第40話 ルーデン邸侵入
猫助には幽霊が見えた。これは猫助が異界の門に接触した事で得た能力というわけではなく、少し勘の良い猫なら持ちうる能力である。
だからと言って、触れる事ができるかと問われれば話は変わる。視認する事は出来ても物理的に接触する事は無い。霊に対しては霊的な接触、魂が触れる事になる。そして、普段は肉体という外殻で守られて外部からの干渉を受けない魂が、生気を失って荒みささくれた亡霊に触れれば傷を負う。この事実はあらゆる生物に共通し、当然の事ながら猫助にも該当する。
そんな猫助が今、亡霊によって形作られた泥人形の集団に向かって勢い良く飛んでいた。
猫助とてこのまま飛んで亡霊に触れる事が生死にかかわる事は、充分に心得ている。心得てはいるものの、翼も何も持たない猫助には自らの空中遊泳を止める術が無い。これは絶体絶命ともいえる状況であり、もちろん自分から望んで招いた状況でもない。
頭から水をかぶせられた挙句に亡霊の群れめがけて蹴り飛ばされ……それもこれも元凶と言えば……。
「カズン! 貴様、いったい私になんの恨みが……!」
「死にたくなけりゃ、掻っ捌け!」
怒鳴り声を上げる猫助だったが、その声は背後から響くカズンの声に打ち消される。
カズンの言葉に従うかのように、或いは迫りくる死の恐怖に抗うかのように、もしくは無我夢中で、猫助は迫り来る泥の偶像に向けて自らの爪を振るっていた。
「何ッ?!」
夕闇の中で爪が煌いて白い弧を描く。猫助は振るった爪から伝わる感触に驚き、声を上げた。
爪の軌跡には亡霊が形作る泥人形があった。ならば、爪の先に土の感触があったのは道理だ。だが、猫助はそれ以外の手応えを感じていた。
(これは……私は霊を斬ったのか?)
ありえないはずの事に猫助は戸惑うが、確かに彼の爪は亡霊を泥人形ごと切り裂いていた。それを証明するように、崩れ落ちる泥の塊の奥から苦しみ悶えながら霧散する亡霊の姿を猫助の目が捉えている。
「カズン、これはいったい……?」
信じられないと言いたげな顔でカズンへと振り返りかけた猫助。その鼻先を矢尻が通り過ぎ、猫助はカズンに問うべき事も忘れて怒鳴る。
「カズン、何をする! 私を何度殺しかけたら気が済むんだ!」
「何してるってのは俺の台詞だ猫助! 死にたくなかったら振り向くな! 目の前の相手をどうにかしやがれ! おまえの爪はこいつらに当たったんだろうが!」
カズンに怒鳴り返されて我に返った猫助は、改めて泥人形の一体に飛び掛った。
迫る猫助から逃れようとする鳥型の泥人形に飛びついた猫助の一撃。猫助自慢の爪は、やはり泥ごと霊の首元を切り裂いた。
「いったいどういうことだ、カズン? なぜ私の爪はこいつらに触れることができる?」
土塊と化した鳥を足蹴に宙を舞った猫助は、別の一羽を切り捨てながら改めてカズンに問いかける。
「んあ? そりゃあおまえ、さっきかぶった水の効果だろ」
そう言い返すカズンの手は矢尻に水筒の水を振りかけていた。そして、すぐさまボウガンに湿った矢をセットすると人型の泥人形の頭を撃ち抜く。
「縛水……?」
「そういうこった。矢にかけて効果があるなら、おまえにかけても効果があるんじゃねぇかと思ってな」
予想が的中したと得意げな顔で言うカズン。その隣で放たれる女の溜息に、彼はチラリとそちらを見た。
「サリディ、何か言いたそうだな」
カズンがそう言った先にいるのは鸚鵡にあらず。溜息の声音も示すとおりの女性がカズンを見返している。
背中に薄緑の翼を持った長身の女性。戦闘装甲を展開させたサリディの姿だ。
「カズン君。全くもって無茶な事を思いつく男だな、君は」
「褒めても何も出ねぇぞ、アホウドリ」
「我輩は呆れておるのだ、下郎」
サリディはカズンにそう言い捨てると、猫助が戦っている前線へ向けて走り出した。
「ったく、普段は気に入らねぇが、こういう時には頼もしい限りだ」
猫助と合流するやいなや一気に攻勢に出るサリディの勇姿に、カズンは笑みを浮かべながら漆黒のコートの中へと手を入れた。
