電車に飛び込む人を正面から見てしまった
この文章は、私が事故に遭遇してから数日が経った頃に記したものだ。
この文章はいつ世に出すのか、そもそも世には出さないのか解らないが、時が経過しての要らぬ脚色や忘失を防ぐため、このタイミングで文章としてしたためる。
なお、亡くなった方への同情や憐憫ついての文は、私の推測に基づくものでしかないためあえて廃し、あくまで当時の状況記録を書き記すのを目指した。
【以下、記録本文はじめ】
事故の日、時刻は夕方すぎ。
私は定時を1時間ほど過ぎた時間に仕事を終え、職場の最寄り駅のいつも乗り込む乗車口の前に、スマホを眺めながら立っていた。
電車の車列の最後尾から2号車目の位置であまり人気のない場所だが、私の自宅の最寄り駅で降りると、ちょうど改札前となる位置で便利なため、私はいつもこの乗車口を使っている。
電車がもうすぐ到着する旨の駅ホームアナウンスが、反対側の下りホームで流れる。
いつも通りの日常の風景は、駅に進入してきた下り電車から発せられた、けたたましい警笛音により、あっという間に塗り変えられた。
時たま耳にする、ホームで線路側寄りに歩いている人を牽制する程度の注意喚起のための警笛ではなく、何度も最大音量で連打される警笛から、すぐに異常な事態であることが察せられた。
「何事?」
と、驚いた私はスマホから顔を上げて警笛を鳴らす下り電車と、その進行方向を見やる。
80代くらいと思しき杖をついた老婆が、上りの電車ホームに立つ私のほぼ対面に位置する、下りホームの線路側ギリギリの位置に立っていることに、私は気づいた。
老婆という表現は今の時代、適切な表現ではないのかもしれないが、まだ暑い時期なのに暗い色の厚手で重たそうなカーディガンを羽織り、体重をしっかり預けられる三本足の杖を片手にしていたことから、老婆というイメージが自分の中で強く焼き付いているので、失礼ながらこのままの呼称で進めさせていただく。
老婆の周囲に人影はない。
私が上りホームの最後尾付近の乗車口にいるということは、反対側の下りホームでは逆に先頭車両付近という事になるので、老婆のいる付近の乗車口から乗る乗客は稀なのが、他の乗客が周囲にいないことの理由だろう。
最初、私は老婆が線路上に何か、自分の持ち物を落としてしまったのかと思った。
老婆が身を乗り出して線路を覗き込んでいるようにも見えたからだ。
けど、どうやらそうでない事は、老婆の所作や様子で分かった。
警笛を鳴らしながら進んでくる電車と線路を、老婆は焦ったように何度も首だけを動かして交互に見やりつつも、その場から退こうとしない。
(おい……これって、まさか……!)
と私が思った瞬間に、杖を持つ手を放して、ホームの淵から一歩を踏み出すように老婆が線路に落ちてきた。
線路上に落下する老婆と、低速だが止まり切れない電車の先頭車両が重なる。
私は身体ごと、その瞬間から顔を背けた。
こういうシーンではドラマや漫画ならば、電車の急停車のけたたましいブレーキ音や噴水のように上がる致死量と思しき鮮血、他の乗客の悲鳴がこだまするといった演出が定番だろう。
しかし、現実はそんなことは無かった。
上り側の乗客も下り側の乗客も、ザワつくだけで大きな動揺は見られなかった。
急ブレーキの音が大してしなかったのは、元々停車駅で電車がかなり減速・制動をかけていたから。
乗客側に平静さがあったのは、老婆の姿や鮮血がこちらからは確認出来なかったからだろう。
ただ、あの電車の車両の下に老婆がいるであろう事は、唯一見えている、線路上に転がった帽子が物語っていた。
帽子は、老婆が着用していた暗い色の衣服とは逆の、白色の明るい色合いの物で、血などがついている様子は無く、綺麗な物だった。
その後、間もなくして電車が上下線ともに運休となる旨の駅構内アナウンスが流れた。
運休の駅区間を鉄道会社のサイトで確認し、振替え輸送のバスの自宅までの乗り継ぎルートを頭の中に描きながら、私はすぐに駅を後にしようとしたが、駅の改札を出たところで、はたと気付く。
老婆が電車に飛び込む瞬間、向こう側のホームに人影は私の視界の中に無かった。
そうすると、恐らくは自分が、駅のホームでは一番至近距離でその瞬間を目撃したのではないか?
