領地を追い出された筋肉隆々な同僚にすすめるジョブチェンジ〜平民の私が侯爵家に嫁ぐまで〜
「……え?」
ポタ、ポタ、と私が脱いで腕にかけた魔道服から、水が滴り落ちる。
その音だけが、やけに現実味を帯びて私の耳に入って来た。
「……なんで?」
私は思わず、それを指さして問い掛けた。
「……知らん」
相手は、いつも通り無表情なまま、プイとそっぽを向く。
横を向いて見えた左耳は、赤くなっているような、いないような……?
「いやだって、なんで??」
「俺だって知りたい」
同じく濡れた前髪を掻き上げ、相手はこちらを向いた。
真っ直ぐにこちらを射抜くような黒曜石の瞳は、何の感情も見えないようでその実様々な感情を抱えていることを私は知っている。
「だってアクイット、えーっと………………不能だったんじゃ?」
「溜めた割には随分と直接的な言い方だな、おい」
普通の人なら、多分彼が怒っていると勘違いしただろう。
でも、瞳の奥は笑っていた。
「ごめん」
私は笑って、濡れた魔導服を公舎の入り口にあるフックに掛けた。
「まぁ、いいけど。確かに俺は、間違いなく勃起不全だった筈だ」
「そっちの方が直接的じゃない?」
「本人だからいいだろ」
私達は玄関でとんでもない会話をしながら、廊下を濡らしつつ歩く。
「でも、勃つなら領地に戻って、家門を継いだ方が良いんじゃない?」
我らはとっても能力の低い部類の魔導士だ。
こう言ってはなんだが、平民の私からすれば十分な給料だろうが、アクイットは元々肥沃な土地を領土とする侯爵家の、しかも直系にあたる一人息子だった。戻れば、今の何倍もの稼ぎが手に入るだろうと思われる。
「勃っても、使い物になるかわからん」
まぁ、それもそうか、と心の中で思いながら、「元々はモテるんだから、ちょっと酒場に行って好みの女の人引っ掛けてくるとかは?」と聞いた。
「いや、それよりも……お前が相手になる、とかの選択はくれないのか」
「はぁ!?」
私はぎょっとした。
「いやいやいや無理無理無理」
「何でだ? 俺に、領土に戻れと言ったのはお前だろう」
いや言いましたよ?
アクイットの代わりに今領土を治めているアクイットの従兄は、闇雲に税を上げるから領民が大変な思いをしているのだ。
お陰で、アクイットの領土の大地は肥沃なのに、人が他領に流れている。
そして人が減った分、残ったうちの家族みたいに、皺寄せを被る領民もいるのだ。
実家に帰省するたびに、アクイットの従兄を誰か何とかしてくれとは思うけれども、何の権力もない私達平民は搾取されるばかりで。
「……だって、絶対にアクイットの方がアクイットの従兄よりはマシな気がするし」
アクイットの父親が領主様だった時は、領民も平和で特別なことはなくてもとっても幸せだった。
そのことに気付いたのは、アクイットの従兄が跡を継いでからだけど。
「じゃあ、協力してくれないか?」
「だから、それは無理っ!!」
「何で」
「……け、経験ないし……」
「……は?それだけか?」
それだけってなんだ!!
すっごく重要なことだと思うけど!?
