第51話 賑やかな交渉
小都市シャルワンの片隅で営業する宿屋兼酒場『星杯亭』。まだ日の高い時刻にあっては酒場と言うよりも食堂の色が強い。とはいえ、酒場本来の客層がいない食堂の中は人がまばらで、宿の宿泊客が数人食事をとっている程度。
カズン・リックフォートは酒場の戸を開き、迷いの無い足取りで隅のテーブルへと進んでいく。彼がこの店をシャルワンでの活動拠点とした時から座っている席だ。
「キミとこの三毛猫の間でのみ会話が成立する……か。うーん、いくらなんでも不意には信じ難い話だな」
一人ずかずかと進むカズンに、僅かに遅れて店へと入ったティファ・ゴールドと三毛猫の猫助。彼女が足元に視線を落とし猫助を見て唸ると、猫助が真っ直ぐにすれを見上げ返してニャーニャーと鳴く。
「まあ、俺も他人がそんな事を言ってりゃあ、バカにするか病院に連れて行くわな。あ、ちなみに三毛猫と呼ぶなと言ってるぞ」
「ああ、失礼。猫助君だったか」
カズンとティファのやりとりを聞き、またもや鳴き出す猫助。
カズンの耳越しに聞けば……。
「違う! 私の名はリカルド・フォン・レーベント・モーゼル・カッセリア・クレイズ・アルバネオ・ガーランド・ゼス……」
……となる。
「何やら、猫助君がやたらと鳴いているのだが……」
「そんな気分らしい。さ、座ってくれ」
猫助の抗議は聞き入れられる事なくティファに席を勧めるカズン。ティファは首をかしげながらも席に着く。
「おい、カズン!」
「ちぃと黙ってろ、猫助。仕事の話が先だ」
テーブルへと飛び乗りなおも抗議を続けようとした猫助だったが、カズンに首を鷲掴みにされて空いた椅子に座らされる。
「やれやれ、仲が良いのか悪いのか……」
「良いさ。こいつが俺達のコミュニケーションなんだよ。んで、どこまで行くんだ?」
カズンの問いにティファは居住まいを但し、改めて彼を見据えた。
「行き先はシクリース。荷物は穀物が馬車二台分とその他諸々。出発は明朝だ」
鋭い相貌を覆うようなティファの眼鏡。その大きなレンズに映るカズンの表情が曇る。
「明日の朝とは早いな」
「無理だったか?」
小首を傾げて問うティファに、カズンは首を振って返す。
「いや、もし俺があの武器屋にいなかったらどうしたんだろう、と」
「我が社の私設警備隊がいるからな。最悪は私達だけで護衛する事になっただろうよ。正直なところを言えば、キミが仕事を請けてくれるなら心強い」
「馬車で移動できた上に、護衛で報酬が出る。ありがたい事じゃないか」
横合いから口を挟む猫助。その鳴き声にティファは通訳を求めるようにカズンへと視線を投げる。
「猫助も乗り気らしい。そういうわけで、報酬は二人分で頼む」
真顔のカズンの言葉にティファの眉がひくりと動いた。
「無茶苦茶だな。私に猫助君の報酬を払えと?」
ティファの反応は当然と言えば当然のもの。彼女にしてみれば、ペットの餌代も都合してくれと言われたようなものである。
ただ、猫助を知るカズンとしては、ここで引く気は無いらしい。
「猫助の実力は俺が保障する。断っておくが、そこらへんに湧いてる半端な冒険者よりずっと有能なんだぞ。疑うってんなら、俺の脛を見ろ。こいつの爪の威力が良くわかる」
「いや、結構。キミの脛毛を観賞する趣味は無い」
カズンが言いながら片足を上げて裾を捲り上げようとすると、即座にティファがそれを止めた。
「じゃあ、報酬は二人分……」
「出せると思うか? 私でなくとも難色ぐらいは示す」