引き出されたカズンの手。黒手袋が掴んでいるのは矢がおよそ十本。カズンは器用に矢の束を扇状に広げると、口に含んだ縛水を矢に向けて吹き付ける。
「汚いな……」
乱戦の中にありながらカズンの行為を目ざとく見ていた猫助が、顔をしかめて呟く。それを耳ざとく聞いていたカズンは、思わず口内に残っていた縛水を飲んでしまった。
「やかましいぞ、猫助! こうでもしなきゃ連射できねぇんだよ!」
そう言うカズンの手は既にボウガンの連射を始めていた。サリディ参入で押され気味だった亡霊達は、荒波の如く押し寄せる矢尻にさらに圧倒される。
「おっしゃ! 第二波行くぞ!」
更にボウガンを連射しようと、矢の束を手に口に縛水を含むカズン。だが、突如後ろ髪が引っ張られ、カズンは動きを止められる。
そして、また飲んでしまった。気道にも少し入った。
「ゲホッ! ゴホッ! エニー嬢、いったい何を……」
涙目で咽るカズンの脇を抜けて前に進み出たエニーは、両手で組んだ印を解き放つ。
「近寄らないで!」
エニーはそう叫ぶと虚空を薙ぐように手をかざす。
少女の声にカズンは一瞬自分が拒絶されたのかとも思ったが、それはすぐに違うと察しがついた。
エニーが手でなぞった空間が歪み、空間越しに移る景色が不規則に揺れ動く。歪みは津波のように彼女の叫んだ方向へ、すなわち泥人形達のいる方向へ向かって走るように流れ、歪みに触れた泥人形達は突風に煽られたかのように後退を余儀なくされる。
「これは?!」
「お嬢様が道術で飛ばした波動です。さぁ、勝機ですぞ猫助殿。一気に畳みかけてくれましょう!」
体勢を崩す泥人形達に追い討ちをかけようとする踏み込むサリディと猫助だが、間髪入れずにエニーから放たれた言葉に足を止めた。
「サリーさん、猫助さん、彼等から離れてください! 一気に屋敷に向かいますよ!」
そう言ったエニーは振り返ってカズンのコートの袖を掴んだ。
「さあ、カズンさんも」
「え? あ、いや、しかし……」
エニーに袖を引っ張り急かされるものの、カズンの足は重く気乗りしない返事をする。
今回の依頼はこの幽霊屋敷こと旧ルーデン卿別荘地の幽霊の有無の確認。並びに確認された場合の排除のはずである。こうして亡霊と対面してしまった以上、無視するわけにはいかないのではないのか、という思いがカズンの中にはあった。
無論、劣勢を覆すための一時的な撤退と言うならわからなくもないが、カズンが把握できる限りで言うなら自分達が優位に戦闘を進めているはずだ。一気に攻勢に出て片付けてしまうべきではないかと、カズンには思えてならない。
「エニー嬢。あいつら、ほったらかしにしていいのか?」
泥人形を一瞥しつつ問うカズンに、エニーはこれが答えだと言わんばかりにもう一度袖を引っ張った。
「走りながらでも説明は出来ます。まずは屋敷へ!」
「お、おう……」
有無を言わせないエニーの口調にカズンはようやく従い、二人は屋敷の扉に向けて走り出す。
「お嬢様! いったいどうしたと言うのです!」
猫助と共にカズン達に合流したサリディが納得できないと主を問いただす。その言動からして、サリディもまたカズンと同様勝てる戦いだと踏んでいたのだろう。
「あの方達はもはや心言でも会話も出来ないほどに消耗しています。生前の姿を霊体で形作ることもできず、もはや純粋な霊気として大気を漂いながら自然に帰るだけなんです」
「ちょい、ちょっと待て、エニー嬢」
約束通り走りながら説明を始めるエニーに、カズンから早くも待ったがかかる。
「生前の姿を形作れないってんなら、後ろから追っかけてくる奴らは説明つかんだろ」
カズンの言葉通り、背後では体勢を立て直した泥人形達がカズン達を追ってきていた。
「そうです。本来なら霊体を形作れなくなった霊は意思も持たずに漂うだけで、この屋敷に集中するという事は無いはずですし、消耗した霊が生前の姿に戻れるほどに復活する事もない。本来ならです」
「では、今回は例外という事か?」