「いや、折角勃ったのに、処女相手じゃ慣らしている間に萎えたら……私、責任取れないよ」
「責任取らなくていい。多分、いや絶対萎えない気がするから……だから、ヤらせてくれ」
「ええー……」
「それとも、誰か想う相手はいるのか?」
黒曜石にじっと見つめられて、私は溜息をつく。
「私のどこに、そんな素振りがあった!?」
へっぽこ低級魔導士だけど、仕事が大好きで。
年がら年中、実家に帰る時以外、下手すれば一日中でも剣に魔力を込めて魔剣を作っている。
おしゃれもせずに、研究塔に引き籠っている私を、目の前の男が知らない訳がなかった。
「いや、全くなかった」
「でしょ」
「なら問題ないよな?」
「ええー……」
話は振り出しに戻った。
「本当に、もし駄目になっちゃっても私のせいにしない?」
「しない。絶対にしない」
「じゃあ……いいよ。試してみよっか」
私が頷くと、アクイットは小さく「やった」と言った。無表情ながら、口の端がすこーしいつもより上がっている気がする。
喜んでいるらしい。
「じゃあ、お風呂入ったら後で部屋にいくわ」
「……お前の気が変わりそうで、嫌だ」
「でも、お風呂入らないと風邪ひくよ?」
どうしろと言うのだ。
「俺も、お前の部屋に行くか、俺の部屋に来て風呂に入って欲しい」
「ええー」
私は渋った。
「ごめん、私今、物凄く萎えそうな上下ベージュの下着なんだよ」
「問題ない。透けて見えてる」
「ええ!?」
ぱっと下を向くと、確かに白いシャツまでびしょ濡れで、色気もへったくれもないのっぺりした下着が透けて見えていた。
「……わかった、アクイットの部屋に行こうか」
「ああ」
アクイットは私の腕を引っ張り、自分の部屋に向かう。
ああもう、逃げやしないのに。
アクイットの大きな背中を見ながら、ところで、何でこんなことになったんだっけ、と私は思いを巡らせた。
***
「……あっ」
「どうかしましたか?」
「……いえ、何でもありません」
十二歳になった私は、生まれ育った領土を離れ、魔導士になる為の試験を受けに首都に来ていた。
魔導士は、身分ではなく、能力によって階級がわかれる。
だから、平民も貴族も同じように試験を受けていたのだ。
私の視線の先に、どちらかというとひょろひょろした体格の男性が多い中、背が高くがっしりとした身体つきの男性がいた。
(……どう見ても、アクイット様だ)
領主である侯爵家の、一人息子であるアクイット。
確か、侯爵家は魔導士を輩出する家系ではなく、剣を得意とする家系だった筈だ。
アクイット様の身体を見る限り、どこからどう見ても試験会場を間違えている気がするのだが、それは赤の他人が気にすることではないだろう。
(まぁ、どっちかが試験に落ちれば関わることもないし)
私は試験会場で、そんなことを考えていた。
まさか、お互い保有量が同じ位の魔力量で、その後ずっと同じ職場で働く仲間になるとは思わずに。
私の住む領土の中では、魔力を持つ人間は少なかった。
だから、井の中の蛙と言うのは私のような人間を指すのにぴったりで、私は「これで農民である家族を家計的に助けられる!それどころか、一級魔導師とかになっちゃったらどうしよう!?ウハウハ!」……と、現実を知らずに意気揚々と試験に臨んだものだった。
結果、悟った。
私は一級魔導師どころか、魔導師と呼ばれるランクにすら到達出来ない、と。
魔力を使う職に就くものを魔導士と呼ぶが、その中でも魔導師はごく一部だ。
魔導師は、魔導士とは一線を画し、魔導士に対して指導する資格を持つ。
魔導師の中でも更に階級に分かれるのだが、ともかく魔導師と呼ばれる者だけが「魔導の塔」と呼ばれる職場に勤められるのだと、試験に受かって初めて知った。
魔導師になれない魔導士も更に階級に分かれる。
十六歳までの見習い期間は魔導士達が住む公舎に住むことは許されるが、まだ魔導士とは呼ばれない。
十六歳の本試験で受かって初めて魔導士と呼ばれることになり、試験結果のランクによって仕事も振り分けられるようになるのだ。
十級魔導士から始まり、四級から魔導師になる。最高峰に君臨するのが一級魔導師で、そのレベルになると十二歳から十六歳までの見習い期間をすっ飛ばして、本人の希望により直ぐに何らかの研究を始めさせて貰えるようになるらしい。
雲の上のような人達だから、未だに姿を見たこともないけれど。
それ位の人になると、仮に式典があったとしても公の場に姿を現すのも稀なので、必然的に三級位の魔導師の方々にお目見えすることが一番多くなる。
でだ。
私は本試験の結果、八級魔導士という、どちらかというと底辺に近い仕事を請け負うことになったのだ。
更に驚いたのが、領主様の息子がまさかの同じ職場に配属されたこと。
(な、なんで一人息子の後継者が魔導士になるんだ!領土はどうするんだ!!)
