開演
直前にアクシデントがあったものの、開演のベルが響いた後は、おおむね順調だった。
『白雪姫』にアクションを加えたパロディーは意外と客の受けが良く、アクションシーンの度に客席からは感嘆の声が響いていた。特に、月也と星良のシーンはひと際もりあがった。互いに遠慮なく打ちこめるので、他の相手とよりも動きが格段に良かったからだ。
「次で終わりだね、星良さん」
舞台袖で、いつの間にか隣に立っていた月也が星良に囁いた。
物語は終盤。次は、王女が毒を仕込んだリンゴを、白雪姫だけではなくこびとたちも食べてしまい、死にはしないが動きが鈍り、そこを狩人とその手下に襲われてピンチになった所を、王子が助けに入るというシーンだ。狩人と手下はそこで王子に倒されるので、手下の星良はこのシーンが終われば出番はない。
「王子がカッコよく決めてくれるといいんだけどね」
王子のアクションはここだけで、この後エンディングに向けての演技がメインだ。ルックスで選ばれたので、アクションはそれほど上手でもない。今までがいい感じできているだけに、ここで失敗しない事を祈る。
「ま、星良さんがうまいから大丈夫でしょ」
「せいぜい派手にやられてあげるわよ」
にっと笑って、星良は舞台裏を通り、月也とは逆の舞台袖に移動した。
舞台をそっと覗くと、客席の一番前に陣取った太陽とひかりの姿が見えた。二人とも、袴姿のまま楽しそうに舞台を見ている。その間に空席があるのは、急遽カメラ係となった樹のものだろう。当人は客席をちょろちょろと動き回って、色んな角度から写真を撮っている。
星良は太陽の顔を見て緊張をほぐすと、出番を待つ。毒のりんごを口にした白雪姫とこびとたちが弱ってきた所で、狩人と共に舞台に出た。
スポットライトをあびる舞台上は暑い。りんごを食べて苦しむ演技をしていたこびとたちは汗だくだ。白雪姫はぱたりと倒れただけだからか、メイクは全く崩れた様子はない。
星良はそんな事を観察しながら、狩人のセリフが終わるのを待った。それが終わったら、白雪姫である唯花に襲いかかる。助けようとする月也をはじめとしたこびとを倒し、白雪姫に止めを刺そうとしたところで、現れた王子にやられる。それで役目は終了だ。
人前が苦手なわけではないが、演劇はこそばゆくて、星良は早く終わらせたかった。
練習通り、白雪姫を守ろうとしたこびとたちを次々に倒す。彼らは舞台の奥、森の風景を描いた背景の傍に倒れ込んだ。星良はそれを無表情で一瞥し、狩人の指示に従って白雪姫に近付く。そこに、王子役が勢いよく現れた。セリフを言った後、星良とのアクションが始まる。
剣を抜いた王子が星良に切りかかり、星良はバク転でそれをかわす。着地した瞬間に地を蹴り、王子との距離を縮め、上段回し蹴りを放ち、王子がそれをかわす。
順調だと思ったのは、そこまでだった。星良の蹴りをよけた王子は、床にたまっていた汗で足を滑らせバランスを崩し、舞台の奥側に向かって勢いよく転がった。そして、大木のセットに激突する。
大木のセットはぐらりと揺れると、たくさんの枝葉をつけた上部の重みに負けて倒れてきた。
王子役は反射的に下敷きにならないようによける。星良も余裕でよけようとしたが、自分の後ろに唯花が倒れている事を思い出した。
振り返ると、客席のざわめきで異変が起きた事に気付いた唯花は目を開けていたが、突然のことで動けないのか、倒れた姿勢のまま硬直している。ただのベニヤ板ならまだマシだが、大木のセットは枝の中心には針金を使っていたし、葉は丈夫な紙でできている。唯花の位置だと枝葉の下敷きになり、間違いなく怪我をする。
星良は反射的に床を蹴り、唯花に覆いかぶさるようにして手と膝をついた。セットを受け止めきれないと判断し、自分が盾となるのが一番被害が少ないと判断したからだ。
客席の悲鳴と共に、星良の上を影が覆う。痛みを覚悟して身を固くした星良だったが、痛みどころかセットの重みすらやってこなかった。
客席の歓声ともとれるざわめきに、ゆっくりと身を起して状況を確認しようとした星良の視界に、ふわりと揺れる袴が映った。
驚いて振り仰ぐと、袴姿の太陽が両手をあげ、セットを支えていた。セットが倒れるのを見て、反射的に舞台に上がったのだろう。太陽の視線の先を追うと、セットの根元を月也が支えている。二人は目線で合図をすると、人のいない方向にセットの大木を落とした。そして、呆然としている星良と唯花に微笑みかける。
「大丈夫か?」
膝をついたままの星良は、差し出された太陽の手をとろうとした。舞台上という事も忘れ、助けられたというドキドキで動作はゆっくりだった。
そのせいで、横からさっと太陽の手を奪われた。驚いて横を見ると、いつの間にか星良の下から抜け出した唯花が、太陽の手を握っている。
「ありがとう」
助けられたヒロインとしては完璧な演技に見える、うっとりとした表情。太陽が唯花の手を優しくひいて立ち上がらせても、唯花は手を放さずに太陽を見つめている。
観客を背にしながら、星良はひくっと顔をひきつらせた。
