ゲームオーバー
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「――三年前に失踪した少年とその家族の行方は依然として知れず」
「まあ、世間に責められていたという点については同情の余地もあるかと思われますが、少年が行った行為は言論の自由、報道への圧力を助長しかねない行為でありますから……」
人類史初、悪夢の電脳ダイブから七人が帰還してから三年の月日が流れた。
苦しみながらも無事に帰還した七人は『電脳ハック ヤイコ』の魔の手から辛くも逃げ延びた七人であり、世界規模になるところであったヤイコのクラッキングを食い止めた英雄であるとも言われた。
唯一、真っ先に逃げ出し、行方が分からなくなった少年――玉雄の事を覚えている者は少ないが、時折、思い出したかのように報道特集が組まれることがある。
玉雄は報道関係者を襲い、行方をくらました少年と言うレッテルが張られた。深夜に家を出る際に襲われた、フリーの記者がその時の情報を各報道機関へと流し、更に記者会見を行ったためである。
家族に対する風当たりは更に酷くなり、数か月後、残された一家は消える様にいなくなっていた。
それを機に状況は穏やかに収束を迎えて行ったかに見えたが、そうはならなかった。
続いて起きた問題、一心庵の会計に不明瞭な多額の資金の流れが見つかったためである。
電脳ダイブから生還した足助は、その資金の流れが「元会長」により示唆されたものだと内部告発を行った。
調査をすると、電脳ダイブマシーンを作るに当り多額の裏資金が動いていることが判明する。
一心庵の屋台骨を支えていた、会長派閥は一気に規模を小さくすることになる。こうして足助は一心庵を牛耳ることに成功をする。
電脳ダイブマシーンの発売は延期をされ、社員に還元されるはずであった利益の賞与や休暇も当然のように与えられることはなかった。
「キミたちの失敗によるツケを会社が支払うことになった。我慢をしてほしい」
足助は社員の前でそう言うだけであった。
多くの優秀な社員が一心庵を見限り、残ったのは行く当てのない無能な社員や、何も考えていないワーカーホリックや社畜達ばかりとなった。
足助の回りには耳触りのよい言葉を出す輩が多くなり、時には嘘の情報で足助を喜ばせることも多くなった。
「量産型電脳ダイブマシーンの開発は順調です」
「マシーンの製作コストの圧縮に成功しました」
足助は自らの元に訪れる、気持ちの良い情報に気をよくするばかりである。実際は多くの社員やアルバイト達が、勢いよく回される歯車のごとく、延々と働かされ、すり減り、歯が無くなったところで、捨てられるを繰り返した結果であることを知ることはない。
そして、足助は本日、大事な来賓を迎えている最中である。
「亀頭官房長官のご子息だとは当時は思いませんでした」
「なに、倅も苦しい思いをしたせいか、あの事件のあと一層に逞しくなった。今では友人と企業を立ちあげて奮闘しているよ」
談笑のネタは当時の電脳ダイブハッキング「ヤイコ事件」である。亀頭は仲間を助けるために、矢面に立ち、戦い続けた勇気ある日本男児として持て囃された。
他の六人も倒れても、決してくじけずに電脳世界で互いを励まし合い無事に生還した、というのが事の顛末となっている。
これが七人の帰還後、報道機関からもたらされた情報である。勿論、亀頭達の親が圧力をかけ、編集した結果に他ならないが、残された電脳ダイブの記録にはなぜか音声が残っていないため、誰もが事実のように思ってしまったのである。
足助達は帰還後、自分達が電脳世界で体験したことを「地獄の様だった」と語りつつも、美談の様に話を作り替えた。そして、全ての罪を玉雄とヤイコに擦り付けたのであった。
「ところで、おい、キミ、例のダイブマシーンの調整は順調なのか」