私は首を捻りながら、仕事がやり辛くなるのも嫌だったので、地元が何処か黙ったまま一緒に仕事をすることにした。
結論から言うと、アクイットは無表情で仕事を黙々とこなすタイプだったが、凄く親切で根は優しい、良い奴だった。
そして仕事は、自分に向いていた。
アクイットがこの仕事に向いているとは正直思えなかったが、徐々に私に気を許し、気付けば昔からの友達のように軽口を叩く間柄になった。
そして二年後の十八歳の時、初めて口にしたお酒で気を大きくした私は、ついアクイットに「一体いつになったら実家に帰るの?侯爵家は継がないの?」と尋ねてしまった。
というのも、私達が十六歳で魔導士になった時に、アクイットの従兄が侯爵家を継いだのだが、悪評が絶えないのだ。
二年間アクイットと一緒に仕事をしてきて、誠実だし人に優しい彼の方が、よっぽど領民のためになる仕事をしてくれるだろうと思った。
「お前が何故それを知っている?」
アクイットの鋭い視線を受け、やってしまった感をひしひしと感じながらも私はアクイットの家門が治める領土の領民だということを明かした。
「アクイットが治めた方が良いって、絶対」
「俺は、あそこに戻らないと決めている」
「……ふーん、そっかぁ」
「……」
本当は、いつものノリで「何で?」と聞きたかったけれども、何となくアクイットが初めて私に対して壁を作った気がしたのだ。
だから、それ以上聞かなかった。
その理由を知ったのは、それから更に一年後だった。
「お前、勃たないんだって?」
「はぁ?」
ある日私達が公舎の食堂で食事をしていると、あまり評判の良くない五級魔導士がいきなり声を掛けて来た。
前々から、やたらアクイットに険のある言い方をする奴だと思っていたが、どうやらそいつの好きな女性がアクイットみたいなガタイのいい男じゃないと嫌だ、と言ったらしい。
つまり振られた訳だが、それにしてもその恨みをアクイットにぶつけるのは間違っている。
しかも、公共の場でそんなプライバシーに踏み込んだことを話し出すなんてありえない。
「すげー美人から迫られても、ぴくとも動かなかったって?」
「何言ってるんですか、いい加減にして下さい!!」
怒りを抑えることが出来ずにその魔導士の胸倉を掴もうとしたが、そいつに伸ばした手は肝心のアクイットに止められてしまった。
「あー、はい。そうですね」
アクイットは淡々と、無表情に答える。
「やっぱり!いやー、勿体ないねぇ。先輩達に相談した?」
ニヤニヤ笑いながら話を続けるその男を殴りたくて私は暴れたが、アクイットに両手をちょっと抑えられるだけで全く身動きが取れなくなった。
「いえ、このままでいいので」
アクイットは普通に答えるのだが、自分の同僚が公衆の面前で辱めを受けたことに腹が立ちすぎて、私の目には涙が溜まった。
「アクイット、何でっ!……離してって!」
「え?何でって、昔毒を盛られてから、使い物にならなくなった」
ち、ちがーう!! そっちの「話して」じゃない! 「離して」だ!!
しかし、アクイットが飄々とそう言うのに、逆にその魔導士はたじろいだ。
普通平民は、毒なんて盛られない。
つまりアクイットがそうした毒を盛られるような身分なのだと気付いたのだろう。
「へ、へぇ。お前も大変だな。まぁ、これからも女の本当のよさを知らないで生きるってのは可哀想だが、他の楽しみ見つけて頑張れよ」
「ありがとうございます」
何で、何で嫌味しか言えない奴に、お礼なんて言うの!!
