しつこいあいつの本性は
ヤンデレサイコパス男とちょっと気が強い女の子のお話です。
pixivにも同じ名前で載せてます。
「琴音さん、おはようございます!」
7時50分、学校へ向かうため、家の扉を開けた先に、そいつはいた。
目の前の男、詩乃圭は、私のストーカーだ。
時期は明確に覚えていないが、毎朝こうして、時間ぴったりに待ち構えている。
口角を限界まで上げ、媚びを売るような笑顔は、胡散臭い。
私は、門扉を押し開けた後、圭と向かい合った。
「きもい」
一言告げると、圭はキョトンとする。
けれど、すぐに花が咲いたような笑顔を見せた。
「はい!もっと言ってください!」
返ってきた言葉に、私は口角を下げる。
「きもい」と、再び、今度は自然と口から出そうになり、すんでのところで飲み込んだ。
いくら罵倒を浴びせても、こいつは悲しむどころか逆に喜んでしまう。
ニコニコとしている男を一瞥し、私は通り過ぎた。
そんな私の後ろを、圭は足音をたてながら追いかけてくる。
ミルクティー色のマッシュヘアに、180ほどの身長、顔は、イケメンと言われる部類に入るのかもしれないが、中身がドM野郎なので、プラマイゼロだ。
どうにか距離をとろうとするが、ムカつくことに、ドM野郎は足が長いので、すぐに追いつかれてしまった。
仕方ないので、意識を歩くことだけに集中させる。
毎日イライラしながら、学校に向かっている。
幸いなのは、登校中、話しかけられないことだ。
厳密に言えば、最初の方は、ベラベラと喋りかけてきたのだが、私がリアクションをしなかったおかげで、だんだんと黙って付いてくるだけになった。
数メートル先に、学校の門が見えてきて、やっとだと、息をついた時、ぞわりと首筋に鳥肌がたった。
バッと、顔を横に向ける。
「琴音さんの髪、綺麗ですよね」
圭は、私に触れながら声を発していた。
は?何言ってんだこいつ。
顎を引き、心底キモイですと、表情だけで伝えると、圭はうっとりと瞳をとろけさせた。
「一本欲しいな、大切にしますから」
喉からヒュッと音がなり、慌てて離れようとした。けれど、それよりも先にブチリという効果音がなった。
一瞬状況が理解できなかったが、すぐに鈍い痛みが頭を走る。
片手で頭を抑え、視線を向けた。そして、圭の手を見る。
そこには、私の髪色と同じ黒の、長い毛が数本巻きついていた。
衝撃の事実に、私は唖然とする。
目は、受けた痛みにより、少しだけ潤んだ。
私に最低な行為をした男は、満足気な顔をしている。
陽気なその姿に、だんだんと怒りが湧いてきた。
なんで私はこんな思いをしなくちゃならないんだ。
感情のままに、圭の髪を掴み、思いっきり引っ張ると、「わっ、い、痛!」と、呑気な声が飛んできた。
「琴音さんも僕の髪が欲しいならあげるから、そんなに慌てなくても」
「要らんわ!この、クソキモ変態野郎!」
髪は、数本しか抜けてなかったが、私は手を離して、そのまま頭をひっぱたいた。
「金輪際私に関わるな!この、クソキモ変態野郎!」
心からの叫びに、圭は目を大きく見開いた。そして、にへりと笑った。
学校近くだと言うこともあり、すれ違う生徒はチラチラとこちらを見てくる。
舌打ちをして、大股で歩きながら、私は校内へと向かった。
「あ、琴音さん待ってくださいよ!」
投げかけられた言葉には、聞こえないフリをした。
HRが始まるまで、私は、イヤホンで音楽を聴きながら時間を潰していた。圭は、目の前で何かを喋っているが、内容は全く耳に入ってこない。
数分して、圭が私の真横に移動した。
話しかけることを諦めてくれたのかと思ったが、違った。
右耳に、雑音が響く。
触って確かめると、周りの音を遮ってくれていたものが消えていた。
私はそこでやっと、圭にイヤホンを取られたことを理解した。
「か、返して!」
キッと睨みつけて抗議するが、当の本人は、えへ☆という効果音が付きそうな顔で、私を見下ろしてくる。