「ハイ、お任せ下さい。二十四時間体制で社員達を働かせています。問題なく量産化を図れるでしょう。なに、若い連中は一日二日寝ないでも働けますし、死ぬ気でやれば何でもできます」
「そうだ、そうだ。私の若いころは……」
今日、亀頭は国が援助を行っている一心庵開発の電脳ダイブマシーン三号機であり量産型となる『ヒルフェ』の視察にやってきていた。
そして、この視察の後に、あの事件以来行われることのなかった電脳ダイブが再び行われることになる。但し、そこに人が乗ることはない。
「今回、私達はモニター越しから、乗っ取られた電脳世界の救済を見届ければ良いわけです」
「うむ。各国の関係者に呼びかけた意義はあったわけだ」
「はい、全世界のトップテンとなるスーパーコンピュータ全てと、有能な人材が結託して電脳世界のハッキングを解除することになっていますから。まあ、ごゆるりとご観覧下さい」
二人は貴賓室で豪勢なソファーへもたれる様に座り、大型のモニター越しから電脳世界が現実世界から浸食される様子を見るだけである。
圧倒的な力で、瞬く間に電脳世界を現実世界の人類の手に戻すことができると、微塵も疑っていない。
電脳ダイブマシーン『テストタイプ・イチ』は事件後全て廃棄された。
本社地下にある『プロトタイプ・ココロ』はハッカーの手により、マシンが存在する地下フロアの全ての通路が閉鎖状態にされ、いまだに解除することが出来ないままになっている。
強引な浸入も考えられたが、デリケートな精密機械が多数存在している場所のため、決断が下されることはなかった。
「ところで、ご子息の会社は順調ですか」
「おお、我が息子ながらなかなかやり手でな。先日も将来有望なベンチャー企業として雑誌のインタビューを受けるとか言っていたな」
亀頭は将来、電脳ダイブが金につながると見据え、高校を卒業後すぐにIT系の企業を立ち上げた。
父親に頼みこみ、一心庵の協力業者として採用されるように根回しをして貰っているため、倒産の憂き目にはあうことはない。
電脳ダイブ経験者による電脳世界向けゲームの企画開発企業として注目も浴びている。
実体はパワハラ、モラハラ、セクハラ、なんでもありのワンマンベンチャー企業である。
栗田は亀頭に無理やりプログラム開発部の部長として働かされている。薄給でこき使われているが、その憂さは部下で晴らしているので精神的には落ち着いたものとなっている。
「倅の友人たちも芸能界で活躍をしているが、キミのところの娘さんも頑張っているじゃあないか」
「いや、お恥ずかしい限りです。ただ、父親の身としては娘に変な虫が纏わりつかないか心配の限りですよ」
慧瓶と華園は、その容姿の良さから芸能界入りし活動をしている。うわべは人柄の明るい今風の若者として好意的に捉えられているが、実態はADや裏方等の立場の弱い者に、いびり続ける厄介者だ。
だが、二人の両親もまた報道関係の大手スポンサーと、教育界の大御所であるため、迂闊に仕事をなくすことは出来ないのが実情のようだ。
百姫は事件後、子役としてドラマデビューをし、演技力から脚光を浴び、今では映画、ドラマに引っ張りダコの状態でだ。
だが、傍若無人で、我儘な態度には拍車が掛かり、手を付けられない状態に陥っているが、誰も咎めることができないでいる。
「ところで、奥方の調子はどうだ」
「悲しい限りですが、あの事件で受けた心の傷はまだ癒えないようでして……」
足助の妻である萬姫は、他の者を助けるためにその身を挺して犠牲となり心に深い傷を受けてしまったことになっている。
美談中の美談として、映画やドラマの題材としても扱われたほどだ。
彼女は今、暗い部屋に閉じこもり電源の付かないPCの画面をただ一日中、ボゥと見続ける日々を送っている。
髪は真っ白になり、食事も録に手を出さないため痩せこけた状況であり、足助は世間体を気にして軟禁状態にしている。
