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アリエルシャレイドは生きている  作者: 水地あいる
一章, 転がる者と柔らかな牙
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9.私(4)

 聖都クラニオンの中心であるモナトムニル神殿、その中にある魔術師用の牢屋とされる第二牢に入れられてから数日が経つ。

 代わり映えしない光景に退屈を感じてきて、一日に一度、ケリーと共にアーネルエンベが顔を出しては話をすることだけが楽しみになっていた。

 もっとも、喋るのは私とケリーだけで、初日以降、アーネルエンベと私は言葉を交わしたことなんてなかったけれど。

 午前中に顔を見せたはずのアーネルエンベはしかし、午後になって一人で再び第二牢へやってきたのだった。

「…………」

 コスプレ野郎――神兵から敬礼っぽい動作を受けながらやってきたアーネルエンベに、私は警戒の視線を送りつつ、ベッドの上でゆっくりと後退した。

 背中が壁に触れ、優しい蒼色が檻の中を照らす。

 アーネルエンベは、どうも苦手だ。

 黒い鉄格子越しに蒼い光を浴びている無表情の男が、無感動の眼差しを向けてくる。

 目が虚ろではないだけマシだが、何を考えているのかわからないというのは恐怖に値する。

 頭蓋骨を握りつぶさんが如くに締め上げられたこと、未だに根に持っているのだぞ。

 そんな恨みの篭った視線を投げつけても、アーネルエンベは何処吹く風といった様子で、

「明日の午後、教皇猊下がこちらにいらっしゃる」

 と、のたまった。

 いぶかしむ私を余所に、アーネルエンベは続ける。

「その際、貴様がこれまでの無礼で滑稽な態度を続けるようであれば、まさに相応の報いを受けることになると知れ。真を申すならそれが最後の猶予だ」

 意味が分からない、と言おうとした言葉が、喉元で引っかかって発せられない。

 口を開閉させる私を、アーネルエンベが見下す。威圧的なまでの白痴美が畏怖をもたらしていた。

 今まで、これほどまでの悪意を人に向けられたことなんてなかった。

 快く思われてないことも、喋ったことを信じてもらえないことも、苦しくて悲しい。

 自分のこと、周りのこと、世界のこと。

 知りえる限りをケリーに話していたのを、アーネルエンベだって隣で聞いていたはずだ。

 その全てが偽りだと断じられることがどれほど辛いか、鋼鉄の仮面を被った感情も持たぬこの男にはわからないのだろう。

 ケリーが困ったように眉を下げて、目の前に手鏡を差し出してくれたときに感じたあの絶望は、きっとこの男には一生わからない。

 自分と似ても似つかない美貌が、鏡の中、まるで同期して驚懼の表情に唇を震わせている、あのときの――

「――……ケリー」

 鉄格子越しに気遣わしげに頭を撫でてくれたあのクリムロイドは……。

「ケリーも……そうなんですか?」

 血の気が引く思いで恐る恐る聞いた私に、厳かな宣告のようにアーネルエンベは告げる。

「クリムロイド筆頭異端審問官がどうかしたか?」

 その職位に思わず吃驚を抑えきれなかった。

 悲鳴のような呼気を鋭く吸い込む音が風鳴りのように牢内に反響した。

「彼はまさに職務を全うしているが?」

 聞きたくなかった。

 少しは分かり合えたと思ったのに、信じられると思ったのに、偽りだったなんて――――

 堪らず耳を塞いで蹲った次の瞬間――


「そこまでだ小童。これ以上、主様ぬしさまの御心を穢す真似は断じて罷りならん」


 ――盛大な破砕音を周辺に撒き散らしながら、一つの人影が二人の間に降り立った。

 耳を塞いだまま呆然と仰ぎ見れば、天井にぽっかりと丸い穴が開いていた。

 空洞から細かな雨が吹き込んできて、檻の中をしとしとと濡らし始める。

 臙脂の着物を薄ら濡らしたその人影からは黄茶の耳と二房の尻尾が生えていた。何がなんだかわからない状況にも関わらず、今までで一番ファンタジーな展開に胸が熱くなってきた。

()()()()主様に対して余りに無礼千万。退け。殺すぞ小童」

「何者だ? その娘は教皇猊下の暗殺を目論んだ重罪人。逃すわけにはいかん。知己というなら、貴様も重要参考人として大人しく地に伏せるがいい」

「ほざけ、小童! そんな小石ほども価値のないクズなんぞより主様のほうが崇高清冽に決まっておろうがっ」

「……今の言葉、万死に値するぞ小娘」

 尻尾少女の大喝にも泰然自若と応じたアーネルエンベから震え上がるような冷気が垂れ流され始める。まるで這い寄る亡者のようなそれに、立花は震え竦みあがって身を硬くした。