「ダメですよ、琴音さんってば、音楽に夢中で僕のことみもしないし、自業自得ですよ」
「はぁ?」
ため息が混ざったような声が、口から漏れる。
これは、僕が預かっておきますね、と、人差し指と親指で、イヤホンをつまみながら圭は言った。
私が、慌てて腕を伸ばそうとしたところで、朝のチャイムが鳴った。
「あ、そろそろ先生来ちゃいますね、また後で」
つい先ほどまでのしつこさが嘘のように、圭はなんの躊躇いもなく離れて行く。
「っ……うざ」
奥歯を噛み締め、誰にも聞こえない声量で、私は悪態をついた。
買ったばかりのイヤホンだったのに……。
返して欲しいと言ったところで、簡単に戻ってくるとは思えないし。
頭部が痛み、引っ掻くようにして抑える。
左耳のイヤホンも外し、ケースに入れてから、もうこれは使えないなと思った。
取り返すのを断念するほど、私は圭と関わりたくないのだ。
教室にある私の席は、窓際の一番前、圭は、同じ列の一番後ろなので、自由時間がこない限り、接点はない。
休み時間の度にどこかに隠れよう。そう考えていると、ガラガラと音がなった。顔を上げると、いつの間にか先生が来ていた。
私は体制を整えて、背筋を伸ばす。
心に溜まった不快感は、無理やり忘れることにした。
一時間目は数学だった。
昨日やった小テストを、出席番号順に返される。
「次、木内」
苗字を呼ばれ、はいと返事をしながら席を立つ。
教卓の前に行こうとして、ガタンと机に当たってしまった。その拍子に、自分の机から消しゴムが転がり落ちる。
「あっ」
回転を続ける消しゴムは、素直に捕まえさせてくれない。すかりと、私の手は空を握った。
そうして数秒後、私の目の前から消しゴムが消えた。
あれと疑問に思っていると、頭上から声をかけられた。
「この消しゴム琴音のだよね、はい」
「え……あ、ありがとう」
ポンと手渡される。
どういたしましてと、笑っているのは、同じクラスの小野光紀。
丸刈りの頭に、少し日焼けした肌は、The野球部という感じだ。
キツい見た目のせいか、誰も近寄ってきてくれない私にも、たまに挨拶してくれるいい人。
「消しゴムってすぐどっかいくよなー、あ、てか見てよこれ、オレの点数やばくね?100点中11点、こんな低い点数初めて取ったわ」
向けられた紙には、確かに11と、赤いペンで書かれていた。
突然の話題に、私は口を半開きにすることしかできなくて、体も石のように固まった。
「す、すごいねー……」
何とか絞り出した言葉は、最悪だった。
すごいねなんて、煽ってるようにしか聞こえないじゃないか。
どうしようと、下を向くと、ぷっと、笑い声が聞こえてきた。
体がびくりと震え、ちらりと目を向ける。けれど、光紀に気分を害した様子は見られなかった。
「だよな、11点しか取れないって、逆にすごいよな!あ、これは、琴音にしか言ってないから他の人には内緒な?」
けらけらと、歯を見せて笑うその姿は、犬と重なる。
ホッと胸を撫で下ろし、私も笑顔を向けた。
「木内、先にテストを取りに来い」
低い先生の声に、すみませんと口にして、慌てて受け取りにいく。
自分の席に戻る前に、光紀と目が合った。
光紀は、両手を合わせながら、口パクで「悪い!」と伝えてきた。私も、口パクで、大丈夫と返す。
椅子に座って、点数を確認しようとした時、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
辺りを確認して、ある人物から視線が注がれてることに気づく。
詩乃圭だ。
なんの感情もない、アンドロイドのような表情で、私を見つめてくる。
私が瞬きをした次の瞬間には、圭の顔は、いつものムカつく笑みに戻っていた。
テストを受け取った圭は、何故か私に近づいてくる。
圭の眼球は、私を捕らえて離してくれない。
「琴音さん」
名前を呼ばれて、身震いした。
何も答えずそっぽを向いていると、圭の手が、私の手に伸びてきた。