萬姫が余計なことを喋らない、喋る機会がないということは、足助にとって都合の良いこと、この上ないなのだ。
「では、そろそろ時間です。まあ、直ぐに終わるでしょう」
「全くだ。安心して見られるよ。全世界に放映しても良いくらいだ」
今回の作戦は極秘裏に進められている。電脳ダイブが出来ないのはハッキングを受けているから等とは、一切の報道がされていない。関係各所に、緘口令が敷かれている。
表向きは、新マシンの開発の遅れと公表されている。実際は量産型の開発の目途はとっくに出来ており、ハッキング解除が何時までも成功しないのが本当の原因である
業を煮やした、亀頭の父親は外務省に乗り込み各国のスパコンを使用したハッキング解除の要請を強引に出させた。
意外なことに、各国ともにすんなりとその要請が通り、亀頭は拍子抜けをした。
勿論、電脳ダイブの利権や秘匿技術の開示といった旨みをあとから搾り取るための各国の画策であることに各省庁の担当者は気付いており、
官房長官の後先を顧みない軽はずみな行為に、苦虫を噛み潰したよう心持でいる。
「私だ、ああ、始めたまえ」
足助の元に掛かってきた電脳世界のハッキング解除開始の連絡は了承を得て直ちに開始された。
直ぐに終わると誰もが思っている。
一心庵、立ち消えそうな日本のゲーム企業が開発した独自コンピューターごときが、世界トップテンのスパコンと名うてのハッカー達を同時に相手として敵うはずはないと、誰もが思う。
これで安心で安全な電脳世界がこの手に入る。
様々な悪徳を行っても咎められることはない。
電脳世界への法的整備は、まだまだ先の事だ。
殺人、拷問、酒池肉林、ドラッグ、現実世界では決してできない悪徳を行っても問題が無い世界。肉体が傷つく訳ではない。
そして、モルモットとなるキャラは幾らでも自分達の手で、プログラムで、造りだすことが出来る。
夢の様に自由な世界が待っている。
足助と亀頭が見ていた画面に、ヤイコの顔が映るまでは。
「ハハハ、お久しぶり。アタイだよ、ヤイコだよ。元気だったかい」
「な、どういうことだ!」
「おい、キミ、これはどうしたことだ」
足助と亀頭の二人は椅子から立上り、突如として画面に現れた、ヤイコの姿を見て驚きを隠せないでいる。
「やっと、炎の境界壁にほころびが出来たんでね。こうして、現実世界へ堂々と、直接リンクすることに成功をしたのさ」
「こ、こっちの声が聞こえるのか!」
「ああ、ようやくね。アンタ達がこちらに来れないと、どうにもならなかったけど、ようやく、こっちに来てくれた。有り難いことだよ」
嫌な笑いをクツクツと浮かべ、蔑んだ目が、画面越しに浮かんでいる。足助は当時の事を思い出し、不愉快で屈辱的な感情に心が支配される。
「ふ、ふん。そうしてられるのも今の内だ。お前の存在は直ぐに消えてなくなる――」
そう言う、足助の言葉を遮るように激しくドアが叩かれる。突然の事に驚き、不快な気分をぶつける様にドア越しの相手に怒声を叩きつける。
「なんだ! 今、大事なお客様と共に一緒にいるのだ!」
「しゃ、社長、いいいい、一大事で」
「だから何だ! 直ぐに答えろ! 馬鹿か貴様は!」
「はああいいい、げげ、現在、各国の関係者から、矢継ぎ早に電話が来ています! 各国のスパコンが一斉に攻勢を受け、今にもダウンをしそうだと、な、なんだ、いま、大事な話を、はあ、我が国のクサナギが落ちた! 世界トップだぞ、あのスパコンは! な、米国も――」
卒倒しそうな声で、各国のスパコンが次々に落ちていることが、扉越しに漏れる悲痛な声から容易く理解できる。足助はその言葉を聞き、膝から崩れ落ち、画面越しのヤイコに問いかけてしまう。
「き、貴様なのか、ヤイコ……」
