移民を受け入れた美しいエルフの国はオークやゴブリンとうまくやっていけ…
### 一、美しき森の都と、小さな綻び
「森の民よ。恐れることはありません。彼らもまた、同じ大地に生きる隣人なのですから」
白亜と翡翠で彩られた王都『エルフィリア』。その宮殿のバルコニーで、女王エルミナは高らかにそう宣言した。
眼下に広がる美しい街並みは、数百年変わらぬ静謐と高潔さに満ちていたはずだった。だが、そのメインストリートには、かつてない光景が広がっている。銀髪のエルフたちに混じって、巨体を揺らし、野太い笑い声を上げるオークの労働者たち。そして、路地裏の陰で細い目をぎらつかせ、ゴミの山を漁っては奇声を上げるゴブリンの群れ。
聞こえてくるのは、エルフが愛したハープや精霊の調べではない。地響きのようなオークの宴会の足拍子と、下品な野次、そして異郷の言葉が入り混じった濁った喧噪だった。
エルミナの背後で、側近の老エルフ・シディスは歯噛みしながら進み出た。
「女王陛下……お言葉ですが、事態はもはや『共生』の域を超えております。先月だけで、下町の聖域である『月の泉』がオークどものゴミで汚染され、治安維持にあたっていた衛士の負傷者は十倍に膨れ上がりました。エルフの伝統的な森の伐採禁止区域も、彼らの生活道路という名目で勝手に切り拓かれています。このままでは――」
「シディス」
エルミナは優雅に振り返り、扇子でその老いた唇を遮った。冷ややかな、しかし完璧に作り上げられた慈愛の微笑みを湛えて。
「あなたのその言葉は、あまりにも排他的ですわ。彼らが来てくれたおかげで、長年人手不足だった北方の鉱山は潤い、私たちエルフが汚れていたと蔑んでいた土木作業も、すべて彼らが担ってくれている。おかげで、私たちはこうして高尚な芸術や魔法の研究に没頭できるではありませんか」
「しかし、ことは――!」
「それに、彼らの文化を一方的に否定するのは『無知なる差別主義者』のすることだと、知識層の者たちも言っていました。彼らにも生きる権利があり、私たちの高い文化と寛容さを学べば、いつかは良き国民となるでしょう。……郷に入っては郷に従え、彼らもやがては私たちの美徳を理解するはずです」
シディスは絶望したように目を伏せた。
――違う。理解などしていない。彼らは郷に従ったのではなく、郷のルールそのものを自分たちの都合の良いように書き換えているのだ。
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### 二、なし崩しの「共生」とタブー化する議論
そもそも、この受け入れの始まりは「一時的な出稼ぎ労働者」という触れ込みだった。
近隣の紛争や環境破壊によって祖国を追われたオークやゴブリンたちに対し、人道的な同情から「期間限定、家族の帯同なし、厳格な身元管理」という条件付きで門戸が開かれたのだ。
だが、歯車は最初の段階から狂い始めていた。
人手不足にあえぐ商人や、安い労働力を求める貴族たちが「もっと数を増やせ」「家族も呼び寄せられるようにしろ」「生活基盤のために永住を認めろ」と声を大にし始めたからだ。
現場の役人や治安維持にあたる衛士たちが「これ以上の受け入れはインフラがもたない」「文化的な摩擦が大きすぎる」と反対の声を上げると、知識層や都の世論は彼らをこう糾弾した。
――『人道に背く冷血漢』
――『多様性を認めない時代遅れの差別主義者』
いつしか、移民政策に対する疑問や批判を口にすること自体が最大のタブーとなり、為政者であるエルミナもまた、国際会議での評価や「開かれた先進国」という対外的イメージを守るため、その批判の声をすべて「遅れた因習」として切り捨てた。
制限は次々と緩和され、家族の帯同が認められ、福祉が適用され、挙句の果てには彼らの宗教的・文化的な要求が「人権擁護」の名の下に優先されるようになった。
エルフの若者や一部の労働者層からは不満が噴出したが、それらはすべて「寛容さの足りない愚民のわがまま」として押し潰されていったのである。
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### 三、変貌した都と、訪れた破局
それから、わずか数年の年月が流れた。
エルフィリアの姿かたちは、もはや見る影もなく変貌していた。
白亜と翡翠で彩られていた美しい街並みは、オークたちの巨体に合わせた無骨なバラック小屋や、脂っこい肉を焼く屋台の煙で黒く煤けていた。街のあちこちにゴブリンの巣が形成され、治安は完全に崩壊していた。夜ともなれば、エルフの娘たちが身を隠すように足早に通り過ぎるだけで、もはやかつての気高い森の都の面影はない。
そして――ついに、隠し続けてきた歪みが一気に爆発する時が訪れた。
