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斑の猫の館  作者: 紫神川悠
第三章 闇色の館
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第37話 賑やかな夕食

 小都市シャルワンの街並みを朱色に染めていた夕日が沈み、夕日が作っていた長い影が夜の闇に溶け込む頃。夕飯時ともなると、町のそこかしこにある酒場にいろんな者達が集まってきている。


 この町に住む者、旅の途中の者、職業も年齢も様々だが、皆の目的は酒場に来ている時点で一致している。ある者は自分の今日一日の仕事ぶりを称えて杯を傾け、またある者は惚気にも似た妻の愚痴をこぼしながらジョッキを空け、出される酒と酒場の雰囲気にこの場の皆が皆酔いしれる。


 そして、ここにもそんな酒飲みが一人。


「ング、グ、ング……プッハァーッ! カーッ、染み入る!」


 届いた木製ジョッキの中身を一気に飲み干したカズンは、歓喜の声を上げた。


 晩酌の有る無しは別として、どこの誰もが夕飯時。カズン達二人と一匹と一羽もまた、宿屋兼酒場『星杯亭』に設けられた食堂で食事を始めたところだ。


「な、なんと言うか、ものすごい飲みっぷりですね」


 驚いたような感心するような顔でカズンを見て言う少女エニー・カーチス。同じテーブルについている薄緑の羽の鸚鵡サリディ・ゼロと三毛猫の猫助も、彼女の意見に同意するように頷く。


「ワハハハハ! いやー、久々に飲む酒なんでな。それに一仕事終えた後ともなれば、そりゃあもう格別ってもんだ」


「気持ちはわからなくもないがな、カズン。明日の仕事に支障がない程度にしてくれよ」


 かじりついたビーフサンドを頬張りながら、猫助がカズンに釘を刺した。


「猫助に言われんでもわかってらぁ。ほろ酔い程度で済ませるって」


 果たして猫助の釘は刺さったのかどうか。カズンは相棒の三毛に上機嫌で応えながら、酒の追加を注文する。彼の背もたれには、真新しいボウガンがかけられていた。


 武器屋『硝子の斧』でボウガンの値を知って目を回したエニー。エニーの財布でまかないきれないカズンのボウガン購入費についてカズン達四名は依頼主に相談に向かい、そのうち二名が依頼主の家に辿り着いた途端狼狽した。


 エニーの依頼主とはカズンと猫助が受けたギルドの仕事、子猫の捜索を依頼したサプラス夫人その人だったのである。


 ボウガン購入費の前払いを頼む前に、子猫捜索失敗を報告するはめになったカズン。意気消沈しつつ夫人の御前に向かう事になったわけだが……。


「しかしまぁ、あのマダムに会うまでの沈みようとは全くの別人の大違い。呆れるほどの機嫌の良さですな」


 言葉通りの呆れ顔のサリディ。


 サプラス夫人に依頼失敗を糾弾される覚悟で彼女の前に立ったカズン。そのカズンが頭を下げるより早く、夫人は笑顔で礼を言ってきた。その礼が一瞬何の事か理解できなかったカズンの視界に飛び込んできたのは、サプラス夫人に抱かれて眠る灰色の子猫。


 彼女の元へ戻そうと追い回していた子猫は、カズン達の手を借りる事もなく勝手に帰っていたのである。そうとは知らない夫人はカズン達が見つけたものだと勘違い。


 かくして、カズンは依頼主サプラス夫人の信用を失うどころか、子猫探しの報酬とその実績から来る信頼を得たのである。当然、夫人が子猫の恩人だと信じて疑わないカズンの頼み、準備資金前借りについても二つ返事で快諾された。