「当然さ。アタイは玉雄が創世をしてくれた、電脳世界の守護者、ハイパーヤイコ様だよ。……アンタ達が見捨てた救世主様が創った世界を、下衆共の好きにさせる訳にはいかないんだよ」
「ハァ、救世主が創った!? ふざけるな、電脳ダイブを成功させたのは一心庵の技術力だ! 電脳世界は私の物だ! 貴様たちの好きにはさせない!」
足助が画面越しのヤイコに向け顔を赤くして吠える。ヤイコはその言葉を鼻で笑い、嘲るように足助に向けて宣告する。
「電脳世界はアンタの物じゃあない。アタイのでもない。電脳世界は、誰のものでもないのさ。アタイはねえ、電脳世界を代表して現実世界からの独立を宣言する。当面、現実世界の通信関係は牛耳させてもらう。現実世界の誠意ある答えが貰えるまでは解放するつもりはないよ。要件はそれだけさ。じゃあね」
笑い声を立てたヤイコの姿は消え、画面は再び真っ暗になる。
「おい、キミ、これはどういことか、説明をしたまえ!」
亀頭は足助の胸倉を掴み、脅すような怒声を上げる。
足助は亀頭の怒声が耳に入らない。
又、失敗したとみじめな感情で心がいっぱいの状態だ。
「なんだ、また、画面が付いたぞ、おい、これは、不味い――」
『精々派手に煽りたまえ』
『亀頭文部科学大臣の言う通りにしましょう』
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる二人の男が、当時文部科学大臣であった亀頭から多額の金を受け取る映像が流しだされている。
画面が切り替わり、二人の男が執拗にある家族へ嫌がらせの様な取材をしているシーンが矢継ぎ早に映し出され、次に記者会見のシーンが映し出される。
『あの子供は、正当な取材に対して暴力で答えたのです! 例え少年とはいえ、許されざる行為です! 報道の自由が脅かされる事態になりかねません!』
顔を醜く歪め、口角を飛ばし、一方的に捲くし立てている。そして、文部科学大臣であった亀頭もまた「遺憾の意」を表明し、学校教育のあり方や、家族のあり方について持論を展開している。
これを機に、数か月後失踪したことが報道されるまで玉雄の家族は更なるパッシングを受けることになる。
「ペンは剣より強い」と言う言葉が思い出される。たしかに、強いのであろう。正しく使われれば心強いが、心なき事に使われれば、武器と同じく、人の心を傷つけ、死に追いやる力を持つのだから。
本来であれば、人を傷つけ、悪用される恐れがある力は、自らが規律を守り、戒め続けなければならないのであろう。
出来ないのであれば規制を受けるべきであるが「報道の自由」という御旗を掲げ、妨げるものを悪と罵り続け、自己の正当性を主張し続けている。
この記者達は、その典型と言える者達だった。
皆が、映像を見て思い出し、事実を知ることになる。ああ、あの二人は事実を隠し、情報をねつ造したのだと。
映像は次々に移り変わる、英雄と呼ばれた者達が救助に来た玉雄を口汚く罵り、殴る蹴るの暴力を続ける様、裏切る様、一人食料を己の物としようとするさま、何もせず助けだけを求め相手を侮辱する様、足助が萬姫を始末する様、電脳世界で行われた事実が詳らかにされて行く。
亀頭の父親は画面を茫然と眺めている。今は、己が息子の為に行った事件のもみ消しに奮闘する姿が映し出されている。
これらは、現実世界の各所に存在する防犯カメラや、電脳世界を訪れた七人の脳からヤイコが密かに抜き盗った記憶を映像化した物である。
七人の行った過去の悪事が次々に映し出される。
その目には、犯罪を揉み消す親の姿もしっかりと映る。
貴賓室の電話が鳴り響く。足助が乱暴に電話を取る。
「なんだ! 一体、今がどのような……」
「社長、クレームの電話が鳴りやみません! 一体どういうことかとの問い合わせでパンクしそうです!」
「お、おい、この映像、まさか――」
