第45話 浄化の風
「うぐっ! ……むぅっ!」」
故ルーデン卿別荘の中で起きた変化に最初に気が付いたのは、暗闇の地下室に潜む男だった。
地下室の壁に向かい片手をかざしたまま直立不動。それが職務であるかのように微動だにしなかった男が、異変を感じた途端に眉をしかめて長身をくの字に曲げる。
しかし、男の苦悶は長くは続かない。体を曲げた次の瞬間には自身に、屋敷に何が起こったのかを察し、伏せた顔に苦い笑みを浮かべる。
「やれやれ、結界を破壊すると同時に瘴気を浄化するとは……。どこのどなたか知らないが、なかなかどうしてやってくれる……」
そう呟き俯いた男は顔を上げて舌打ちした。その表情からは苦味だけが残り、笑みが消えている。
「ええ、本当によくもやってくれたものだ……」
男の眼前、壁面一杯に描かれていた封印の術式。
男の手によって半ばまで解かれていた封印は、屋敷の異変と時を同じくして再生し元の姿へと戻っている。いや、封印を施した者の策か、男が一度解いた封印の断片はより堅牢な術式へと変化している。
解けば解くほど、失敗すれば失敗するほど自力で術式を改善して強さを増す封印。
男は先程の異変の際に集中を乱した自分を悔やんだ。事を成すならば慢心せず万全を期して慎重に事を運ぶのが彼の信条のはずが、自身の知らぬ間に心に隙が出来ていた。
だが、その後悔もまた長くはない。
「油断するとは、我ながら情けない話ですね。それとも、彼の傲慢がうつってしまったのでしょうか……」
覆水は盆に返らない。悔やんでいる間など無い。失敗したのならば、次に成功させる。それに足りる百計万策を講じるのみ。
(先程の浄化の術、彼にも少なからず悪い影響を及ぼすはず……)
闇の中で一人思案にふける男。
ここに留まり封印の解除に徹するか、地下室を出て状況を把握するか。男が彼と呼んだ相棒はまだ無事か、今まさに危険なのか、最早手遅れか……。
「放っておくと無茶に飛び出しそうですね」
男はフムと一つ頷き、踵を返して壁に背を向ける。
「もっとも、加勢したらしたで不満をぶつけられそうですが……」
苦笑いを浮かべ肩をすくめると、男は光無き部屋を扉へ向かって歩き出した。
エニー・カーチスが道術を発動させるべく両手を打ち鳴らしてから数秒。カズン達が叩き割った窓から入り込んだ風は、屋敷の中を暴れるように吹き荒れた。
階段の上からホールを見下ろしていたカズンは、殴りつけるような突風を堪えるべく手すりを掴む手に力を込める。風をまいてはためく黒コートを無視して、目を細めて階下の様子を窺う。
一階ホールは階上から吹き降りた風が縦横無尽に暴れていた。風を呼んだエニーと彼女の傍らにいた猫助はその場に座り込み動けずにいる。そして、騎士鎧は重厚な鎧が幸いして吹き飛ばされるこそないが、その場に留まるのは一苦労と見えて大剣を床に突き立て暴風を凌いでいる。
そんな中で一人、荒れ狂う風の中を移動する者がいた。その翼から一番風の邪魔を受けるだろうと予想していたサリディだ。
(あいつ、なんて無茶を!)
カズンは自分の目を疑った。だが、目を見開こうが細めようが戦闘装甲のサリディだ。
乱れ狂う風の中で、サリディは大きく広げた両翼一杯に風を受けていた。一歩間違えれば姿勢を崩し墜落するか、壁なり天井なりに激突しそうな状態で、巧みに姿勢を変えてホール上を舞っている。
そして、風の暴君に唯一動く事を許された戦乙女は、ホールの上空に滞空すると討つべき敵を見下ろした。
狙うは騎士鎧。眼前の目標を見据えたサリディは、大きく弧を描きながら滑空する。サリディの接近に気付いた騎士鎧は、彼を迎え撃つべく床に突き立てた大剣を引き抜き腰溜めに構えて一文字に薙いだ。
突風と滑空で勢い付いたサリディが一撃を放てば、或いは騎士鎧に深手を負わせる事も叶うかもしれない。だが、裏を返せば一撃必殺に届く勢いは自らの身を滅ぼす事にもつながる。例えば、サリディに向けられた騎士鎧の大剣に飛び込めば、容易くその身を二分することになる。
騎士鎧の一振りがそこまで計算されてのものかは知れない。しかし、そうであったとしても、サリディはそれ以上に風を味方に付けていた。
迫るサリディの胴を薙ぐように放たれた騎士鎧の一振りに対し、サリディは悪戯に吹いた旋風に乗って急旋回すると一気に騎士鎧の背後に回り込む。
「貴様の鎧は我輩の蹴りでは通らぬらしいな……」
戦乙女はそう呟きながら騎士鎧の背中にそっと掌を当てる。
それは衝撃などとはとても呼べない優しい所作。だが、騎士鎧は激闘の中でつい見逃してしまいそうな弱く小さな感覚に、それだけでは終わらないだろうという予感めいたものを感じ、同時にその予感にただならない戦慄を覚えた。
騎士鎧は背後に取り憑いたサリディを、サリディの掌から伝わる不愉快な戦慄を振り払うように身をよじる。だが……。
