第46話 猫助の一手
カズンは自分の頬を伝って流れ落ちる汗を、やけに冷たく感じ取っていた。
(勢い余って飛び込んだはいいが、飛び込んだ先が崖だとは……)
いつも以上の目付きの悪さでカズンが睨みつけるのは騎士の鎧を纏った亡霊。
戦闘装甲を展開して騎士鎧と五分に渡り合ったサリディの雄姿を目の当たりに、つい乗ってしまった。という見解は否定できない。装備さえ万全ならば、カズン自身もこの危険な状態は乗り切れると思っていた。それはもう、確信に近いほどに思っていた。
あくまで、装備が万全ならば、だ。
カズンは手にしたボウガンWハーツ社製スウィング、もといスウィング・レプリカを振りかざし、騎士鎧に向けて矢尻を撃ち出す。
半ば諦め気味に撃った矢は、狙い通り騎士鎧の装甲に突き立てられた。
だが、あくまでそこまで。騎士鎧に激痛の悲鳴を上げさせるどころか、その歩みを止める事もできない。それを証明するように騎士鎧は、手にした剣を上段に構えカズンに向かって突進してきている。
「カズンさん!」
悲鳴にも似たエニーの声が迫り来る危機をカズンに伝える。
無論、彼女に言われなくても眼前に駆け込む騎士鎧は腹立たしいほどに見えている。重厚な鎧の中に渦巻く危険は重々承知だ。
「チッ!」
舌打ちしながら横へと跳ねるカズン。それを予見しカズンの軌道を断ち切るように振り下ろされる騎士鎧の大剣。
(クソッ! デカブツがッ!)
着地を気にするどころか、悪態を口にする余裕さえない。
苦し紛れに打ち出したスウィングの一撃によって、騎士鎧の大剣が僅かにそれる。カズンは黒のコートを振り乱して床を転がり、間一髪紙一重で死神との対面を回避する。
大剣が叩きつけられた衝撃が床を走り、カズンの背に浮いたはずの冷や汗が弾け飛ぶ。
だが、カズンに一撃の重みを前に恐れている暇はない。床に突き立てられた刃を蹴りつけ、滑るように体勢を起こす。
(ったく。お嬢と組むと、俺の役回りはもっぱらこれかよ……)
カズンが立ち上がると同時にとった行動は二つ。
一つ、起き上がりざまに脱いだコートを騎士鎧の頭に投げつける。一つ、空の水筒を猫助に投げつける。
「わ、たっ! 何をする、カズン!」
「抗議はあとだ。そいつに水入れてエニーに渡せ」
投げられた水筒を危なっかしくもキャッチした猫助。カズンは猫助の文句に耳こそ貸すが、その両目はサングラスの丸レンズ越しに騎士鎧に捉えたままだ。
サリディの回復を待つ。猫助に縛水用の水を確保させる。エニーに道術を使わせる。何をするにしても時間がかかり、眼前の騎士鎧が大人しくこちらの都合で待ってくれるはずもない。ならば、カズンにやるべき事は自ずと見えてくる。
「水と言うが、いったいどこで……」
「知らん!」
一刀両断なカズンの返答に猫助は呆れ果てた。
「そんな無茶苦茶な……」
「考えろ! 時間稼ぎのついでに猫助のシンキングタイムも確保してやらぁっ!」
言うが早いかカズンは騎士鎧に向かって走る。頭を覆った黒コートを引き剥がした騎士鎧の、その露になった兜に飛び蹴りを入れた。
ボウガンでの戦闘が主のカズンの、無謀とも言える接近戦。そのままの騎士鎧を相手に肉弾戦を挑むというならばまさに無謀だが、カズンも自ら死を選ぶ気はさらさらない。
横薙ぎに振られた騎士の大剣めがけて、腕を振り上げながらのスウィングを発射。スウィングの反動に身を任せて身をよじり、大剣の軌道をかいくぐる。黒髪を一房刈り取られたが、気にする間も無し。バランスを崩しながら片手を床に添え、大きく弧を描いた脚で騎士鎧の腹部を蹴る。
足で押しのける形になった騎士鎧との間合いが僅かに開く。カズンは躊躇い無くもう一度騎士鎧の持つ大剣の間合いに踏み込んだ。
カズンの攻勢のどれもが騎士鎧の中に潜む亡霊には通じていない。だが、鎧を纏っている限りカズンの攻撃は鎧を止める。亡霊に知恵があるなら、鎧を捨て去りカズンを襲えば容易く片が付くと考えるかもしれない。
しかし、カズンに再び迫るのは鎧から飛び出た霊体ではなく、大剣の一閃。この騎士鎧の反撃にカズンは一つの仮説を立てた。
騎士鎧の内に潜む者は、エニーが先程吹かせた浄化の風に身を晒す事を警戒している。鎧を脱ぐ知恵が無いのではなく、半端に回った知恵が鎧を着せている。
