011:アンジェ・フェルナード
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「この学院に入ったのも、兄ちゃんの後を追いたかっただけなんだよ。兄ちゃんのフリをしてたら、きっと追いつけるって……もう兄ちゃんは居ないのにさ」
大粒の涙を零した彼女は、右手を握りしめて太腿に振り下ろす。
思い出すだけで恐怖を感じる程の記憶だったのだろう、彼女の体は震えていた。
「……わたしなんて居なければ。兄ちゃんは死ななかった。わたしが、兄ちゃんにあんな我儘を言わなかったら…!!」
「落ち着け、まだ動けるような体調じゃないだろ」
急に力を入れたせいでひどい立ち眩みに襲われ頭を押さえた彼女の肩に手を添えて支えてやる。
だけど俺の手にもあまり力は入らない。何故だろうか、わからかった。
だけど、先程の彼女の言葉が、俺の心に留まり続けていた。
———わたしなんて居なければ。
確かに、価値観や倫理観を無視し、客観的かつ冷徹に考えればその通りだ。
彼女の行動は間違っていた、終わった後の結果論だとしてもそれは事実だ。
未来に残すべき才能を、彼女の一言で摘み取ってしまった。たとえそれが事故であったとしても、国の未来を考えると計り知れない。
少し前の俺ならば口には出さなくてもそう思っただろう。けれど今は違うのだ。
どうしてか分からない、ただ彼女に同情している自分が居た。
彼女の過去を知り、言葉を聞いた。ただそれだけなのに、どうしてこんなにも目尻が熱いのだろうか。この胸を締め付けるように込み上げる想いはなんなのだ。
「俺にお前の気持ちは完全には推し量れない」
俺は自分の胸を握りしめ言った。
「だが、今のお前は間違っている」
キッパリと、そう言いきった。
本当はそんな言葉言いたくなかった。同情や応援の言葉をかけるべきだった。
「……もう1回言って」
彼女は力なく俺の胸ぐらを掴んだ。
俯きながら、震えながら、それでも彼女は明らかに怒っていた。
当たり前だとはわかっていた、だがこちらにも言い分があった。今のままでは駄目だと思ったから、俺は彼女にこう言ったのだ。
「今のお前は間違ってる。お前はただ自分が悪いと、自分を責めたいだけなんだからな」
「違う! わたしは、ただ兄ちゃんに憧れて…!!」
「何も違わない。兄を死なせた自分を憎んでいる、だから強くなりたいんだろう? 兄の代わりに復讐する為に。お前はそれを憧れと言って綺麗事にしたいんだよ」
胸元を掴む力が強くなる。
息が苦しくなる。首が締まっている訳では無い、ただ自分の発言が彼女を苦しめることが容易に想像できたからだ。
「…そんなの、自己犠牲と変わらない。お前は早く楽にして欲しいだけだ」
彼女は何も言い返せずに、黙り込んでしまう。図星だったらしい、胸元を掴む力が無くなり、彼女は手を離した。
「……じゃあ、わたしは、どうすれば許されるのよ…! もう嫌なんだよ。わたしが兄ちゃんを殺したって考えると、夜も寝れなくて……私が死ねばいいと思わないと、自責の念で胸が苦しいんだよ…!!」
死にたいと願う彼女は泣き叫ぶ。
きっとこれが彼女の本音なのだ、本心だからこそ苦しむ彼女の本当の言葉だった。
———許されたいから、憧れを追う。
彼女は一頻り叫んだ後、また泣いた。
———死にたいから、仇を討つ。
惨めにも、ただ本心を吐き出し泣くことしかできない彼女は自分が嫌いになりそうだった。
正しい事を言われ、けれど信念反すると言い返せない自分が憎かった。
だから弱いままなのだ。兄のフリをしても、言葉遣いを似せても、兄には届かない。
結局は手を伸ばすことしか、才能のない自分にはできないのだと分かっていた。
分かっていたから目を逸らした。もう嫌な自分を見ないために。それなのに———
「別に仇討ちのことを責めている訳じゃない。だがものには幾らでもやり方がある」
———目を逸らしたものに、今は目を向けてしまう。
手を伸ばすことしか出来なかった手には、いつの間にか他の手が添えられているのだから。
「1人で抱え込むことが間違っているんだ。兄のこと、悪いのはバルバトスと名乗った奴だ。お前は悪くないんだよ」
添えられた手を見る。
少しだけ骨の浮かぶ、細い腕だ。だけど信頼できる、安心感があった。
「もしそれでも自分を許せないならば、俺が手伝ってやる。お前が自分を許せるようになるまでな」
涙を止めようと目を擦っても止まらない。前がぼやけて見えない。
決壊した川みたいに溢れる涙を拭こうと伸ばした手を、彼女は大事そうに掴み握りしめた。
暖かい、ずっと寄り添っていたい温もりだった。
「……許されても、いいの?」