ギョッとして、手の力が抜ける。
その隙を逃さまいと、圭は、私から消しゴムを奪い去った。
そして、引きちぎった。いや、えぐりとった。
粉々にしている。
白い塊が、四方にとびちっている。
私はそれを、眺めることしかできなかった。
圭の手には、最初から何もなかったのかもしれない。一瞬そう思ったが、床には、たしかに消しゴムだった物が、散らばっていた。
周りは、各々で会話に花を咲かせていて、圭の異様な行動には気がついていない。
私が下をぼーっと眺めていると、圭はそれを、ギリギリと上履きで踏みつけた。その後、「はい、これが琴音さんの消しゴムだよ」と、使いかけの消しゴムを、手にのせてきた。多分、圭のものだろう。
胸に広がる嫌悪感。
ほぼ無意識に、私は「いらない、気持ち悪い」と口にしていた。
そして、あ、間違えたと口を覆う。
罵倒はいつものことだが、なんだか今日は、というか、先程の圭の表情がひっかかる。
何か嫌な予感がするのだ。
私は、恐る恐る、目を向けた。
「気持ち悪い……そうですか!」
嬉しそうな圭の顔。
私の予感は、杞憂だったようだ。
「こんなの使いたくない、要らない」
次いで、持たされた消しゴムを、圭の体に押し付ける。
「そうですか」
返ってきたのは、先程と同じ言葉。
けれど、恐ろしいほど冷たい声だった。
「でもダメですよ、これは琴音さんのになったんだから、僕のじゃなくて、琴音さんの。ね?」
「い……いらなっ……」
「これを持ってたら、琴音さんは、僕のこと、すぐに思い出しますね、いつでもどこでも」
至近距離で、圧をかけてくる圭。
胡散臭い笑顔を浮かべ、意味のわからないことを言っている。
ひっぱたいてやるくらいすればいいのに、私は、柄にもなく怯えてしまった。
唇をかみながら耐えていると、圭はスっと距離を取った。
「そろそろ先生に怒られそうなので、席に戻りますね」
私の心臓は、どくどくと激しく動いている。
胸きゅんなんかじゃなくて、命の危機を感じだ時のやつ。
ドM野郎に精神を乱されるなんて、屈辱だ。
それから、1時間目、2時間目と、休憩時間が挟まる度に、私はトイレに行ったりして、圭から逃げ回った。
気づけば、昼休みになっていて、圭に捕まる前にどこかに行こうと、スクールバッグの中のお弁当を探す。
巾着を取り出した時、ヒラリと、紙が落ちた。
確認すると、さっき見そびれた、テストだった。
そういえば忘れていたなと点数を見て、驚愕する。
「……え、11点」
赤いペンで書かれていた数字は、何度見ても、11になっている。
結構自信あったのに……。
項垂れながら紙をしまおうとして、視界の端に、嫌な人物が映った。
詩乃圭が、私に向かって歩いてきている。
また絡まれる。
私は、テストを机の上に、叩きつけるように置き、お弁当を持って教室から飛び出した。
物置として使われている空き部屋を、ずっと進むと、なにもない空間がある。そこに座って私は、一人でお弁当を食べた。
ご飯を食べ終わってから、ポケットに入れていたスマホを取りだし、時間を確認する。5時間目が始まるまで、あと30分ほどだ。
はぁと大きな息が漏れた。
私のため息は、誰かに届くわけでもなく、空に消えていった。
窓から空を眺めると、清々しい青空だ。
私は憂鬱とした気分なのに。ムカつく。
よく分からないイライラが募る。
頭の中は、詩乃圭に侵されていた。
時間は過ぎていき、休みが終わるまであと5分ほどになっていた。
そろそろ戻るかと、私は立ち上がる。
教室についた後、一直線に自分の席へ向かった。
お弁当をバッグにしまい、机の上を見て、あることに気づく。
「あれ……テスト……」
点数を下にして置いていたはずのテストが、なくなっていた。
困惑しながら、床や、バッグ、机の中を探す。
でも、いくら探しても見つからなかった。
終わったと絶望する私の耳に、ささやきが聞こえてきた。
「なんだこれ……え、11点」