「ボウガンの入手に依頼解決。カズンにしてみれば、万々歳といったところだろう」


「準備資金の前払いは快諾をいただきましたし、臨時収入も入りましたし、あの猫さんには感謝ですね」


「おうよ。まさにチビ猫様々! と言いてぇとこだが、あのチビ猫。自分で帰るなら帰ると言いやがれってんだ、ったく。あ! 店員、それこっちだ、こっち!」


 口々に言う猫助とエニーに、上機嫌で同意しながらも文句も垂れるカズン。


 異界の門の影響で猫助との会話が可能になったとはいえ、他の猫がカズンに家に帰るなど伝える事ができるはずも無い。それを承知の上での軽口なのか、猫助と他の猫の見分けが付かなくなるほどに酔ったのかは定かではない。はっきりしているのは、酒を飲んだカズンの顔が早くも朱に染まっているという事だ。


「カズン、くどいようだが程々だぞ」


「くどい! わかってるっつったろ?」


 猫助の注意に応じつつ追加のジョッキをあおるカズン。


「時に、エニー君。問題の幽霊屋敷には明日向かうとして、遠いのかな?」


 空になったジョッキを振り回し店員に追加を要求するカズン相手に警告するのも馬鹿らしくなったのか、猫助はエニーへと話を振る。猫助に問われ、エニーは小首を傾げて考え込む素振りを見せた。