値段交渉の早期解決を信じてカズンの顔が一瞬ニヤけたが、ティファの溜息混じりの返答に一気に曇る。
「だー! ケチ臭ぇなぁ」
「至極一般的な反応だと思うがね。せめて道中の食事くらいは約束する。だが、それ以上の報酬を望むなら、直接ラン母様とでも交渉してくれ。案外、母様なら面白がって認めてくださるかもしれないな。無論、道中で成果を上げれば私からも口添えはしよう」
「まあ、それが一般論という事だろうな」
「む、うぅ……」
食い下がろうとするカズンの脇で、猫助が他人事のように漏らす。さすがにこれ以上ごねて依頼自体を無かった事にされるわけにもいかず、カズンは無念そうに唸りながら頷いた。
「チッ、しゃーねぇな。わーったよ。んで、肝心の報酬額だが……」
希望額を言いかけたカズンはその口を止め、金額を指し示そうした手で隣に座っていた猫助を鷲掴みにした。
「ふにゃっ?!」
椅子の上に悲鳴を残し問答無用で掴み上げられる猫助。
カズンは手にした猫助をそのまま自分の背後へと差し向けた。それと同時に、背後から聞こえる舌打ちと羽音。
何事かと身構えたティファの視界に映ったのは三毛猫を手に後ろを向くカズン。そして、彼の黒髪を吹き上げながら弧を描いて天井まで伸びる薄緑の軌跡。
「間一髪……か。アホウドリめ、不意打ちとはやってくれるじゃねぇか」
額にうっすらと浮かぶ冷や汗を拭うカズン。
カズンの危機察知及び回避行動によって奇襲に失敗した天井の薄緑、鸚鵡のサリディ・ゼロは二度三度と羽ばたくと憎らしげにカズンを見下ろす。
「この下郎! 朝っぱらから行方をくらまし、他ならぬお嬢様の頼みで嫌々ながらも探してみれば、知らぬうちに戻ってのんびり食事! あまつさえ、注意しようとした我輩に猫助殿を差し向けるとは下郎の名に恥じぬ下郎ぶりだな!」
「注意ってんなら言葉でしろ! いちいち後頭部刺し貫こうとすんじゃねぇっ!」
「カズン! 私を盾代わりとはどういうつもりだ!」
いきなり現れた鸚鵡と怒鳴りあうカズン。そして、彼の手元では毛を逆立てて鳴き暴れる猫助。一瞬にして蚊帳の外に放り出されたティファは、事態を全く把握できずにただただきょとんとするばかり。
「サリーさーん! 急にどこ行っちゃったんですかー、サリーさーん!」
そんな少女の声の方へ、眼前の混沌とした事態から目をそらすように視線を移すティファ。彼女の視線の先には、ちょうど二階の宿泊室から階段を降りてきた娘エニー・カーチスの姿があった。
「あ、サリーさん。ここでしたか。それに猫助さんもカズンさんも……二人?」
段上からカズン達の姿を見つけたエニーが目を丸くする。
確かに、カズン達のテーブルから離れている階段から見慣れた黒髪黒服が二人を見えれば、目の錯覚かと思いたくなるのもわかる。
「……あの様子だと、彼女も知り合いなのかい?」
ティファは不思議そうにこちらを見るエニーからカズンへと視線を戻し、確認するように問いかける。
「ああ、まあな……って、とっとと降りてきやがれアホウドリ!」
未だに天井近くに滞空しカズンを見下ろすサリディに痺れを切らし、カズンが猫助を掴んだ手を振りかぶる。
「うわわ! 投げるな! 私を投げるな!」
そんな悲鳴にしか聞こえない猫助の鳴き声を聞きながら、ティファは眼鏡を外し眉間を押さえた。
(依頼する相手を間違えたかもしれない……)
今回短めなお話。
ちゃんとエニーとサリディをティファに引き合わせてあげたかったのですが……カズンとサリディを一緒に出すと、なぜか混沌としてしまうなぁ。




