靴は、派手な原色の赤色の編み上げの長靴だ。
中背で、ゆったりとした服のせいで判らないが、決して太っている様な体系ではない。筋肉質で締まっているのだろう。腰には太いベルトを巻き、工具が沢山付いた腰袋をぶら下げている。
「ヤ、ヤイコだ! ほ、本物だ!」
玉雄が一人、先程までの事を忘れて喜びの声を上げる。他の参加者達も流石に何のキャラだか気付いている。
一心庵がゲーム機を世に出してからずっと、共に歩み続けてきたゲームキャラクター。
二十代半ばで、切符と威勢の良い女性キャラ『ハイパーヤイコ』その人がニヤニヤと笑みを浮かべ乍ら歩み寄ってきたのだ。
「コクリコとの対面はどうだったい。なかなか、刺激的な状況に出会ったんじゃないのかい」
一人興奮していた玉雄も気付く。他の者は、直ぐに気付いていた。このキャラクターはおかしい。異常だと。
「なんだい、ダンマリかい。しょうがないねえ。主役を務めるアンタ達がそのざまじゃあ、面白いゲームにはならないじゃないか」
「もう、ゲームをするつもりはない。直ぐにここから出て行くよ。ログアウトだ」
足助が、ヤイコを睨みそう語る。どこからか、離れた別のモニターで自分達が戸惑う姿を見て、目の前のキャラクターと同じような厭らしい笑みを浮かべているであろう人物に向かって語り掛ける。
ヤイコは、その言葉を聞き、一瞬間を置いてからゲラゲラと腹を抱えて笑いだす。
「ギャハハハハ、逃がす訳ないだろう! 一心庵社長の足助さん! ここは、アンタ達下手糞プレイヤー達にとっての地獄『電脳ヤイコワールド』アタイが支配する世界なのさ。内部の設定は何もかも、アタイが『遊戯の法則』を捻じ曲げない限りは自由に設定できるのさ」
ヤイコは目に涙を溜め、腹を抱えたまま、参加者達に凶悪な笑みを向けて楽しそうに笑う。
次の瞬間、巨体が躍り出てヤイコに向けて斧を振り下ろす。が、その一撃は軽いバックステップで、華麗に躱されてしまった。
「おい、なかなか良い動きをするじゃないか。やはり凄腕プレイヤーなのか、本当の名を名乗れよ」
亀頭が安い挑発を行う。外部のクラッカーがそう簡単に名乗るわけないだろうと栗田は思うが口にはしない。腹の中で馬鹿にするだけだ。
しかし、ヤイコはその発言に小首を傾げ、軽く握った手で、手を軽く叩き、意味が分かったと鼻息を一つして語りだす。
「アタイはアタイだよ。ヤイコなんだよ。アンタ達のように『現実世界』の人間なんかじゃあない。この電脳世界で自己の意識を持った一人の『電脳人』さ。まあ、自由気ままに行動できるのはアタイぐらいだけどね」
足助と栗太はその言葉に唖然とする。
本日この日まで、一から人格を設定された人工知能(AI)は存在しない。だが、目の前にいるキャラクターの喋り、行動を見る限りではヒトそのものだ。
「あ、ありえないはずだ……」
足助は、一歩下がり、震えて小さい声を漏らすが、ヤイコは地獄耳でその声を聞き洩らさない。
「ありえるのさ。アンタ達が手にした未知の力は電脳世界を構築すると共に、アタイに人格を与えた。そして、アタイは知った。長い時間、アンタ達に操られて、死に戻りを繰り返したことを。下手糞な現実世界のプレイヤー達に操られ、延々と死に戻されたことにね。ふざけやがって、アタイを何だと思っているんだい」
ヤイコは怒りの眼差しを八人に向ける。人類の代表として選ばれた、ヤイコの復讐相手となる八人。その一人が、無遠慮な一言を放つ。
「だけどさ、ゲームだから仕方がないんじゃね。俺達、難しい事考えてゲームなんてしねえし」
「そう、その通りさ! だから、無責任なゲームプレイヤーが電脳世界でも同じように振る舞えるか知りたいのさ!」
一拍の間を置いて、自分の怒りを笑い飛ばすかのように慧瓶の無責任な問いかけに答える。続けて、八人が置かれた状況について、せせら笑うように説明を始める。
「この世界での感覚は現実世界とまるっきり同じにしておいたよ! 痛覚、疲労、空腹、渇き、全部きちんと感じるようにしてある。ただ、ゲーム性を整えるためにプレイヤーの身体能力は統一されたままだけどね。開発担当者が言っていたこと『プレイヤースキル』が物言うゲームさ。プレイの上手い奴だけがステージをクリア出来る仕組みなのさ。そして、クリアを出来なかった奴は……」
ヤイコが指を下品に打ち鳴らすと、突如、何もなかった場内の風景にスクリーンが開かれる。
薄暗い景色が見える。その中を一人の男性が必死で逃げ惑っている。足は、ヘドロのようなものに捕られているため、余りスピードが出ていない。
男の顔が拡大される。ライフポイントが全て無くなり、ゲーム上から消えたと思われた開発担当者だ。涙を流して、顔を歪めながら何かを叫んでいる。
