7.私(3)
牢屋に設置された檻の中には小さなベッドが一つ、机が一つ、それと衝立付きのトイレっぽい物体が備わっている。
私はベッドの上で身を丸めて、息も絶え絶えにぽろぽろと涙を流していた。
「ひどい……まさか両刀使いだったなんて……私の純潔が……」
「ちょっとソコ、誤解招くような発言はヤメテちょうだい」
「……遅かったか」
「アーネルエンベ、誤解だって言ってるでしょ! 貴方が言うとマジっぽくて洒落にならないのよ!! それとリッカもいい加減泣き止みなさい」
ケリーに言われ、私は肩を使って涙を拭うと身体を起こしてベッドの上で小さくなった。
笑いすぎて明日は筋肉痛になっているかもしれない。
「もうしない?」
「だって、そんなに腋が弱いと思わなかったんだもの。それに、アタシは基本的に女の子には優しいのよ?」
冗談っぽく言いながらケリーはウインクした。私はそれを器用に避ける。
「クリムロイド」
「ん、何かしら」
ケリーにアーネルエンベと呼ばれた人は、彼を呼ぶと小声で何事か相談し始めた。
大した距離も開けずに話し始めるので、私は気を利かせて『何か聞こえてきても聞こえてない振りをしてあげよう』なんて思っていたのだが、ボソボソ言ってるような感じもしなかった。
アーネルエンベさんが何か言ってることに対してケリーの「そう」とか「ふぅん」とかいう相槌だけが微かに聞こえてくる。
手持ち無沙汰になった私は蒼く光を放つ壁に向き直った。
私にしては長い指の腹で壁の表面をなぞると、触れた箇所が遅れてぼんやりと光を放った。まるで夜中に灯した花火が残光を彩るような綺麗な光景だった。
夢中になってあちこちなぞって光らせていると、背後から溜息が聞こえてきた。
顔だけ振り返ってみれば、呆れたような顔したケリーがこちらを見ている。否、見ていたのはこちらに向かってくるアーネルエンベさんの背中だった。
「娘、こちらを向け」
私は身体を回して正座の姿勢を保ったまま、ベッドの前に立ったアーネルエンベさんのほうに向き直った。
ベッドの上とはいえ、ケリーより背の高いアーネルエンベさんを見ようと思ったら首が痛くなるくらい上を見なければいけなくてちょっと辛い。
美貌の白皙には何も浮かんでいない。無表情だ。
その無表情が見下ろしてくる様は物理的な圧力すら伴っているようで、私の心臓は緊張でチクチク痛み始めた。
これは、なんだ。高校受験の面接のときに感じた『下手なことを言えない空気』と非常に良く似ている。
ただ、濃度は桁違いだけれど。
「タチバナリッカ、コウコウニ年生の十六。相違ないな?」
「は……はい」
「所属はニホン国、この国には気が付いたらいた、と」
「そうです。気が付いたらっていうか――」
「質問されたことには正確に答えるように」
ピシャリ、と言われて若干凹みつつ、同時に英語の文法のことを思い出した。
日本の特有の言い回しはここでは不評のようだ。
「……いえ、なんでもないです」
冷たく当たられると冷たく返してしまうのは仕方ないことだと思う。訂正しようかと思ったけど、やめた。
第一、このアーネルエンベという男は喋ってる最中、口しか動いてない。無表情とさっきは思ったけど、心の中でもなんとも思ってないに違いない。
この男は無表情ではなく、無感情と呼ぶに相応しい。
性格が悪いとか以前の問題だろう。
この男の心には太陽がないのだ。
地球は太陽がなければ生物も生きられぬ極寒の死の星になるという。この男も同じで、感情が生きるための下地が無いのだろう。
散々心の中で罵倒し、そっぽを向いた私の頭を、アーネルエンベは片手で掴んだ。
そこに万力のような力を込められ、私の顔は無理やり彼のほうに向けさせられた。
「痛ッ! 痛タタタタタタ!」
「何処を向いている、話は終わっていない」
「痛いよ、離して!」
抵抗しようにも腕は動かせないので身体を捩ることしか出来ない。けれどそのくらいで開放されるはずもなく、私が涙目になって悲鳴を上げていると突然力が弱まった。
どうやらケリーが助けてくれたらしい。
ケリーはアーネルエンベの腕を掴んで無理やり引き剥がした状態で睨みを利かせていた。
ケリーちゃんまじ妖精。
「猊下の慧眼に感謝せねばならんな」
「アーネルエンベ、言いたいことはそれだけ?」
「他に何がある。クリムロイドが絆されたとでも上申するか?」
「絆されたって、どういうことよ。度が過ぎてるから看破できなかっただけでしょ」
ケリーの声には明確な苛立ちが垣間見える。アーネルエンベは私とケリーを視線だけ動かして交互に見た。
「……猊下の心配は杞憂であったが状況は深刻だな」
「アーネルエンベッ!」
「猊下に報告申し上げてくる」
牢屋を出て行くアーネルエンベを見送ったケリーは、大きく深呼吸をしてから振り返り、大輪の華のような笑顔を咲かせた。
「リッカ、痛かったでしょう? ごめんなさいね。あの子、大事な聖猊下が危険に陥ったから気が気じゃないのよ」
「大丈夫」
眉を下げるケリーに、私は首を振った。
「私もちょっと大人気なかったから。それに聖猊下って……私が建物壊しちゃったときにいた人でしょ? エライ人みたいだし、失礼な態度取っちゃったから仕方ないよ」
それを聞いたケリーは一瞬だけ不思議そうな顔をした。それもすぐに笑顔に取って代わって私の頭を撫でた。
「リッカはほんといい子ね。このままリッカと色々話してたいんだけど、アタシもほら、色々あるから。また改めてお話しましょう。しばらく不自由を強いるだろうけど、頑張ってネ」
そう言いながら牢屋を出て行くケリーのウインクを避けるだけの元気は、非常に残念ながら私にはなかった。
気が付けば、コスプレ野郎は一人になっていた。
生温い、気の毒そうな視線を向けてくるコスプレ野郎を無視して、私はベッドの上で横になった。
指の長さ。胸の大きさ。髪の毛の長さ。
どれもこれも、違和感だらけ。
けれど、その違和感は、意識しなければ感じ取れないという事が末恐ろしい。
それをまるで当然のことのように受け入れている感情が信じられない。
静かになったこの場所が怖い。
得体の知れぬ自分がおぞましい。
バカにならないと、おかしくなってしまいそうで。
(私はどうなるんだろう)
瞼を閉じて膝を抱えていると、すぐに睡魔はやってきた。
寝息を立て始めた女を見て、神兵は安堵の吐息を吐くと視線を外に移した。