002
ドンという衝撃。脳天まで痺れ、壮太の意識はほとんど吹き飛んだが、感覚は忠実に信号をおくった。
腕がありえないほどに曲がった。肩が地面にもぐり、一瞬の草の香りに、ガソリンの匂いが混ざり、はぜる音。
(ああああああ)
ものすごいいきおいで体が回転していくのがわかる。何度も跳ねる。視界は暗い。火花がはしる。
大柄でそっくりな女性たちが三人、壮太をみつめ、消えた。
*
荒井という姓は壮太の母、真夏の姓だ。
父は母と出会ったときから重い病を抱えた人であり、ふたりはそれを承知で交際し、そして婚姻届を出す前に父の高田大志は病気で亡くなったのだと教えられた。
同じ市に母の妹である小夏が、石巻という男性と結婚して住んでおり、ひとり娘の千夏がいた。
この石巻家と荒井親子は親しく、いとこで三つ年上の千夏は、壮太にとって姉のような存在だった。
母が忙しくて具合の悪い壮太の面倒をみれないとき、壮太は石巻家にあずけられた。それはしょっちゅうであった。
真夏、小夏、千夏。
この女性たちは、みごとに血筋を感じさせた。
そうじて荒井家の血を引く女性たちは大柄で浅黒く、出るところはで、締まるところはしまっており、手足も長く、押し出し豊かな外見をしていた。
目鼻立ちは大きく、輪郭は鋭角で、個性的な美人だと小夏の夫である石巻章介は評したが、だいたいが力強く口元をひきしめているので怒っているようにみえた。ひとりだけでも道の先からあるいてきたら、そそくさと道を譲ってしまいそうな女性であるのに、三人ならぶともうその道をあるく気など失せてしまう。
「壮太、簡単よ」
海を避けた壮太と違い、いとこの千夏は一年中海に出ていた。肩甲骨まである髪は潮で痛み、色も抜いていたのでいつもバサバサだった。
一七十センチ以上ある身長は壮太をみおろし、どんな激しい運動にも適応しうる四肢はいつだって伸びやかで日に焼け、引き締まっていた。
「なんのこと?」
打ち寄せる波音に、壮太の声はかき消えそうだった。
「進学するにしろ就職するにしろ、高校を卒業したら家をでる件のことよ」
壮太と千夏の母親ふたりも高校を卒業すると家をでた。その血筋の女性である千夏もとうぜんのごとく家をでて、いまはスポーツインストラクターをしながらひとり暮しをしている。
「どっちに進むにしろ、壮太は無茶したらつづかないでしょうね」
奨学金の申請がうけいれられたとして、生活費を稼ぐためにバイトと勉学の両立をしなくてはいけない。
就職したとして、高卒の新人としてあまりにハードな職場で勤まるかどうか。
(人間、つくづく体だよなあ)
健康で体力がないと、進路に悩む。
自立をうながす母には同意するものの、資金と体の頑健さのない壮太には、ただただ高い壁におもえた。
「わたしと住めばいいわ」
「え?」
お盆がすぎて肌寒い風のでてきた夕暮れどき、砂浜にならんですわったいとこを、壮太はみあげた。
茶色の髪をうしろに流した千夏は、はっきとした鼻筋を前方にむけ、額を指でこすった。
「ふたりで住めば家賃も生活費も安いってこと。壮太は就職より進学しなさいよ。大学に近い場所に家を借りたらいいわ。わたしはどこでだって働けるし。ね、簡単でしょ」
「ちなっちゃん」
髪をいじっていた千夏はちらっと壮太をみた。
「わたし変なこといったかしら」
「ううん、そんなことないよ。ありがとう」
壮太は顔が赤くなるのを感じた。
千夏とふたりの新生活。ハッキリとした性格の千夏は言外の意味などふくませていないだろうけれど。
(なんだか将来を誓い合ったみたいだ)
そう感じた。
*
ゾルドゾルド、ヂュ、ググレ……。
物音のような話し声のような、きいたことのない音だった。壮太の耳にはそうきこえた。
ヂュ、ググ。
食べ物の甘い香り。動く気配。
気がつくと壮太は目をあけていた。
太い梁がみえた。しっかり生活の匂いと色がついている。みたこともない天井をみあげていることになんらかの考えがわかないでもないのだが、それらをまとめることが壮太はできず、ぼうっとしたままそばに立った人に目をやった。
「デヂュル、ググ」
男の口が動くとそうきこえた。
その男のみかけだとか、みたことのない部屋だとか、口に運ばれた汁の味だとか壮太はいろいろ感じることがあったのだが、もうまぶたが重くてだめだった。