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フライングハイ

作者: サトマル

「フライングハエ」

         サトマル


「やれ打つな 蠅は手をする脚をする」

小林一茶の句である。

昔の人は、蠅の手足を擦り合わせる姿を、人が縄を編む姿と重ね、縄を編む虫、即ち『蠅』と記したのだった。


 眠い眠い、あ~メッサ眠い。

昼食後、一発目の授業。ポカポカの陽気の五月晴れ。俺の席は窓際の後ろから二番目。昼寝するにはベストポジジョンだ。古典のまっちゃん(22才♀)が『枕草子』を朗読し始めてから、俺を襲っていた睡魔はピークに達していた。眠りの神ヒュプノスが、一教師に憑依し、ラリホーマ級の子守唄を歌ってくれているというのに、それなのに眠れない。眠いのに眠れない。何故なら……

ブ~ン、ブブ~ン、ブン、すりすり、すりすり、ブ~ン

 一匹のハエが俺の周りを集中的に飛び回り、まどろむ視線の先でせわしなく手足を擦り合せ、聖なる惰眠の邪魔をしているのだ!

その原因は、弁当に無造作に入れられていた鯖の味噌煮缶の汁が染み出し、古典の教科書に付着したからに間違いないだろう。何故ならそのハエは、机の左方向、薄茶色に染まった印刷物の角に、ピタリと止まっているからだ。

ちなみに鯖の味噌煮は俺の大好物で、弁当には生姜の千切りも添えてあった。

母ちゃんありがとう。でも今日だけは、貴女の息子への愛情がアダとなりました。

あと、鞄をグルグル振り回しながら登校したのも原因の一つだろう。鞄を回す遠心力で、脚の回転数が増し、いつもより1.5倍早く歩けたけど、まさか弁当箱から鯖の味噌煮缶の汁が染み出すとは誤算だった。

しかも、今だに肩が痛いし、腕もダルい。

夕べ半徹で攻略したパソゲーのミクたんが「お兄ちゃん、やっちゃたね(ハート)」と、脳内で突っ込みを入れる。てへぺろ。

オイオイ何だ?周りを見渡したら、俺様を差し置いて、居眠りしている奴らがいるぞ。教科書を立てて寝てる奴、考えてる風で頭を抱えて寝てる奴、白目むいてヨダレ垂らしてる奴まで。まっちゃん先生、貴女にはあいつらの姿が見えてないのですか?だったら俺も眠らせてくれ!

ブ~ン、ブブ~ン、ブン

 そうだ、このハエだ。

 まあ、普通の男子だったら、今の状況(教科書が味噌鯖臭い・寝不足・右腕筋肉痛)全を目前のハエの罪とし、直ちにハエの処刑を実行するのであろう。たいがい丸めたノートを使ってね。

え?冤罪だって?なになに、ハエだよ、イエバエ、害虫。八つ当たりしてもいいじゃん。

ああ、好感度上げようとしてテッシュでそっと捕まえ、屋外に逃がそうとする奴いるね。

あと「何このハエ、キモいんでけど~」と、半笑いで追い払おうとする奴とか。

 だけど、俺は違う。どこにでもいるような都立高校生2年B組、木場太郎17才。身長178cm、体重54kg血液型A。普段は「ちょっと栗原類に似てんじゃね」と言われている俺だけど、誰にも知られていない、もう一つの顔を持っているのだ。

それは、人類の敵『宇宙昆虫人間スペースインセクター』を狩る、孤高の賞金稼ぎ『バグハンター・牙』としての顔だ。

 ちなみに『宇宙昆虫人間スペースインセクター』とは宇宙から突然に現れた異星人だ。

人類の、特に中高生男子の『精気エナジー』を吸い取ることを目的として出現する。

その姿は、昆虫コスプレをした超美少女戦士。

もちろん制服バージョンもある。

そして彼女達の一番恐ろしい攻撃は、異星間恋愛トラップだ。

例えば、廊下でわざと転び、生徒手帳を落とす。それを拾い上げ、なにげに中を見ると何故か貴方の写真が。

「もう、勝手に見ないでよ」

真っ赤な顔で彼女が照れる

とか。

一人、真夏のグランドを走り、木陰の水飲み場で給水していると、そっとハンカチを手渡され。

「はい、応援してるよ」

白いハンカチには、貴方の名前とLOVEのピンクの刺繍が。

とか。

放課後、忘れ物を取りに教室の戻ると、一人で窓の外の夕焼けを見てる女の子。

「おい」と、声をかける貴方。

 彼女はゆっくり振り向いて、

「やっと見つけてくれた」と、微笑みながら、大粒の涙をポロリ。

普通の中高生男子なら一発で恋に堕ちてしまい、あっさりと捕食されてしまう、恐ろしい手口である。

気を付けて皆!エナジー吸われちゃうよ!

