4 妹と亀の部屋
「自分で帰れよー、こっちは忙しいんだからよー」
「ムキーッ、兄貴までそんなこと言う!」
サルみたいに騒ぐ理沙にむかって、鳶雄さんはぼやき続けた。
「真魚ちゃん探さなきゃいけねえしよー。
本庁のお偉いさん方には例の殺人事件のことでクドクドクドクド……。
大変なんだよー」
うっかり口をついたのであろう一言が、ひどく耳に残った。
例の殺人事件って、何の話だ。まさか、あの亀事件の事か?
「あっ、やべっ、いまの秘密な」
妙に気楽な口調で、彼は俺たちを口止めした。
「はっ? 兄貴、例のってなによ」
やはりというか何というか、理沙が食いついた。
「まさか亀だいて死んでいたっていう、アレの話!? ねえ!」
尋問するかのようにつめよって、兄の胸倉をつかみあげる。
鳶雄さんはうっとうしそうに顔をしかめ、その手を振りほどいた。
「でっけえ声出すんじゃねえよ! まだ秘密なの、言えないの!」
「言わなきゃ拡散するううう!
警察官の兄貴にきいたって、百万人に言いふらすううう!」
悪い時代になったもんだ。ありふれた一般人でもSNSを使えば本当に百万人以上につたわってしまう。
それが鳶雄さんにも分かったのだろう、苦りきった顔で彼はわめいた。
「ああ、わかったよくそっ!
秘密だぞ、絶対に秘密だぞ、バラしたら殺すかんな!」
頭をガリガリひっかいてから、彼は声をひそめて知っている情報をもらした。
「正確にはよ、検死の結果がでてさ、本人以外の人物が足を縛ったらしい、ってことが分かったんだよ」
「つまり密室殺人ね!」
「海辺で発見されてんのにどこが密室だアホ!
殺人か自殺幇助、どっちかの線が濃厚だっつってんだよ!」
「ホージョって何よ、日本語で言いなさいよ!」
「れっきとした日本語だよ! 自殺の協力者がいるってこと!」
いいのかなあ、秘密の会話をこんなでかい声でしていて。
「だーかーらーっ、やっこさんの足を縛ったやつが別にいるって話だよ! 殺したくて縛ったのか、それとも頼まれて縛ったのか、そこまではまだ分からねえ!」
「何でわかんないのよ、縛ったんなら殺人に決まってるでしょうよ」
「殺人なら手と足、両方縛るのがフツーだろうがよ、なんで足だけなんだ?
しかも亀を縛りつける意味がねえだろうよ、ンな殺人、聞いたことねえ」
「何で亀を縛っていたら自殺になるの?
何で? 何で?」
「知るかそんなもん、亀に聞け!」
いや、亀に聞いたって分からないと思うが。
「あ、あともう一つ自殺の理由になりそうな情報があったな」
「なによ?」
「やっこさん――溺死した人のことだけどよ、借金がかなりあったらしい。
そして最近仕事をクビになったって話だ。
人生に絶望して自殺するには、じゅーぶんな理由じゃねえか?」
「そーお? 保険金めあてに崖からつき落とすってのもお約束じゃない?」
「んなこといっていたらキリがねえだろうが!」
「そーいうことも地道に調べんのが警察の仕事でしょうがアホ兄貴!」
ギャーギャーくそやかましい密談? を、俺はなかばあきれながら聞いていた。
真相に一歩近づいてみても、やっぱりわけの分からない事件だ。
キーワードは『亀』。
それさえなければ普通の事件なのだが、亀の存在が混ざることで事件は異様な空気をかもし出している。
そういえばいなくなった真魚も異常な亀オタクになっていたな。
「そういうわけでそろそろおさらばだ! またな浤クン!」
「コラーッ、私をおいていくなクソ兄貴―っ!」
だが時すでに遅し。鳶雄さんを乗せたパトカーは威勢良く走っていってしまった。
なおもギャーギャー騒いでいる理沙を尻目に、俺は何度目か分からないため息をつく。
ホント、落ち着きのない兄妹だなあ……。
「やっぱり、誘拐されちまったのかな」
だれが何のために、という点はこのさい関係ない。
現実に真魚はいなくなったのだ。
本人が自由に動けないのなら、誰かが連れ去ったと考えるしかないではないか。
「悪いほうに考えちゃダメだよ」
「……ああ」
理沙の気休めも、今の俺には効果がない。
気力のこもらない生返事しか出てこなかった。
「まだよ、あきらめるな名探偵!」
ガバッと理沙は立ち上がり、俺にむかって人さし指を突きつけた。
「まずは基本にもどって考えよう、真魚ちゃんが行きたがっていた場所があるとしたらどこか!
