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世紀のピアニスト

作者: 野上 春風

 

もう何度目になるかはわからないが、僕はコンサートホールの控え室で今日も一人震えていた。

  世間では天才ピアニスト。モーツァルトの再来。100年に1人の神童等と様々な異名で持て囃されている僕だが、その実は人一倍繊細で、ナイーブな性格なのだ。

  演奏をする時は勿論、入賞の際や、ビックコンペ等で少し人前に出るだけでもある事への恐怖心が僕を襲う。

  その恐怖を恐れる余り、顔が強張って眼つきは悪くなり、上手く喋れなくて吃るのが怖いから必要以上に無口になるのだ。

  なのに世間にはその僕の姿が音楽と自分へのストイックさの現れ、最高にクールだと映るらしい。

  コンコンっと軽やかに誰かが扉を叩いた。

「はい、どなたですか?」

「ミスター、後10分で開演となります。ご準備の方が宜しければ、そろそろお願いいたします」

  扉の向こうから聴こえる、よく通る声。いつもこのコンサートホールを使う時に僕を迎えに来てくれる彼だ。

「わかりました、ありがとう」

 短く返事をした。彼とはデビュー以来幾度もこのように扉越しでの会話をしている。他のホールの人間と違って彼は必要以上に僕に介入してこない。ただ扉の向こうから出番が来たと呼びかけるだけだ。初めの頃こそ、何度も何度も扉の前で入場を催促をしてくる姿に、シューベルト作曲『魔王』に出てくる魔王みたいな奴だと思ったが、今では幼き頃から一緒の友のような気すら覚える。

  声から察するに恐らくは僕と同い歳くらいだと想像している、想像しているとは何故かと言えば僕は彼の姿を見た事がない。

  一度だけ、館内のスタッフに彼の事を問い合わせてみた事があったが結局彼とは会えなかった。

  燕尾服の上着に袖を通し、鏡台の前に立つ。鏡の中には青白い顔をした男が一人、唇を引きつらせ必死で笑おうとしている。

  「よし・・・・・・いくか」

  パシンと両頬を軽く叩き、僕は控え室を後にした。


  コンサートホールに入り中央まで歩いていく。照明が煌々とさす舞台上とは裏腹に、薄暗い観客席はまるで月灯りすらない夜の闇を思わせる。それだけでも不安に駆られるというのに、その闇の中で100を越える眼だけが浮かびあがりギラギラと僕を試すように観察しているのだ。

  深々と礼をして、ピアノの席に着く。楽譜を広げ、ヒヤリとする鍵盤に両手を置いた。自分自身の背中が段々と冷たくなっていく感覚がわかる。僕はこの瞬間がとにかく嫌いだ。大嫌いだ。

  だから早く、終わらせる為にわざと大きく腕や身体を動かして演奏を始める。弾き方や形振り等構わない、ただ音が鳴ればいい。何時もの事だ、弾き始めさえすれば後はもう何も覚えていないのだから。



  どれくらい経っただろうか?舞台上には汗だくの僕。周りでは割れんばかりの拍手と喝采の嵐が巻き起こっている。その音を聴いてそうか、やっと悪夢が終わったんだとわかった。

  それからの事は余り覚えていない。ただ逃げるようにそそくさと退場して、自分の控え室に戻り扉の鍵を閉めた。

  床に座り込んで震える自分の身体を抱き締める。良くやった自分、よく出来た自分。

  やっと今日も恐怖から解放されたのだ。

  「あぁ、良かった……本当はピアノなんか弾けなくて、いつもただ適当に鍵盤を叩いてるのがバレなくて」


 僕は一人、呟いたのだった。






 


 

 





 


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