街のあちこちで、ゴブリンやオークの群れが暴徒と化し、エルフたちの屋敷を襲撃し、宝を奪い、放火を始めたのだ。彼らはもはや「客」でも「労働者」でもなかった。圧倒的な数の論理と暴力をもって、この国の所有権そのものを乗っ取りにかかっていたのだ。
白亜の王城のバルコニー。
その惨状を目の当たりにし、シディスは膝から崩れ落ち、頭を抱えていた。
「な、なんと……! 国が……我々のエルフィリアが、奴らに乗っ取られる……!」
だが、その隣で、女王エルミナは燃え盛る都を見下ろしながら、優雅に紅茶のカップを傾けていた。彼女の顔にあるのは恐怖でも悲劇への絶望ではない。そこにあったのは、すべてを他人のせいにできる安堵と、胸の内で飼い慣らしていた本音が溢れ出るような、冷ややかな陶酔だった。
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### 四、狂気の女王と、見限った側近
「お静かに、シディス。そんな見苦しい声を上げて、恥ずかしくないのですか?」
エルミナは虫けらを見るような目をシディスに向け、フッと鼻で笑った。
「は……? 陛下、何をおっしゃるのです! 街が焼かれ、民が襲われているのですよ! あなたが『寛容』を掲げ、オークやゴブリンどもの無制限な流入を許し、批判する者を弾圧し続けた結果がこれではありませんか!」
「何を言い出すかと思えば……」
エルミナは心底うんざりしたようにため息をつき、優雅に紅茶をひと口啜った。その瞳の奥には、薄汚い異種族に対する剥き出しの嫌悪と蔑みが隠すこともなく宿っていた。
「そもそも、この事態を招いたのは誰のせいだと思っているの? あなたよ、シディス。あなたが現場の調整を怠り、あの下品なオークどもや汚らしいゴブリンどもに対して、無駄に威圧的な態度をとったり、細々とした差別や排除ばかりを繰り返すから、彼らを不必要に刺激してしまったのではないですか」
「なっ……! 私がいつそんなことを……! 彼らのルール無視や治安の悪化を正そうとしただけだ!」
「ほら、そうやってすぐ責任転嫁をする!」
エルミナはガチャリとカップをソーサーに激しく叩きつけ、ヒステリックに声を張り上げた。紅茶が飛び散り、彼女の美しいドレスの裾を汚す。
「私だってね! あんな不潔で、獣臭くて、言葉の通じない土つくれどもが、この気高いエルフィリアの土を踏むことなど、本音を言えば吐き気がするほど不愉快でしたよ! 汚らわしいゴブリンどもが視界に入るだけで虫唾が走ったわ!」
叫ぶエルミナの顔は、歪んだ本音の露呈によって醜悪に引きつれていた。
「ですがね、為政者である私には『世界への体面』というものがあったのです! 国際会議で『人権意識の低い遅れた国』と指弾されないために、私は嫌々ながらもあの愚劣な移民たちを受け入れ、満面の笑みで『共生』を演じてあげていたの! それなのに……!」
エルミナは震える指でシディスを指差した。
「それをあなたが、実務の段階でうまく懐柔せず、彼らのプライドを傷つけ、暴動にまで発展させた! すべては、あなたの無能と不手際が招いた人災ですわ! あの下等生物どもをうまく手懐けられなかったあなたのせいで、私の完璧だった『慈悲深い女王』の計画が台無しよ!」
耳を疑うような責任転嫁と、根本にある差別意識の露呈に、シディスは絶句した。
――この女は……最初から異種族など心の底では嫌悪しながら、自分の対外的な名誉と保身のために彼らを利用し、破綻したらすべての責任を部下に押し付けるつもりだったのだ。
「自分の保身のために移民を招き入れ、手に負えなくなったら『部下の指導不足』だと……? あなたは狂っている……!」
「失礼ね! 私は間違っていないわ!」
エルミナは金切り声を上げ、狂ったようにまくし立てる。
「私は最後まで寛容な女王として振る舞ったのです! 街がどうなろうと、私は自分の正しさを証明したのよ! 失敗したのは、私の高貴な御心を現場で体現できなかったあなたたち無能な臣下です! 早くその役立たずの顔を消しなさいよ、この無能が!」
シディスは、その狂気の顔をまっすぐに見据えた。
怒りすらとうに通り越し、心の底から冷めきった感情が湧き上がってくる。シディスは、目の前で喚き散らす女王から、ゆっくりと視線を外した。
「勝手に吠えていろ……。その『正しさ』とやらと一緒に、この腐り切った城ごと焼け落ちるがいい」
「なっ……! どこへ行くのです! 私に背を向ける許しが、あなたにあるとでも――!」
背後でエルミナのヒステリックな金切り声が響くが、シディスは足を止めなかった。
裏手の使われなくなった古い搬入路の抜け道へ向かい、燃え盛る緑の都を背にして、ただ一人、誰もいない荒野へと通じる城外への道を歩き出す。
背後では、オークの歓声と、なおも「私は悪くないわ!」と叫び続ける女王の悲鳴とが、遠ざかる炎の音にかき消されていくのだった。




