第61話 魔女の後悔
「バニッシュ・デュオ、人でありながら妖魔でもある男。だから魔人ってわけ、ね」
カズンが怪訝な顔をすると、魔女エマノンはそう告げた。
「むかーしむかし、ね。魔術師の学び舎に神童と呼ばれた子が入学したの。その子の名前はバニッ……」
「わ! た! ちょ、ちょっと待て!」
遠い目をしながら語り出す魔女に、カズンは慌てて待ったをかける。エマノンは話の出鼻を挫かれて恨めしそうにカズンを見返した。
「何よ。ここからが良いところどころか、まだ話の序盤も序盤に止めるなんて」
「とか言って、アンタ。ひょっとしてその話を聞かせて、なし崩しに俺に協力させようってんじゃないだろうな?」
「ついさっきキミをバニッシュに当てたら無駄死にさせるだけって言ったトコでしょ?」
「裏返せば、直接衝突させなけりゃ死なないってコトだろ。協力ったって色々あるだろうしな」
「……」
カズンの言葉にエマノンはふいと視線をそらした。彼女はどうやらそのつもりだったらしい。
「真っ黒君、勘繰りが過ぎると女の子にもてないわよ」
「勘繰る癖は仕事がらでね。無理にもてようって気もねぇし」
拗ねたような調子で言うエマノンに、カズンがさらりと言い返す。そんなカズンに向けてエマノンは大げさに溜息をついて見せた。
「あーあー、それはなんとも寂しい人生、ね」
独り言にしては声が大きい魔女の言葉に、カズンの表情が引きつる。
「アンタ、俺にボウガンを撃たせたいのか? そうなのか? いくらアンタ相手でも、なんとなりゃあ相撃ち覚悟でぶっ放すぞ」
嘘じゃないぞと言いたげに黒コートを翻し、ボウガンのホルダーに手をかけるカズン。エマノンは改めて敵意が無い事を示すように両手を挙げてみせた。
「ゴメンゴメン。あわよくばキミに手伝ってもらおうってのも本音だけど、無理強いするつもりはホントに無いのよ、ね」
挙げた両手をひらひらと振りながら言うエマノンに、カズンは黒コートから手を出すと不愉快そうに腕を組んだ。
「見えてこねぇな。魔人とやらの相手をしろってわけじゃないってんなら、あの猫二匹の対価、大魔女様は俺に何を支払わせるつもりなんだ? 高額をせびるんなら、このままサプラスの家に行った方が早いぜ。あそこのマダムなら、可愛いカトリーヌの為ならいくらでも出してくれそうなもんだ」
カズンはエマノンの話に違和感を覚えていた。
魔女エマノンと幽霊屋敷に現れたバニッシュ・デュオの関係は知れないし、知るだけで危険な気がする。そんな二人の関係に首を突っ込むのは命がけになる。ただ、猫二匹とはいえ大事な仲間が引き換えとなれば、エマノンがカズン達に協力を強要してきても不思議ではない。
カズンはそう提案してくるだろうと踏んでいたのだが、どうやらエマノンにその気は無いらしい。とは言え、カズンがエマノンに話した幽霊屋敷での出来事は街の噂に毛が生えた程度でしかない。それで猫二匹は些か安い。
「真っ黒君にとっては猫二匹より安いと思う与太話でも、私にとっては貴重な情報だってことよ。私はただ例の屋敷での出来事について聞きたかっただけ。あの凛々しいお嬢さんトコの倉庫を襲ったのも、ね」
「つまり、倉庫を襲うように言った雇い主にアンタが要求したのは……」
エマノンが古代の魔法を用いてルー商会の貸し倉庫を襲ったのも、全ては幽霊屋敷での話を聞きたいが為。
「こんなに簡単に目撃者から詳しい話が聞けたなんて、ね。大した情報も持ってないような奴に踊らされて、騒ぎを起こしたのがバカみたいだわ」
エマノンは挙げた両手はそのままに、やれやれと肩をすくめる。それに習うようにカズンもまた軽く肩をすくめた。
「全くだ。アンタのおかげで、こっちは夜中歩き回ったり戦ったりでクタクタだよ」
「だから、それはゴメンってば。ちゃんとあの猫ちゃんは返すから、ね」
「いや……」
苦笑いしながら謝るエマノンの言葉に首を振るカズン。彼の思わぬ拒絶に、魔女は笑みを曇らせて眉根を寄せる。
「なに? 猫ちゃん達を返すだけじゃ足りないってこと?」
「……いや、アンタは猫をどこに匿っているかを教えてくれるだけでいい」
もう一度首を振るカズン。その口元には底意地の悪い笑みが張り付いていた。
眼前の魔女は彼女の雇い主を快く思っていない。いくらエマノンにとっては貴重な情報でも、他人からすれば容易く入手できる噂話。それをネタに倉庫襲撃を指示され、果てにはカズン達との交戦で所有するゴーレムを破壊されている。決して気分の良い話ではないし、割の良い話でもない。
さりとて、契約を交わした以上はエマノンが倉庫襲撃を依頼した雇い主の名を口にはしないだろう。
ならば……。
「大魔女であるアンタを安い情報だけで働かせるような雇い主が誰かなんて、俺は聞かない。そいつに言われて倉庫から奪っていった物がどこに保管されているかなんて、アンタは言わなくていい。俺達はあくまで仲間の猫二匹を迎えに行くだけで、アンタは猫がどこにいるのかだけを言えばいい」
あからさまで回りくどいカズンの言葉に、エマノンは思わずクスクスと笑みをこぼした。
「詭弁、ね。私に雇い主を売れって?」
「俺はただ猫共が心配なだけさ」