私は俯いた。涙が零れる。
私がいくら憤っても、文句を言う立場にいないことはわかっていた。
二人の会話の中では既に着地点を見つけていて、収束したのだから。
「うぅ~~……」
その魔導士が去ると、私はテーブルに突っ伏した。
「メティル、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないのは、アクイットでしょ……」
「いや、俺は全く問題ない。お前が怒ってくれて、嬉しいくらいだ」
「何よそれ……」
私は、三年一緒に仕事をしていてアクイットが怒ったところを見たことがなかった。
「何よ、それ……毒を盛られたって、何よ……」
毒を盛られた時も、同じように怒らなかったのだろうか。
今みたいに、無表情なまま、苦しんでいることを誰にも悟らせなかったのだろうか。
「メティル、ちょっと来い」
泣き出した私の腕を引いて、アクイットは自分の部屋に場所を移した。
そして、自分の過去を教えてくれた。
「俺が十歳の時に、俺の父が死んだのは知っているか?」
私は頷く。
剛健で知られた領主様だったが、私が十歳の時に、喪に服された。
「父は俺に盛られたのと同じ毒で死んだ。盛ったのは恐らく……俺の、叔父だ」
領主様には弟がいて、領主様亡き後、その弟が領主代理として一旦跡を継いだ。
そこからだ、領土に活気がなくなり、領民が去るようになったのは。
「俺は生き延びたが、その時医者が俺は勃起不全になり男性の機能を失った、と叔父の前で断言したんだ。その時の、叔父の……喜びを隠し切れない表情を、忘れることが出来ない。父は叔父を信頼していたし、俺も叔父を慕っていたから」
つまりアクイットは、信頼していた大切な人間に裏切られたのだ。
だから、笑えなくなってしまったのかもしれない。
昔のアクイットはもっと喜怒哀楽を素直に出す子供だったと、領土視察で小さい頃の彼を見かけたことのある私は記憶していた。
「叔父は、今後俺が女性を孕ませることが出来ないことを知ると、命だけは狙わなくなった。代わりに、領主代理の叔父の跡は、従兄に継がせるのが家門と領民の為だと言い張りだしたんだ。幸いなことに、俺には少しだけ魔力があった。だから、俺はあの地を去ることにしたんだ」
私は再び涙を流しながら頷いた。
その時アクイットは、どんな気持ちだったのだろう。
信頼を寄せていた人からずっと生まれ育った土地を追い出され、本来の能力を活かすことなく魔導士の道を選ばされた時の気持ちは。
「後で知ったんだが、俺は父が高齢になって生まれた子供だったから、それまでずっと、次の後継は叔父と叔父の子供だと信じて疑っていなかったらしい」
仮にそうだとしても、アクイットの命を狙っていい理由には全くならない。
「叔父さんに、復讐したいとは思わないの?」
「父を殺されたからな、そりゃ思う。思うけど……当時十歳の俺には証拠も、手掛かりも、証言も、何も得られなかった。侯爵家がごたごたすれば結局困ったり大変になるのは領民だ。俺が勃たなければ、結局後々後継者問題で迷惑を掛けるし……それに、叔父がやったんだという確固たる証拠が出なければ、合法的に問い詰めることも出来ない」
「そっか……」
馬鹿なことを聞いた、と思った。
何の非もないのに、親を殺され自分もそんな目にあわされて、許せる訳がない。
「悔しいが、俺には何の力もない。お手上げだ」
そんな会話をした一年後。
私は、二十歳を迎えていた。
先に誕生日を迎えていたアクイットがお祝いをしてくれるというのでいつもは入れない高級なレストランで食事して、帰りに急な豪雨に見舞われ、二人で私の持っていたローブを傘代わりに走って帰った。
そして公舎に入った時……何故だか、アクイットの股間が元気になったのだった。
***
最初はどっちが風呂に先に入るか譲り合っていた筈なのだけど、結局「二人で入った方がどちらかが風邪をひくことはない」とアクイットに押し切られて、何故か二人で入る羽目になっている。
あまりの恥ずかしさで私はタオルを身体に巻いているけれども、アクイットは全裸だ。