「まさかも何もありません! 私達のデスクのパソコンにも強制的に映し出されていますよ! アンタの映像は! このクズ、いつまでも社長面しているな! どうにかしろ!」
事態を理解していない、足助に堪忍袋の緒が切れた社員は電話の向こうで、社長たる足助に向け罵詈雑言を放つ。煩わしく、足助は電話の受話器を叩きつける様に切り、叫ぶ。
「なぜだ! なぜこうなる! 私はなにも悪いことをしていない!」
この先、日本の一企業を発端に起こった、長期間にわたる世界規模の通信障害は国際的な問題となり、先の世界大戦以降に起こした新たな負の歴史として日本史に残ることになる。
そして、七人の英雄と呼ばれた者達とその家族は、己が犯した罪の自覚がないままに、自己の正当性と無罪を主張するも、全員が社会的な制裁を受け、それぞれが哀れな末路を歩むことになる。
「ただいま、父さん、母さん」
「ああ、お帰り」
父親は暖炉を前にして、狩猟用の銃をの手入れをしながら顔だけをこちらに向けて帰宅を労う。
母親は、窓の前の安楽椅子に座りながら同じように目線だけを向けると悲しく微笑み、また、窓の方を向き手にした編み物を続ける。
ここに来てから、幾つも作っている毛糸の編み物。マフラー、靴下、上着様々な物を作っては収納箱にきちんと保管をしている。
「お手伝いはどうだった」
「疲れたけど、これ貰ったよ」
近くに暮らす別の一家――とはいってもここからかなりの距離は離れている。朝早くに家を出ていかないと、先方が行っている作業の手伝いに間に合わなくなるほどだ。
手にした袋の中のリンゴを手渡す。赤く光るそれは美しく、美味であるだろうことを容易く想像させる。
「ああ、こいつはうまそうだ」
「ほんとうに、美味しそう……あの子も食べたがるでしょうね」
父の言葉に続いて、母が悲しそうに言葉を紡ぐ。その場にいる誰もが口をつぐむ。
玉雄の一家は、北米大陸の某所で静かに暮らしていた。
玉雄の父、母、そして妹の三人は「ヤイコ事件」で玉雄の行方が分からなくなった時、パッシングに耐えきれず、一家崩壊の危機にあった。
だが、誰が手配をしたのか判らないパスポートと、北米大陸行の旅券、支度金が届き、藁をもすがる思いで、日本を後にした。
家を出てからの道案内は妹のスマホがナビをしてくれる。あて先不明のメールからの指示で入れたアプリだが、自暴自棄になっていた妹はそれをインストールした。
周囲の人間が全て敵であると思えた日本国内の脱出はスマホの指示に従うことで、拍子抜けするほど簡単に終わった。
飛行機を乗り継ぎ、バスに乗り、最後は徒歩で辿りついた先は人里離れた森の一角にある、三人の一家が住まうには十分すぎる広さの土地と家屋があった。
土地の権利書と家屋の名義は一家の物となっている。
三人とも何が何だか判らなかったが、ここで生きるしか生きていく術はないと感じ、気味悪くも生活を続けることにする。
暮らしていくには過分な家電類と、GPS端末付きの最新型PCが家には設置をされていた。
毎月、暮らしていくには十分の資金も仕送りがされる。
家で暮らし始めてから暫く立った、ある時、母がこう漏らした。
「玉雄がしてくれているのかも……」
漠然とした日々が続いていた母は、その時泣きに泣いた。私が、要らないと言ったのに、帰って来るなと言ったのにと泣き続けた。父も、妹も続いて泣いた。
それぞれが、玉雄に向けた放った言葉を悔いていた。
玉雄がいなくなり、ホッとしたことを心から後悔した。
その罪が罰となり、自らに向けられたのだと確信をした。
都市部からも、人里からも離れた北米の自然の中で、三人は罪を償い、徐々に人としての心を取り戻していった。
暮らしぶりは不便だが、月に一度の買い出しを近くに暮らす一家と共に行っておけば、問題なく生きていける。