お互いに浮かべた笑みは、各々が身に付けた装束のように黒かった。
三つ葉都市シャルワンに来て以来、カズンが活動拠点としている宿屋兼酒場『星杯亭』。カズンはその入り口の扉を開けると、小さく溜息をついてまた閉めた。
途端に扉の反対から木戸を打ち抜く音。そして騒々しい羽音。
「俺が帰還すると同時に攻撃とは、また随分と元気じゃねぇか、アホウドリ……」
改めて扉を開けたカズンは、扉に嘴を突きたてた鸚鵡サリディ・ゼロを憎たらしげに睨んだ。
「おお、これは失礼。どうにも扉の影から何やら汚らしい気配が近付いてくると思い即刻排除するべく先手を打ったのだが、キミが帰ってきただけだったとはな。道理で下郎らしい気配なわけだ」
サリディは悪びれる様子も無くさらりと言い返し、帰還したカズンを睨み返す。
一触即発の空気。猫助不在の今となっては、この二人の喧嘩を止められるのはサリディの主エニー・カーチスなのだが……。
「よさないか二人とも」
そう言って彼等を止めたのはティファ・ゴールド。彼女はカズンが朝方宿を出た時と同じ席に座り、カズンとサリディを手招きする。
「ちょうど良かったな、カズン。今から昼食をとろうとしていたところだったんだ」
手にしたメニューをひらひらと振ってみせるティファ。
だが、カズンが目に留めたのはメニューでもティファでもなく、その奥にいる少女の気の抜けた顔だった。
「昼飯は大いに賛成だがよ、ティファ。嬢ちゃんはどうしちまったんだ?」
ティファの隣の席に着いたカズン。同じテーブルに着いたというのに、少女エニーは気付く素振りも見せない。
目は虚ろで何を見ているわけでもなく、口は半開きで時折引きつっている。表情は無いに等しく、まるで考える事を拒絶しきったかのよう。
朝方のエニーとティファのやり取りを思い返せば、何があったかはカズンにも察しが付く。それでも、何があったのだと問わずにはいられない程の無の境地を見せる少女。
「彼女は頑張った、とだけ言っておこう。私も一応、恐くないように話したつもりだったのだがなぁ」
面目ないと俯くティファ。サリディは全く動かない主の肩にとまると、ティファに向かって首を振ってみせる。
「ティファ殿、あまり御自分をお責めなさいませぬよう。えぇえぇ、あなたは十分に気を使ってくださいましたとも。こればかりはお嬢様の性質故の事。致し方御座いません」
カズンはティファ、エニー、サリディと視線を一巡させ、再びティファに目を戻す。
「で、何を言い含めたらこうなるんだ?」
「彼女にせがまれるままに雷雲の魔女が関わる話を三つほど。もっとも、二つ目以降はちゃんと聞いていたかは怪しいものだ」
ティファの答えにカズンは溜息をつきつつ未だ沈黙するエニーを見た。
「昨日大魔女当人と向かい合っていたとは思えねぇな」
「言ってくれるな、カズン君。如何に優秀なお嬢様とて苦手なものもある」
珍しくカズンの名を正しく呼んで弁明するサリディ。エニーの怪談嫌いはそれほどに重いということか。
「ま、サリディの言う事にももっともだ。そっとしておいてやろう。おい兄ちゃん、注文いいか?」
意識が明後日にいってしまっている少女に関してはひとまず放置という事で意見が合致した二人と一羽。
注文を取りに来た酒場の青年に各々昼食を頼むと、ティファが「ところで……」とカズンに水を向ける。
「今まで出歩いて何か収穫はあったのか?」
「まあ一応、ね」
ティファの問いにどこかで聞いたような口調を真似て応じるカズン。
「収穫ですか……小銭でも拾ったのですかな?」
「混ぜっ返すな、アホウドリ」
ある意味いつも通りと言えるサリディとの対話を続けそうになったカズンだったが、ティファのもの問いたげな真剣な視線で自重する。
「冒険者ギルドに立ち寄ってきたんだが、案の定依頼が入ってた」
「依頼?」
「そ、依頼。サプラス夫人のカトリーヌ捜索願」
サリディの文字通りの鸚鵡返しに頷いて返すカズン。
灰色子猫カトリーヌは、昨晩猫助と共に魔女エマノンに連れ去られたのだ。当然サプラス家に帰っているはずもなく、サプラス夫人が血相を変えて捜索願を出すのもまた当然。
そして、カズンの言葉に良くも悪くも血相を変えた者がここに一人。
「そう、ですよね。カトリーヌさんも連れて行かれてしまいましたから。サプラスさんが心配なさるのも当然です」
そう呟くエニーの目にようやく生気が戻る。ただ、それは決して元気なものではなく、昨晩の失態を思い出した暗澹としたものだ。
「エニーさんが気を落とす必要はない。私があの時魔女を仕留めていればこんなことには……」
エニーの陰気がうつったかのように視線を落とすティファ。意気消沈する二人を前に、カズンはやりにくそうに頭を掻く。
「おまえら、二人してそんな顔はよしてくれ。昼飯が不味くなる上に、これから話そうと思っていた朗報も話しづらくなるじゃねぇか」
「朗報だと?」
カズンの言葉にティファが顔を上げると、カズンは彼らしい勝気な笑みを浮かべて見せた。
「ま。とりあえず、飯にしようぜ。昼飯食ったら、猫助とカトリーヌの行方を知っていそうな奴のお屋敷に訪問だ」