ぽつり、ぽつりと。~不倫<薫編>~
「不倫」R18
の主人公がこちらでも主人公になっています。
「不倫」のその後のストーリーとなります。
>桜、見頃だよ。明日とかどう?来れる?
美佐子からメールが来たのは昨日のこと。突然ではあったけれど、丁度仕事も休みだしすぐに返事をした。
>行くよ
そんな風にして、何でもすぐに行動してしまう私を美佐子は羨ましいといつも言う。
そういう美佐子は、ナイーブなところがある。心の半分も言葉にしていないかもしれない。美佐子のそんなところが私からしたら、魅力だし羨ましい。
美佐子は私にとって大切な友達。かれこれ、20年の付き合いになる。
**
美佐子の住む街は、観光地として有名。桜は芝桜からしだれ桜。紅葉の季節もまた楽しめる土地。春と秋に、私は美佐子の街に行くことが、ここ数年の楽しみになっていた。
今日は朝から太陽が輝いてる。まさに快晴。観光日和。
大きなバッグに詰め込んだのは、読みかけの小説を一冊と昨日買ったばかりの小説。これだけでもかなりの重さではあるけど、一冊目がもう少しで読み終わる。だから、次に読む本も必要だった。それから、水筒とチョコレート。化粧品にモバイルパソコン。
なにせ、片道二時間。ちょっとした旅行気分になる距離。
重いバッグをひょいと肩にかけ、家を出る。賑やかな街を背にして電車に乗り、読みかけの本を読む。それがまた楽しい時間のひとつでもある。
>そろそろ着くよ
電車の中からメールをする。途中、山を通る電車は圏外になり、メールを打てるのは美佐子が迎えにくる駅に近づいてから。
本ばかり読んでいて山の景色を見そびれたことを後悔しながら、小さな駅の改札を抜けると、すでに美佐子が来ていた。
去年買ったばかりの新車の窓を開け
「薫!」
私を呼ぶ。
走り寄る私を見て
「相変わらず細いね」
開口一番、美佐子が言う。そいう美佐子も昔から変わらないスタイルの良さ。少しパープル系のジーンズは、形のよい足のラインがよくわかる。
「はぁーいい空気。晴れてるし、桜楽しみにしてきたよ」
大きな伸びを助手席ですると、濁ったすべてのものが澄み切ったように感じた。
**
「お母さん、どう?」
ハンドルを握る美佐子の横顔に訪ねる。
美佐子の実母は、数年前からおむつが必要な状態だ。介護は想像以上に大変なものなのだろう。眠れないという美佐子の顔は少しばかりやつれてもいるようで、それが気になる。
「うん、まぁ変わらないよ、ただね、もうそう長くはないかもね」
寂しげな横顔が痛い。
「薫の方は、どう?」
そう訊かれて本当の家庭の姿を言えるのは、この美佐子だけ。他の人には一切言えない事実が私にはある。そして、それは美佐子も同じだった。
「不景気で仕事がないし、お給料減るとやってけないから、仕事探してるとこ。和也はやっと大学よ。旦那は相変わらず。まったくね」
俗にこれを愚痴と言うのかもしれない。それでも言わずにはいられない。鎧をまとい生きるのには限界があるのだ。
転職続きの夫、ニートだった息子……浮気した私。
「笑っていいよ、馬鹿な女って」美佐子にそう言ったら「笑わないよ。薫がどうしてそうなったかわかるから」と、顔色をかえずに美佐子が言ったのは、確か去年の春だ。
その時、美佐子が言ったセリフを今度は私が言う。
「何かあったなら、私には言ってよ。言うだけで心は軽くなると思うから。役にはたたないけどね」
「ありがと」
信号を見ている美佐子の横顔は、疲れていたけれど、ポツリポツリと語り始めたときから、少しずつ顔色がよくなったように見えた。
「離婚したいんだよね」
ぽつりぽつり、語る人生。それは、私と美佐子、ふたりだけの内緒の人生でもある。
「人はみな、どこかに内緒を抱えて生きてるのかもね」
「そうかも。どんな小さな子供だってパパやママに内緒があったりする。大人になれば、その内緒は、本当に内緒だったりしていくのかも」
「じゃ、ここだけの話だけど……」
そう言いながら話した美佐子の内緒は、永遠に私の胸の奥にしまっておこう。
「みて、桜のトンネル」
疲れてた美佐子の表情が少女のように変化した。
車で走る道は、桜が左右に咲いていてまさにトンネル。ハラハラと風に花びらが舞っている。
桜のトンネルを抜け、開かれた道は、まるで私と美佐子を歓迎するように、広く長く続いていた。
【完】