5 『真魚』という偶像崇拝
よろめきながら机にもたれかかると、視線の先にベッドがある。
ベッドの上には大きな亀のぬいぐるみが置かれていた。
気持ちが悪い。
これでもかと登場してくる亀の存在が、とてつもなく不気味で気持ち悪いものに感じられる。
立ちつくす俺の横で、理沙は平気な顔をして家さがしを進めていた。
「おおおーっ、ノートパソコンみーっけ!」
クローゼットの中からベタベタと亀のデコシールを貼り付けたPCを引っ張り出してきた。
おまけに電源コードや無線LANも手ぎわよく見つけ、理沙はそれぞれ接続していく。
「お、おい、勝手に見たら……」
勝手に人のPCを見るのは、日記を盗み見るのと同じくらい悪いことだと聞く。
だから理沙を止めようと思ったが、しかし。
「……やめろといっても聞く耳持たないか、お前は」
理沙はイヒッと笑った。
「そーゆーこと」
両手をワキワキ動かしながら起動を待つ理沙、まるっきり変質者だ。
「さあお姉さんに恥ずかしいところを見せてごらんよぉ、オカルトかなぁ、アイドルかなぁ、BLかなぁ、真魚ちゃんだったらポエムとか書いていたりして、ウプププ!」
この女さすがに抹殺しておかないとまずいんじゃねーか、などと思い始めたころ、画面がOSの起動画面から壁紙に変化した。
「う」「ありゃ」
壁紙を見て、拍子抜けしたように二人で声を上げた。
「えええー、なんとまあ清く正しいことで」
壁紙の画像は、俺たち家族四人の写真だった。
数年前、海水浴に行ったときの集合写真。
全員がカメラ目線で笑っている、幸せそのものを切り取ったような一枚だ。
「真魚、お前……」
「ええー、何もないのお、真魚ちゃんの恥ずかしいところ、何にもないのお?」
悪女が検索履歴やブックマークをあさり続ける。
だがこれといって恥ずかしいところはない様子だった。
○ィ○ニーや○ン○オなど、ごくメジャーなキャラクター関連。
亀の飼い方。
病気に関する情報サイト。
闘病生活をおくっている人たちの掲示板。
健全というか、普通というか、真魚はまっとうな所ばかり利用していたようだ。
「ふーん……」
理沙ほどムキにはならないが俺もちょっと違和感を覚えた。
いくらなんでもキレイすぎる、下世話な空気がまったくない。
「たしかに変だな」
騒ぎすぎて疲れてしまった理沙の背中に、俺は声をかけた。
「まあ、実の妹に恥ずかしい事をしていて欲しいってわけじゃないが……」
そう言いながら、俺はノートパソコンをチョコチョコっと操作して目につく部分を確認する。
「これさ、たぶんのぞき見されることを予想して削除しておいたんだな」
知られたくないことがあるならデータを移してしまえばいい、履歴も消してしまえばいい。
そうすれば誰に見られても恥ずかしい思いをしなくてすむ。シンプルな話だ。
だがそのシンプルさ、はたして誰に向けられたものだろうか?
過保護な母親の目をさけるためか?
充分に考えられる線だが、現在の状況を考えると違うような気がする。
真魚が秘密をかくしたかった相手はたぶん『俺』、天海浤だ。
あいつはきっと今日俺がこのPCをのぞき見することを予想していたのだ。
それはつまり、この失踪事件はあいつが自分で……。
と、そこまで推理しながらPCをいじくっているうちに、俺はふとあることに気がついた。
ブックマーク欄のトップにおぼえのない名前がのっている。
「おい理沙、お前さっきこれチェックしてなかったよな?」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよ、っと……なにする場所だこれは?」
ここ数年で流行している、ボイスチャットやテキストのSNSだった。
「んーなになに………………ッ!?」
なにげなく開いたそこの書き込みを読み続けて、俺は背筋が凍りついた。
そこに、真魚がいた。
正確には『真魚』と名乗る人物を中心として、寒気がするような怪しい会話が行われていたのである。
「こっ、これ……」
舌までふるえて、口がまわらなくなった。
この『真魚』は、本当に真魚なのか。
本当にあいつが、この正気とは思えない発言をくり返していたってのか。
マウスを握る手がふるえてうまく動かせない。
SNSの中は匿名の世界だ。
だれもが素性をかくして好き勝手なことを発言している。
そのせいでかなり醜い本性をさらけ出してしまう奴も多い。
仕方のない側面だと思う。
だがこの『真魚』の精神構造は、異常性においてそんな次元をあきらかに超越していた。
文字の羅列からつたわってくるのはあきれるほどの純粋さと、その純粋さを具材に煮詰めて出来上がった歪すぎる妄想の数々。
表面的には夢見がちでピュアな女の子という印象を受ける。
しかしよくよく読むと言葉のはしばしから常識の殻を突きぬけてしまった異常性が垣間見えてくるのだ。
さらに異常なのは『真魚』の非常識かつ異様な発言に、他の利用者たちが先をあらそうように賛同し、そうだそうだその通りだと従っているところだ。
崇拝している、あるいは洗脳されているとしか表現のしようがない。
SNSの中にいる『真魚』は、とりまく住民たちに女神のように慕われていた。
そして『真魚』の方も、女神が人間を慈しむかのように愛情ゆたかに語りかけていた。
「冗談じゃねえ!」
俺は大声を出してテーブルを叩いた。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
真魚はアイドルでも教祖様でもない、ただの病弱な俺の妹だ。
こんなのが、こんな馬鹿げた『計画』をたてるやつが、真魚であってたまるか!
「くそっ!」
俺は空の水槽をにらんだ。
『計画』を実行するためにこの水槽は空になっていた!
ここに住んでいた亀が『計画』には必要なんだ!
俺は『真魚』の発言を読みつづけた。
否定したい。
こんなのが俺の妹であるわけがないと否定しつくしたいのだ。
でも読めば読むほど『真魚』は真魚であると、俺の理性が判断してしまう。
真魚の口ぐせと『真魚』の文章のくせ。
真魚の趣味と『真魚』の趣味。
真魚の病状と『真魚』の自分語りの内容。
決定打は、この発言だった。
『おにいちゃんはいいなあって真魚がいうと、おにいちゃんはいつもつらそうな顔をするんです』
真魚と『真魚』は、忌まわしいほどすべてが一致していた。
「やめてくれよ、こんな、こんな……」
俺は認めるしかなかった。
亀の事件の首謀者は真魚だ。
そして例の亀溺死事件は、これからやろうとしている馬鹿げた『計画』のプロローグ、あるいは氷山の一角でしかない。
真魚はおそらく、今もこの狂信者どもと一緒にいるのだ。
「止めなきゃ、早く見つけなきゃ……!」
しかしどうやって?
あいつは一体どこにいるんだ?
「何かヒントは……、手がかりは……」
意味もなくキョロキョロとあたりを見回す。
だが気持ちが高ぶりすぎていて、視界がさだまらない。
ただ目線を泳がせているだけだった。
「浤、ちょっと落ち着きなよ」
「冗談じゃねえよっ!」
反射的に大声を出してしまう。
その瞬間だった。
理沙の姿を見て脳裏をかけめぐる強烈な違和感。
違和感は疑惑に変じ、そして次の瞬間には新たな疑惑の種に変化する。
俺はこの町に帰ってきてからの出来事すべてを思い返してみた。




