プロローグ:黎黒の暗殺魔術師
信念とはなんだろうか。
誇りとはなんだっただろうか。
俺にはそれが、よく理解できなかった。
幼い頃から感情に疎かった、人がなぜそれ程までに声を荒らげるのかわからなかった。
それが生きるために必要な物だとも思わなかった。
そんな自分だったから、親には気味悪がられ、ついに棄てられた。
気味の悪い物を棄てる、人としては当たり前の防衛本能? いや、どんな感情なのだろう。
何故棄てられたのかすら、あの頃の自分にはわからなかった。
’’生きる’’ために必要な、最低限の三大欲求しか、俺は持ち合わせていなかった。
ただ生きるために、俺は死んだように生きていた。
だが、そんな自分だったが─
誰かを救える正義に、憧れていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
地面を蹴り、森の中を狼が如く速度で走る。
魔術で強化した足は、森の木々や地面の雑木を楽々と踏み分け、前へ前へと進む。
後ろには、3人の人間─敵が俺を追いかけるように接近していた。
相手はプロだった。魔術強化も伊達じゃない、俺と同じ程度の速度で、だが最短距離で移動して徐々に俺への距離を詰めている。
「……仕方ないか」
その様子を足音でわかっていたので、重心を一気に後ろへ移し、急ブレーキをかけ立ち止まる。
相手もそれに伴い、一斉に立ち止まった。
「やっと止まってくれたか、そろそろ疲れてたから助かるぜ」
鬱蒼とした森の奥から、1人の男が姿を表した。
全身を革鎧と鋼鉄製の軽装備で固めた、目つきの悪い男。
目下の傷跡は昔の傷だろうか、つけている装備、偉そうな口調、威圧のように放つ魔力。彼が相手のボスだろう。
「お前、黎黒だろ? 知ってるぜ。裏社会じゃ有名な暗殺者だもんな。お前」
男は笑う。下世話な笑みだが、どこにも隙のない、常に殺される事を想定した者の笑みだ。
常に警戒されている、腕を動かそうものならどこかで待機している2人の敵が俺を攻撃する手筈だろう。
そうわかったから動かず、隠れている2人の場所がわかるまでは何もしない。
相手が隙を見せるまでは。
「···成程、黎黒は男で、しかもまだガキだったとはな······もっとイカした奴かと思ってたぜ」
相手はまじまじと俺を見る。
黎黒———その名の通り前の開いた黒いレザーコートに、動きやすいシャツに黒いベスト、同じく黒で統一されたズボンにブーツ。全身黒で統一された服装。更に黒髪黒瞳。
統一感のあると言えば聞こえはいいが、何とも趣味の悪い服装をしていると自分でも思っている。
顔は多少幼顔だが、身長等から15歳前後程に見えるそれは、確かに相手からしたら餓鬼だろう。
そんな俺だが、奴らの基地を先程襲撃し、壊滅させてきた。
奴らはその残党だ。
「···オイ、何か喋ってくれよ。俺もしかして無視されてる? 話題振ってやってんだからさぁ」
おちゃらけつつ相手がゆっくりとこちらに近づこうと、1本1本こちらに歩み寄る。
距離が縮まる。
それだけで緊張感が溢れるように湧き上がり、空気が凍りつくように静まり返る。
「今なら俺の部下を殺ったこと、許してやるからさ。こっちに来ねぇか? 大丈夫だって、俺は心が大海より広いんだぜ? お前くらいのガキは笑って許してやるよ」
格闘術の届く距離まで両者が接近する。
相手は笑っているが、俺は表情を一切崩さない、ただ無表情で、何を考えているかすら相手は理解できていなさそうだ。
「······そうか。わかった」
重たい唇を開け、俺は呟き答える。
男はそれを聞いてニヤリと口角を上げた。
「わかってくれたか? かの黎黒サマも、この状況に勝機が無いことをわかってくれて助かるぜ。これからは一緒に———」
だが言葉を遮るように、一瞬で男の鼻先を、俺の脚が通り抜ける。
殺意の篭った一撃、確実に直撃すれば即死する蹴り上げ。
「———ッおっと危ねぇ!!?」
それを長年の勘だけで男は回避した。
