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絶望。

 旧約聖書詩篇九十篇(神の人モーセの祈り)より


人生はため息のように消え失せます

人生の年月は七十年程のものです

健やかな人が八十年を数えても

得るところは労苦と災いに過ぎません

瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります


今まで生きた人生の中で幾度ととなく我が手でこの人生を、私という人間をこの世から抹殺したいと思いながら生きていた。

私の心の中はいつも悲しみと憎しみが腹の中で渦を巻き、そしてそれは時々どうしようもなく暴れだし私の体を支配した。


あれは中学生になって間もない頃だった。

私の家は荒んでいた。造船所で働いていた父は酒とギャンブルが好きだった。給料をもらっても母の所へは届かず、借金の利息の返済と飲み代、ギャンブルへと消えていた。

生活費を稼ぐべく母は、日中はスーパーでパートタイムで働き夜からはスナックで働いていた。

帰るのはいつも午前2時過ぎ。朝は私が味噌汁を作り、それを父はご飯にぶっかけて食べていた。

それでも家は貧しく、私が中学へ入学するための制服や鞄が買えず母は近所や学校に頭を下げてまわり、お下がりをかき集めて用意した。

「おまえん家、貧乏なんだって?」

私が通っていた中学は、近隣3つの小学校から集まっている。

会ったこともない同じクラスになったそいつは、いきなりそう話しかけてきた。「かぁちゃんが言ってたぜ。お下がりやったのに何も持ってもこないんだから、よほどお金がないんかね~って。」


新しい学校、新しいクラス、新しい友達。

私は少しだけの希望を持って登校していた。

第一印象というのはとても大切だ。

それを一瞬のうちに汚されたのである。

言い返せれば良かっただろう。もしうまく笑いに変えることが出来たなら私の第一印象はとても良いものになっていたのだろうか。

しかし私にはそんな能力は備わっていなかった。

そして付いたあだ名『ボンビー。』


『ボンビー』へのいじめは酷かった。

ノートや教科書に新聞紙を貼られ、弁当は毎日取り上げられ点検される。

それはさぞかし楽しかったであろう。

いつも私が作った不恰好なおにぎりしか入っていないのだから。

「こいつ、いつもおかずないぜ~!ゴミみたいな団子だけ!可愛そうだからなんか分けてやろうやぁ!」

私の名付け親がそう言った。

クラス中が笑い、私の弁当箱の中には色々な物が入った。

鮭の皮 梅干の種 パセリ 鳥の骨

その日から教室では弁当を食べなくなった。色々な場所を探し行き着いたのは便所。

私はそこでしばらく弁当を食べていた。

悔しかった。しかし私は学校を休む事はなかった。

休まず働く母にいじめを受けている事を知られたくなかったからだ。


いじめというものは終わりはない。私の反応が薄ければ薄いほどエスカエートしていった。机の中に残飯 人参やじゃがいもの皮が鞄の中に詰め込まれていた。そしてあの事件。


午後の授業が始まり、教師が教室へと入ってきた。

「先生。」「どうした?」

「僕の財布がなくなりました。鞄に入れていたのに。誰かが盗ったんです!」

クラス中がざわついた。

「もう一度よく探してみなさい。」

教師がそう言った言葉と被るように一人の男子生徒が立った。

「あの~、休憩時間に石井君が坂井君の机の所に居るのを見ました。」

!!!そんなはずはない。何故なら私は便所で食事をしていたからである。

そこへ教師がつかつかと私の前に歩いてきた。

「本当なのか?」

「いいえ、僕は教室には居ませんでした。」

「どこへ居たんだ?」

「......」

言える訳がないじゃないか!便所で食事をしていましたなど...

しばらく沈黙した後

「机の中の物を出してみなさい。」

私はしばらく考えた後、ふと思いついた。

そうだ!机に入れられた残飯もそのまま入っている。

いじめられている事をこの教師に公表出来るチャンスだ!

母に伝わってしまうかもしれないが、これで解決出来れば心配をかけることはないだろう。

明日から新しい学校生活が始められるかも知れない!!