「いいんだよ、許されても」
それを聞いて、彼女は安心したように微笑んだ。
俺から見てもわかる。ずっと心の底で張っていた緊張の糸が切れたみたいだった。顔は涙でぐちゃぐちゃで、綺麗な顔が台無しだったけれど。
それでも、綺麗だと感じるのはどうしてだろうか。
「…そう言ってくれて、ありがとう」
いつの間にか、彼女の涙も止まっていた。
俺はハンカチをポケットから取り出し、彼女の涙まみれの顔を拭いてやる。
彼女が「自分でやるから」と言ってきたが、「俺が拭いた方が確実だ」と言って断っておいた。
もう既に日は沈みかけ、夕暮れの橙の陽の光が俺達を照らす。
鐘が鳴る。どうやらもう帰る時間らしい。
「それじゃあ、わたしそろそろ帰るね」
それを聞いて彼女はベッドからゆっくりと立ち上がり、俺の横を通り帰ろうとする。
ふらつく様子はない、治癒の疲労はもうとれていると見て間違い無さそうだ。
「あぁ、また明日」
そそくさと扉を開け帰ろうとする彼女に手を振る。
彼女も「バイバイ」と言って手を振りながら帰って行った。
少し顔が赤かったが、大丈夫だろうか。
そう思いつつも、俺もぼちぼち帰ることにした。
俺も色々と疲れた。彼女と一緒に帰れるような気力はもうほとんど残っていなかった。
しばらく1人で居たいくらいには精神的に疲れていた。
家に帰ったらすぐに寝よう。そう決意しながら、足早に歩き帰った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
翌朝、教室に入ると急にフェリスが俺の方に走ってきた。
「もぅ、昨日はどこ行ってたのよ。心配したんだよ?」
何故心配されているのか、一瞬分からなかったが、思い当たる節をすぐに思い出す。
昨日は一限目以降ずっと医務室に居たから、授業には出席していなかったことを忘れていた。
だから彼女は俺を心配していたのか。
「安心してくれ、今日はちゃんと授業に出席する」
「なら良かった、てっきりヴェルト君不良になっちゃったのかと思ってたよ」
確かに不良に絡まれはしたがと言おうとしたけれどやめた。
今言えば彼女にまた心配をかけるからだ。
ここは適当に流しておこう。
「これからはちゃんとやるさ」
「アハハ、そう言ってまたサボってそう」
「サボらないように善処しよう」
そう言って俺達は昨日と同じ、後ろの端っこの席に陣取る。
まだサイラスは来てないらしい。なので席を1つ開くようにしておいた。
それから適当な話で盛り上がっていると、急に入口の方から俺を呼ぶ声が聞こえた。
爽やかな男性の声、サイラスが来たのだろうと思い入口を見る。
「ヴェルト、君にお客さんだよ」
サイラスが教室の外で待っているのであろう人の手を無理やりに引いているのが見えた。
その人が教室に入った瞬間に主にクラスの男子陣がざわつき始めた。
「おい、あんな綺麗な子この学院に居たか?」
「ヴェルトの奴、いつの間にあんな子に声掛けたんだ!?」
入口に立っていたのは、茶色の真っ直ぐな髪を腰まで伸ばした女性だった。
人形のように綺麗な顔立ちに紅の宝石のような瞳が輝く。
女性用の制服を胸元が少し見えるくらいに着崩し、ケープローブに限っては付けていない。
校則ギリギリの服装の女性だ。
「ちょっとヴェルト君、いつの間にあんな可愛い子に唾つけてたのー?」
「からかわないでくれフィリス」
肘で遊び程度の強さで小突いてからかってくるフィリスの肘を手で受け止めつつ、席を立ち上がった。
男子陣の目線が一斉に俺に向く。
羨望と嫉妬の目が俺を突き刺すように睨みつけるが、俺は関係なく歩いて行き、彼女の前まで来た。
「おはよう、ボンド。いや、アンジェって呼んだ方が自然か?」
「おはよう。よくわたしって気づいたね」
「昨日あれだけのことがあったんだ。忘れる訳が無いだろ」
「それもそっか」
幻惑魔術で隠していた長髪をくるくると指で遊びながら、彼女は上目遣いでこちらを見てくる。
「ねぇ、似合う?」
「あぁ、今の方が似合ってるぞ」
「なら良かった、似合ってないって言われたらどうしようかと思ってた」
「昨日の男装の方は似合ってなかったぞ」
「失礼ね、あれでも頑張ってたんだから」
声を出して笑う今の彼女に、昨日のような張り詰めた様子はない。
嘘偽りのない笑顔で笑っていた。
読者の皆様へ
・面白かった
・続きが気になる
・更新頑張ってほしい
などなど思っていただけましたらブックマークや感想、評価お願いします。執筆の励みになります。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップ、クリックすればできますので、よろしくお願いいたします