猫助がそう問いながらサリディと共に一同を先行し、扉への道を塞ごうと回り込んだ泥人形を切り伏せる。
「ええ、おそらくは何者かが霊をこの屋敷に呼び寄せ、霊力を与える事で仮初めながらも霊体を形成できるレベルにまで無理矢理引き上げています」
エニーの見解にカズンが舌打ちした。
「いつぞやの化け鼠と同様、元凶を断たねぇことにはどれだけ霊を始末しても次々におかわりが来るって事か」
「そういうことです。サリーさん、扉を!」
主の短い言葉を従者サリディはすぐさま悟り、屋敷の扉を開くべく翼をはためかせて宙を駆ける。
エニーは印を組み、短い心言を呟きながら背後の遅々人形達へと振り返った。
「来ないで!」
振り向きざま両手をかざしたエニー。彼女が口にした拒絶の言葉を引き金に大気が歪み、土人形へ向けて波動が放たれる。ただ、今度の波は先程放ったそれよりも広がる角度が狭く、その分集約された波動の力を受けた土人形は後ろへと撥ね飛ばされた。
「今のうちに、屋敷の中へ……って、キャッ!」
さらに波動を撃とうとしたエニーはカズンに襟首を掴まれ、そのまま彼の小脇に抱えられた。
「ちょ、ちょっと、カズンさん!」
「今回の一件はエニー嬢が鍵なんだよ。勝手にしんがり気取ってんじゃねぇの」
突然の事に慌ててジタバタと暴れるエニーを抱えなおし、カズンは扉に向かってひた走る。その光景に扉を開け放ったサリディが背中の翼を逆立てた。
「下郎! エニーお嬢様をそのようにぞんざいに扱うとは、何たる事か!」
「うるせぇぞ、アホウドリ! 苦情は扉を閉めてから言いやがれ!」
サリディの抗議にカズンは屋敷へ飛び込むと同時に吼え返す。
主の扱いの荒さは鼻につくが言い分はカズンが正しい。サリディはいち早く追いついてきた泥人形を蹴り飛ばすと、叩きつけるように扉を閉めた。
時を僅かにさかのぼり、場所は旧ルーデン卿別荘内の一室。室内は暗く、中の様子を知る事は叶わない。ここに照明が無い事もさることながら、外部からの明かりを入れる窓一つ無い事も一因である。
それもそのはず、この部屋は屋敷に設けられた地下室。唯一の出入り口である扉を閉ざしてしまっては闇夜よりも暗い。
そんな闇一色の空間を一人の男がのんびり歩いていた。その歩みは闇に怯えることも無く、まるで全てが見えているかのように躊躇いが無い。
「ふむ、やはりこの部屋で良い……か」
男は小さく唸ると見えるはずもない部屋の中を見回した。壁に手をかざした男は、石造りのざらついた感触を確かめるようにそっと壁面を撫でる。
「それにしても、随分と面倒な封じ方をしたものですね。このしつこさはマテルか、はたまたキルロイか。それとも……」
興味深そうに何度も壁を撫でる男。
僅かでも光源があれば、その手が撫でる壁面に幾何学模様が並んでいる事がわかるだろう。そして、わかる者にはわかるだろう。その模様が封印を意味している事に。それも、並大抵の封印ではない。多重にして難解。複雑怪奇この上ないと言ってもいい。豪商として腕をならしたと言っても凡人に過ぎない亡きルーデン卿では決して成し得ない。
だが、男はそれ以上の感想を抱かない。封印の出来栄えに感心する事も無ければ、封印開放が困難である事に疲弊もしていない。なぜなら……。
「この長い歳月、いったいいくつの封印を解かされてきた事か……」
そう、男は幾度と無くこの壁面に描かれた封印と同程度の封印を相手にしてきたのである。それも、全てこの屋敷の中でだ。
「今日こそは当たりを引きたいもので――」
ぼやいていた男の口が止まり、同時に壁面をなぞる手がピタリと止まった。男は僅かに眉根を寄せると、天井を見上げる。
「……迷い猫、か?」
男は顔を上げたまま微動だにしない。見えるはずのない地上を見据えながら、ぼそりと呟いた。
というわけで、幽霊屋敷四名様御案内な話でした。
書いて後悔する事って割りとあるもので、今回の霊魂の設定もそれです。
触れもしなけりゃ見えもしないなんて……。どっちもOKならカズンが苦労する事もなかったのですがねぇ。