真魚ちゃんを誘拐したい悪者がいるとしたらどんな奴か!」
「……ふむ」
もっともらしいことを言われてうなずいてみるが、答えなんてわからない。
「我々に足りないのは情報だ、そうではないかねホームズ君!」
たしかに。
家出にせよ誘拐にせよ、判断する材料がたりなさすぎる。
……しかしな理沙、ワトスン気取りのくせに行動的すぎるぞお前。
「というわけで捜査を再開しようではないか。
ホレ立った、立った!」
腕をつかまれ、引っ張りおこされる。
「な、なんだよ、どっか行くのか?」
「うん、徒歩数十秒くらいの所へね」
「数十秒?」
理沙は人の悪い笑みを浮かべた。
「血のめぐりが悪いねホームズ君、ここはいったい誰の家だね?
いたいけな乙女の園を、ちょこっとのぞいてみようではないか、フッフッフ」
「お、お前、真魚の部屋に入る気か!?」
「真魚ちゃんを助けたいと思わないの、あんたそんなに薄情な兄貴なの!?」
などと言われては、反論しようにも気合が削がれてしまう。
「真魚ちゃんのためだよ、あとで怒られても一緒にあやまってあげるから!」
「むう……」
少しばかり言い争いになったが、けっきょく俺が根負けして真魚の部屋へ侵入することになった。
「さあいざ行かん、乙女の園へ!」
あやしすぎる満面の笑みを浮かべながら理沙は二階への階段に足をかける。
だがそんな彼女を俺は冷ややかに止めた。
「そっちじゃない」
「へ?」
「真魚の部屋は一階の和室だよ、二階は俺の部屋と物置部屋だけだ」
「あ、そう」
昔は真魚の部屋も二階にあった。
でもあいつが小学生のころ、一階にうつしたのだ。
理由は真魚の病状が悪化したから。
一階ならば移動に負担もかからず、また母が近くにいることが多いのでなにかと便利なのだ。
反面俺は二階に孤立することになり、毎日毎晩、下から聞こえてくる話し声や笑い声にモヤモヤした感情をいだくことになるのだが……それはさておき。
部屋のふすまを開けて中に入った俺たちは、蛍光灯のヒモをひっぱり室内を明るくした。
視界に広がるのはやはりというかなんというか……亀だった。
窓をふさぐカーテンはファンシーな小亀が大量にちりばめられた柄。
そこかしこに安置された大小それぞれの亀ぬいぐるみ。
そしてかなり金のかかってそうな、設備の充実したカラの水槽が……。
「あれ?」
いかにも亀が住んでいそうな雰囲気なのに、水槽の中はカラだった。
ついさっきまで愛亀(という表現であっているだろうか。愛犬とか愛猫とかいうし)が居たという雰囲気なのに、どう見てもいない。
なんだこれは?
まさか両親が捨てたってことはあるまい。
あの両親のことだ。俺のものは捨てても真魚のものは絶対に捨てない。
だからこそ意味が分からない。
どこか知人にあずけたのかな……?
「ほう、これはこれは……」
俺が困惑するいっぽう、理沙がテーブルの上に置いてあった本を手にとる。
『うらしまたろう』
ひどく古びているから、きっと真魚が幼いころに買ってもらった絵本だと思う。
俺は気分が悪くなってよろめき、学習机に手をついた。
「フーム、どうやら被害者が犯行直前まで読んでいた本のようですねぇ……」
理沙の悪ふざけにツッコミをいれる余裕すらなかった。
どこもかしこも亀。
事件にも亀。
妹の趣味も亀。
亀、亀、亀!
何なんだいったい!