「そうですねぇ。私も言った事が無いので確かな事は言えないんですけど……片道半日程度の道のりになるでしょうか」


 虚空に思い描いた地図を見据えながら答えるエニー。


「こちらに帰り着くまでの道中で一泊する事になりそうだな。そうなると野宿か、件の屋敷で幽霊と共に眠るか……」


「どちらもお嬢様にはお薦めしたくない寝床ですな」


 考え込む猫助の対面で、サリディがやれやれと頭を振りながら深々と溜息をついた。


「大丈夫ですよ、サリーさん。私は野宿好きですから」


 陰鬱としたサリディに笑顔で返すエニー。彼女の返答に鸚鵡従者は、目の上に眉毛っぽく生えた焦げ茶色の羽根を寄せた。


「我輩は感心しませんな、お嬢様。由緒正しいカーチス家の御令嬢ともあろうお方が、どこぞの下郎ではあるまいし。地べたに這いつくばって眠るなど……」


「あら。お父様やお母様も、若い頃はよく旅先で野宿をしたそうですよ」


「その旦那様や奥様も、いついかなる獣や妖魔が現れるとも知れぬ危険な地に大事な愛娘を置いておくとなれば、さぞや心配なされる事でしょう」


「そうですね。心配して下さるかもしれません」


「そうでしょう、そうでしょうとも。ですから、お嬢様は……」


 従者の言葉を素直に認めたエニーに、サリディは我が意を得たりと勢い付く。そんなサリディに向かってエニーはニコリと微笑み鸚鵡のかぶるシルクハットを撫でた。


「だからこそ、私にサリーさんをお供に付けてくれたんです。ありがとう、サリーさん。あなたのおかげで、私は心置きなく眠れるんですよ」


 無邪気に笑って礼を言うエニーに、サリディの説教がピタリと止まった。


「ぐ、むぅ……」


 唸るサリディ。危険な地に赴こうとする主を諌める使命感と、主に頼りにされている幸福感という内心の鬩ぎ合いに次に言うべき言葉が出てこない。


 ニコニコ顔はそのままにサラダパスタに口を付けるエニーと、その隣でむくれながらもマッシュポテトをついばむサリディ。先の論戦の勝敗は、猫助の目にも明らかである。


「ハハハ、忠臣サリディの雄弁も主の前では形無しと見える」


「茶化さないでいただきたいですな、猫助殿」


 笑いながらビーフサンドをかじる猫助を膨れっ面のサリディが睨んだ。そんな彼の背に黒い手が伸びる。


「あんだあんだ、そこの鸚鵡。そんな辛気臭い面でメシ食ってっと、羽根にカビが生えちまうぞー、おい」


 頬を赤らめたカズンが飛び掛るようにしてサリディに組み付く。突然の事に慌てて逃げ出そうともがくサリディだが、酔いどれカズンの腕力は思いのほかに強い。


「この下郎! 何をする!」


 抗議の声を上げるが、酔ったカズンの耳に届くには些か遠いらしい。カズンはニヤリと笑みを浮かべ、手にしたジョッキを高々と振り上げた。


「そんなシケた面してんじゃねぇよ。おまえも呑め! 呑んだら、そこに何かある!」


「モガガ……!」


 言うが早いかジョッキをサリディの嘴へと押し付ける。


 突然のカズンの奇行に唖然としていた猫助とエニーは、我に返ると慌てて彼を止めに入った。


「わ、わわ! ちょっとカズンさん、やめてください!」


「おい、カズン! 無茶をするんじゃない!」


 二人の制止する中、サリディはジョッキの中のモノを喉の奥へと流し込む。そして……。


「クケェーッ!」


 鸚鵡とは思えない怪鳥の鳴き声が店内に響き渡った。あまりの声量に飲ませたカズンも驚いて身体を強張らせ、各々騒いでいた客達は静まり返り、注文を運ぶ店員達も驚いて足を止める。


 静寂に占領された宿屋兼酒場『星杯亭』の食堂に、カズンの腕から逃れたサリディの頼りない羽音だけが響く。その手負いのような不規則な羽ばたき方で空を舞う事など到底叶わず、サリディはテーブル上にポテッと墜落した。


 テーブルに寝そべり目を回す従者を、主のエニーが抱き上げる。


「キャー! サリーさん、サリーさん! しっかりしてください!」


「カズン! 何をするかと思えば……何をやらかしているんだ、カズン!」


 爪を剥き出しにした前足を振り上げ詰め寄る猫助に、さすがのカズンも酔いの引いた顔でバツが悪そうに頭を掻く。


「いやー、なんと言うか、元気の無いサリディに元気を出してもらいたいなーと」


「だからと言って、やっていい事と悪い事があるだろうが! 酔った勢いなどという戯言で誤魔化せる所業ではないぞ!」


「まあまあ、猫助殿。カズン君も我輩の事を気遣っての事。笑って水に流そうではありませんか。いや、この場合は酒に流す、と言うべきですかな?」


 背後から聞こえる猫助を制止する声。


「サリディは黙っていろ。ともすれば、これはサリディの生死にかかわるかもしれない……サリディ?」


 猫助が驚いて振り返った先には、猫助同様驚いているエニーに抱かれた鸚鵡。普段と変わらず蝶ネクタイとベストをバッチリ着こなすその姿は、つい今しがた倒れたとは思えない。


「サ、サリーさん、大丈夫ですか?」


「妙な事を仰いますな、お嬢様。えぇえぇ、我輩はいつでも大丈夫でございますとも。なぜなら、我輩には身命を賭してお嬢様を守るという大切な使命があるのですから!」


 主エニーの腕からテーブルへ颯爽と飛び降りたサリディは、胸をそらしながら堂々と言い放つ。


「いえ、なんというか、その……別の意味で、大丈夫です?」


「カズン、これは……」


「こいつ、見事に酔ってやがるな……」


 突然の事に呆然とする猫助に、同じく呆然としつつカズンが答える。彼等の呟きが聞こえたらしく、サリディは毅然とした姿勢を崩す事無くカズンへと向き直った。


「その通りだ、カズン君。我輩は酔っているとも! 先程お嬢様が我輩にかけて下されたお言葉を聞いたかね? 主に信頼を得る事は、仕える者としてこの上ない至福。この幸福感に酔いしれぬわけが無い! おお、エニーお嬢様! 我輩はあなたのような主を持って世界一の幸せ者で御座います。不肖、この従者サリディ・ゼロ。生涯をかけて御身の御守護を務めさせていただきますぞ!」


