1 その死体は亀をだきしめていた
海岸の波打ちぎわに、両足をロープで縛られた男性が横たわっていた。
少し太った中年男。年齢は四十歳前後といったところか。
岩場に身体をぶつけたのだろうか、右半身を大きく損壊している。
簡単にいうとグチャグチャのドロドロだ。
その死体は、奇妙なことに生きた亀をだきしめていた。
ごていねいに包帯でしっかりと身体にしばりつけ、さらに両手でだきしめるように握ったまま死んでいる。
男は明らかに死亡しているが、亀は無事生きていた。
もはや動かなくなった男から逃れようと、ジタバタもがいている。
動かぬ死体、もがく亀。
海岸でそんな奇妙な存在を見つけた第一発見者は、犬を散歩させていた近隣住民のおじいさんだったという。
おじいさんはすぐさま警察に通報し、事件はたちまち各メディアで報道された。
警察発表によると殺人と自殺、両方の可能性を考慮して捜査しているとのこと。
どちらにせよ妙な話だ。
亀をだきしめて死ななきゃならない理由も、亀を縛りつけて殺さなきゃいけない理由も、どちらも想像しがたい。
俺、天海浤は網棚から拾い読みしていた新聞を折りたたんで、隣の座席にほうり投げた。
「たまにあるよな、こういう意味わかんねえこと」
俺は今、帰省のために大学を休み、電車に乗っているところだ。
新幹線から旧国鉄に乗りつぎ、そこからさらに私鉄で一時間。
車両の中もいつの間にやらスカスカになっている。
二年ぶりに見たのどかな風景。
だが三十分もすればあきてしまう。
ヒマになったので他人様がご放置なさった新聞をちょっと拝借したというわけだ。
「しっかし、よりにもよって何でまた」
亀をだきしめた変死体。
この奇怪なオッサンが発見されたのは、なんと俺の生まれ故郷だった。
何度も地名を確認したから間違いない。
俺の生まれた町の、よく知る浜辺だ。
目を閉じればまぶたの裏に、思い出のたくさんつまった海岸線が広がる。
あの場所にそんなヘンテコな死体があがったって?
うげー、って感じ。
まさかとは思うが、第一発見者が知人だという可能性まである。
もしそうだったら見つけた時の話をくわしく聞きたいような、聞きたくないような。
俺の故郷は海水浴場以外にこれといった特徴のない、平凡な海辺の町だ。
きっと今ごろは大騒ぎになっていることだろう。
騒ぐといっても悪い評判が流れて浜辺に客が来なくなるとか、そんな真面目な意味じゃない。
TV局や新聞記者などが毎日押し寄せてきてちょっとしたスター気分を味わっているとか、そんな能天気な意味だ。
よく言えば純朴、わるく言えば軽薄。
俺の生まれ育った町は、そんなお気楽な所。
正直、いま一人暮らしをしている東京の大都会に比べればあまりにも退屈すぎる。
だからあまり帰って来たいとも思わないのだが、そうも言っていられない事情ができてしまった。
妹の真魚が病気で倒れて、そのまま長期入院することになってしまったのだ。
真魚は生まれつき体が弱い。
今回倒れたのも偶然とか不幸っていうよりも、むしろおこるべくしておこった事態らしい。
『もしかしたら、いよいよ来るべきときが来たのかもしれない。
休学でも留年でも面倒みてやるから、とにかく家に帰ってこい』
親父にそう言われての帰省だった。
「真魚は何歳になるんだっけな」
五学年はなれていて早生まれだったから、まだ十四歳か。
学校も休みがちで、家で本ばかり読んでいる妹だった。
『お兄ちゃんは元気でいいなあ』
真魚にそう言われるのが俺にとっては一番うざかった。
何とかしてやりたいと思っても、どうしようもない。
気のきいた言葉も思いつかず、毎度毎度あいまいに誤魔化すしかなかった。
そんな妹がいよいよやばくなって来たという。
さすがに大学の単位など気にしていられない、しばらく東京にはもどらない決意で俺は来た。
複雑な気分の俺を古びた電車が運んでいく。
ふと、開け放っていた窓から、なつかしい潮の香りが流れ込んできた。
窓の外を見やると、緑ゆたかな土手。その向こうに青い海が広がっている。
帰ってきたのだ、故郷に。
「あっ、浤、浤じゃない?」
駅を降りてすぐ声をかけられた。
名をよばれてふり返ると、そこにはジーンズ姿にショートヘアー、そして化粧気のまるでないスッピン女が。
「え、もしかして、理沙か?
髪形変わったから一瞬分からなかったぞ」
「へっへー」
二年ぶりに再会した元同級生は、背中までのびていた長い黒髪をバッサリと落とし、明るい感じの茶髪女に変身していた。
ちなみに彼女とは小学校から高校まで、十二年間おなじ学校に通っていた仲である。
なにせ人口が少ないものだから学校の数も少ない。
引っ越したり地区外の学校を受験したりしないかぎり、新しい出会いなんぞごくわずかしか生まれないのである。
小学校、中学校と卒業式を重ねても、お別れするのは先生と校舎だけ。
高校くらいになってからようやく新顔が増えてくる感じ。
都内の大学に入ってからこの話をして、すごくビックリされたのが印象的だった。俺たちにとっては当たり前なのに、彼らにとっては驚くべきことだったらしい。
それはさておき、目の前の幼なじみ沖村理沙は、二年ぶりの再会をとても大げさに喜んでくれた。
「うわー、メッチャ久しぶりー、なになに、大学中退したの? それともホームシック?」
「アホ、妹が倒れたから帰ってきたんだよ」
「あー、真魚ちゃん良くないんだ、体弱かったもんね」
妹の名前と個性まで知られているという世間のせまさ。
これも田舎ならではである。
「まあいいや、俺は急がなきゃならんから、またな」
俺が横を向くと、理沙は露骨に顔をふくらませた。
「えー、えー、冷たーい、久しぶりに会ったのにー。私をおいてどこ行くってのよー」
「びょ、う、い、ん」
せっかくの再会だ、思い出話や近況報告に花を咲かせたいところだが、そうも言っていられない。
病気の妹を見舞うのが最優先だ。
「あっそうか、そうだったね」
ハッと顔色を変える理沙、だがしかし。
「じゃ私もいっしょに行く!
真魚ちゃんにも会っときたい!」
そう一方的に宣言すると、彼女は俺の背中を追いかけてきた。
「おい、俺は見舞いに行くんだぞ、お前みたいにうるせえ奴……」
「だいじょーぶ、私はこう見えても空気を読む達人だよ、心配ないない!」
「空気を読める奴は、こういう時について来ねえだろ!」
大声を出してもどこ吹く風。
理沙はヘラヘラ笑いながら俺を追い越していった。
この楽観的なノリ。これもまた、この町の特色である。
俺はつくづく故郷に帰ってきたのだと思い知りながら、理沙の後に続いた。