「何それ、お前のテスト?うわ、ひっく!」
「は?ちげぇし!俺じゃねーよ、てか誰だよこれ」
会話内容からして、明らかに私のテストの話だった。風で飛んでいってしまったのだろう。
点数だけ見て、名前の欄はまだ見ていないのか、私だとは気づいていない。
バレる!と、心の中で絶叫しながら、話かけようとした。しかし先に「それオレの!」という声が響いた。
「勝手に見るなよ!数学苦手なんだから仕方ないだろ」
声の主は、光紀だった。
クラスメイトが持っている私のテストを抜き取り、手の中に隠している。
「光紀のかよ!苦手だったとしても、11点って、やばくね?てか、もっかい見せろよ!」
「やばくねぇだろ!1桁じゃないし、せーふ!えー、もっかい見せるのかよ、仕方ねぇなぁ」
光紀は、私のテストを持っている手とは、逆の手を出し、クラスメイトに渡した。
「うわ!本当に光紀のじゃん!やべぇ」
「そうだよ、てか、やべぇって言うな!」
騒ぐクラスメイトの頭を、優しく小突く光紀。けらけらと、明るい笑みを浮かべているその姿に、私は呆気にとられた。
キーンコーンカーンコーンと、チャイムがなる。
皆が席に座っていくなか、光紀は私の方にやってきて、誰にも見れないように、テストを返してくれた。
「ごめん、後ろから琴音の名前見えちゃって、点数も見ちゃった、あ、でも、あいつらにはバレてないと思う!」
申し訳なさそうに眉を下げる光紀に、私は困惑する。
本当だったら、謝るべきは私のはずなのに。
「な、なんで謝るの、光紀も、点数知られたくなかったはずでしょ?」
「別に大丈夫。ほら……次の時、オレが高得点出したら、あいつら、めっちゃビックリすると思わない?だから、今回カミングアウトしたのは、油断させるための計画。あ!てか、オレから内緒にしてっていったのに、約束破っちゃった!」
再度ごめんと謝る光紀に、私は思わずクスリと笑った。
光紀は「今度一緒に勉強しよ!」と、誘ってくれたので、私は、首を縦に振った。
光紀も私も、自分の席に戻る。
先程からドキドキとする胸に、疑問を浮かべながらも、私は授業の準備を始めた。
「あー、疲れた」
伸びをしながら、背もたれに寄りかかる。
5時間目、6時間目と終わり、いつの間にか放課後になっていた。
荷物をまとめ、学校から出る。
家までの道のりを歩いていると、勢いよく腕を引っ張られた。その拍子に、何かにボスりとぶつかる。
「え、何――」
「琴音さん」
私の言葉に被せるようにして発せられたのは、馴染みのある声だった。
「僕のこと、忘れてましたよね?」
綺麗に引き上げられている唇に、三日月形の目。
均整な、けれど人間味のない顔に、私は、恐怖で息が詰まった。
その言葉通り、私は確かに、圭のことを忘れていた。
5時間目と6時間目の休憩時間、帰りのHRが終わったあと、いつもなら話しかけてくる圭が、今日は話しかけてこなかった。それに加え、私の頭の中は、光紀のことでうまっていたので、圭を思い出す機会がなかった。
「っ……それがなに!は、離して、うざい!」
謎の不安に、体が震える。
無理やり腕を引き剥がそうと暴れるが、圭が手を離す様子はない。それどころか、さらに力が強まっている気さえする。
「ダメですよ、だって、離したら、琴音さん逃げちゃうじゃないですか」
口をすぼめて話す圭は、表情は柔らかいのに、雰囲気はどろどろと重い。
私は、負けるか!と、対抗した。
「当たり前でしょ!あんたなんか嫌い!キモい、うざい!」
「うんうん、知ってます!」
暴言をぶつけるが、圭はやはり、にこにこと喜んでいる。
どうしたらこいつを引き離せるのだろうか。
考えを巡らせ、ひとつだけ思いつく。
罵ってダメなら、逆に褒めたりするのはどうだろうか。
好意を伝えるのは死ぬほど嫌だ。でも、それで引いてくれるなら、これから先、付きまとわれなくなるなら、今だけ我慢するくらい、どうってことないじゃないか。