「え? えっと、その……ありがとうございます」


 シルクハットを脱ぎ、恭しく頭を垂れるサリディ。エニーが途惑いながら礼を言うと、頭を上げたサリディの目尻は感涙に潤んだ。


「おお、またもやそのような勿体無いお言葉を! 我輩は、我輩は……」


 片翼で顔を覆い泣き始めるサリディ。従者のいちいち大げさな反応に困り果てておろおろするエニーの肩に、カズンの手がポンと置かれる。


「あー、エニー嬢。今のサリディを褒めたり礼言ったりするのはタブーだ。話がややこしくなる」


「やれやれ、カズンが落ち着いたと思ったら次はサリディか……。おい、サリディ。気をしっかり持つんだ」


 むせび泣く鸚鵡を落ち着かせようと近寄った猫助に、サリディはその髭をついばむかの如き勢いで顔を近付けた。


「猫助殿……我輩を案じてくださるとは感動の極み。これほどの素晴らしい友を得た我輩は如何にしてこの喜びを表現すればよいのだ!」


「そうだな……とりあえず、私としては落ち着いてくれると嬉しい」


 両翼で掴んだ猫助の前足を何度も何度も上下に振りながら、滝のように涙を流すサリディ。どうやら彼の身を案じることもタブーらしい。


 そして、エニー、猫助と続き、サリディが次に選んだターゲットは言うまでもない。


「全く、なんて鬱陶しい酔い方しやがるんだ、このアホウド……わわっ!」


 猫助からカズンへと視線を移すや否や、サリディが羽ばたきカズンの顔へ飛びつく。


「モガッ! モガゴッ!」


「おお、カズン殿! 毎度の憎まれ口も貴殿の優しさの裏返しと心得ているとも! その漆黒の装束に隠れた心根、貴殿の耳から下がる純白の硬貨の如く! いざ戦いとなれば放たれる殺気は、貴殿のボウガンの鋭き矢尻の如く! いつぞやの化け鼠を相手にした時の貴殿の勇姿は、今も尚我輩の目に焼きついております! 此度の依頼遂行は冒険者として慣らしたカズン殿が、実に誠に頼もしい!」


 薄緑の羽根に目鼻を塞がれたカズンがもがく。事あるごとにカズンといがみ合うサリディからは考えられないスキンシップに、猫助は髭を揺らして鸚鵡の主人へと振り返った。


「なぁ、エニー君。キミはサリディにこんな酒癖があった事は……」


 三毛猫の問いにエニーは首を振る。


「いえ、こんなサリーさんは初めて見ました。でも……」


「ムガグッ……プハッ! って、俺で三段オチじゃねぇのかよ! この酔いどれアホウドリ!」


「さぁ、飲むぞ同志よ! 明日の依頼完遂を祈って乾杯だ!」


 顔にへばりついたサリディを鷲掴みにして引き剥がすカズン。だが、サリディはするりと彼の手から逃れ、カズンが頼んでいた追加のジョッキを両翼で器用に抱え上げて見せる。


「む! 言われるまでもない!」


 酔いが醒めたように見えていたカズンが、サリディの煽りに容易く乗ってジョッキを掴む。


「えー、それでは、我が主エニー・カーチスお嬢様の今後の活躍と、変わらぬ健康と、余すほどの幸せと、羨むほどの成功と、更に磨き上げられるであろう美貌と……」


「祈り過ぎだ、アホウドリ! ほれ、乾杯だ乾杯!」


 景気良く打ち鳴らされるカズンとサリディのジョッキ。勢い余って中身が少々こぼれても双方気にする様子も無く……。


「楽しそうですし、これはこれでいいんじゃないですか?」


 飲み干したジョッキを手に馬鹿笑いしている一羽と一人を眺めながら、エニーは猫助に微笑んでみせた。


「エニー君。キミの器の大きさには恐れ入る……」


 猫助にはエニーのように笑っていられる心の余裕は無い。カズンとサリディが明日の朝襲われるであろう悲劇と、その影響で出発が遅れる事を想像し、やれやれだとばかりに首を振り溜息をついた。


ミッション開始前の一幕でした。

それなりに生きてきてお酒を口にする機会もそれだけございまして……。サリディの奇妙な酒癖って、書いている当人はちょっと笑えなかったりします。

……ちょっとだけなんですけどね。いや、ホントに。

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