知らなかった
「そんなに意外なこと?」
小首を傾げたひかりを、星良は驚いたように見つめた。
「だって月也に、か、彼女だよ⁉︎ 太陽ならともかく……」
最後は独り言のようになりながら、星良は幼馴染の太陽を見上げた。
太陽が老若男女から受けがいいのは昔から知っている。
小学校までは同じ学校に通っていたが、「星良ちゃんは太陽くんと仲が良すぎてずるい。太陽くんはみんなのものだから、もう少し遠慮して欲しい」と女子の集団から言われたのは一度や二度ではない。その文句は星良にとって理解不能だったが、太陽の人気があるのはなんとなくわかる気がしていた。
明るく誰にでも優しい温和な人柄で、皆を引っ張っていくリーダーシップを持ち、頭の回転が速く、成績もいい。運動神経は抜群で、容姿も整っているが、それを鼻にかける様子は微塵もない。星良にとっては当たり前のように隣にいる存在の太陽だが、女子たちが特別視するのは仕方がないかもしれないと思っていた。
だが、月也は違う。中学で別々の学校になった太陽が神崎道場に連れてきてからの付き合いだから、知り合って三年。
稽古の時も真面目で真剣に武道と向き合う太陽に対し、月也はどこか適当だった。受身をとるのはやたらうまくなったが、向上心が足りないため、いま一つ伸びない。そのわりに、太陽にくっついて毎日のように道場には顔を出すのだ。そして、星良の顔をみては軽口をたたき、怒る星良を楽しんでいる。
ルックスは悪くないし、頭もよく、運動神経だっていい方だ。でも、いつも少しふざけた感じで、子供の様に自分をからかう月也が女子から好かれるのは、星良にはわからなかった。
「そっか。星良は知らなかったんだ」
困惑を隠せない自分に微笑みかける太陽を、星良は軽く睨みながら答えた。
「知るわけないでしょ。想像もしてなかったし。一体いつから?」
「今の相手は……一か月前から、かな?」
思い出す様に視線を宙に彷徨わせた太陽を見たまま、星良は思わず固まった。
太陽の言葉を反芻し、まさかと思いながら口を開く。
「い、今の相手ってことは、前にもいたってこと?」
「あぁ、いたよ」
「…………」
「えぇと、もう一度聞くけど、そんなに意外?」
月也とは小学校から一緒だったひかりが不思議そうに自分を見つめているのに気づき、現実逃避で遠くを見つめたまま固まっていた星良は我に返った。
「あんな、人のことからかってばっかりの月也と付き合う女の子がいる意味がわからないんだけど」
眉間にしわを寄せた星良を、ひかりはまだ不思議そうに見つめている。
「高城くん、昔から女子に人気あるよ?」
「……は?」
「高城くん、話題豊富で楽しいし、他の人が見逃しがちなとこまでよく気付いてくれるから、つい好きになっちゃう子が多いみたい」
「……その高城くんと、私の知ってる月也って、同一人物?」
不審そうな星良に、太陽が堪え切れない様に噴き出した。
星良は唇を尖らせる。
「私にとっては笑いごとじゃないんだけど!」
太陽は幼馴染であり、親友だ。その親友の親友である月也を、星良は結構知っているつもりでいた。学校は違っても、放課後はほとんど一緒にいたのだ。
「っていうか、毎日のように太陽とつるんでて、彼女と会ってる時間なんてあるわけ?」
ふと浮かんだ疑問を口にすると、太陽とひかりは顔を見合わせてから星良を見て、苦笑いを浮かべた。
「まぁ、それで長続きしないんだよな」
「彼女から告白してきて、彼女から別れを切り出すんだよね」
どうやら、一度や二度の話しではない口ぶりだ。
異性と付き合うなど、まだ考えた事もなかった星良には、高校一年にしてもう何人もと付き合った事があるなど想像ができない。しかも、それが身近な人物にいるなど実感がわかなかった。
「それってどうなの? 直ぐに別れるなら、付き合わなきゃいいのに。相手にも失礼じゃない」
「それはまぁ、そうだよな」
「そうだよねぇ」
困ったような顔でちらりと視線を交わす太陽とひかりはまだ星良の知らぬ何かを隠していそうな気がしたが、星良は追及することをしなかった。これ以上、この手の話しについていけない気がしたのだ。
子供の頃から武道一筋で、いつか祖父を越えようと鍛錬ばかりしていた星良は、恋愛話が得意ではなかった。女友達がそんな話題で盛り上がっていても、居心地が悪いだけだった。『恋』というものが、星良にはいまいちわからなかったのだ。
高校生になった今も、友達を好きなことと、恋愛の好きの区別がよくわからない。好きな気持ちに、大切だと思う気持ちに、どんな違いがあるというのか……。