風呂だから全裸が当たり前なのに、目のやり場がなくて本当に困る。
だからアクイットに先に湯船に浸かって貰って、私はその上に重なるようにちょこんと入った。
公舎の個々の部屋に備え付けられているお風呂は、広々としていることがウリだ。だから、狭いなんて感じたこともないのだけれど、アクイットが入るだけで少し窮屈そうに見えた。
魔導士のローブを着ていてもその体格の良さがわかるアクイットだが、裸になるともっとよくわかる。
「……凄い筋肉だね」
「そうか?」
私は、後ろから私の腰に回っていたアクイットの腕を筋肉の筋に沿って撫でた。
「……え?今のそれ、誘ってるのか?」
「いや違う。筋肉触ってるだけ」
「だから、それが誘ってるのかって」
「いやだから違うって」
どうやらアクイットの身体に触るとお誘いを掛けていることになってしまうようなので、私は触るのをやめて目をつむった。
冷えた身体に温かいお湯が心地いい。
「メティル……」
いつも「お前」と呼ばれるのに慣れているので、名前で呼ばれてドキリと胸が高鳴る。
振り返ると、アクイットは今までにない近さの距離で、じっと私の目を見ていた。
「ずっと思ってたけど、メティルの目って宝石みたいな綺麗な青緑色だよな」
「私は、ずっとアクイットの目は黒曜石だと思ってた」
同じようなことを思っていたんだな、と私が笑うと、アクイットは微笑んだ。
普段は無表情なアクイットの微笑に、私の胸は大きくドクン、と音を立てる。
「……その笑顔、反則」
「は?それならお前はいつも反則ばっかりだろ」
そう言いながら、アクイットはぎゅっと私の身体を抱き締めた。
「メティル、期待してもいいか? 俺はメティルがどうしようもなく好きだ……」
「アクイット、私も好き……」
そういうことだったみたいだ。
この日私とアクイットは、魔導士という職種のお陰で身分差を乗り越え、晴れて恋人同士になった。
同じ職場で働けるし、同じ公舎に住んでいるし、長い時間一緒にいられるから、幸せは幸せなのだけど。
アクイットの幸せは、やはりここではない気がしていた。
***
「うーん……」
「メティルさん、どうしました?何か難しいお顔をされていますが」
「あっと……すみません、仕事のことじゃないんです」
それなら良かったです、と笑顔で答えてくれるのは、雑務や掃除や簡単なアシスタントとしてもこなしてくれる、何でも屋のフィーユさんだ。
普段は魔導師達の職場である「魔導の塔」を担当しているが、たまたまヘルプで魔導士の職場に来てくれたらしい。
「メティルさんの作成される魔剣は超一流だ、と人気らしいですよ」
仕事ができるだけでなく、こんな嬉しいお世辞まで言ってくれる。
彼女がいる日は、やる気倍増だ。
「ありがとうございます。魔力の少ない八級でも役に立てると思えば、この仕事は本当に楽しいです」
「魔剣は、魔力の多い少ないよりも、剣と付与する能力と魔石の相性だったりを見極める力だったりするらしいですね。メティルさんの見極める力は、天性のものだとお聞きしました」
そこまで褒めて貰えると、流石に照れた。
「ありがとうございます、フィーユさんもよくご存知ですね」
何でも屋は、魔導士ではない。
だから純粋に、その情報量に驚くことも多いのだが。ふと、彼女は一級魔導師の部屋にも出入りをする立場であることを思い出した。
「……例えば、毒を盛られたとするじゃないですか」
「はい!? 毒、ですか!?」
「はい。それって、例えば証拠や手掛かりがなくても、魔導師の方々レベルだったら……時間が経っていても、犯人ってわかると思いますか?」
ダメもとで、軽く聞いてみただけだった。そして、フィーユさんからも軽く返って来た。
「間違いなくわかると思いますね」
「え?」
「え?」
フィーユさんは、仕事の手を止めて、私を見た。
「……ほ、本当に?」
「多分、一級魔導師の方々でしたら、可能だと思いますよ」
一級魔導師か。会ったことも、見たこともない。無理だ。無理だぁーー!!
