花火大会
「まぁ、まぁ、まぁ」
翌日、神崎家の一室で、星良の母親から感嘆の声が漏れた。室内では、ひかりが星良に浴衣の着付けを行っていた。
「すごいわねぇ、ひかりちゃん。自分で着られるだけじゃなくて、人の着付けもできるなんて。助かるわぁ」
「いえ、浴衣だけで、着物はまだできないんですけどね」
照れたように答えるひかりに、星良の母は感心した眼差しを向ける。
「それだけでも十分凄いわよ。うちの子なんて、女の子なんだか男の子なんだか、わかりゃしないんだから」
「母さん、うるさい!」
ひかりに帯を絞められながら、星良は煩わしそうに声をあげる。星良の母は軽く肩をすくめると、ひかりに一言声をかけて、部屋を後にした。
「母さんってば、自分で着付けしてくれたことないくせに、よく言うわよ」
憤慨した星良に、ひかりは可笑しそうに目を細めた。そんなひかりを怪訝そうに見た星良に、ひかりは帯を結びながら答えた。
「小さい頃に浴衣着せようとしたら、星良ちゃんが泣いて暴れて嫌がって、それから着せるの諦めたって言ってたよ、さっき」
「え……」
「覚えてないんだ」
「…………」
覚えていないが、自分ならやりかねないという自覚が星良にはあった。今も既に、動きづらいのが嫌だと思っている。ただ、ひかりに一緒に着ていこうと誘われたし、可愛い浴衣を貸してくれるというから、着せてもらったのだ。自分から着たいと言う性格ではない。
「はい、できあがり」
明るい声でそう言うと、ひかりは星良を姿見の前に連れて行った。
「ほら、似合ってるよ、星良ちゃん。可愛い」
鏡の中には、黒地になでしこが描かれた浴衣をしとやかに身につけ、短い髪のサイドを編み上げ、可愛らしい和風の髪飾りをつけた星良が立っていた。
見慣れない姿に、照れくさくて直ぐに目を逸らしてしまう。
それに、可愛いと言うならひかりのほうだ。
クリーム色の地に、百合と蝶があしらわれた清楚な浴衣は、ひかりの柔らかな雰囲気に良く似合っていた。普段は下ろしている髪を器用にまとめており、うなじが実に色っぽい。女の星良でも思わず見惚れてしまいそうなほど綺麗で、すごく似合っている。
「星良さん、まーだー?」
密かにひかりに見惚れていると、襖の向こうから月也のからかうような声が聞こえてきた。
「もう終わったよ」
星良が顔を引きつらせたのに気付かず、ひかりが朗らかに答えると、ゆっくりと襖が開かれた。
「おぉ」
隣の部屋に立っていた月也は感心したように声を上げ、太陽は眩しそうな顔で浴衣姿の二人を見た。
「馬子にも衣装だね、星良さん」
「褒めてなーい!」
満面の笑みの月也につっかかろうと、浴衣でいつも通りの歩幅で近づこうとした星良は、浴衣の裾に足をとられ、バランスを崩す。すかさず、素早く前に出た太陽が抱きとめた。
「せっかく可愛い格好してるんだから、気をつけなきゃ、星良」
「うん……」
太陽の引き締まった腕につかまりながら、体勢を立て直す星良。こんな恰好をしていると普段はない恥じらいが生まれるものなのか、少々恥ずかしかった。
「大丈夫? 星良ちゃん。浴衣の時は歩幅は小さめにね」
「わかった」
見本を見せるように、しとやかに歩いて隣の部屋に移動するひかりの所作の美しさに感心する。強さなら誰にも負けないと思う星良だが、女子として、ひかりに勝る物を見つける事は不可能な気すらした。
ひかりの後ろ姿に見惚れていた星良は、同じように太陽が見惚れている事に気付かなかった。
それよりも、そんな星良を見て可笑しそうに笑っている月也に、肘鉄を喰らわすことのほうに気を取られていた。
「キレイだったね」
下駄を鳴らして歩きながら、隣を歩くひかりがそう言って微笑んだ。星良は慣れない歩幅に少しイラついていたが、先程まで四人で見ていた風景を思い出し、同じように笑みを浮かべる。
「月也、なかなかいい場所みつけてきたよね」
今までは花火大会の会場や地元民には良く知られている人の多いスポットで見ていたが、今年は月也が見つけてきたという穴場で花火を見てきたのだ。
花火大会の会場から離れた小高い場所に建つ神社。その裏手を少し行った所に、大きな池があった。そのほとりで見上げる花火は、傍で見るような迫力はなかったが、天高く打ち上げられた花火が木立の上に見え、池の水面に鏡の様に映り、自然の中に二つの輝く花が咲いた様でとても美しかった。他に人がいなく、静かにゆっくりと堪能できたこともよかった。
「準備も万端だったしね」