「止まって!」
エニーが声を上げて床に手を着いた途端、騎士鎧の足元の大気が歪み、歪みは不可視の鎖となって伸び上がり騎士鎧の身体を絡め取る。
「ナニッ……!」
身動き一つ出来なくなった騎士鎧の声に焦りの色が見えた。逃れる事のできない騎士鎧の背後の戦慄。その戦慄を生んだ予感が、実感に変わる瞬間。
「お嬢様の御前だ。伏して礼を取るがいい、下郎!」
叫ぶサリディの掌が白く輝く。輝きは純白の槍となって騎士鎧の背中を貫くだけに留まらず、騎士の胸板を守る装甲をも突き破る。そして、僅かに遅れて背後から伝わった衝撃によって騎士鎧は弾き飛ばされ、ホールに溜まった埃を巻き上げながら二転三転と転がった。
「ヒュー。やってくれたな、サリディ」
屋敷を蹂躙していた風が弱まる中、カズンは動かない騎士鎧を眺めながら口笛を吹く。
サリディの宣言どおりエニーに向かって伏すように床に転がる騎士鎧。その姿を見据えるサリディの身体を包むように一条の薄緑の煙が上がる。
「むぅ、時間一杯か……」
その声はすでに鸚鵡の時のもの。それを証明するように立ち上った煙が晴れた場所には、鸚鵡サリディの姿が横たわっていた。
「限界ギリギリとはいえ、勝ちは勝ちだろ。サリディはそこで休んでな。残りの浄化は俺達で……」
ボウガンを持ち直すカズンだったが、階下の違和感に言葉を止める。
猫助もエニーも表情が優れない。エニーは立ち上がると、同じく立ち上がった猫助を促すようにサリディを指し示した。
「猫助さん、サリーさんを連れて離れていてください」
「ああ……」
エニーの目はサリディを見ていない。エニーの視線の先にいるのは未だに寝転がったままの騎士鎧。同時に少女の目は、動きこそしないが騎士鎧の中にある霊体が未だに健在である事も見ていた。
「随分と強い力を持っていますね。浄化しきるには骨が折れそうです……」
苦い笑みを浮かべるエニーの言葉に騎士鎧へと視線を向けるカズン。エニーとカズンの注目する中、騎士鎧はゆっくりとその身を起こす。
「冗談キツイぜ。あんなもんに貫かれてまだ動くのかよ……」
「サリーさんの一撃が効いている事は確かです。でも、見た目は騎士ですが、それを操っているのは霊体ですから。心臓の位置を貫かれたとしても致命傷とは言えないんです」
カズンのぼやきに答えると、立ち上がった騎士鎧からサリディを庇うようにその前に立ちはだかる。
「効いちゃいる、か。それを聞いて少しは安心した、よっと」
そう言うとカズンは手すりに足をかけると、何のためらいも無くそれを飛び越えた。
「カ、カズンさん?!」
突然のカズンの行動に慌てるエニー。だが、当のカズンは何食わぬ顔で少女と騎士鎧の間に降り立ち、勝気な笑みを浮かべてエニーを見返した。
「なんて愉快な顔をしてんだ、エニー嬢」
「驚かさないでくださいよ。急に飛び降りるんですから」
「驚いたのはこっちの方だ。お嬢がアイツの相手しようってんだからよ」
後ろ手で騎士鎧を指し示し苦笑いするカズン。そのカズンと対面しているエニーの顔が強張る。ただ、その時エニーが見ていたのはカズンではなくその背後、カズンの指し示している騎士鎧だ。
「カズンさん、後ろ!」
声を上げるエニーの視界には、カズンに向かって大剣を振りかざす騎士鎧の姿が映っていた。
「ああ、知ってる」
言うが早いか、カズンは手にしたスウィングの引き金を振り上げざまに引く。無造作とも言える動きだったが、スウィングから放たれた矢尻は騎士鎧の顔を覆う面のど真ん中に突き刺さる。
「ウ、ガァッ……!」
苦悶の声を上げ、顔を押さえながら一歩二歩と後ずさる騎士鎧。その様子にカズンは勝機を感じ、ニタリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「鎧を貫くスウィングと霊体を傷付ける縛水。邪魔する亡霊はさっきの風で一掃された。そんだけ揃ってりゃあ、こいつぁもう俺の勝ちってもんだ」
そう言ってカズンがエニーに片手を差し出した。
「えーっと……?」
手招きするように動くカズンの手。エニーが困惑してカズンのその手と背中を見比べていると、やがて痺れを切らしたようにカズンが振り返る。
「縛水。今の一発で切れたから」
「はい?」
「だから、縛水の補充だよ」
少し苛立ったようなカズンの声にエニーは反射的に首をすくめ、それから申し訳無さそうに俯いた。
「あの、ごめんなさい。もう無いんです……」
その時、カズンの感じた勝機は屋敷を包む闇ほどの陰りがさした。
というわけで、45話目でした。
月一ペースにしたんだから、もう少しボリュームを増やしたいところだったのですが、雪どけしたり、雪どけしたり、雪どけしたり……もういらない、雪。
さっそうと立ちはだかったカズン。どうやって対処する気だ。……どうしよう。