私は嘆いたが、その数日後に無理だと思っていた対面を果たすとは思ってもいなかった。
***
数日後、私たち二人で下町デートをしていた時、私の横にいたアクイットが急に駆け出した。
「アクイット?」
アクイットはどん、と押されてふらついた魔導服を着た男性が転倒しないようにその身体を押さえると、そのままその男性を押した相手をあっという間に押さえ込む。
「な、何するんだ!」
「今盗んだ物を出せ」
「俺は何も盗んでなんかいない!」
どうやら、その男はスリだったようだ。
「お怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」
私は、何があったのかわからずおろおろとした様子の、被害にあったと思わしきその男性に近づいて、アクイットの方へと誘導する。
「……あれ……それ……私のお財布ですね……」
アクイットがスリから取り上げた財布を見て、やっと状況を理解したらしい。
随分とのんびりした話し方をする方で、何だか和む。
「ああ、マーギアー様でしたか、お久しぶりです。こんな下町にいらっしゃるなんて、珍しいですね」
「アクイット卿……ありがとうございました……ええ……城に呼ばれたのですが……その前に買わなくてはならないものがあって……」
ローブを着ているから、魔導士だ。
ただ、ローブには金糸で見たこともない凝った模様が細部まで施されていた。
やたら上質そうな質感も見たことないし、魔導士への仕事は普通所属先に直接依頼されるから、魔導士が城に呼ばれるなんて聞いたこともない。
……誰なんだろうか?? でもマーギアーという名前、どこかで聞いたような……?
私が首を捻っていると、バタバタと駆け付けた自警団にスリを引き渡したアクイットが「こちらは私の恋人のメティルです」と紹介してくれる。
照れながら「はじめまして」と頭を下げて挨拶をすると、「こちらは一級魔導師のマーギアー様だ」と言われて固まった。
……は?
ちょちょちょちょっと待って!
何でアクイットが、まずお目に掛かれない一級魔導師様をご存知なの?
目で訴えると、アクイットは「ああ、偶に城で会うから」と言われた。
そういやアクイットは貴族だったね、そうだったね……!!
「ま、マーギアー様、わ、私、マーギアー様に伺いたいことがありまして……っ」
「おい、いつになく不審だぞ、メティル」
「ちょっと待ってアクイット、凄く大事な話で、毒、どく……!」
私が舌を噛みそうになりながら一生懸命尋ねようとすると、のんびり一級魔導師のマーギアー様が何かを思い出したように「あ」と言った。
「ああ……毒って……アクイット卿の、話、だったんですね……」
どうやらフィーユさんから話を聞いたようだ。
アクイットは無表情で、こちらを見た。
私は思わず目を背ける。
ごめん、勝手に聞いてしまって、ほんっとうにごめん……!!
「はい、恐らくそうです」
アクイットはマーギアー様に向き直ると、そう答えた。
「ええと……人に飲ませた毒が……証拠や手掛かりがなくても……犯人がわかるかどうかって……聞かれたけど……」
私はこくこくと頷く。
「ええと……その毒に、呪いのような……魔術みたいに、一種の精神的な干渉があれば……犯人はわかります。……ただ、立証しろと言われると……難しいです……」
「そうなんですね……ありがとうございました」
私は人生で一番深く、長く、お辞儀をする。
「アクイット卿の中の毒……殆ど魔術化してたから……何だろうと思ってたけど……よければ、返しておこうか……?」
「え?」
私達二人は、きょとんとしてマーギアー様を見る。
「合法的に……毒を盛られた訳じゃないんでしょう……?」
「はい、まあ、それはそうですね」
アクイットは苦笑しながら答えた。
「じゃあ……ちょっと失礼……」
マーギアー様は、アクイットの眉間をトン、と触った。
「……」
「はい……終わり、ました……」
えええちょっと待ってえええ!?
