004
この家の息子ではなかった。
この一家の者は、年配の女性と同じように茶の髪に暗緑色の瞳をしていた。
その男は、この家の夫より背が高く、黒く長い髪をしていた。髪飾りか赤い紐を髪にからませ、後に流している。大柄でじつに堂々としている。
白っぽい黄色の衣服に鈍く光るネックレス。腰や服にもいろいろとぶらさがっているものが装飾となっている。
年配の女性が場所をあけると、男はベンチのそばに膝をついてしゃがんだ。
男の瞳は赤がかった茶色だった。黒い虹彩がはっきりみえ、壮太は目をみはった。その目でじっと壮太をみていた男は、いくつかことばを発したが、やはり濁音のつながりとしてしか壮太にはわからなかった。ぎこちなく視線をはずしてうつむくと。男が腰にさげた紐から指輪をひとつ引き抜く手元がみえた。
琥珀に白を金箔のようにまぶしたような石だった。それをなめらかに研磨して指輪にしたものだろう。
男は指輪を左手にもつと、右手で壮太をつつんでいた毛織物をずらし、無事なほうの手をもちあげた。その際、自分のつかんだ腕をみて男は表情を変えた。眉をちょっと寄せると、さきほどよりさらに慎重な手つきで、壮太の腕をひきあげた。
「ギギウ……」
壮太の左の中指に、男は指輪をはめた。
瞬間、突き飛ばされたような衝撃をうけた。女性の短い悲鳴があがった。
十月の早朝。トラックがゆっくりと坂からおりて迫ってくる。壮太を尻にくっつけたままガードレールを越え、真っ逆さまに落下していく。
(ああああああ)
頬に風があたり、地面とトラックのあいだに挟まれて、その後つづいた爆発で壮太の四肢は吹き飛んだ。
「うわああああああ……!」
壮太はよく母にいわれた。
「おまえは死んで生まれてきた。生きるはずのない子供。本来なら死んでいて、ここにはいない子供だ。だからいつかおまえがとつぜん消えたとしても、わたしは悲しまないよ」
もがくと息がとまるほど痛みがはしった。
*
「おちつけ、だいじょう。なに、しない。おまえ、つけない」
低い冷静な声だった。
大きな温かい手で蒸気した顔を包まれたのを壮太は感じた。
(……え、おちつけっていった……?)
まるで耳元の騒音が止まったようだ。
(日本語いった……!?)
苦痛にきつくとじたまぶたをあけると、赤茶の目とぶつかった。
「だいじょう、わかる? わたし、えん・やっしゃー」
男は浅黒く、厳しい顔つきをしていた。凛々しく、じつに男らしい。整った口が動く。
「エ、ン、ヤッ、シャー」
壮太は何度かまばたきして、男をみあげならくりかえした。
「……エン……ヤッ、シャー……」
男と壮太から距離をおいて立っていた年配の夫婦が破顔して歓声をあげた。
婦人など涙ぐんで腰に巻いた布で目元をぬぐっている。
「おまえは?」
とうぜんの質問。
「荒井、壮太です。あの、母はどこですか」
エン・ヤッシャーと名乗った男は壮太から手を離すと、ちょっと首を傾げた。チャラリ、とネックレスが重たげに揺れた。
「……アラ・ソ? グ?」
「えっと……ノー。マイネームイズ、ソウタ。ソウタ・アライ。ユーアンダスタン?」
男は困ったような顔になった。英語のほうがつうじるかとおもった壮太はあわてた。
「そ、ソウタ・アライ」
「そーた、あ……ソー……、ソ、ウタ、アーライ」
あー近いなあ。外国の名前っていいにくいのあるよね。いい男が苦戦する姿をながめて、壮太は同情をよせた。エン・ヤッシャーは苦笑を浮かべると立ちあがった。
「ソー、タ、わたし、まつ。ソウタ、からだ、なおせ」
それだけいうと背をむけ、夫婦に声をかけ家には入らず家を回って姿を消した。男が立ち去ると、夫婦は笑顔を浮かべて近づいてきた。
「ソー、よかった」
「ソー、だいじょうぶ」
「かれ、ソー、なおす」
「ソー、よかった」
濁音はことばの単語となり、壮太の耳にとどく。
「あ、ありがとう……」
礼をいうと、夫婦は大きくうなずき、さらに笑顔をこぼした。
とつぜんの理解の喜びに戸惑いながら、壮太は男がはめていった左手の指輪に視線をおとした。重みのある指輪はひんやりと指におさまっていた。