カズンが逃げ出せば騎士鎧はエニー達を襲い、スウィングを乱射して鎧を縫いとめてしまえば動けないと諦めて鎧から飛び出してくる。後者は最悪エニーが撃退してくれるかもしれないが、カズンが殉職者になるのは明白。
ならば、勝機の無い今のカズンにできるのは、騎士鎧に付きまといのらりくらりと攻撃を避けながら勝機が発生するまで粘ること。
(いつまでもつか、わかった時が勝機か死期だな)
頬を掠めた大剣の豪風にカズンは苦い笑いを浮かべた。
カズンが命がけの時間稼ぎに入る中、猫助はカズンに渡された水筒を前に苦い顔で唸った。
「水……水か……水なぁ……」
この幽霊屋敷までの道中に泉があったが、とても汲みに行っている時間は無い。そもそもエニーの風のおかげで数が減ったといっても、屋敷の外には未だに亡霊達も彷徨っている。その中に飛び込むのは自殺行為だ。ひょっとしたら屋敷中を探せば、雨水がどこかに溜まっているのでは、とも思ったが生憎とここ数日晴天続きで望みは薄い。
(どうしたものか……)
カズンを援護するように道術の心言を唱えているエニーに相談するわけにもいかない。サリディは気を失ったまま目覚めない。目の前で続けられているカズンと騎士鎧の戦いが気になり、思うように考えもまとまらない。
猫助は騎士鎧の攻撃をぎりぎりで避け続けているカズンへと視線を向ける。そして、カズンの頬を伝う冷や汗を見た瞬間、猫助は自慢の髭をひくりと動かした。
(汗……)
猫助の頭の中で弾ける閃き。ただ、その光明は手を伸ばすには光り方がまだ鈍い。猫助の思い付きを輝かせるには、沸いて出た疑問を払拭する必要がある。
(水でないと駄目なのか? 液体ならなんでもありなのか?)
水に限定されると確保が難しいが、液体というなら随分と簡単になる。猫助の中を流れているものもまた、それに該当するのだから。
蛇の道は蛇。幸い猫助の疑問に答える者はすぐ隣にいる。若いながらも十分な実力と知識を持つ封印師にして道士のエニー・カーチス。
「エニー君、答える余裕があれば教えてくれ。縛水に使うのは、水ではなく他の液体でも代用は効くのか?」
その猫助の問いに、エニーも彼の考えを読み取ったのかすぐさま表情を強張らせた。それでも、心言を止めなかったのは立派だろう。
そして、エニーは心言を紡ぎながら神妙な面持ちで小さく頷いて見せた。
少女の返答に猫助も満足そうに頷く。
「よろしい。ならばすぐに用意できる。エニー君、カズンを頼むぞ」
猫助はそう言ってエニーに背を向けた。
振り返る直前、猫助がエニーに向けて浮かべていたのは不敵な笑み。自身が取る一手がカズンに勝機を与えることと、カズンが自分の与えた勝機を生かす事を確信しての笑みだった。
猫助がこれから何をしようとしているのか。エニーの脳裏に不安がよぎる。いっそのこと、今すぐにでもそれを猫助に問いただし止めたいところだが、それはできない。猫助の成すべき事が水の確保なら、カズンはその時間稼ぎ。エニーはそのカズンの援護。カズン救援のために紡いできた心言を完成間近で中断させるわけにはいかない。
視界から外れた猫助の動向に焦燥を覚えながらも、エニーは逸る気を押さえつけて心言を紡ぎきる。
「……ッ! 弾けて!」
エニーはいつもよりも随分と長く感じた心言詠唱を終え、すぐさま道術を発動した。そんな少女の内心を反映するように、大気が密集し巨大な拳となってカズンに向けて大剣を振り上げる騎士鎧を問答無用で殴り飛ばす。
大気を漂う三霊の力を収束させた一撃。皮肉にも幽霊屋敷の霊気を吸収して力を増したそれは、騎士鎧の頑丈な装甲をへこませ、中に住まう亡霊にも十分な打撃を与えた。
エニーの道術に騎士鎧は重厚な鎧を浮き上がらせ、ホールを二転三転と転がり埃を巻き上げる。
だが、騎士鎧に一矢報いた当のエニーは、それどころではなかった。
「猫助さん!」
術の効果を確認するより早く。エニーは自分の背後に回った三毛猫の所在を確かめる。
そして、振り返った少女は、そのつぶらな目を見開いた。
正直言って、騎士鎧の戦闘だけでここまで話を引っ張ることになるとは思っていませんでした。霊体の設定のおかげでカズン並みに大苦戦を強いられるなんて……。まあ、自業自得なのですが……。