「終わったというのは、具体的に……?」
「君にかかった魔術を……掛けた相手に……返した、だけ……」
「毒を飲ませた人に、ですか?」
アクイットがそう聞くと、マーギアー様は首を横に振った。
「念を込めた相手に、だけ……、だから、立証は出来ない……けど、犯人は……わかる」
のんびり和やかに言うけれども、それが普通じゃないことだけはわかる。
一級魔導師、怖っっ!!
マーギアー様がそう言った次の日、アクイットに早馬が届いた。
それは、アクイットの叔父の急逝と、重篤な状態に陥った従兄についての知らせだった。
***
「アクイット様、お帰りなさいませ」
「ただいま」
迎えに来た侯爵家の馬車に揺られ、アクイットはもう踏むこともないと思っていた領地へ戻った。
……何故か、隣に私を乗せて。
アクイットのエスコートで馬車から降りる私を見て、執事らしいその人は目を細めた。私が平民であることは知っているだろうに、表情からして、心から喜んでいることがわかる。
「おお、貴女様がメティル様でございますね。お目に掛かれて光栄です」
綺麗に会釈され、私は慌てて頭を下げた。
「こちらこそ、これからよろしくお願い致します!」
アクイットは魔導士を辞め、侯爵家の跡を継いだ。
腰には私の渾身の作品である魔剣を携えて。
うん、明らかに魔導士よりも、魔剣を操る剣士姿の方が圧倒的に似合っている。
私は内心キャーキャー言いながら、カッコいい魔剣士様にジョブチェンジしたアクイットに見惚れていた。
そして魔導士時代に心を通わせたアクイットの恋人、という体で私は平民の身でありながらそのまま婚約者として実家ではなく侯爵家にお世話になることになったのだ。
毒の抜けたアクイットは体力お化けの絶倫だし、アクイットが望めば誰とでも結婚出来る身分であり、私じゃ釣り合わないと思って身を引こうとも思った。
けど、怒り狂ったアクイットに延々と軟禁状態で説得されて、もう運命だと思って受け入れた。
因みに、アクイットの従兄は一命を取り止めたが、叔父という後ろ盾をなくして侯爵家から追い出された。
領民にも嫌われまくっていた為に行き場をなくして、他領へ逃げた先で盗賊に襲われ結局亡くなったという。
アクイットの勃起不全が完治した理由は、マーギアー様曰く、毒の影響というよりも叔父に裏切られたという心理的な要因が勃たない理由に近いということで、私と出会って人を再び好きになる気持ちを持てたことが大きいということだった。
何だか正直、照れてしまう。
私は魔導士を辞めることなく、侯爵家の敷地内に快適な職場を作って貰い、身体に負担のない程度に魔剣作りに精を出した。
そしてアクイットは侯爵家で魔剣士を育て、適正な税収を使って領土の中での公共事業を成功させ、他領から領民が流れて来る程人気の潤った領土へと復活を遂げたのだが。
「パパぁ!! お帰りなさい!!」
「抱っこ! パパ、抱っこ!!」
「ただいま、二人とも」
「お帰りなさい、アクイット」
「ただいま、メティル。身体の調子はどうだ?」
「やっとつわりが終わったところ」
二人の子供と、もうひとりこれから生まれてくる子供。
アクイットは子煩悩なパパとして、更にジョブチェンジを果たしたのだった。
いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。
また、誤字脱字も助かっております。
数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。