第1話
電話の翌日、春彦は霞ヶ関までやってきた。会社員時代に着ていたスーツを引っ張り出して着ている。そのお陰で周囲からはさほど浮いてはいないと思った。
「えっと……」
春彦はスマホを確認する。昨夜、黒都が言っていた住所の地図が映し出されている。
「霞ヶ関はほとんど初めてだけど……まあ、迷わないな」
春彦は歩き出す。そして考えを巡らす。
(黒都先輩は東京の学生演劇界でも注目される存在だったけど……芸能界には進まず、確か警視庁に入ったって昔聞いたな……警視庁の人が何の用だ? もしかして……)
春彦は自らの顎をさする。
(公安の特殊部隊に入ってくれ……ってコト!?)
春彦は一度立ち止まった後、首を左右に振る。
(いやいや、さすがに無いな。ドラマの見過ぎだよ、我ながら……)
春彦は再び歩き出すと、そこからわずかな時間で目的地に到着する。
「こ、ここか……?」
春彦が見上げると、霞ヶ関のビル群の中でも浮いている、なんとも古めかしいビルがそこにはあった。
「霞ヶ関にもこういうビルがあるんだな……おお、時間だ。入るか……」
春彦はビルに入る。
(エレベーターは……故障中? 確か4階と言っていたような……しょうがない、歩いていくか……)
春彦は苦笑交じりに階段を上っていく。途中で背広を着て、カバンと書類の入った袋を持った男性や清掃作業中の女性とすれ違った、春彦は軽く会釈をして通り過ぎ、4階に着く。
(さて……会議室だったな……)
春彦は『会議室』と札のかかった部屋の前に立つ。ドアを二回ノックした。すると、中から声がする。
「どうぞ」
「し、失礼します……!」
春彦は中に入る。中年の男性が三人、長机の席に並んで座っていた。その内の一人が口を開く。
「おかけください」
「は、はい……失礼します」
男性に促され、春彦はパイプ椅子に座る。男性たちと向かい合う形だ。
「群山春彦さん……ですね?」
「は、はい……」
「二、三、質問をさせていただきます……」
「あ、はい……」
「男性とすれ違ったと思いますが……」
(これは男性が持っていたカバンか書類の入った袋の色を答えろという質問か……! 確か黒いカバンに白い袋だったな……!)
「あの男性……どう思いましたか?」
「はい?」
春彦が首を傾げる。
「ふむ……」
質問した男性は頷いて、なにかを手元の紙に書き込む。
「あ、あの……」
「私からも……清掃員の女性とすれ違ったかと思いますが……」
(これは女性の作業着の色を答えろという質問だな……! 確か水色だったな……!)
「あの女性……何歳だと思いますか?」
「はいい?」
春彦がまたも首を傾げる。
「なるほど……」
質問した男性が首を縦に振り、なにかを手元の紙に書き込む。
「えっと……」
「それでは私からも……階段……」
(階段の段数を答えろという質問だな……! これは数えていた、60段だったはずだ……!)
「……大変だったでしょう?」
「はいいい?」
春彦がまたまた首を傾げる。
「ほう……」
質問した男性が顎をさすりながら、なにかを手元の紙に書き込む。
「い、いや……」
「……」
「………」
「…………」
しばらく沈黙が流れる。たまりかねた春彦が口を開く。
「え、ええっと……」
「……!」
中年男性たちが立ち上がって退室する。
「! あ、あの……ちょ、ちょっと! ……行っちゃった」
春彦が一人部屋に取り残される。そこからまたしばらく時間が流れる。
「失礼……」
部屋に黒髪オールバックで細い目をした男性が入ってくる。スーツのよく似合う男性だ。その男性を見て、春彦は声を上げる。
「あっ……黒都さん!」
「面接は合格だよ」
黒都がにっこりと微笑む。
「え?」
「俺の後についてきてくれ……」
黒都が振り返って部屋を出る。春彦は戸惑いながらそれについていく。
「あの、面接って……」
「まあ、形ばかりのものなのだけれどね。一応やっておかないと上も納得しないものでね……」
「は、はあ……」
黒都がエレベーターの前につき、ボタンを押す。エレベーターが開く。
「乗りたまえ」
「こ、故障中じゃなかったのか……」
春彦は黒都に続いてエレベーターに乗る。黒都は地下の階行きのボタンを押す。春彦は首を傾げる。それを見て、黒都は微笑みながら告げる。
「訳が分からないようだね……」
「え、ええ……」
「例のインタビューを見かけてね。君しかいないと思ったんだよ」
「ええ? 僕しかいない?」
「ふふっ……」
「……それって、もしかして公安関係の仕事ですか?」
「ほう、なかなか察しが良いね」
「い、いや、ほとんど当てずっぽうですけど……」
「まあ、そういうものだ」
「僕に務まりますかね……?」
「務まると思うから呼んだんだよ」
「はあ……」
「着いた。じゃあ、俺の後に続いて……」
黒都がエレベーターから降りる。春彦はそれに続く。黒都は薄暗い廊下を歩く。この階には厳重そうな扉が付いた部屋がいくつも並んでいる。
「こ、これは……」
「ここだ……」
ある部屋の前で立ち止まった黒都が扉を開いて中に入る。春彦も続けて入る。大きく黒い塊のようなものが部屋の中心にある。春彦が首を傾げる。
「うん……?」
「シャア!」
「うわっ!」
春彦が驚いて尻餅をつく。黒い塊が襲いかかってこようとしたからだ。しかし、鎖で繋がっていた為、黒い塊が尖らせた先端部分は春彦にはわずかに届かない。黒都が淡々と呟く。