黙りこんだ私を不思議に思ったのか、圭はどうしたのかと尋ねてきた。
私は、覚悟を決め、口を開く。
「け、圭のこと、か、かっこいいなぁって、思うし、本当は、すきだよ……」
自分のセリフに、吐き気を催したが、何とか耐える。
さぁどうだと、圭の顔を見た。
「僕のことを好き?へぇ、そっかぁ」
にこにことしている圭。
私が、失敗か、と脳内で舌打ちをした次の瞬間。
ガっと喉を押しつぶされた。急な圧迫感に、咳き込み、目を細める。
充分な息が吸えなくて、必死で、圭の腕を掴んだ。
「嘘つかないで下さいよ、僕のこと、好きじゃないですよね?」
圭は質問してきたけど、私はそれどころじゃなかった。
「琴音さんは、僕のことが、すっごくすっごくすっごく嫌いでしょ?」
返答がないのも気にせず、圭は問いかけてきた。
奥歯をギリギリと噛み締め、何かに耐えている。
「琴音さんは、僕のこと、ドMだと思ってるみたいだけど、違いますよ」
ぼやける視界、苦しくて苦しくて、私は圭の手を引っ掻いていた。
「暴言吐かれるのが好きなわけじゃなくて、琴音さんが罵倒してくれるたびに、あぁ、琴音さんの頭の中は、僕でいっぱいなんだ、って、優越感に浸ってたんです。琴音さんの嫌がることをしたのも、もっと嫌いになってくれれば、琴音さんは、僕のことを忘れられなくなると思ったから」
ぼんやりとした私の頭には、圭の言っている意味が分からなかった。ただの記号として、通り抜けていく。
空気を求める金魚のように、パクパクと口を開け閉めしていると、いきなり、首の圧迫感が消えた。
はぁはぁと大きく息を吸い込み、地面にへたり込む。
圭は、私の顎をつかみ、無理やり目線を合わせてきた。
「そりゃ確かに、嫌いよりは好きの方がいいかもしれないですよ。でも、琴音さんの頭の中が、僕だけに染まっているなら、別に僕のこと一生嫌いでもよかったんです。だけど――」
未だに荒い呼吸をする私を見下ろしながら、圭は、今までで一番人間臭い笑顔を浮かべた。
「違う人を好きになって、違う人で頭がいっぱいになってるなんて、許せないじゃないですか。琴音さん、クラスのやつ、好きになりかけてましたよね?ダメですよ、好きを僕以外にあげるなんて、だって、琴音さんの頭の中は、全部僕で埋まってなくちゃ。好きも嫌いも僕のものです」
圭は、愛しいものを見る目付きで、優しく優しく、私の頭を撫でてきた。
私は、何も喋ることが出来ない。
逃げないと。
このおかしな男から、私は逃げなきゃいけない。助けを求めないと。
回らない頭で、なんとか解決策を探す。
力の入らない足を、ひたすら叱咤した。
「あ、そうだ、言い忘れてたことがありました」
圭が思い出したように声に出し、私の頬を、両手で包む。
今度は一体、何をされるのだろうか。
「MとかSとかよく分からないですけど、僕、いじめられるより、いじめるほうが好きなんですよね、琴音さんが苦しそうな顔してる時とか、泣きそうな顔の時とか、毎回勃つかと思いました」
そう言って、圭は私のほっぺをグ二グ二と弄んでいる。
私は、顔を無理やり引き剥がし、這いずり回るようにして、圭とは反対側に向かった。
「わー、ゴキブリみたいに這い回ってて、面白いですね。でも、逃げるのはダメですよ」
背中にドサリと重みがのっかる。
私はうめき声を出した後、何とか立ち上がろうとした。
ぴた、と、首に柔らかなものが触れる。
途端に、全身の血の気が引いた。
ガタガタと震える私の後ろから「すっごいぴくぴくしてる」と、幼い子供のような口調が飛んでくる。
そして、圭のものだと思われる息が、耳元にかかった。
「僕から離れようとしたら、さっきよりも力を込めて、ギューって握って、つい、殺しちゃうかもです」
愉悦が混じったその声に、私は動きを止めることしかできなかった。
お読み下さりありがとうございます。
少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。