「ふはは。その言葉、褒め言葉であろうな?」

 袖口から扇子を取り出した尻尾少女は、それを開くと同時に跳躍して扇子を振り払った。

 手首ほどの太さがあった格子鉄は鋭利な切り口を残して七つに別たれ、その隙間を縫うようにして少女がアーネルエンベに踊りかかる。

 アーネルエンベは素早く抜刀し、扇子を受ける。見た目に反し格子を切り分けるほどの強度を見せつけた扇子は、しかし一合で刃を切り裂けるほどの鋭さを持ち合わせてはいなかった。

 作用点を力点として後ろに飛び下がった少女は、しかし足元に転がった短い鉄格子を踏みつけて滑った。

「んにゃっ」

 可愛らしい声をあげて転がった少女の圧倒的な隙をけれど、アーネルエンベは生かそうとはしなかった。むしろ警戒して横へ飛び退くアーネルエンベ。彼が元いた地点の壁面に三本の筋が走り、音を立てて崩れ去ったのはそのすぐ後だった。

「いてて。運動不足が祟ったか」

 軽く頭を振った少女は先ほどの扇子を袖口に仕舞うと、また別の扇子を取り出した。

 見るからに大差はなさそうだが。

 ジャリ、と音を立てて展開した黒い扇子で打ちかかった少女を、アーネルエンベの剣が迎え撃つ。

 まるで金属同士が打ち合ったような金属音を響かせつつも扇子と刃は鬩ぎあうことはなく、扇子を上に跳ね上げられた少女はアーネルエンベの後ろを取ろうと身体を捻った。

 背後を取って扇子を打たれるより先手を取るべく剣を振り下ろしたアーネルエンベは、けれどそれより先に自身が膝をついたことに瞠目する。

 尻尾で膝の裏を払われたのだと悟ったときには、少女の扇子が背中を強打していた。

 アーネルエンベの巨躯は軽々と吹き飛んで、堅牢な牢屋の壁を砕いて散った。なんとか身を起こそうとしたところに少女の蹴り足が頭に直撃して床を陥没させる。

 目の前で行われた余りの光景に思わず悲鳴を飲み込む。

 アーネルエンベの頭を踏みつけたまま、少女は口元を血に濡れた扇子で隠して嫣然と微笑んだ。

「他愛もないのぅ、かあいそうに。この程度で石クズを守るつもりだったのかえ?」

 小柄な少女に踏みつけられているだけにもかかわらず、アーネルエンベの頭蓋は怖気の走るような音を立てている。

「……万……死に」

「それはわらわの科白じゃ、小童め」

 横目で見ても分かる冷笑を浮かべた少女に血の気が引いた。

 アーネルエンベが、死んでしまう!

「やめてっ!」

 少女は冷笑を引っ込めると私を向いた。

 怪訝そうに眉が寄るのを、恐怖と共に見つめる。

「アーネルエンベを……殺さないで」

 引き攣りそうな顔を堪えて言うと、少女は私とアーネルエンベを交互に見て、邪気のない笑顔を咲かせた。

「主様、ぬしさま。勿論で御座います。それが主様のお望みならば、わらわは全力で叶える所存です!」

 声音すら見た目相応の幼いものに変わっており、子供のように駆け寄ってくる少女の姿に困惑しながらも何とかお礼を口にする。

 横目でアーネルエンベを見れば、よほどの傷なのか、ぴくりとも動かない。

 不安に思っていると、少女が私の手を引いてきた。

「主様、わらわの不甲斐なさをお許しください。久闊を叙する間もないようなので、早急にいとま致しましょう」

 言うが早いか、私をお姫様抱っこした少女は来たときと同じように天井に開けられた穴を通って外に出た。

 細い穴を通過したために耳元で唸りをあげた風切り音に、思わず少女にしがみつく。

 先ほどの立ち振る舞いが大きな騒ぎになっているようで、怒号の行き交う現場を尻目に屋根の上へ到達すると、少女は抱きついた姿勢の私に頬を摺り寄せた。

「主様……こんな風に怯える主様も可愛らしい。もっと強く抱きついて下さって構いませぬ」

 何が起きているのかよくわかってない私は、とにかく先ほどの風の唸りが恐ろしく、言われるがままに力を込めた。

 立花を抱き上げた少女は唇を三日月に歪め、霧雨舞う聖都へと姿を消したのだった。





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