『皇帝弑逆』 無限の再上演で知る失敗の原因。
「新皇帝陛下バンザーイ!」
「真なる皇帝の誕生にカンパーイ!」
これは、いったいどういった罰だ?
神は、いったい何を私の最後に教えようとしているというのか?
◇
初めは、大勢の給仕の中のひとりであった。
新皇帝の弑逆に失敗した当日の朝。
その時点にまで巻き戻り、他者から体験した「その瞬間」までの視覚と聴覚の共有。
弟である新皇帝の殺害に失敗し、その場で処断された私の最期までを「他者の視点」から振り返るという悪夢。
視覚と聴覚の共有とはいっても、それは単にその者の肉体の一部の感覚に相乗りしているに過ぎず、肉体自体を乗っ取れるわけではない。
私は、自身の哀れな最期の瞬間を「様々な他者の視点」から「何度も何度も追体験」させられるという狂気の螺旋迷宮の中に、死後の直後からずっと閉じ込められてしまっている。
そして、いま正にこの瞬間、ちょうど十人目の視点による弑逆失敗の追体験が終わろうとしている。この悪夢は、一体いつ終わりを迎えるというのであろうか?
◇
戴冠式のこの日、列席した諸侯やその名代たちは数にして、およそ五百名ほどであったと記憶している。それに加え、彼らに対応する城内の者たちや、その他諸々の人員を併せれば、おそらく優に千名を超える人間が「あの場」にいたこととなる。
ひょっとすると私は、その全員分の視点をこれから追体験させられるということなのであろうか?
今でちょうど百人目による目撃となるわけが、まだまだ有力諸侯たちが集まっている壇上前の方までは、ほど遠い場所が続いてる。まずは会場の外縁付近にいた面々の視点から、総ざらいというわけなのか、神よ?
◇
予想通り、ゆっくりと、ゆっくりと。
最期の「その瞬間」を目撃した立ち位置に順じ、入れ替わり立ち代わり。
玉座の方へと近づいていく観測地点。
この「呪い」にも似た他視点再演の連続が、面白くなってきたのは、やはり有力諸侯の面々の視覚と聴覚を共有し始めたあたりからであったか。
◇
私は、もともと皇位継承権第一位の押しも押されぬ第一皇子であった。
母親の家格も弟のAと同じく、侯爵家。
Aの侯爵家の方が財力が上ではあったが、長子継承の観点からいっても、何ら問題なく、私が次期皇帝になるものだと私自身も考えていた。
だが、この半年ほど前から事態が急変した。
「第二皇子のAこそが次期皇帝に相応しい!」と声高に口にする諸侯が、いきなり次々と現れ始めたのである。
すでに高齢に差し掛かっていた皇帝は、それを諫めることもせず、ただ放置。私はそれに焦り、長年良好な関係にあった有力諸侯たちを頼り、対抗措置に打って出たが、すでに大勢は決していた。
弟派が事を起こし始めた頃には、すでに根回しも盤石なものであったらしく、私はあっさりと皇位継承戦に敗北を喫することとなった。
◇
「第一皇子のBも悪いやつではなかったのだがな」そう口にするのは、私派であったはずの諸侯のひとりである。「しかし、まあ大した財力もなく、吝嗇家くさい男でもあった。それこそが彼奴の最大の悪業ともいえるか、ふっ」
周辺の者たちからも、小さな笑いが起こる。
これでいったい何人目だ?
私は、仲間だと思っていた者たちからも、ずっとこのように思われていたというのか?
「おい見ろ、Bのあの顔。今にも弟のAに襲い掛かりそうな表情をしておるではないか」
「そんなことしてみろ。その場で即刻首を刎ね落とされるだけだぞ。さすがに彼奴もそこまでの馬鹿ではあるまい」
また小さな笑いが起こった。
◇
「ああ、なんとも居た堪れぬ。本来であれば、B様こそが……」
私が勝手に弟派であると信じ込んでいた男のセリフ。
彼は近衛騎士団の団長Gである。
「陛下もあのようなことさえなければ、きっと……」
ん、父上にも何か理由があったとでもいうつもりか?
◇
敵、敵、味方、敵、味方、敵……。
ゆっくりと、ゆっくりと、私のこれまでの認知がいかに歪んでいたのかを思い知らされる他視点の数々。私が、私派だと思い込んでいた者たちの実に7割以上が、最初から弟派であり、弟派であると信じ込み(信じ込まされ)、敵視すらしていた者たちの中に、多くの私派がいたことを自身の死後に知らされる。
私はこれほどまでに愚かであったのか……。
これこそ<神の罰>に相応しい最後の時間とも言えよう。
◇
最後の最後は、父である前皇帝Cの視点であった。
私は弟の弑逆に失敗し、その勢いのまま、父を刺し、処断された。
なので、必然的に最後を締めくくるのは、ひとつ前の弟Aの視点ではなく、父からのそれであった。
何度も何度も、父の目から見る私自身の憎悪にまみれた醜態の数々。
狂気に取り憑かれた憐れな息子の姿のに、何度も何度も「すまぬ……」「なぜこのようなことに……」と謝り、深く溜息をついていた父上。
私の心は、滂沱の涙で洪水となった。
しかし、泣くための感覚器官すら持たぬがゆえ、胸が永遠に痛み続けている。
本当にこんな最後があっていいのか?
これは余りにも罰が過ぎるのではないのか、神よ?
◇
◇
「新皇帝陛下バンザーイ!」
「真なる皇帝の誕生にカンパーイ!」
皇帝の玉座より見下ろす、万来の諸侯。
その光景を目の当たりにしながら、私は二年前の弑逆失敗の<夢>をまた思い出していた。
誰が真の敵で、誰が真の味方なのか?
そのすべてを裏側から見せてくれた、あの神の夢を。
私は父である前皇帝の視点を見終えた後、もう一度、あの日の、私自身の朝へと意識を戻すこととなった。そして、その私の肉体は私自身の意思どおりに動かすことが出来、衆人環視の中での皇帝弑逆という暴挙を踏みとどまらせることに成功した。
この二年の間、私は計略を巡らせ、頼るべき者に頼り、頼るべからざる者たちを次々と排除。そして遂には念願であったこの帝位に就くことが出来たのである。
神が私にあのような夢を見せたのは、おそらく私が皇帝となることが神のご意思であったということであろう。いや、すべてを知るという試練に耐えたからこそ、認められたというべきか。
二度と過ちは犯すまい。
私は、真の賢帝となるための良い勉強をさせていただいたと、今でも神に感謝している。真なる敵の残党もまだ残ってはいるが、いずれはそれらも殲滅し、盤石の皇国を築き上げてご覧に入れよう、神よ。
さて、Bに憑りついた神は、いったいどのような神であったのか?
ほぼ、あらすじのような殴り書き短編。
真面目に書くと、三時間映画くらいの分量になりそうな物語ではあるが、それを真面目にやる根気もヤル気も今はないので、これにて。
あいだの空白箇所は、自分の肉体に意識を戻した主人公の心理描写で埋めるつもりでいたが、このあらすじ形式の本作では、蛇足感もあるので省略。