第7話 宿屋『鈴鐘亭』にて
『スノウコイン』の異名を持つ冒険者カズン・リックフォートは、宿屋の廊下を歩きながら深い溜息をついた。
「どうした? カズン」
彼と並んで歩いていた三毛猫リカルド・フォン・レーベント・モーゼル・カッセリア・クレイズ・アルバネオ・ガーランド・ゼス……猫助がカズンを見上げて問う。
「いや、この宿屋なんだがな……」
言いつつ辺りを見回す。
彼等がいるラナイ村は、村という呼び名に恥じない文化を有している。その結果、村の施設には都市部のような派手さは無く、利便性の面でも見劣りする。
だが……いや、だからこそラナイ村の中に建つこの宿屋、鈴鐘亭は経営が成り立つ。
宿屋としては決して大きくはないが、立ち寄る旅人の数からすれば妥当。周囲の森から集められたであろう建築資材は上質。それを扱った大工の腕も良かったのか、床板は軋む音一つしない。手入れも充分に行き届いており、その苦労に応えるかのように床も柱も美しく艶を帯びている。屋内をところどころ飾る装飾も、決して出しゃばる事の無い素朴な味をかもし出し、宿泊者に安らぎを提供するに適した空間を作っている。
鈴鐘亭の外見からそう予想していたカズンは中に入った今、その予想は当たっていたと知った。知ったからこそ、深い溜息が出る。
「ここにな。昨日泊まるつもりだったんだよ」
「ほう、そうだったのか。確かに居心地が良い宿だ。お嬢様もたいそうお気に召された」
カズンの肩にとまっていた鸚鵡サリディ・ゼロがふむと頷く。鸚鵡さえも絶賛する快適さ。カズンの目に狂いは無かったらしい。
「そうだよなぁ。やっぱりいい宿なんだよ。で、昨日は無理だったんで、今日こそここに泊まろうと思ってたんだよ」
今朝立てていた計画を思い出し、カズンは腕組みして頷いている。
「それは良いな。うむ、そうしよう。私も賛成だ」
カズンに合わせるように二度三度と頷いて賛成の意思を示す猫助。そんな猫助を一瞥したカズンが再び溜息をついた。
「どこにその金があんだよ。潤ったはずの俺の財布は、飯屋の一軒でスッカラカンだ」
三度溜息をつくカズン。うなだれた拍子に前へと流れていく黒髪が彼の顔を覆い、陰鬱な雰囲気をなおさら鬱蒼とさせる。
そんな彼の肩で、サリディが自慢げに胸をそらしてみせた。
「カズン君。ここのベッドは寝心地が良いぞ」
その一言でカズンのこめかみに青筋が走る。
「おのれらが邪魔せんかったらここで二泊しとったん、テェッ!」
ボウガン片手に叫びそうになったカズンの声が、悲鳴に変わる。本日何度目かの猫助の爪が、彼の脛にヒットしたのだ。
「夜の遅くに大声を出すな、カズン。宿泊客に迷惑だろう。だいたい、それに関しては不問にする事にし、フニャッ!」
今度は猫助が悲鳴を上げる番だ。すまし顔で廊下を進んでいた猫助は、背後から追いついてきたカズンに摘み上げられた。
「待ーてーい、ネーコースーケー。確かにサリディの騒ぎはエニー嬢とのメシ交渉でチャラって話したが、おまえの昼飯強奪に関しては……」
「な、何を言うんだ、カズン! それこそチャラだろう。あの化け猫との一戦の折に食事二食、いやさ三食奢りという契約を交わしたではないか!」
「そりゃあ、テメエが善意の協力者だと思ったからだ! 最初っから泥棒猫だと知ってりゃあ、奢りどころかこっちがふっかけて……」
二人の問答は、サリディの咳払いで止められた。
「んだよ、サリディ」
「二人共、お静かに願おう。こちらがお嬢様のご宿泊しておられる部屋だ」
サリディが片羽で指し示す方へ顔を向けるカズンと猫助。サリディはカズンの肩からドアノブへと飛び移ると、自分を見る二人へ振り返った。
「お嬢様の御前、くれぐれも無礼の無いように頼みますぞ。特にカズン君」
「わーってるよ。ったく、そんな念を押し直さなくたっていいだろうが」
不平をもらすカズンに、現在進行形で摘まれ中の猫助の視線が刺さる。
「そういう台詞は、せめて私を床に降ろしてからにしてほしいのだが……」
「あ、わりぃ」
謝罪と共にカズンの手から解放された猫助は、空中で綺麗に身を翻して着地。
「急に放す奴があるか。頭から落ちたらどうするつもりだ」
「俺の矢を全弾避けるような奴が言うセリフかよ。これでおまえが頭から落ちたら、指差して笑ってやらぁ」
サリディは二人のやり取りをもう一度大げさな咳払いで止めると、改めて主の待つ部屋の扉へと向き直った。
「エニーお嬢様。只今戻りました」
サリディは啄木鳥のように嘴でノックすると、かしこまって挨拶する。
「お嬢様、か。どのような方なのだろうな」
「お目付役がアレなんだぞ。お嬢と言うよりは猛獣使いって感じじゃねぇの?」
背後でひそひそと話す二人を嗜めようと振り返った途端、サリディを背後から衝撃が襲う。
バンッ!
吹き飛ぶ勢いでドアが開き、中から一人の少女が顔を出した。
「もう! どこ行ってたんですか、サリーさん! 急に出かけてくるとか言って全然帰ってこないから、ホンットに心配したんで……あれ?」
抗議の声を上げる彼女の口が止まる。
年の頃は十四、五といったところだろうか。後ろ頭で団子に結われた黒髪は、年中野ざらし手入れ知らずのカズンと違って艶々としている。先程の台詞と彼女の表情からすれば怒っているはずなのだが、幼さの残るその膨れっ面は先に可愛さが出てしまい、どうにも怖さを感じられない。
そんな少女の目の前には、目を丸くしたまま唖然としている黒服男カズンと三毛猫の猫助。彼女が糾弾しようとしたサリーの姿はない。
数秒の沈黙。その間、自分の早とちりを認識した少女の顔はみるみる赤くなり、湧いて出た汗が真っ赤な頬を幾筋も伝っていく。
「あ、あれ? え? その、ご、ごめんなさい。外から知り合いの声が聞こえた気がしたもので……」
赤面完熟した顔を、両手で抑えながら慌てて取り繕う少女。カズンと猫助は驚き顔を維持しつつ、それぞれの手と前足でドアを指差した。
「……その、知り合いだが」
「そこで挟まってる奴か?」
二人の指につられてドアへと視線を向けると、そこには壁とドアに挟まれてもがいているサリディの姿。
主の姿を見つけたサリディは、力無く震えながらも片羽でシルクハットをとる。
「お……お嬢様……只今……戻り……まし……た」
それだけ言うとサリディは力尽き、ポテッと床に落ちた。
「えぇー! サ、サリーさん! キャー! ごめんなさいごめんなさい!」
目を回す使用人、もとい使用鸚鵡と、度重なる醜態に半泣きになりながら謝る少女。双方を見比べながら、カズンと猫助は揃って溜息をついた。
「このお嬢さんが、噂のエニー君で間違いないようだな……」
「ああ。あの鸚鵡あれば、このお嬢あり、か」
エニー嬢登場であります。今回初めてカズンが一発もボウガンを撃たなかったですね。