対面のホームにいたので、ある意味では俯瞰的に電車と老婆の様子が見れていた。
私は、自分が状況を証言すべきだと思った。
これは、どちらかと言うと老婆のためというよりは、老婆を轢く事になってしまった電車の運転士さんを慮ってという動機が、自分の中では大きかった。
あくまで素人目だが、事故が起きた際の電車の運転士の対応は適切であったように見えたからだ。
それを裏付けるためには、間近で状況を見ていた第三者の証言というのは大きな意義があるはずだ。
そう思った私は駅員さんに、自分が対面のホームのほぼ正面から、事故当時の状況を見ていたと名乗り出た。
駅員さんから「ご協力ありがとうございます!」と言われ、その場で待っていてくれと指示されたので、私は駅改札口付近で待っていた。
ただ、駅員さんはその後、振替のルートはどうなっているのか? いつ電車は動くのか? といった、少々殺気立った乗客たちの対応に忙殺されていた。
そんなに規模の大きい駅ではないので、駅員さんの数も全くこの状況に足りていないようだった。
そうこうする間に、次々と何台もサイレンを鳴らした救急車や消防車が駅前に集まってきた。
そして、恐らくは近くの交番から来たのであろう警察官も駅に臨場した。
駅員さんの忙しそうな様子を見て、私は自ら警察官の人に、自分が目撃者であることを伝えた。
名前と連絡先について尋ねられたので、私が運転免許証と仕事用の名刺を警察官の人に渡すと、警察官はメモ帳に私の連絡先等をメモする。
「年齢は何歳ですか?」
「80代くらいの老婆でした」
「いえ、あなたの年齢です」
「あ、私の……〇〇歳です」
まさか、自分の年齢を聞かれているとは思ってなかった。
そこって重要なのか? と首をかしげながら、私は自分の年齢を答えた。
気を取り直して、その警察官に当時の状況を伝える。
自分が見た限り、老婆は事故で足を滑らせて線路に転落した訳ではなく、自らの意志で電車に飛び込んだように見えたと申し添えて。
その後、電車をどかした後に、現地で実況見分をしたいのでご協力をと依頼されたので承諾した。
とは言え、まだ時間がかかるようだったので、駅前のファミレスで夕飯を食べながら待つことにした。
食べたのは、オムライスとハンバーグとサラダが一皿に盛られたプレート。
暑い季節だし、ビールが飲みたかったが、実況見分があるので止めておいた。
食欲不振も無く、普通に完食する。
(ご遺体の一部でも見ちゃってたら、きっと喉を通らなかっただろうな……)
と思いながら、サラダに添えられたトマトの薄切りを口に放りこみ、ファミレスの窓から夜になって暗くなった駅前を眺めると、まだ幾つもの赤色燈が光っていた。
食事を終えドリンクバーで2杯目のアイスカフェモカを飲んでいると、実況見分のために駅に来て欲しいと、先ほど聴取をした警察官から電話があった。
閉鎖された駅の改札前で、駅員さんに実況見分のために警察から呼ばれた目撃者ですと言って、改札を通してもらう。
線路には既に電車は無く、パッと見た限り血が付いているようには見えなかった。
実況見分では、老婆のいた位置に警察官が立ち、自分が対面のホームのどの位置から状況を見ていて、老婆はどんな様子だったかを証言した。
特に、老婆が、電車が近づいてきているのを認知している様子だったか否かという点と、線路に落ちる時の様子については、何度か確認された。
「ご協力ありがとうございました」
「あの……飛び込んだお婆さんは無事だったんでしょうか?」
実況見分が終わった後に、私は、恐らくは守秘義務の関係で具体の回答は得られないだろうと思いつつも、聞かずにはいられない質問を、聴取していた警察官の人に投げかけた。
「……正直、厳しいです」
「そうですか……」
警察官はボカした言い方で私の質問に答えてくれたが、老婆の状態はそれで十分察せられた。
証言が終わった後、ホームのベンチに腰掛けると、思いのほか心拍数が上がっていた。
慣れぬ警察の実況見分に緊張したためか、証言をして事故当時を思い出したせいなのかは自分でも分からなかった。
対面のホームでは、警察官の人が携帯電話で本署へ大声で報告している。
「~は、〇〇歳の男性! え? そうそう! 〇〇歳男性!」
「ぶっ……」
私は思わず少し吹き出してしまった。
多分、目撃者の私の特徴を伝えているようだが、何だかここだけ聞くと、私が電車に飛び込んだ人みたいだなと思えて、不謹慎だがおかしかったのだ。
しかし、警察の人は年齢をやたら気にするんだな。
報告書に必ず関係者の年齢を書かないと駄目なのかな?
今度、機会があったら聞いてみよう。
そんな事を考えていると、電車の運行の再開がアナウンスされたので、私は乗り入れ口に並んだ。
すると間もなくして、乗客が大勢ホームになだれ込んできて、瞬く間に長い列ができる。
列の先頭にいの一番に並べたのは、実況見分に協力したちょっとした役得だなと思い、ようやく来た上り電車に乗って私は帰宅の途についた。
帰宅しても、まだ一種の興奮状態であったので、今夜は寝付けないかと思ったが、それ以上に疲れていたせいなのか、割とすぐに眠気が来て寝てしまった。
特に悪夢も見なかった。
翌日、ネットニュースに詳細が出ていないか調べたが、出てくるのは、昨日電車が人身事故により運休となっていたが、運転が○○時に再開されたという記事ばかりだった。
飛び込んだ人がどういう人で、亡くなってしまったのか否かといった情報は、ついぞ得られなかった。
これで、この件についての話は終わりだ。
最後に、もしこの文章を自死が頭をもたげながら読んでいる人がいたならば、という仮定の下、結びの言葉へ繋げよう。
君のバックグラウンドや君の抱えた問題について何も知らない私からは、無責任に説得はしないし出来ない。
ただ、自死する瞬間の人間の表情や姿を正面から見てしまった立場から、読み取れた事だけ記しておく。
老婆が最期に見せた表情は、「躊躇い」、「逡巡」、「迷い」だった。
決して最期の瞬間は、
「満足」、「覚悟」、「解放」といった、晴れやかな物ではなかったよという事を、記録の結びの言葉として書き記しておく。
【以上、記録本文おわり】