「こいつをなんとかしてもらおう……これがいわゆる実技試験だ」
「じ、実技試験……?」
「ああ」
「シャアア……!」
「こ、こいつってもしかして、妖ですか?」
「そうだね……」
春彦の問いに黒都が頷く。
「ひょ、ひょっとして、あの大人気漫画、『妖絶の腕』の?」
「そうだよ。よく分かったね」
「序盤の印象的な敵ですから……ってちょっと待ってください! なんで妖がここに!? シ、CGかなにかですか?」
「まぎれもない現実だよ」
「げ、現実……?」
春彦が困惑する。
「……漫画や小説に、『この物語はフィクションです~』っていう文言があるだろう?」
「あ、ありますね……」
「あれ、フィクションじゃないんだよ……」
「ええっ!?」
「現実に存在するんだ。そして、我が国……いや、人類全体の平和を脅かそうとしているんだ」
「ええっ……」
「それをどうにかするのが俺たちに課せられた任務だ……」
「ど、どうにかするって……」
「それじゃあ、頼むよ」
「た、頼むって言われても……」
「シャアア!」
「う、うわあっ!?」
鎖を外された妖が、あらためて春彦に襲いかかる。春彦は慌てて横に飛んで避ける。
「シャア‼」
「おわっ!」
「シャアア‼」
「どわっ!」
「逃げてばかりじゃどうにもならないよ」
「そ、そんなことを言われてもですね! 無理ですよ! 漫画の主人公じゃないんですから!」
黒都の言葉に春彦が声を上げる。
「……やっぱり無謀なんじゃあないかのう?」
「!」
部屋に小柄な美少女が入ってくる。赤髪で腰の高さまで伸ばした長いツインテールと紫を基調とした着物が印象的である。黒都が微笑む。
「手を貸してあげてくれないか」
「あまり気が進まんのう……」
ツインテールの少女は自らの鼻の頭をポリポリと搔く。
「そ、そのお嬢ちゃんは?」
「お嬢ちゃんって、子ども扱いするでない。わらわはそなたよりもずっと長生きじゃ」
春彦の言葉にツインテールはムッとした様子を見せる。
「その幼く見える外見に、のじゃ口調、一人称が『わらわ』……も、もしかして……」
「うん?」
「ロ、ロリババア! 僕の好みドストレートの!」
春彦が歓声を上げる。
「う、うん……!?」
ツインテールが困惑する。
「これは恥ずかしいところは見せられないぞ! うおおおおっ!」
体勢を立て直した春彦が気合を入れる。すると、周囲を圧するような雰囲気を身に纏う。ツインテールが目を丸くする。
「こ、これは……!?」
「思った通りだな」
「ど、どういうことじゃ、黒都!?」
「まずは援護だ」
「あ、ああ!」
「シャア!?」
ツインテールが手で印を結ぶと、妖の動きが止まる。春彦が首を捻る。
「こ、これは……」
「わらわの力で抑え込んでいる! 今の内にやれ!」
「は、はい! 妖を絶やすのは……単純に己の腕!」
「シャアアア!?」
春彦が拳を振るい、妖を思い切り殴りつける。妖は霧消する。黒都が拍手を送りながら春彦に告げる。
「……合格だ。君を歓迎するよ」
「か、歓迎って?」
「警視庁公安部秘事課に」
「ひ、ひめごとか!?」
「今のように漫画などから次元を飛び越えてきたものを取り締まるのが主な仕事だ」
「次元を飛び越える……そ、そんなことが……」
「今、実際に目にしただろう?」
「そ、それはそうですけど……繰り返しになりますが、何故僕なんですか? 体術に長けた人は他に大勢いるでしょう」
「この仕事には、異性間性交渉未経験者の30代男性がもっとも適しているんだ。オタク知識も求められる……役柄に没頭出来る性格も良い……」
「も、もしかして、『童貞のまま、30歳になると魔法使いになれる』っていうネットでお馴染みの冗談は……」
「冗談ではないよ、やや意味合いは異なるが……この秘事課職員に向いているということが異なった形で表社会に伝わったんだ」
「そ、そんな……」
「というわけであらためて歓迎するよ、群山春彦君……」
「か、歓迎されても……」
「もう秘密は知ってしまったからね。課に加わらないというなら、それなりの対応を取らざるを得なくなるな……」
「そんな! 横暴だ!」
「ここまで来たら君に拒否権はないよ」
黒都はにっこりと笑う。
「う、嘘だ……」
春彦はがっくりと両手両膝をつく。
「やれやれ、なんだか気の毒じゃのう……」
ツインテールが苦笑する。
「! あ、あの……」
春彦が顔を上げる。
「な、なんじゃ?」
「わらわさんは……」
「誰がわらわさんじゃ。わらわには赤丸御茶の水というれっきとした名前がある」
「あ、赤丸さんも秘事課の?」
「ああ、課員じゃ」
御茶ノ水が頷く。
「黒都さん、僕も秘事課で頑張ります!」
春彦は勢いよく立ち上がり、黒都に向かって告げる。黒都は笑う。
「それは良かった。よろしく頼むよ」
「ロ、ロリババアと同僚……楽しくなりそうだ……」
春彦の呟きに御茶ノ水が反応する。
「……おい、さっきも言うとったが……」
「え?」
「誰がババアじゃ!」
「ぐはっ!?」
御茶ノ水が両手を掲げると、強い衝撃波が発せられ、それをまともに食らった春彦は部屋の壁にめり込んでしまう。御茶ノ水がツインテールを翻して部屋を出ていく。
「ふん……」
「く、口が滑りました……誠に遺憾です……」
春彦は苦しそうに呟く。
「前途は多難そうだね……」
黒都は苦笑する。
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