相手には見えなかった。
だが一瞬、脳裏を過ぎった相手の殺意を脳が感じ、自分に回避するように神経へ訴えかけたのだ。
「———ッ」
回避されたのは想定内、なので上がった足を地面に叩きつけ踏み込み、もう片方の足で回し蹴りをかます。
それも軽い身のこなしで、相手はギリギリで回避して、後ろへ下がる。
「···何しやがるっ、今のは仲間になる流れだろ。普通に考えてよ?」
「すまない。俺は誰に勧誘されても他の組織に属する気はないのでな」
次の一撃を間髪入れずに接近し、腹に向かって拳を叩き込む。
拳は腹のど真ん中を捉え、腹筋の間へとめり込んだ。
「 ——ぐァッ!!」
血混じりの唾を吐き出しながら、男は後方へとよろめき膝をつく。
手を地面につき、呼吸を整えようと荒く息を吸っているが、上手く吸えない。
横隔膜がやられて、肺の動きが抑制されたせいで呼吸が困難になっているのだ。
「終わりだ」
手に持っている武器を、相手へと向ける。
武器は回転式拳銃型の魔術器だ。
魔術器とは、魔術を発動する為に必要な武器であり、自身の体内にある魔力を術式を用いて魔術として発動するための物だ。
使用用途によって様々な形式を取られるので、様々な形の物がある。
それの引き金に指をかけ、撃とうとする。
だが、突如左右から岩石の弾が撃ち込まれ、回避行動の為に後ろへと回転しながら飛ぶ。
「なるほど、そっちか」
飛んできた方向をすぐに確認し、方向転換して左に走る。
元々使っていた強化魔術の上から更に強化魔術である身体強化と脚力強化を発動し、人間離れした異常な速度で相手に接近する。
急なことに驚き戸惑う相手へと、魔術器を向けて3発発砲。
魔力の塊に質量を持たせてぶつける攻撃魔術魔弾。
殺傷能力の十分存在する銃撃が銃口から放たれ、相手の腕、肩、喉を直撃し、絶命させる。
「残り2人」
今度は後ろから2発、岩石の弾が飛んでくる。
もう1人はどうやら移動していないらしい。
岩石の弾へ的確に2発、魔弾をぶつけて相殺する。
攻撃を相殺されたとわかった相手は使用する魔術を切り替え、大量の岩石を無造作に飛ばしてきた。
流石に相殺は厳しい、木の上に飛び上がり、枝に飛び移りながら、被弾する可能性のある岩石のみを魔弾で破壊し、相手へと近づく。
相手は怯えた顔をしていた、死にたくないと必死らしい。
勝てない相手だと悟ったからか、それとも焦りからそう見えるだけか。
理解できないが、無慈悲に魔力弾を撃ち込んだ。
「······残り1人」
まだ生きている相手の首領の、悶えていた場所まで戻る。
そこには相手の姿は無かった。
だが足音は聞こえた、後ろからだ。
足を回し、後方へ蹴りを振る。
何かに当たる感覚、そのまま足を軸に体を捻り、深く突き刺すように蹴った。
「っ——————!!」
先程蹴ったのは相手の首領の男だったらしい。
男は小さな悲鳴をあげながら吹き飛び、木に背中を激突させて倒れる。
「今度こそ、終わりだ」
完全に戦意を喪失した顔に、銃口を押し付け、引き金を引く。
魔術が起動する魔力音と共に、魔弾が頭蓋骨を貫通して相手は絶命した。
「···終わったか」
終わったと安心し、少し息を荒げつつ溜息混じりに呟く。
疲れはあったがまだ余裕で動ける程度の疲れだ。
周囲に張った索敵魔術に人の反応はない、相手は全滅したと見て間違いないだろう。
レザーコートの内ポケットから、ひとつの光る石を取り出す。
同じ魔力と繋がり、音を届け合う魔術─便宜上通信魔術器と呼んでいるそれを取り出して、口を近づけて言った。
「任務完了。直ちに帰還する」
通信魔術器から、ノイズと共に『了解、待ってるよ』と、依頼人の声が聞こえたので、それを同じく内ポケットに入れ、すぐに身体強化と脚力強化を発動して、その場を離れる。
今日の仕事は終了、明日にはまた次の仕事をしているだろうか。
次は誰を殺すかも検討がつかない。
少しは休みもあればいいが。
そう思いながら、俺は依頼人の待つ王都まで、急いで走って帰還した。