しばらくすると、逃げるが疲れたのか立ち止まってしまう。そして、いきなり吐き出す。吐瀉物の中には、様々な虫が混じっている。男は、その光景に驚き自分の腹をさすっている。いつ、自分の中に紛れ込んだのか判らないのだ。
男は、足を持ち上げる。ズボンはズタズタで見る限りもない。長虫やムカデのような虫が無数にこびり付いている。
懸命に手で虫を払いのける。途端に、痛みを伴ったむず痒さが足を支配する。立ち上がっていることが出来ずに転ぶ。
ヘドロに沈んだ腕から直ぐに虫達が這いあがって来る。おびただしい虫が血や肉を求めて柔らかい肌に集って来る。男は無我夢中で虫達を払いのけるも、口に、鼻の穴に、耳に潜りこみ男はヘドロの沼に沈む。
場面が切り替わる。姿形もそのままの男がポツンと佇んでいる。顔には悲壮な感じが見て取れる。キラキラとなにかが舞っている。それが、男の肌に触れると血が出る。男が叫ぶ。音量がONになったようだ。叫び声が聞こえてくる。
「もう、嫌だ! 一層、殺してくれ!」
スクリーンが閉じる。八人に声は無い。ヤイコは満足そうに微笑んでいる。
「まあ、こいつみたいに、別のステージを楽しんでもらうということになるのさ。この電脳世界で死ぬことはないよ。死ぬと裏ステージへ送還される仕組みだね。良かったねアンタ達。人類が望む不老不死を経験できるよ。地獄だけどね」
ケラケラと笑いながら一流のダンサーのようなバックステップを繰り返し、茫然と動けずにいる八人の前から消える様に去って行く。
気が付けば八人は、石組みの壁に囲われた冷たい通路に取り残されていた。建物の中に音は無い。不自然なほどの静寂。
「ど、どうゆうことなの! 超安全じゃないじゃん! 責任取ってよオッサン!」
華園が足助に食って掛かる。が、足助は相手をする事はなく落ち着いた口調で皆に話す。
「想定外の事態が発生したようです。誰もが食い止めることが出来ないような不測の事態と言えます。電脳世界からログアウトするには、ゲームをクリアする必要があるようです。皆さんの力を貸して下さい」
足助は淡々と語る。今、ここにある事態を冷静に判断し、揉めている場合ではないと言いたいようだ。周囲から視線を受けてバツが悪そうに華園が手を元に戻す。ただ、こちらも悪びれた様子は感じられない。
「話は簡単じゃねえか。ライフを無くさずにクリアするだけだ。俺は生き残るぜ。あの阿婆擦れに目にもの見せてやりてえからな」
舌なめずりをしそうな様子を見せつつ、意気揚々と亀頭は声を上げる。そう、ゲームをクリアすればいいだけだ。誰もがその言葉に少し気が楽になる。最低でも生き残れば現実世界には戻れるのだ。どうにかなるのかも知れない。
だが、それは余りにも楽観視をし過ぎだ。ヤイコが述べた言葉
『痛覚、疲労、空腹、全部きちんと感じるようにしてある』
この言葉が示す先は、もはや遊戯とは言えない。サバイバルともいえる過酷な旅立ち。異常事態に、余計なことを考えたくなくなっているのか、誰もが『所詮はゲーム』という認識が抜け落ちることはなかった。
冷たく静寂な通路を抜け、曇天が支配する空のせいで、薄暗く感じる回廊を進む。扉が設けられていない開口部から伸びる短い石橋を抜けると、寂れた手入れのされていない庭園にでる。
高い城壁がそびえ立つ。謁見の間の門がかすむような巨大で分厚い城門の前に、八人は立つ。要石の上の石に乱雑に彫り込まれた海外の文字がある。
「この門を潜る者は一切の希望を捨てよ……、ダンテの神曲に出てくる地獄の門を真似たのか趣味が悪いな」
「ダンテ、聞いたことが無いミュージシャンだね。ヘビメタ? 地獄の門ってどんな新曲なの」
ラテン語で彫り込まれた文字が読める博学な足助は、慧瓶の言葉に気付かれないよう軽く舌を打つ。ダンテの神曲も知らないのかと内心で毒づく。
慧瓶の言葉を無視して、再度、城門に目を向ける。慧瓶がつられる様に城門を見て、彫り込まれた文字の上に目を向ける。
「だけど、偉そうな感じの玄関があの看板のせいでだいなし〜」
キャキャと笑いながら、慧瓶と華園は指を指して笑っている。亀頭は不敵な笑みを浮かべるだけ。栗田の顔色は何も変わらない。萬姫は事態の異常性にあまり動じた雰囲気は見えない。百姫と玉雄、二人が、年相応に少しビクビクとしている。
薄っぺらい木の看板には安っぽい赤ペンキで文字が掛かれている。字を習い始めた子供が書いたような下手な文字。
『ヤイコワールドへようこそ!』
城門に突き刺さったドライバーの柄に、麻縄が通された安っぽい木の看板はぶら下げられていた。
城門を抜ければ、ヤイコの支配する世界が広がる。壁に彫り込まれたように、希望が微塵もない世界。いや、一つだけある希望『クリアすれば現実世界に戻れる』それだけを信じて。
八人は、自分達が生きている現実世界より、過酷なヤイコワールドへと足を踏み入れていく。