勘違い
星良が縁側に戻ると、太陽は食べ終わったアイスのカップを脇に置き、抜けるような青空を眩しそうに見上げていた。
「おかえり。アイスごちそうさまでした」
「……ただいま」
星良に気づいて微笑みを向けた太陽の隣に、星良は仏頂面で腰を下ろした。先程の唇の感触を思い出し、再び顔が赤くなりそうなのを抑えるには、そんな顔をするしかなかった。どうしたら普通の顔をしていられるのか、わからなくなっている。
「……星良、怒ってる?」
ひょいっと顔を覗きこんだ太陽から逃れる様に、星良は視線を逸らす。
「別に怒ってない」
ぶっきらぼうに言って顔をそむけた星良を、太陽はしばしじっと見つめている。
少しして太陽がふっと笑ったのを星良は感じた。
太陽に視線を戻し、軽く睨む。
「なんで、そこで笑うのよ?」
ムッとしている星良を、太陽は柔らかな笑みを浮かべて見つめている。まるで、愛娘の成長を見守る父親のような眼差しだ。
「指についたアイス舐めたから怒ったんだろ? もうしないよ。ごめんな」
「答えになってないけど!」
唇をとがらせた星良に笑みを深めると、太陽はくしゃっと星良の髪を撫でた。そして、立ち上がる。
「じゃ、稽古にもどるな」
「ちょっと、太陽!」
道場に向かう太陽の背中に叫ぶと、太陽は足を止めて肩越しに星良を見つめた。
そして、小さく笑う。
「星良もいつまでも子供じゃないんだなってこと」
「はぁ?」
眉根を寄せた星良にそれ以上何も言わず、太陽は道場に行ってしまった。
母屋から道場に続く渡り廊下を歩いて行く太陽を見ながら、星良は太陽の言葉を反芻して唇を噛んだ。
「それって、今まで子供だと思ってたってことじゃない……」
子供だと思ってた、女の子として意識していなかった。だから、平気であんな事をした。
「しかも、怒ったとか思ってるし!」
痛む心を誤魔化す様に、ダンっと床を叩く星良。
大好きだった父親をなんとなく厭わしく思いはじめる思春期の女の子のように、星良も太陽が触れるのを嫌がったのだと、そう勘違いしたのだ。
「気づくなら、ちゃんと気づけ‼︎」
思わず庭に向かって吠える。
自分が太陽に対して違う意識をし始めたと気づくなら、ちゃんと今までと違った好意になったのだとわかってほしかった。
嫌だったんじゃない。
触れられて、ただドキドキしただけ。
太陽の熱を感じて、好きだと言う気持ちが溢れただけ。
怒るのとは、真逆の感情だ。
「……バカ」
太陽が撫でてくれた短い自分の髪に、星良はそっと触れた。
幼い頃から、太陽に頭を撫でられるのが好きだった。くすぐったいような、嬉しい気持ちになる。
どんな嫌な気持ちも忘れさせてくれる、魔法の様な太陽の手……。
へんな勘違いをして、それがなくなるのは嫌だった。
だけど、まだ言えない。
自分がどうしたいのかわからないのに、太陽に今の気持ちを伝えられない。
伝えた後、どうしていいのかわからなくなる。
今でさえ普通の表情がわからなくなったのに、告白してしまったら、もうどうしていいのか想像すらできない。
「あー、もう、めんどくさい!」
母屋に誰もいないのをいい事に、星良はストレスを吐きだす様に大声で叫んだ。稽古が始まっているので、道場の中の太陽や月也に聞える事もない。
もっと色々叫んですっきりしたかったが、さすがにそれは自粛した。
そのかわり、ごろんと横になる。
日陰になっている縁側の床板が少し冷たくて気持ちいい。
「気づかなければよかったのかなぁ」
自分は恋にむかないのではと、つくづく思う。
この気持ちを楽しめない。
面倒くさくて、逃げたくなる。
でも、一度気付いてしまったらきっと逃げられないのだろう。 諦めて、自分の気持ちとじっくりと付き合うしかない。
面倒くさくても、心が痛くて、苦しくても、太陽のそばにいたいなら、この気持ちと向き合って乗り越えていくしかないのだ。
ずっと恋話をしている女子は楽しそうだと思っていた。 何が楽しいのかわからないが、切ない片想いの話しさえ、好きな人を思う輝く瞳は恋はいいものだと言っているようだった。
それが良くわからなかったが、恋を自覚した今も良くわからない。
知らない時のほうが楽しかった。
意識していない時のほうが、無邪気に傍にいられた。
意識したとたん、今まで通りに出来ない自分に戸惑っている。
太陽は何も変わっていないのに、同じに出来ない自分がもどかしい。
「……はぁ」
星良は深々と溜息をついた。
恋話をきゃっきゃと楽しんでいた女子の様に、誰かに話してしまえば楽なんだろうか。
だが、そもそも話す相手がいない。
ひかりがダメだとなると……。
そこまで考えて、ふと月也の顔が浮かんだ。
相談にのると言った思いがけない優しい声を思い出した。
恋の相談をする気にはなれないが、このもやもやとした気持ちを聞いてもらう事はありだろうか……。
「でも、月也は月也だしなぁ」
話しても、いつもの様にからかわれ、余計ストレスがたまる気がしなくもない。
星良は冷たい床に頬をつけ、静かに目を閉じた。
今までは、太陽に何でも話してきた。
言葉にしなくても、星良の気持ちを察してくれた。
それが出来なくなると、他に話しを聞いてもらう人が思い浮かばない程に、太陽に依存してきたのだ。
その存在を失ってしまったら、自分は自分でいられない気がした。
それにしても……。
と、思いながら星良は深々と溜息をついた。
今更ながら、気づく。
全てを共に過ごしてきた家族で親友に頼り過ぎたために、自分は心を許せる友達が少ないと……。




