宿『新月』
「ああ、もう!あんたは黙っときな。はあ、まあ、いい。とにかくあんたは泊まる場所を探している。大通りからここに迷い込んだ。どう迷ったらここに来るかは謎だがねえ。まあ、そう言う事だね?」
「スペンサー領から出てきたばかりでして……。王都の地理に不慣れなのです」と、私は今日合った事を出来るだけ分かりやすく説明した。
すると、熊さんが、「おい、ロズ」と私の目の前に座って、お酒を飲んでいる女の人に呼びかけた。
「煩いね。余計な事をいうんじゃないよ」
「で、でもよ。俺が気絶させちまったし。相手がお貴族様なら丁寧にしておかないといけないんじゃないのか?」
「ああ、もう!素直にいいな!」
「じゃあよう。可哀そうじゃねえか。一人で王都に出て来たばっかで、色々あっちまってよ。お貴族様がこんな恰好で、ひっくり返ってたんだぜ?今から外に放りだしたらあっという間に売られちまう。今日だけでも泊めてやったらいいんじゃねえか?」
「はあ。全く。あんたが拾って来たんだから、あんたが面倒みなよ。女ってバレないようにしておきな。バレると厄介だ。オゥルソ、あんたの好きにしな」
「あ、有難う、ロズ」
「ふん。じゃあ、店の子達にはあんたの甥っ子が遊びに来たって言っておくからね。あんたの部屋で寝かせてやるんだね。手えだすんじゃないよ」
「ば、ばか!俺はそんな事しねえ!!」
「はっ!」
ロズさんは私の方を向き直ると、少し考えてから私の前でゆっくりと礼をした。
「スペンサー令嬢、今聞いた通りだ。この男、オゥルソがあんたの面倒を見る。ここは長居をしていいところじゃない。明日の朝には出て行っておくれ。私はこの宿、新月の店主、ロズさ」
「ロズさん、有難うございます。そして、オゥルソさんも。失礼な態度を取ってすみません」
私がそう言うと、ロズさんは頷き、オゥルソさんは「じゃ、こっちだ」と言って、私の荷物を持つと部屋を出て行った。
ロズさんの部屋を出て長い廊下を歩き、一度中庭に出てから小さな小屋に入った。
「あの、お嬢さんはなんて呼んだらいいんだ?ロズが女ってバレるなって言ってたろ?」
オゥルソさんは怖がらせないようにと、小さくかがんで私と少し距離を取って話をしてくれた。
見た目は大熊だけれど、優しい人なのかもしれない。
「そう、ですね。ではフレイと呼んで下さい」
「ああ、そうだな。フレイならいいな。よし、じゃあ、俺の事はオゥル伯父さんと呼んでくれ。フレイは幾つだ?十位か?」
「……十八です」
「なに?は?八歳じゃなくて?」
「もう十八です。成人しています」
「は?本当か?貴族ってのは豪華なもん食べるんだろう?店にくる貴族は太ってるんだが……。あ、ちゃんと食べてるのか?」
「ちゃんと食べています」
「俺が八歳の時より小さいんじゃないか?」と首を傾げながら荷物を私に渡してくれ、私が『ゴールド探偵事務所』に行こうとしている事や、借金の代わりに嫁がないといけない事や、それを防ぐ為に伯爵代理の代理で王都に出て来た事を話すと、オゥルソさんは顎を掻きながら頷いた。
「なるほどねえ、何処の世界も似たようなもんなんだな。しかし、ローズストリートは反対方向だぞ?王都の門があっち、南だな、で、王城のある丘がこっち、北だろ?で、歓楽街が南西のここ。ローズストリートは貴族街と平民外の境目の辺りだな。この辺か。北東だ」
「え?」
「見事に真反対だな」
「そんな……」
落ち込む私を見て、オゥルソさんは、また、ポリポリと顎を掻いた。
「明日、ここを出て、近くまで連れてってやるよ。丁度店の買い物があるからな」
「え、本当ですか!有難うオゥルソさん。あ、オゥル伯父さん」
「ああ。いいって。それにしても、頭は打ってないか?見事にひっくり返って驚いたぜ」
「頭はお父様に似て石頭なので大丈夫です」
「そうか。良い親父さんだな」
くしゃっと笑ったオゥルソさんは小屋を案内してくれた。
「古くて悪いな。風呂はないんだ。まあ、一日だから我慢してくれ」と言いながら、小屋の中の洗面やトイレを教えてくれてから「飯を貰ってきてやるから。待ってろ」と言って小屋を出て行った。
私は一人になると、どっと疲れが出て来た。
「はああ。良かった。とにかく屋根がある所で寝れる」
ぐらぐら揺れる椅子に座って、オゥルソさんを待っていると、いつの間にかウトウトとしてしまっていた。
『ねえ、ねえってば』
「ん…」
『あ、やっぱり、聞こえてるんでしょ、ねえ、起きてってば』
「うん?」
ほんの少しの間だけ目を瞑っていたようだ。目を開けると目の前に胸の辺りがバインと開いたきわどいドレスを着た女の人が私の事を指さし座っていた。
『ねえ、あんた、私の事が視えてるんでしょ?』
私は聞こえなかった事にしてもう一度目を瞑ろうとした。もう、今日は閉店なのだ。
『ちょっと、寝ないでよ。返事してくれないと、ずっと耳元で叫び続けてやるから!』
それは止めて欲しい。
「なんですか?」
『あ、ほら、やっぱり。ねえ、お願いがあるんだけど』
私はネックレスを握りしめた。
「私は何も出来ないので、女神様の元へどうぞ旅立って下さい。あー、さようならー、貴女に祝福を」
『ねえ!そんな事いわないでさあ!ちょっと話を聞いてくれてもいいじゃない!』
こんなに頻繁に幽霊に会う事は無かった。お母様達が加護の事を話している時に、『加護』の力は個人差が大きく、幼少期からだんだん弱くなって行く人と、成人して『加護』の力が強くなる人など、色々あると話していた。
私は成人したばかり。もしかして力が強くなった?ふつうは喜ぶ所だろうけれど、私の場合は複雑だ。
なんて使い勝手が悪い加護だろう。会いたいお母様には会えないのに。
『ねえってば!!』
私は試しに両手を合わせて指を組んだ。
「光を生みし、偉大な女神様。闇夜のゆりかごを愛する優しい女神様。私達の母なる偉大な女神様。全てに感謝を」
一番簡単な女神様の祈りを呟くと、私の周りがパアっと一瞬光り、消えた。
『え?なに今の!すご!なに!うわ、滅茶苦茶空気が澄んでない?』
「やはり加護の力が強まってる。気をつけよっと」
私の祈りで辺りが浄化され、この小屋の空気は綺麗に澄み渡っていた。
変な幽霊が来た時にこの言葉を唱えると、悪意ある者は逃げていく。悪意が無い物は喜ぶとお母様が教えてくれた。
ということは。
この目の前のバンシー伯爵が喜びそうバインと胸が溢れそうなドレスを着たお姉さんは悪い幽霊ではないという事だ。
『あー、なんだか、気分がいいわ』
もう、このまま消えてくれないかな。
『ね。でさ。お願いがあるんだけど』
私の願いは虚しく、お姉さんは生き生きと(死んでいるが)話し出したのだ。