今のは絶対、自分に向けて手を差し伸べた。唯花にじゃない。
そんな思いで唯花の横顔を睨みそうになった時、月也のよく通る声が響いた。
「あなたこそが、白雪姫の運命の相手だったのですね、異国の王子よ」
明らかに自分に向けられた声に、太陽が驚いて月也の方に振り向く。目が合うと、月也は三日月形に目を細めて笑みを浮かべた。そして、倒れたセットの脇で座ったままの、王子役をちらりと横目で見る。
「まさか、王子の格好をした刺客までいるとは、気づきませんでした」
舞台上にいる全員がぎょっとしたように月也を見る。どうやら、月也は太陽を巻き込んでこのまま劇を続行する気の様だ。
事故かと思ってざわめいていた客席は、演出の一環だったのかとほっとしたように劇の続きを待ちはじめた。
太陽は客席に背を向けたまま月也を軽く睨んだが、月也の笑みに負けて小さく息を吐いた。どうやら、付き合う覚悟をしたようだ。
「私が運命の相手かはわかりませんが、舞踏会で遠目に見た姫に心を奪われ、姫が不遇の身の上になっているとお聞きし、お守りできないかと案じていたのは確かです。なかなかお迎えにあがれませんでしたが、間に合ってよかった」
すらすらと太陽の口をついてでたセリフに、星良は唖然とする。よくこの一瞬で話を合わせられるものだ。
星良がぽかんと太陽を見上げていると、太陽は振り向き、星良に笑顔を向けた。ずっと握られていた唯花の手を放し、ぐいっと星良を立ち上がらせる。そして、その肩を抱いた。
「この者は、実は私の臣下です。私が迎えに行くまで、王女の刺客にまぎれ、襲う振りをしながら姫を守っていたのです」
突然の密着と、アドリブの演技に巻き込まれ、どうしたらいいのかわからなくなる星良。それが伝わったのか、太陽は肩に置いていた手を頭の上に移動させ、くしゃくしゃっと頭を撫でた。
「よくやった。おかげで、姫を守ることができた。もう、休んでいいぞ」
この場は自分たちに任せて、星良は舞台からはけていいぞ。
太陽がそう言っていると悟り、星良は自分の主という設定になった太陽に頭を下げると、舞台袖に戻った。
ほっと力が抜けてその場でしゃがみこみながら、星良はそこから舞台を見つめた。
月也と太陽は、アドリブとは思えない程自然に物語を進めていき、わかりやすいセリフの流れで他の演者もなんとか話を合わせていた。
結局、実は王女の刺客だったとされた王子役はこびとたちに捕まり、異国の王子である太陽と白雪姫が結婚して終わるというエンディングを迎えた。何故だか太陽にお姫様だっこをされてエンディングを迎えた唯花は、殊更に満足そうだ。
「ありがとぉ、朝宮くん」
拍手喝采の中舞台袖に戻ってきた唯花は、甘えた声で太陽を見上げた。
「私のこと守ってくれてぇ、すっごく嬉しかったぁ」
「怪我がなくてよかったよ」
太陽は唯花に笑顔を返すと、踵を返して近くにいた月也の肩に手をかけた。振り返った月也を軽く睨みつけ、何やら軽い言い合いをはじめる。じゃれ合う二人をじっと見つめていると、同時に二人が振り返り、星良に歩み寄ってきた。
「星良、お疲れ」
「だめだよ、星良さん。あんな庇い方したら怪我するの星良さんなのに」
「ホントだよ。おかげで思わず舞台に飛び乗って、月也に巻き込まれちゃったじゃないか」
注意口調ながらも、二人の眼差しにはまったく責めの色はなかった。くしゃくしゃと星良の頭をなでる太陽は、むしろ唯花をかばった星良を褒めているようにすら感じる。
「だって、人が怪我するよりマシだと思ったから」
「星良らしいけどね」
困った様に太陽が微笑んだ時、舞台裏の扉が開いて、袴姿のひかりと樹が飛び込んできた。
「大丈夫だった? 星良ちゃん、朝宮くん」
「決定的瞬間、ばっちり撮ったっす!」
心配顔のひかりは星良にかけより、対照的に興奮した様子の樹は月也の前にかけよった。
「うん、私は大丈夫」
ひかりが傷がないか顔や体を見回すのを笑顔で見つめる星良。本当に心配してくれているその気持ちが嬉しかった。
ひかりは星良に傷がないのを確認してから、隣に佇む太陽を見上げた。
「朝宮くんは、左手をだして」
「え?」
「ほら、早く」
言いながら、ひかりは袖の袂からハンカチを取り出した。しぶしぶ出した太陽の手の袖をまくり、血が滲んだ所にハンカチをするりと巻きつける。太陽の怪我に関しては既に気づいていたらしい。星良は気づいていなかった。
「朝宮くんって、星良ちゃんのためならホント無茶するよね」
「うーん、そうかも」
否定しなかった太陽に嬉しさを覚えたが、応急処置をするひかりを見つめる優しい眼差しに、ちくりと胸が痛む星良。
太陽は自分を守ってくれようとする。大切にされている。
だけど、自分は太陽に何をしてあげられるのだろう……。
ひかりのように、さっと手当てする甲斐性もない。与えられるものが、思い当たらない。
クラスの仕事に戻らなくてはと去っていく二人の背中を切なげに見送った星良は、その背後で唯花がひかりを睨みつけていた事に気づかなかった。




