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2 亀の病室

 それから雑談をしながら歩くこと十五分ほど。

 俺たちは真魚が入院しているという病院にたどりついた。

 町にたったひとつの総合病院であるここは、平日にもかかわらず何十人ものお年寄りでごった返している。


「あい変わらず混んでいるな、ここは」

「うーん、いつもすっごい待たされるんだよねえ、ここの病院。

 んでんで、真魚ちゃんの病室どこよ?」


 理沙に催促さいそくされて、俺は周囲を見わたす。


「親父が中央待合で待っているって言っていたんだけど」


 左右に視線をおくり、人ごみの中から目当ての人物をさがす――いた。

 ヒョロっと細いハゲメガネの中年。

 うちの親父は、俺の視線に気づいて立ち上がった。

 親父は薄汚れたコックコートの上にジャケットを着ただけの、いい加減な格好。

 観光ホテルのレストランで料理長をしている親父なのだが、どうやら休憩時間に抜け出してきただけらしい。


 こんな時くらい休みを取ればいいのによ。


 不満に思いつつも、俺は親父に近づいていく。

 互いに歩み寄って開口一番、親父はありきたりの事を言った。


「お前、ちょっと見ない間に背ェ伸びたか?」


 どうして大人の言うことって、こうもワンパターンなんだろうな。

 一体いつ頃の俺をイメージしていたのやら。


「そんな急にのびるわけねーじゃん。元からこれくらいだよ」


 フーンともウーンともつかないうなり声を出す親父。

 それから一緒に来てしまった理沙と一言二言あいさつをかわし、俺たち三人は真魚の病室にむかうことになった。


「ねーねーおじさん、おばさんは? 来てないの?」


 エレベーターで上の階にむかう途中、理沙が無遠慮に聞く。


「ああ、病室で真魚と一緒にいるよ」


 ごくさりげない一言に、心の中が痛みをおぼえた。

 俺にとって一番嫌いな感情がチクチクと痛む。

 ほんの数秒だけ、俺は嫌な思い出の中にひたった。


 お袋は真魚を生んでからいきなり俺に冷たくなった。

 正確には、真魚の世話で手一杯になって俺を放置するようになったのだ。

 こういうのはわりとよくある出来事らしい。

 二人目の子供に夢中になるあまり、一人目の世話がいい加減になってしまう。


『お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい!』

 

 というやつだ。

 ま、俺の目から見ても真魚は可愛い上に病弱だ。

 お袋が夢中になるのも分かる。

 だがしかし、だ。

 理解できるからといって、気にならなくなるわけじゃない。

 俺の反抗期は不平不満のイラつきにまかせて親の存在を無視するという形で現れ、お袋はなおさら真魚に傾倒けいとうするようになった。

 親父はそれとなく俺に気をつかっている様子だったが、土日祝こそいそがしいホテル業界でやっている以上、長時間顔をあわせる機会がめったに無い。

 そのぶん俺が反発することもあまり無かったが、やはり情熱的に愛しあうってわけにはいかなかった。

 真魚が生まれた日から十四年ちょっと。

 大学生になった今ですら、俺は家族に対して一枚のかべのようなものを感じずにはいられなかった。

 俺があまり実家に帰りたいと思わないのも、これが一つの理由。

 誰にも言えない、恥ずべき感傷かんしょうだとは思っている。


「おーい浤、おーい、おーい!」


 ふと気が付くと、目の前に理沙の顔が。


「なにボケッとしてんのー。病気の真魚ちゃんに会うのが怖くなりまちたかー?」


 いつの間にかエレベーターは止まり、ドアが開いていた。

 俺は気まずい思いをしながら目前の理沙を押しのけ、外へ出る。


「まー可愛くない子」

「うるせえ」


 理沙はまだ何か言っていたが、聞こえないことにして親父をさがす。

 親父はエレベーターホールの正面にあるナースセンターで記帳をしていた。

 見舞いをするためには受付が必要らしい。


「真魚の部屋は?」

「一番奥だよ」


 俺は返事もせずに突き進んだ。

 一番奥の部屋だな。

 廊下の突き当たりは非常口になっており、その少し手前に病室の入り口がある。

 念のためネームプレートを確認すると『天海真魚』とある。間違いない。

 俺は扉をノックした、だが返事はなかった。

 もう一度ノック、コンコン、……やはり反応は無い。


「真魚、開けるぞ?」


 いちおう断りを入れてから引き戸を動かす。

 戸は上から吊るしてある仕組みで、非常に楽々と開いた。

 きっと身体の不自由な病人のための配慮なのだろうな。


「真魚……」


 声をかけながら、病室を見渡す。

 あまりに予想外の光景がひろがって俺はギョッとした。


 そこまはるで亀の部屋だった。


 壁にはビッシリと亀のイラスト。

 亀の写真。

 ヘッタクソな手書きのイラストもある、たぶん真魚本人が描いたものだ。

 小さなテーブルには可愛らしい亀の置物。

 マグカップやティッシュカバーなどの小物も亀デザインのもの。

 備え付けの小さな棚には『浦島太郎』とか『ウサギとカメ』の絵本。

 ベッドの上にも大きな亀のぬいぐるみが置かれている。

 まるで亀専用のファンシーショップだ。


 こんなの普通、病院側が許さないんじゃないかというほどゴッテゴテに、個室内が亀グッズで埋めつくされていた。 


「な、なんなんだこれは……」


 さすがに生きた亀はいない。それは衛生上の問題で病院側が許さないだろう。

 だが仮に許されるものなら必ず飼っていただろう。確信できる。

 こんな気持ちの悪い亀だらけの空間をつくるやつなら、飼いたいに決まっているからだ。

 軽くめまいがした。

 ちょっと見ない間に、妹は亀の妖怪にでもりつかれてしまったのだろうか。


「そうだ、真魚は?」


 あまりの光景にすっかり忘れていた。

 この部屋をこんなにした張本人はどこだ。


「……留守なのか?」


 危険な状態だったと聞かされていたのに、もう歩き回れるほど回復したのだろうか。

 俺の妹はそんなに丈夫な身体ではないはずなのだが。


「ま~お~ちゃ~ん! 理沙おねえさんだよーぅ!」


 自称空気をよむ達人が、大声を上げながら病室に入ってきた。

 この大バカ、病院でデカイ声を出すな。

 やっぱりこいつの言うことは信用ならない。


「あれ~、トイレかな」


 空っぽの病室を見て理沙は首をひねった。

 その後ろから親父が静かにはいってくる。

 親父は室内をひと目みて顔色をかえた。


「真魚はどこに行ったんだ?」


 明らかにうろたえた様子で室内と廊下ろうか交互こうごに見くらべる親父。

 なんだかイヤな予感がしてきた。


「トイレにでも行っているんじゃないか?」

「いや、まだそんな状態じゃなかったんだ。

 あと数日は安静にしていましょうねと、担当の先生が言っていたくらいなんだが……」


 つまり真魚の容態は聞かされていた通りずいぶん悪い。

 なのにこの場にいない。

 なぜだ?

 首をひねっていた、その時だった。


「あなた!」


 大声を出しながらお袋が飛び込んできた。

 俺と目が合い、一瞬言葉を止める。

 だが本当に一瞬の事で、すぐ親父にむかって言葉を続けた。


「ちょっと目をはなしたすきに真魚がいなくなったの!」

「なんだって!」


 親父の言葉を聞くよりも早く、お袋はナースコールを乱暴に押しまくった。

 ビー、ビー、というひかえめなブザー音が、不気味な亀空間内に鳴り響く。

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