わからない事を考えるのが面倒くさくて、ここまで来てしまった。一番傍にいる太陽も、たくさんの女の子に好かれているものの、太陽が誰かを特別に好きだという話は聞いた事もなかったし、そんなそぶりに気付いた事もなかった。月也だって、彼女がいるような気配なんて、全くなかったのだ。
そこまで考えて、星良ははっと息をのんだ。
そして、隣にいる太陽を勢いよく見上げた。
「まさかっ、太陽にも彼女いたりなんかしないよね⁉︎」
月也のように、自分だけが気付いてないのではと疑った星良だが、呆れ顔の太陽にほっとする。
「いるわけないだろ。オレに彼女がいて、星良が気付かないはずないし」
「だよね」
さすがにそこまで自分が抜けていない事に安心する。
安堵したところで、逆隣りにいたひかりに顔をむけた。
「ひかりも、まさか彼氏いたりしない、よね?」
こちらは少々自信なく尋ねた。ひかりとは高校生になってから知りあったので、付き合いは一番短い。女友達の中では今一番仲が良いが、恋愛にうとい自分だけが知らない可能は否定できなかった。ひかりよりも良く知っていると思っていた月也に彼女がいたのだ。つい疑いたくもなる。
ひかりは、微笑んで星良を見つめた。
「いないよ。いたら、ちゃんと星良ちゃんに報告してる」
「そっか。私も彼氏できたらちゃんと報告するね」
「うん」
女同士で微笑み合っていると、小さな笑い声が聞こえ、星良は不服そうに笑い声の持ち主を睨んだ。
「何がおかしいのよ、太陽」
「あぁ、ごめん。星良に彼氏って想像できないなって思っただけ」
「何それ! 失礼な‼︎」
憤慨する星良の頭を、太陽はくしゃっとなでる。
「恋してる星良って、どんなんだろうな」
「どんなって……」
想像しようとして、全くイメージがわかない事に気づく星良。自分がこれでは、太陽が想像できなくて笑うのも仕方がないかと思えてくる。
「どんなだろう……」
真剣に思い悩む星良と、そんな幼馴染の頭を愛しそうに撫でる太陽。そんな自分たちを、ひかりは微笑ましげに見つめている。
その時はまだ、もうすぐ訪れる恋が、苦しい物だなんて想像もしていなかった。
恋は甘く優しく、楽しくて幸せなものかと、ぼんやりとイメージする事しかできなかった。
「あー、すっきりした!」
門下生のいない道場の中で、星良は爽やかな笑顔でスポーツドリンクを飲み干した。
「そりゃ、これだけ……やればね」
その横で太陽は畳の上に転がり、すっかりあがった息を整えながら、流れ落ちる汗をタオルで拭った。大会での消化不良と、月也に彼女がいた事の衝撃によるストレス解消に、しばらく組手を付き合わされていたのだ。
「まぁ、すっきりしたならよかったけど」
起き上がってスポーツドリンクを受け取った太陽に、星良はにっこりと笑いかけた。
「つきあってくれてありがとね、太陽」
太陽は喉を鳴らしてドリンクを飲みながら、あいている手で、汗でぬれた星良の髪をくしゃくしゃと撫でる。星良は心地よさそうに目を細めた。
幼い頃から、太陽に頭を撫でられるのが好きだった。どんなに機嫌が悪い時も、どんなに哀しい時も、太陽が撫でてくれるだけで気持ちが和らいだ。当たり前の様に自分の頭にのせられる手が、何よりも心地よかった。
「それにしても、月也に彼女がいた事がそんなにショックだとは思わなかったな」
からかうような太陽の口調に、星良は唇を少し尖らせる。
「別にショックじゃないわよ。ただ、驚いただけ。あんないい加減な奴に彼女いるなんて」
「そう? 月也、いい奴だよ」
「どこが?」
半眼で見つめた星良に、太陽は答えを返さず、ただ可笑しそうに目を細めただけだった。
「だいたい、『また明日』って事は、明日の花火大会一緒に行くって事でしょ? 普通、彼女といくもんじゃないの?」
恋心がわからないといっても、普通はそういうものだという事くらい、星良にもわかる。
「今までだって、イベントはあたしたちと一緒に過ごしてたじゃない。その時だけ彼女いなかったわけ?」
「んー、どうだろうな」
濁すような言い方は、いたという事だろう。星良は呆れ顔を、ここにはいない月也の代わりに太陽にむけた。
「いい奴だったら、もっと彼女を大切にするでしょ」
「月也には、月也の優先順位があるんだろ」
言いながら、太陽は再び星良の頭を撫でた。これは、自分を落ち着かせるためというより、この場を誤魔化そうとする為のものだ。長年つきあっていれば、その撫でかたに微妙な違いがあることくらいわかる。
友達としては、月也はいい奴なのだろう。だが、自分の事をしょっちゅうからかったりする辺り、女子にとっていい奴かは甚だ怪しいと星良は思う。
彼女もさっさと目を覚ませばいいのに……。
そんな事を思いつつ、星良たちは稽古を終え、道場を後にしたのだった。