「はい。」

私は想像した。あいつらが怒られる姿を。あいつらの親が私の母に泣きながら頭を何度も下げる姿を。

そして少しづつ机の中の物を出していった。

しかし何か違和感がある。

そう、いつもの残飯がでてこない。

私はそっと机の中を覗いてみた。

どういう事なのか、机の中のゴミが無くなっていた。

そして、机の中のすべての物を出し切った時、教師は私にこう言った。

「鞄の中も出してみよう。みんなの誤解を解かなければね。」

言われるがまま、私は机の横に掛けてある鞄を机の上に乗せ鞄を開けた。

やはりおかしい。いつもの残飯は無くなっている。

そしてすべての物を出すと、そこには見覚えのない財布らしき物があった。

「これはお前のか?」

教師は財布を取り高く上げてそう言った。

その時「僕の!!僕の財布です。」坂井が大きな声で言った。

「違う!僕は知らない!!」


その日の放課後に母は呼び出され、本人は認めていないが財布を盗んだのは間違いないからと告げられ謝罪し坂井の家までも謝罪に出向き、そこでは親子して母を相当罵ったらしく、母は夜の仕事を休み自宅では飲むことの無い

酒を浴びる様に飲んだ。

「あんた、盗ったの?」

「盗ってない。」

「じゃあ、あんた以外みんなグルなの?そんなのある訳ないじゃない!」

足を立て、ため息をつきながら母はまた酒をついだ。

何故だったのだろうか。ずっといじめられていてはめられたのだと言えていたら私は信じてもらえたのだろうか。

しかしこの時でさえも私はその事実を母にぶつける事は出来なかった。

「...あんただけが支えだったのに....。」

この日から母は私とまともに口を利いてくれる事が無くなってしまった。



人は何らかの苦痛や不満を持って生きている。

そんな中で、人は何を心の支えに生きているのだろう。

お金かも知れないし良き思い出かもしれない。

子を持つ親ならば、子供の成長。

私の母の思いは「せめてこの子だけは」であった。

借金だらけの父。貧乏な生活。睡眠時間を削ってまでの労働。

逃げ出したい気持ちを堪え必死にやってこられたのは、せめて私だけは立派に育て上げたいという思いを貫いていたからである。

母の中でそれが壊れてしまった今、母には何も無くなってしまった。

わたしを切り捨てた母は、どんどん落ちていった。

昼間のパートタイムの仕事を辞めた。夜の仕事からの帰りも遅くなり、家事もしなくなった。

家でもお酒を沢山飲んでは父をなじり、殴り、そして殴られた。

私は学校へ行かなくなり、ほとんどの時間を部屋で過ごした。

そんな生活を続けているものだから、家の何処からか悪臭がし始め、ゴミは散乱し、見たことの無い虫が飛んでいた。

父も母もそれぞれ家に帰らない事もあったが、私は母に対する罪悪感から何も言えず、ただせめて母の目に付かない様にと部屋に身を潜めていた。

そんなある日。母の部屋でガタガタと物音が聞こえた。

その時は気にも留めていなかった。しばらくして母が帰宅するなり

聞いたことの無い、尋常ではない叫び声に思わず母の元へと駆け寄った。

「無い!無いぃーっ!!!」

「何が?」

「お金!通帳!全部お父さんに持っていかれた....」


後にわかった事だが、父には母の他に女性が居たらしく、母の少しづつ貯めていたお金をすべて持って借金からも逃れるべく町から消えてしまったらしい。泣き喚き半狂乱の母を、私は見ていられず思わず部屋へ逃げてしまった。

それからしばらく母の部屋に近づけず、1週間程経った頃だろうか。

物音もしない母の部屋に、小さな声で話しかけてみた。

私から話かけるのはもう本当に久しぶりだったため、とてもオドオドしていたかもしれない。

「大丈夫?」

しかし返事はない。

「お母さん?」

やっぱり返事はない。

私はそっとドアを開けてみた。

そこには変わり果てた母の姿があった。

不自然に曲がった身体、そして長い間ぶらさがっていたためとうとう分離してしまったのだろう母の顔が転がっていた。

私の思考はそこで一時停止してしまい、その後しばらくの記憶が無い。



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