ふふっと笑いながら、ひかりは少し前を歩いている二人の背中を見る。楽しげに二人で話しこんでいるが、後ろにいる浴衣姿の女子の歩調に合わせて進んでいる彼ら。神社に行くまでも浴衣でも歩きやすい場所を選んでくれていたし、近くに屋台はおろか、飲食物を買う店がない為、事前に食料や飲み物も買っておいてくれた。花火を見る時の為にレジャーシートはもちろん、虫よけの用意も万全で、女子二人はただ楽しく花火を見るだけでよかったのだ。
「でもさ、あんないい場所知ってるなら、なんで彼女といかなかったんだろ?」
恋にうとい星良でさえ、恋人同士でいったらさぞかしいい雰囲気になるだろうと思う程、いい場所だった。
「朝宮くんと一緒にいる方が楽しいから、かな?」
前を歩く太陽と月也が楽しげにじゃれあっているのを、微笑ましそうにみつめているひかり。そんな男二人を見て、星良もそうかもしれないと思う。月也は、太陽の隣にいる時が一番いい顔をしていた。
「ま、月也がいいならいいんだけどさ、彼女に逆恨みとかされたくないなぁ」
ぼそっと呟いた星良に、ひかりは苦笑いを浮かべた。
一緒に花火を見ようと、星良が月也を誘ったわけではない。だが、彼女にしてみれば、彼氏と一緒に花火を見に行った女子などムカつく以外にないだろう。
男子との喧嘩は平気だが、女子との喧嘩は苦手な星良は、まだ見た事のない彼女の事を思うとげんなりした。
「あたしが誘ったわけじゃないんだから、嫉妬なら太陽にしてほしい」
「……朝宮くんは誘ったの?」
嘆息していた星良は、ひかりの問いの意味を計りかねてキョトンと見返した。
「太陽?」
「うん。朝宮くんとは、一緒に花火見に行こうって約束してたのかなって」
「あー……してない」
言われてみれば、そんな事はしていないと気付く星良。もう何年も、花火大会どころか、クリスマスも初詣も互いの誕生日なども一緒に過ごす約束などしていない。「一緒に過ごそうね!」などという可愛い約束は、幼い頃にしたきりだ。いつの間にか、口にしなくても、一緒に過ごす事が互いに当たり前になっていた。
イベントは太陽と過ごす。
それは今も昔も変わらない事で、他に互いの友達も連れてくる事はあるが、どちらかが欠けている事はなかった。
そんな風に思いかえしていると、ひかりがふふっと笑った。
「羨ましいな」
「何が?」
「当たり前の様にいつも一緒にいられる存在。高城くんもそうじゃないの?」
星良は太陽にじゃれついている月也の横顔を見る。そう言えば、月也もいつの間にか当然の様に一緒にいた。だから彼女なんていると思わなかったし、彼女の存在をしらなければ今日だって何の疑問もなく月也も一緒に来ると思っていた。気がつけばここ数年は、三人一緒が当たり前だったのだ。
「いつも一緒にいたいって自然に思える人と出会えるって、幸せな事だよね」
前を行く太陽と月也を見ながら、ひかりは目を細めた。
「ひかりは今までいなかったの?」
眩しそうに二人の背をみつめるひかりに思わず尋ねると、ひかりは少し哀しげな表情になる。
「その時はそうだと思ってても、環境が変わると変わっちゃうんだよね」
太陽たちの背中から自分のつま先へ、ひかりは視線を落とした。
「中学の時、いつまでも一緒だよって言ってた友達も、別の高校行って新しい友達ができたら、だんだんと距離があいちゃった。もちろん今もメールしたり時々遊んだりするけど、来年も一緒に行こうって言ってた花火大会の約束はすっかり忘れてて、とっくに他のお友達と約束いれてたみたい。離れちゃうと、そんなもんなのかな」
「そっか」
寂しげなひかりに、星良はそう返す事しかできなかった。
今まで親友と呼べるほどの女友達はいなかったが、友達はそれなりにいるし、何よりも星良には太陽がいた。太陽がいればそれでよかったので、ひかりの気持ちがわかるとは言い難かった。
「星良ちゃんと朝宮くん、学校違ってもずっと仲が良いでしょう。朝宮くんと話すと必ずと言っていい程星良ちゃんの話しが出てきて、ずっといいなって思ってたんだ。離れててもずっと繋がってる絆って、こんな感じかなって」
ひかりの羨望の眼差しに、星良ははにかむ。
「唯の幼馴染ってだけだよ。っていうか、兄妹みたいな感じ? 家族って離れてても家族じゃ……」
「星良ちゃん?」
照れを誤魔化す様に話していた星良の表情が、言葉の途中ですぅっと冷めたものに変わり、ひかりは小首を傾げた。
星良の視線は、ひかりから、その背後に移っている。
漆黒の目には、野生の獣が獲物を見つけた時の様な鋭い光が宿っていた。