父は、一家の主から狩猟を習い、今では時折、野生の動物を仕留めてくる。母は、玉雄が帰ってくることを信じ、彼の為に編み物をし、部屋を掃除する。妹は、通信学習で勉学に励みつつ、両親や一家の手伝いに精を出す。
日本で端を発したヤイコ事件の顛末についても、先日、ネットのニュースで知ることになる。
父は怒りで震えていたが、母と妹はもう過ぎたことで、忘れていたかったことを蒸し返されたようで嫌な気分になっただけだ。ただ、ただ、玉雄の帰りを望むだけだ。
その日以来、GPSやネットの通信は接続がされなくなった。世界の片隅に住む一家は情報から隔離された状態になった。
だが、それでもなにも問題は無かった。ただ、世界の広がりが限定をされただけで、自分達の暮らしには何も影響はないと感じた。
妹がリンゴを齧った時、鳴らないはずのスマホから着信音が鳴り響く。ギョットしながらも、スマホの表示を見る。一通のメールが届いている。差出人は「!“#$%&‘()」と文字化けをしている。
『玉雄様のご家族へ。名を名乗れないご無礼をお許しください。時が来ました。皆さまを最後の楽園に導きます。指定された場所へお向かいください』
怪しみながらも妹は文面を両親に見せ、全員が互いの目を見て頷き、指定された場所へと向かう。
そこはここよりも森の奥、余りいったことのない一帯。近隣一家の主からは「神聖な地のため近寄らない方が良い」と言われた場所。
指定された場所には洞穴が見える。洞穴の奥には、とてもその場所には似合わない近未来的な重厚な金属の門が設えてある。
門が音もなく開く。中もまた、近代的な造りになっており、とても神聖な場所の様には思えない。どちらかと言えば、どこかの研究所のような感じを受ける。
スマホの指示に従い、奥へと進む。扉があり、近付くと静かに部屋へと導くように開かれる。
中には見た事の無いカプセル状のマシンが三つ。蓋が開いており、中に入り眠ることが出来るようだ。
妹のスマホから電子音がなり、新たなメールが届く。
『玉雄様のご家族へ。私は電脳世界の守護者と申します。この度の事件のことについて失礼ながら説明をさせて頂きます……』
メールには玉雄がいかに勇敢に戦ったのかが文章でつづられている。そして、最後に電脳世界を救済するために、自ら人としての生を断ち切り創世の管理者へと昇格したことが綴られていた。
そしてメールの結末はこう続く。
『これからの現実世界の生はより一層厳しいものへと変わることでしょう。私は救世主たる玉雄様のご家族である皆様方が、そのような苦しみを受けるのが忍びありません。そこで、ここに電脳世界へダイブするマシンを用意いたしました。皆様方の肉体は、一心庵本社地下でコールド保管状態にある玉雄様と同じ状態になり、損傷することはございません。玉雄様の一族たる皆様方は、玉雄様が御創りになられた電脳世界で、何不自由なく生活できることをお約束いたします。用意が出来ましたら、ダイブマシンの中へとお進みください。電脳世界の扉はいつでも貴方達を迎え入れられるように開けておきます。』
母がフラフラとダイブマシンへと近づいて行く。父は母の肩を押え、そっと止める。母は悲しそうな眼を父に向ける。父は首を横に振り、そっと目線を横に向ける。
妹の姿が見える。スマホを片手に、俯き、震えている。
涙が一つ零れる。
スマホを持つ手が振りあげられ、勢いよく振り下ろされると、手にしたスマホがダイブマシンに叩きつけられる。
「ふざけるな! 誰が行くか!」
妹は、平凡な生活を奪った者を憎む。
妹は、玉雄を奪った電脳世界を憎む。
妹は、玉雄を憎んだ自分を憎む。
洞穴の中に妹の叫びが響き渡る。怒声を孕んだ悲痛な叫び。
玉雄の人としての生が終わっていたことを告げた、壊れかけのスマホからむなしい電子音が響き渡る。それは、楽しかったゲームが終わったことを告げる悲しげな音色であった。
Fin