だけど、俺は大丈夫。

基本、彼女達とは2秒以上目を合わないからね。

このように、人類を脅かす超美少女昆虫コスプレーヤー達と俺は『昆虫採集銃パラライザー』を武器にして、日々戦っているのだ。

そんな牙な俺は、ただのハエを見ても、それをただのハエだとは思わない。超美少女昆虫コスプレーヤー達がこの牙に差し向けた『昆虫型監視機械キラーウィン』ではないかと疑ってしまうのだ。

今朝、牙が登校中に編み出した『右腕回転式超加速歩行ラ・ブッシュ』を偵察に来たのではないかと。

今までよりも1.5倍の速さで移動できる牙。彼女達にとってそれは、驚異以外何物でもないのだから……

 だから、確かめなければ。

 既に眠気は去った。

 クラスの豚どもめ、惰眠を貪れ。

 俺以外、みんな朽ち果てろ。

 俺は今、教科書の角に止まり、手足を擦り合わせているハエだけを凝視する。

 そして考える。

普通のハエなら屋外のゴミ捨て場等から発生し、成虫になると好んで屋内に侵入する。

奴らは人間と同じ食べ物を嗜好し、短い触覚で匂いを感知、足の裏で味を確かめ、唾液で食物を溶かし、舐めるように捕食。

その複眼は物の動きや距離を知るが、近眼で尚且つ乱視、数メートル先は見えないとされている。

しかし、前翅は発達し、ほぼ停止状態を維持できるホバリングの名手。

後ろ翅は「平均こん」と名を変え、進化。その機能は空気の振動を察知し、ジャイロスコープの様に体の角度や加速度を検出する計器の役割を果たす。

この二対の翅によりハエは、自由自在に飛び回れるのだ。

だが、その体表や体内で菌を増殖させるので、人間に感染症を媒介する害虫とされている。

 今、目の前のハエは、その、ただのハエなのか?

 それとも『昆虫型監視機械キラーウィン』なのか?

 鯖の味噌煮の汁を舐めたのはどっちだ?

左手の頬杖を顎にずらした途端、止まっていたハエは飛び上がり、頭の上で八の字を二回程描き、もとの場所に再び止まり、手足をせわしなく擦り合わせ始めた。

膝に置いている右手を軽く握り、掌に空間を作る。

今、この宇宙に存在するのは、ハエと牙のみ。

鼻から深く息を吸い込み、呼吸を整える。

目を半眼にして、ハエに集中する。

ゆっくりと、唾を飲み込む。

複眼が青黒く煌く。

節くれだった顎を伸縮させるのが見える。

教室に響くまっちゃんの声が、徐々に小さく遠くり……

ハエは手足の動きを止め、前翅を休めた。

今だ!『秘技、流星捕り!』

ばああん!

 わひゃ、めちゃスゲ音した。流星大爆発。まっちゃん以下クラス全員が俺を見てるよ。

「どうしたの木場くん?何か壊れた?」

「え、いや、あの……」

俺は左手で頬杖をつき、右手で教科書の端を押さえた姿で固まっている。

「どうしたの?あたしの授業は退屈?眠いとか?」

 ビクリとしてヨダレを拭く、斜向かいの和田くいん。

まっちゃんの訝しそうな顔。

「いや、あああ……」

 俺は必死に頭を回転させる。

「何?」

「ペ、ページを、勢い良く捲りすぎました」

「はぁ?」

 クスクスと笑い声が聞こえる。自分の耳が赤く熱くなるのを感じる。

「……本当に?」

「……はい」

「はぁ」

まっちゃんは深いため息を一つ吐き出すと、俺に背中を向けた。

「それじゃ、次の節から、兵藤さん訳してみてください」

 まっちゃんは廊下側最前列の眼鏡女子に声をかける。

「え?はひぃ」

兵藤さんも居眠りしていたらしく、隣の増淵さんに訳す場所を聞いている。

授業が再開。俺は胸を撫で下ろし、固まったままの右手の掌に意識を集中した。

 ブブッブブブブブッブブッ

 くくくっ、この翅をバタつかせるこそばい感覚!

ハエ、捕獲成功!

さすがバグハンター牙!

 いやいや落ち着け、ここからが本当の勝負なのだ。掌の感触から、かなり元気なハエだとわかる。今までの経験から、小さな隙間さえあれば身体をねじ込ませ逃げ出せる能力を持ったニュータイプだ。

 右手は決して力を抜かず、左手人差し指を、右手の親指と人差し指の間に差し込む。そして、左手人差し指の腹で、そっとハエを押さえこみ、ハエの動きを止める。

ブッブブ……

ハエを覆っていた右手をゆっくりとどかす。

左人差し指の先に感じていた弱々しい生き物の感触を目視。

 少しでも力を入れたら潰れてしまいそうな、本物のハエだった。

 ふっ、一安心したぜ。

ハエよ、光栄に思え、お前はこれから俺の下僕となるのだ。孤高の賞金稼ぎ、バグハンター牙の片腕として、進化を遂げるのだ!

『ハエ・エボリューション!』

俺はハエの片方の翅を右手の親指と中指の先で掴み、ゆっくりともぎ取る、プチン。同様に、もう片方も、プチン。

翅をもがれたハエは、俺の両手で囲む塀の中で、元気にピョンピョン跳ね回った!

 俺は彼を『ぴょん吉バエ』と命名した!

「さっきから何してるの?」

「ひゃあああっ!」

 いつの間にかまっちゃんが俺の傍らに立ち、俺が築いたウオール・マリアを巨大な顔で覗き込んでいた。俺の心臓は止まり、壁が静かに崩れた。

「ピョン」

 俺の手からぴょん吉バエは飛び出し、教室の隅へと逃げ込んだ。

「なんだ、蜘蛛か」

まっちゃんはそう言うと、教壇に向かい歩き出す。

クラスメイトのヒソヒソ声が聞こえる。

「蜘蛛だってさ」

「木場の奴、蜘蛛を助けたらしいぜ」

「へー、死んだら天国から糸が垂れて来て助かるんじゃね」

「何それ、木田、不死身?」

「違うよ、蜘蛛の糸だろ、芥川龍之介」

「ああ、あれね。あれ?主人公の名前なんだっけ?」


その日から俺のあだ名は『カンダタ』となった……


                           END


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